真面目に生きるには人生は短すぎる
「おい、アルフレッド。魔導書はどうした?」
廊下を歩いていると、いつもの羽虫たちが湧いてきた。俺は無視して足を速めるが、彼らは獲物を逃がすまいと回り込んでくる。
「ま〜た無視か?ああ、悪かったな。お前、片腕だったっけ?杖を握ったら魔導書なんて持てないもんなぁ。……いや待てよ?犬みたいに口で咥えればいけるんじゃないか?」
下卑た笑い声が廊下に響く。
どれだけ歳を取ろうと、人間という生物の本質は変わらない。子供も大人も大差はない。大人はただ、社会という枠組みに強制されて「大人」のフリをしているに過ぎないのだ。
「チッ、いらつくなぁ。何か言い返せよ。それじゃあウチのペット以下だぜ?」
ドガッ、と肩に重い衝撃が走る。
バランスを崩した俺は、無様に廊下へ這いつくばった。
「おいおい〜。大丈夫かぁ?起き上がれんのか?もう俺たちは四年生だぜ、一人で立てない赤ちゃんじゃあるまいし」
クスクスと、周囲の嘲笑が鼓膜を打つ。
俺が立ち上がろうとした、その時だった。
「ちょっと。何をしているの?」
嘲笑を切り裂くような、凛とした声が響いた。
「お〜。これはこれは。クレアちゃんじゃないか。どう?今度のパーティー、俺と」
「どいて」
彼女──クレアは、いじめっ子の主犯格であるデジンを冷たく押し退けると、俺の元へ歩み寄った。
「貴方達、恥を知った方がいいわ」
「おいおい〜。あんまりキツイこと言わないほうがいいぜ?俺の親父とクレアちゃんのパパが『仲良し』なのは知ってるだろ?」
家柄という絶対的なカードを切られ、彼女は唇を噛み締めた。反論を飲み込むその目は、けれど鋭くデジンを睨みつけている。
「あ〜あ。なんかしらけちまったわ。行くぞお前ら」
デジン達は肩を揺らし、わざとらしく足音を立てて去っていった。嵐が過ぎ去った後のような静寂が戻る。
「大丈夫?」
「気にしなくても良かったのにな。助けてもらっておいてなんだけど」
「虐められてる人を見過ごすほど、落ちぶれてないわ」
「俺が可哀想だからか?」
「え?」
彼女は意外そうに目を丸くした。
「悪い。起こしてくれてありがとう。もう大丈夫だ」
「……」
「助かったよ。じゃあな」
礼を言って立ち去ろうとする俺の背中に、彼女は言葉を投げかけた。
「別に、貴方を可哀想だと思ったことはないわ」
「……?」
「現に、貴方は実力主義のこの学院に残っている。……ただ、どうして反撃しないの?」
「さぁな。片腕がないからか、もしくは負けるのが怖いのかもな」
何か言いたげな表情を残し、彼女は俺とは反対の方向へ去っていった。
放課後。
図書室の隅でページを捲っていると、珍しくデジンが一人で近づいてきた。
「よう真面目クン。こんなとこで何してんの?」
「息抜き」
「さすがだね〜。でもその本、実践じゃ持てないよなぁ?」
「何が言いたい」
「魔法使いの基本さ。『片手には杖を、もう片方の手には魔導書を』。これが常識だ」
「魔導書を持たない魔法使いもいる」
「一緒にすんなよ。そいつらは生まれつきの演算能力と、異常な暗記力、そして死線をくぐった経験値でカバーしてんだ」
こいつは本当に俺のことが好きらしい。わざわざ解説までしてくれるとは。
「お前といると気分が最悪になる」
「あ?お前誰に口利いて……」
「分かった、分かったよ。俺が消えればいいんだろ」
凄む彼を適当にいなし、俺は図書室を後にした。
廊下に出ると、クレアが壁にポスターを貼っているのが見えた。
「あ、アルフ。手伝ってくれない?」
「これは?」
「あと一ヶ月で『魔女の夜』でしょ?そこでパーティーを開くの」
「いいな。今年も愉快な夜になりそうだ」
「……今回も来ないの?」
受け取ったポスターを持つ手が止まる。
「どうだろうな。行けたら行く」
「それ、絶対に来ないパターンのセリフよね」
「俺はいつも通り、学長と過ごすよ」
「まさか学長と付き合ってるわけ?」
「まさか」
軽口を叩きながら作業を手伝っていると、またしてもあの不快な声が割り込んだ。
「お〜。お二人さん。仲良しこよしだねぇ。付き合ってんの?」
「何よデジン。もうそろそろ帰ったら?」
「つれないなぁ。クレアちゃん、このパーティー俺も行くからさ。夜は俺と過ごさない?」
デジンは俺の手からポスターをひったくると、ニヤついた顔を近づける。
「いやよ。絶対無理」
「お〜怖い。でも、じきにイエスしか言えなくなるからさ。楽しみに待ってるよ」
彼はそう言い捨てると、手に持ったポスターをビリビリに引き裂き、紙吹雪のように撒き散らして去っていった。
残されたクレアの肩が、微かに震えている。
「……大丈夫か?」
「え、ええ」
「あいつに弱みを?」
「あいつの父親は……。なんでもないわ。貴方には関係ないもの」
「そうか」
それ以上踏み込む権利は俺にはない。
気まずい沈黙を破るように、彼女が口を開いた。
「私たちも、いつのまにか四年生よね」
「ああ。この学院にいられるのもあと3年だ」
「その頃には立派な魔法使いになれてるかな」
「クレアならなれるさ。成績優秀なんだろう?」
「今はね。未来のことは分からない」
どこか陰のある横顔で呟くと、彼女は「ありがとう。また明日」と言って女子寮へ向かっていった。
俺も自分の寮へ戻るか。
踵を返すと、廊下の角から学長が鬼のような形相で歩いてくるのが見えた。
「アルフ!お前、また『あの部屋』に入ったな!?」
学長の怒声が廊下に響く。
「あそこは立ち入り禁止区域だ!教師でさえ許可がいるというのに……」
「もう、学ぶことがなくて」
「はぁ……。お前というやつは……」
学長は怒りを通り越し、呆れたように大きなため息をついた。
「この学院にお前を留めておくのは、もう限界かもしれん」
「悪かったよ。これからは気をつける」
「いや、勝手な行動を咎めているのではない。『学ぶことがない』……その言葉の意味だよ」
彼は俺の肩に手を置き、声を潜めた。
「別の魔法学院に行くか?ワシの推薦なら、もっと上の」
「いや、俺はここでいい」
「だがなぁ……。もう既にこの学院にある魔導書は全て読んだのだろう?あまつさえ、ワシの禁忌コレクションまで読破しおって」
「まあな」
俺は悪びれもせずに肩をすくめる。
「この学院で、お前に教えられることはもうない」
「いや、四年生から始まる『交換留学』。あれには興味がある」
「成績優秀者が、他校へ武者修行に行ける制度か?」
「ああ。短期間で、かつ色んな場所の魔法に触れられる」
「……そうか。だがお前、今の成績は下から数えた方が早かろう。担任から聞いておるぞ」
学長の指摘に、俺は薄く笑った。
「それは調整してるからな。これから始まる実践や決闘も成績に入るんだろ?無駄に目立って、これから来る大事な試験たちを手の内を対策されるようなヘマはしたくなかったからな」
「……ワシにはお前がよく分からん。無欲かと思えば、底なしに貪欲でもある……」
学長の困惑した顔を見ながら、俺は自身の右腕──存在しないその空間を握りしめるように意識した。
「俺は、常に飢えているからな」
そう。俺は、魔法に飢え続けているのだ。
主人公の名前は『アルフレッド』ですが、仲の良い人、友達からは『アルフ』と呼ばれています。
ッが入ると発音の流れが遮られちゃうよね……。




