秘密は魔法のスパイス
俺は閉まっていた扉を、わざと大きな音を立てて勢いよく開け放った。
「──!」
教室内の空気が凍る。
俺は今しがた到着したかのように、悠然と足を踏み入れた。
「何しに来たんだよ、アルフレッド」
「お前こそ何をしてるんだ?課外授業か?」
「……いいからこっち来いよ」
デジンが顎でしゃくる。
俺はその挑発に乗るように、ゆっくりと歩を進めた。
「スライムも倒せないからって、クラスメイト相手に憂さ晴らしとはな。落ちたもんだ」
「うるせぇよ!お前は前から気に食わなかったんだ。学長の義理の息子だか知らねぇが、何の身分もない『無能』がこの学院をのうのうと歩いてんのが、頭に来るんだよ!」
「馬鹿を言うな。魔法は誰のものでもない。今はな」
「あぁん?何が言いてぇんだ」
「魔法の前では、身分も血筋も関係ない。等しく平等だと言っている」
「ハッ!お前みたいな捨て子が?それでも平等だって言うのかよ!」
彼は嘲笑うように俺の空の袖を指差した。
「ああ。だが確かに、俺とお前で決定的に違うことはあるな」
「なんだよ」
俺はデジンの腹を目掛け、躊躇なく拳を突き立てた。
「全てだよ、無能」
「がはっ……!?て、テメェ何しやが……!」
「魔法なんて高尚なもの、お前らには豚に真珠だ。かかってこいよ、オーディエンスもまとめてな」
「クソが……クソがクソがぁッ!」
デジンが怒号を上げると、取り巻きの二人が左右から飛びかかってきた。
予想通りの単調な動きだ。デジンはただ腕を振り回しているだけ。足元がお留守だ。取り巻きも少しはマシだが、拳が軽い。
「いいか。喧嘩で太ももを狙って蹴ろうとするな。狙うなら脛だ」
バキィッ、と硬質な音が響く。
「うぉっ?!」
取り巻きAが情けない声を上げて崩れ落ちる。
「それに拳は、人差し指と中指の拳頭で打つんだ。変な箇所で殴るから、自分も痛い目を見る」
的確に急所を打ち抜くと、もう一人の男も白目を剥いて膝から崩れ落ちた。
残るはデジンだが……奴らしいな。
彼は距離を取り、片手に魔導書、もう片方には杖を構えていた。
「勝つためなら魔法も使うか?」
「当たり前だろうがッ!死ねぇ!」
「そうか。なら講義を始めよう」
彼は杖の先端から炎を噴き出させる。
「炎の渦!」
……馬鹿だな。
杖の保持が甘いせいで先端がブレている。
それに、人差し指にばかり魔力が偏りすぎだ。
放たれた火の玉は、人の頭ほどのサイズしかない。
実戦で使うにはあまりにお粗末だ。
こいつには痛い目を見てもらう必要があるかもな。
なんなら再起不能でも構わない。
この教室はしばらく使えなくなるが……学長、リフォーム代は頼んだ。
俺は、右手に杖を構えた。
左手には何もない。魔導書なんて必要ない。
何千回と、あの魔導書は読んだ。
杖の振り方も、何万回と繰り返した。
あいつらがヨダレを垂らして寝ている間も、俺はずっと。
大丈夫だ。俺ならいける。
例え魔導書がなくとも、歴史に名を残す大魔導師たちと同じように、杖一本で事足りる。
俺には、この脳という最強の書庫があるのだから。
俺は静かに、けれど世界に命令を下すように詠唱した。
「赫灼断熱」
空間が歪むほどの熱量。
教室を埋め尽くさんばかりの赤黒い業火が、俺の杖先から顕現する。
「おい馬鹿野郎?!お前、俺を殺す気か?!そんなことすれば退学だぞ?!」
「心配するな。お前は死ぬんだから、退学なんて関係ないだろう?」
「ひぃッ──」
俺は無慈悲に、その暴力を解き放った。
轟音と共に爆発が起き、粉塵が舞う。
気がつけば教室の扉はおろか、壁にすら大穴が空き、外の景色が見えていた。
……あんなに大きな炎に見えたが、実体は極限まで圧縮し、衝撃波メインにしておいた、はずだったのだが。
少しやりすぎたかもしれない。
デジンは……黒焦げの壁際で小指がピクピクしている。生きているな。上出来だ。
俺は瓦礫を跨ぎ、クレアのもとへ駆け寄った。
「これを着て逃げるぞ。バレたら怒られるからな」
俺は着ていた制服のコートを脱ぎ、彼女の震える肩にそっと羽織らせた。
「怒られるっていう次元じゃないと思うけど……」
「そうか?まあ大丈夫だろ。あいつらのせいにして逃げようぜ」
俺は彼女を抱え上げ、急いで現場を離脱した。
学長室に逃げ込むと、主である老人は既に事の顛末を知っているようだった。
開口一番が「呆れた。ワシ、まじで呆れた」だったからな。
「全て見てたなら止めろよ」
「いやなぁ……。青春ドラマ感覚で見入ってしまったというか」
「悪趣味な爺さんだ」
「まぁ……。誤魔化してやろうとは思うが、流石にアレは無理じゃ!ドアホ!あ〜あ……デジンの父親は面倒なんだぞ……いっそのこと事故に見せかけて消すか?」
「良くはない。それこそ父親がブチギレて軍を率いて乗り込んでくるだろ」
俺とジジイの物騒な話し合いを、椅子に座らされたクレアが呆然と見ている。
「おっとすまんすまん。後のことはワシに任せたまえ。……聞いてしまって申し訳ない。だが、君の家の借金と、父親の治療費はワシに任せなさい」
「え……?」
「この馬鹿弟子に、償いとして荒稼ぎさせるからな。金には心配いらん」
「あ、ありがとうございます……でも……」
「いや、は?俺に荒稼ぎさせるってどういうこと?」
俺が口を挟むと、学長はニヤリと笑った。
「実はな、危険すぎて誰も受けないが、報酬だけは破格の依頼がいくつか来てるんじゃよ。……行ってこい」
「いや俺にも学業が……」
「お前、明日から停学だから関係ないよ。頑張ってね」
面倒なのに巻き込まれた。
いや、自分から薮をつっついたのだ。自業自得か。
「まぁ、デジンの方は今回の行為を理由に退学させておくか。取り巻き共も……あいつらワシの悪口言ってたしな。連帯責任じゃ」
「一部始終を録画してんのか?その趣味の悪い水晶に」
「いやぁ〜これはなー」
彼は机の上にあった水晶玉を、慌てて背中に隠した。
「この水晶、特定の使い魔の目に映ったものを全て記録できるんじゃ」
「悪用はせん!証拠として提出したらすぐに消す!……多分」
とりあえず、一件落着?俺以外は。
「おいこの馬鹿たれ小僧!何か暖かい飲み物でも買ってこい!」
「え、クレア何か飲みたいのか?」
「馬鹿たれ!この状態で同級生に見られたいと思うか?こんなボロボロで、下着姿同然の女の子を!」
「……あ。すみません」
「言わなくて良いです……」
顔を真っ赤にするクレアに、俺は気まずく頭をかいた。
「悪い。なんか買ってくる」
「ワシは予備の制服を持ってくるとしよう」
俺は学長室を出て、自販機のある休憩所へ向かった。
すると廊下の壁にもたれかかり、誰かを待っている様子の白髪の女子生徒がいた。
「凄いやん。君」
周囲には誰もいない。俺に話しかけているらしい。
「悪いが、新手の勧誘ならお断りだ」
「はぁ?誰が勧誘なんかするか」
これ以上、今日は面倒事に巻き込まれたくない。
無視して通り過ぎようとすると、彼女は楽しげな声を背中に投げかけた。
「まぁええわ。君の魔法、見させてもらったからな。これからは仲良くしてな」
「だるそうな奴とは絡まない主義なんでね」
「昔からそうか? ──『○○○○』君」
俺の足が、凍りついたように止まる。
「……なんで、その名を」
「さぁな」
この学院の生徒が知るはずがない。
なぜならその名は昔に捨て去った、孤児院時代の忌み名なのだから。
驚きを隠せない俺をよそに、彼女はニヤリと口の端を吊り上げる。そしてすれ違いざまに俺の肩をポンと叩くと、どこかへ去っていった。
人の名前って覚えられなくないですか?
顔と話した内容で整理する癖が直らない……




