魔法の見せ方
二年生に進級して数日が過ぎたが、世界は何ひとつ変わらない。いつも通り授業を受け、いつも通り食事をし、いつも通り寮へ帰る。その退屈な反復運動が、俺たちの青春らしい。
だが、今日は少しばかり様子が違っていた。
俺は少し早足で、寮から教室へと向かっていた。
一限目は『火属性魔法史』。
担当のクリストファーは出席を取らないし、試験も過去問の使い回しだ。サボろうと思えばサボれたが、あいにく目が覚めてしまった。暇つぶし程度にはなるだろう。
道中、何か柔らかいものを踏んだ。
……最悪だ。野生動物の落とし物らしい。
"ふん"でしまった。
ダジャレのような展開に乾いた笑いすら出ない。
今日はとことんついていない日だ。
絶望的な気分で教室にたどり着くと、扉には無情にも『休講』の張り紙があった。
つくづく、今日はダメな日だ。
文句のひとつも言いたいが、いない相手に毒づくほど惨めなことはない。
俺はため息をつき、踵を返そうとした。学食で遅めの朝食でも摂って時間を潰そう。
その時だった。
誰もいないはずの教室の中から、微かだが複数の話し声が漏れ聞こえてきた。
俺は足を止め、後ろ側の扉をネズミ一匹分ほど静かに開ける。
隙間から覗き込むと、教壇の近くで人影が動いていた。デジンとその取り巻きたちだ。彼らが囲んでいる中心には、クレアがいる。
俺は音もなく教室へ滑り込むと、机の影に身を潜めた。距離はあるが、張り詰めた空気と共に声が届く。
「クレアちゃんのパパ、また倒れたらしいなー?」
「……あんたのクソ親父が、私のパパをこき使ったからでしょ」
「おいおい、感謝してほしいもんだぜ。魔法もろくに使えない、特技もない、学もない無能を雇ってやってんのは、俺の親父だぞ?」
ドンッ、と何かが壁に叩きつけられる音が響いた。
「ふざけないで! パパを馬鹿にする奴は絶対に許さない!」
「口答えすんじゃねぇよ」
鈍い音。続いて、軽い身体が床に崩れ落ちる音。
「いくら女だからって調子に乗るなよ」
「ぜっ、たいに……許さな、い」
「ならお前の親父は死ぬ。薬代も生活費も、ましてやこの学院の学費すら払えない寄生虫が、偉そうな口を利くな」
机の陰で、俺は眉をひそめた。
離れていても、彼女の荒い息遣いが耳元で聞こえてくるようだ。
「俺の言うことを素直に聞けば、全部解決するんだよ。俺ならお前の親父も、学費もすべて面倒を見てやる。……なのにお前は、あの馬鹿な父親に似て強情だから困る」
「……」
「俺の女になれば楽になれる。諦めろよ。お前が自分を不幸にしてどうする?」
典型的な洗脳の手口だ。逃げ場を塞ぎ、依存させる。
「……なるわけ、ないでしょ!?」
「あぁ!?」
意外だった。
恐怖と暴力、そして将来への不安。それら全てを突きつけられてなお、彼女の瞳は死んでいないらしい。
魔法は精神と密接にリンクする。あれほどの絶望下で折れない心を持つ彼女なら、俺の知らない魔法の領域を見せてくれるかもしれない。
「やりたくはなかったんだけどなぁ……。おいお前ら、分からせてやれ。顔以外ならどこでもいい。服も剥いでやれ」
「「うっす」」
下卑た了承の声。
机の下からわずかに視線を送ると、二人がかりで彼女を押さえつけ、制服に手を掛けていた。
「やめなさい!」
「うるせぇよ!」
鳩尾に、男の拳が深々と突き刺さる。
苦悶の声が漏れる間もなく、次は首を絞め上げられる。
「暴れんなよ」
彼女は顔を赤くし、酸素を求めて悶えながらも、必死に爪を立てて抗っていた。
手を離したかと思えば、今度は無慈悲な蹴りの雨が降る。彼女は床にうずくまり、頭を抱えて耐えることしかできない。
なぜ魔法を使わないのか。その理由は、彼女のすぐ側に転がっていた。
へし折られた杖。そして、ビリビリに破かれた魔導書。
魔法使いにとって、杖は脳内のイメージを整理する『計算機』であり、魔導書は術式を構築するための『数式』だ。その両方を失った状態で魔法を行使しようとすれば、計算ミスで暴発して自滅するか、何も起きないかの二択。
今の彼女は、牙を抜かれたも同然だった。
「やめて……」
ついに、彼女の声から力が抜けた。
痛みか、酸欠か、あるいは羞恥か。威勢の良かった声は掠れ、消え入りそうだ。
だが、連中は止まらない。気絶させるまでか、心に一生消えない傷を刻むまで続ける気だろう。
「やめて……やめ……やめて、ください……」
敬語が出始めた。心が、折れかけている。
だが、この歳の少女がここまで耐えたのだ。賞賛に値する精神力と言っていい。
デジンが目配せをして、暴力を止めさせた。
破れた制服で肩で息をする彼女を見下ろし、デジンは勝ち誇ったように告げる。
「もう一度聞く。俺に従え」
彼女は震える唇を、それでも懸命に動かした。
「……い、いやだ」
その場の空気が凍りついた。
驚いたのは俺だけではないだろう。デジンたちもまた、信じられないものを見るような目で彼女を見ていた。
「お前、今なんて……」
「絶対に、無理……だから」
──決まりだ。
これ以上、見ているだけの理由はなくなった。
彼女の資質は十分に分かった。
それに何より、俺は今朝から機嫌が悪いんだ。
そろそろ、俺も混ぜてもらおうか。
スマホが無かった時代、休講のお知らせって現地に行くしか判断の仕様がなかったのかな……((((;゜Д゜)))))))




