いえない
俺は吹き飛ばされたゴレスウッドの右腕___巨大な岩塊へと歩み寄る。
「おい……気でも狂ったのか?」
ベルフワインが呆れたように声を上げるが、構わず手を伸ばす。
岩の隙間から突き出ている、錆びついた一本の古剣。かつてこのダンジョンで散った冒険者の遺品だ。
なぜ杖ではなくこれを選んだのか、自分でも分からない。ただ、身体が勝手に動いた。
「おいベルフ。こいつの弱点は核なんだろ?」
「あ、ああ。胸の中央に色が暗い部分がある。そこが核だ。……だが気をつけろ、滅茶苦茶硬いぞ」
俺は剣を引き抜く。
ずしりと重い鉄の感触。
その冷たさが、封印していた記憶の蓋をこじ開けた。
――フラッシュバックする鮮血と悲鳴。
視界が赤く染まる。
狂った男の怒号。妊婦の懇願。泣きじゃくる子供の声。
『やめて! お腹にはまだ子供がいるの……!』
ズブリ。俺は躊躇なくその腹を突き刺した。
『俺に勝たせてくれ! 妻とここから出なきゃいけないんだ!』
俺はその喉を無慈悲に掻き切った。
『僕、ここが何か分かんないよ。でも、殺せって言われたんだ』
ドスッ。希望に満ちた子供の瞳を見据え、心臓を貫いた。
『神はぁ……神はひぁ……神は……ダァ……』
グチャ、グチャ。もはや人間とは呼べない肉塊を、何度も、何度も刺した。
自分がまだ人間でいられるか、確かめるように。
「……ッ、ふぅ」
俺は深く息を吐き、悪夢を振り払う。
視界が戻ると、剣を握る手が微かに痙攣していた。
落ち着け。今はあいつを倒すことだけを考えろ。
この剣は、あの時の凶器じゃない。
刀身を確認する。
丁寧に作り込まれた剣なのだろう。腐食しているが、一撃なら耐えられるはずだ。
俺は杖を使わず、剣の柄を強く握り込み、心の中で詠唱する。
(――深く、底のない深淵よ。消えることなき黒き灯火となれ)
剣身にドス黒い炎がまとわりつく。
熱さはない。あるのは底冷えするような「死」の気配だけだ。
「ウオオオオオオ!」
ゴレスウッドが残った左腕を振り上げ、迫ってくる。
避けるか? いや、そんな面倒なことはしない。
貫く。ただそれだけだ。
俺は地面を蹴り、奴の懐へと飛び込んだ。
心臓めがけて剣を突き立てる。
ガギィン!
「硬ってぇな……!」
剣先は岩肌に食い込んだが、核までは届かない。
「ウオオオオオオオッ!!」
奴が咆哮し、岩の体が激しく振動する。
「言っただろう、硬いって!」
「馬鹿野郎、これからだ」
剣に纏わりついていた黒い炎が、生き物のように岩を侵食し始めた。
物理的な破壊ではない。闇による腐食。
ジュワジュワと音を立て、剣が岩の中へとズブズブ沈んでいく。
「グオオオオオオオルルルルル!!」
悲鳴のような音が響く。
奴は痛みに狂い、巨大な左腕を振りかぶった。俺ごと己の胸を叩き潰すつもりだ。
「おいベルフ! お前にも出番をやるよ。奴の左腕を落とせ! 俺を狙うなよ!」
「無茶言うな! 俺には魔力がほとんど残ってねぇよ!」
「帰りは俺が連れて行ってやる! 後のことは気にするな!」
「……言ったな! もうどうなっても知らねぇぞ!」
ベルフワインは再び杖を構え、魔導書を開く。
「今度は外さねぇぞバケモン! ――『光槍』!」
放たれた光は先ほどより細く、勢いもない。
だが、腕を切り落とす一点に集中していた。
奴の拳が俺を潰すのが先か、光が届くのが先か。
答えは簡単だ。
ドォン!
光の槍が左腕の付け根を貫く。
支えを失った巨大な岩腕が、俺の背後で砂埃を上げて落下した。
「ウオオオオオオ……リリリ……!」
これで奴は両腕を失った。防ぐ手立てはない。
「闇」は十分に浸透した。
俺は剣を奥深くまで押し込み――渾身の力で横に薙ぎ払った。
ズバァンッ!
岩の巨体が、まるで柔らかいケーキのように上下真っ二つに断裂する。
崩れ落ちた岩塊は地面にぶつかり、砕け散って動かなくなった。
振り返ると、ベルフワインが地面にへたり込み、呆然とこちらを見上げていた。
俺は歩み寄り、腰の抜けた彼に手を差し出す。
「歩けるか?」
「……まぁな。てかあんた、闇魔法も使えるのかよ……」
「使えるだけだ。専門じゃない」
「それに今の剣術も」
「真面目に習ったことはない。魔法使いになる前、生きるために使っていただけだ」
「へぇ、珍しいな。剣士上がりの魔法使いか」
「……ある人が教えてくれたんだ。どんな生き物であれ、魔法の下では平等だと」
「そいつは誰だ?」
俺は学院の方角を見つめながら答える。
「学長だ」
ベルフはげっそりした顔で溜息をついた。
「そうかよ。……それより早く出ようぜ。俺はもう魔力切れで一歩も動けねぇ」
「ああ。その前に、俺はメルキッドのツノを……あと23本集めないといけないからな」
「はぁ?! お前ッ、『後のことは気にするな』って言っただろうが!」
「『帰り』は連れて行くと言ったが、『すぐ帰る』とは言っていない」
俺は喚き散らす大男を米俵のように担ぎ上げ、ダンジョンの奥へと歩き出した。
「クソが……もう反撃する力もねぇ……降ろしてくれぇ……」
彼の情けない声が洞窟に響く。
久々に握った剣の感触が、掌に残っていた。
どんなに足掻いても、あの血塗られた過去からは逃げられない。
俺は一生、あの感触と向き合い、償い続けなければならないのだろう。
背中の重みを感じながら、俺は暗闇の中を一歩ずつ進んでいった。




