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家族と始める異世界の暮らし  作者: 翠川
第1章 アロヴィナでの日常

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第6話 ギルドのざわめきと、森の中の小さな悲鳴

 

 朝ごはんのテーブルで、ユタカが小さな布袋を出した。


「昨日の分と、今日の分の前払いだって。正式に“この先も継続でお願いしたい”ってさ」


 袋の口を少しあけると、銀貨が数枚と銅貨がいくつか見えた。


「……ちゃんと、こっちの世界のお金だ」


 それだけで、胸のあたりがふっと軽くなる。


「これで、こっちでの生活にかかるお金は、少しずつ“ここで働いて入った分”で払っていけるね」


「そうだな。ネットスーパーのほうは、当面は非常食と気分転換用かな」


「うん。いつかは、“ネットスーパーのものを少しだけこっちで売る”って選択肢もあるかもしれないけど」


 そう言うと、サナが顔を上げた。


「たとえば、石鹸とか、布とか、乾麺とか? あんまり“魔道具っぽくない”やつ」


「魔道具っぽくないって?」


 私が首をかしげると、サナが「ああ」と指を鳴らした。


「ギルドの人たちが言ってたやつだよ。火をつける石とか、一瞬で畳めるテントとか――ああいう“魔法仕込みの便利グッズ”のこと、この世界だと魔道具って呼ぶみたい」


「なるほど。じゃあ、うちのテントもその仲間ってことね」


「たぶんね。だから逆に、石鹸とか布とかなら、“ちょっといい品”くらいにしか見えないかなって


「そういう方向なら、まだ現実的だね」


 私も頷く。


「でも、いきなりガンガン売り出したら怪しまれるから、やるとしても少しずつ。ユタカがギルドで“こういう品物なら普通に流通してる”って確認してから、かな」


「……仕事のついでに、さりげなく様子を見てみるよ。妙な目立ち方だけは避けたいし」


「今日は、考えるだけで十分だよ」


 そこから先は深掘りしない。

 お金の話ばかりしていると、せっかくの朝ごはんが味気なくなる。


「で、今日は?」


「午前中はギルドで書類。午後は、早めに切り上げられそうなんだ」


 コーヒーをひと口飲んでから、ユタカが続けた。


「昨日、商業ギルドの受付の人にさ、“一度、ご家族と一緒に冒険者ギルドの中も見ておくといいですよ”って言われて」


「ほう」


「だから、午後、みんなで“中をのぞくだけ”行ってみないかと思って。登録まではしないから」


 サナの目がきらっと光った。


「いいね。ゲームだと最初に必ず行く場所だし」


「サナ」


「ごめん。でも、ちょっとワクワクするのは本当」


「ユウトはどう?」


「……こわくなったら、すぐ帰っていい?」


「もちろん。見るだけの日だから」


 そう言うと、ユウトは小さく頷いた。


「じゃあ、それで決まり」


 ユタカが立ち上がる。


「午前中はいつもどおり。午後、ギルド前で集合ね」


「いってらっしゃい」


「いってきます」


 扉が閉まって、リビングが静かになった。




 ◆ 冒険者ギルドのざわざわ


 午前中は、普通に家事をした。


 洗濯機を回して、掃除機をかけて、

 棚の中で「日本ゾーン」と「アロイスゾーン」を分けて。

 ユウトは、いつものように“出さない練習”をしている。


「何も出てこない」


「それは成功だよ」


「そっか」


 そんな会話をしながら、午前はあっという間に過ぎた。


 昼過ぎ、商業ギルド前でユタカと合流し、その足で冒険者ギルドへ向かう。


 扉を押した瞬間、空気が変わった。


 酒と汗と革の匂い。

 低い笑い声と怒鳴り声。

 金属がぶつかる音。


(……ここが、こっちの“現場”なんだ)


 商業ギルドの「紙とインク」の空気とは、まるで違う世界。


「うわ……想像より“冒険者ギルド”だ……」


 サナが小声でつぶやく。


「その感想もどうかと思うけど、分かる」


 壁には大きな掲示板。

 紙がびっしり貼られている。


「薬草採取」「周辺のゴブリン討伐」「街道護衛」……そんな文字がぱっと目に入った。


「いらっしゃい。登録か?」


 カウンターの奥から、短髪の中年男性が声をかけてきた。

 見た目は怖いが、目つきはそこまで険しくない。


「今日は、中を見学させてもらえたらと思いまして。僕は商業ギルドの登録商人で、こちらは家族です」


 ユタカが前に出る。


「おお、あっちの“数字に強い新人さん”か。噂は聞いてるぞ」


「そんな噂になってるんですか……」


「登録する気があるなら、ちゃんと説明するが、今日は“雰囲気を知りたいだけ”って顔だな」


「はい。今は情報だけ頂ければ」


「じゃあ簡単にな。依頼はランクごとに色が違う。下っ端は草むしりと荷運びから。外に出るのは、ある程度慣れてからだ」


「なるほど」


 必要なところだけ聞いて、あとは深追いしない。


「掲示板見てきていい?」


 サナが私を見る。


「人の邪魔にならない範囲でね」


 そう言って近づくと、紙の端に「初心者向け」「推奨ランク」などの文字が並んでいた。


「“薬草採取・一人でも可”……これは平和そう」


「隣、“ゴブリン群れの討伐・中級以上”って書いてるけど」


「いきなりそっちに手を出したら死ぬやつだね」


 そのとき、腕にぐいっと重みがかかった。


 ユウトが、ぎゅっとしがみついてきている。


「ユウト?」


「……ここ、ちょっと、いやな感じする」


「いやな感じ?」


「うまく言えないけど、“黒い”人が何人かいる」


 言葉は幼いけれど、目は真剣だ。


「今日は見るだけって決めたし、あんまり長居しないでおこうか」


「賛成」


 サナがすぐに頷いた。


「お父さん、外で待ってるね」


「分かった。質問一つだけしたら出るよ」


 私たちは先に外へ出た。


 扉を閉めると、さっきまでのざわめきが嘘みたいに薄くなる。


「……疲れるね、ちょっと」


「情報量も人の気配も濃かったからね」


「外は白い感じがする」


 ユウトが小さく言う。


(たぶん、“気配”か何かを感じてるんだろうな)


 まだ言葉をつけるには早い気がして、その考えは胸の中にそっと置いておいた。




 ◆ 森と街道のあいだで


 少ししてユタカも出てきて、四人で城門を抜けた。


 城壁の外にある野営地までは、もう何度か往復した道だ。

 城壁が見えるギリギリの距離を保ちながら、草むらと低木のあいだを抜けていく。

 あの野営地でテントを出して、その奥の家に入るのが、今の私たちの“帰宅”だ。


「冒険者ギルド、どうだった?」


「“いかにも”って感じだった。登録は……今じゃないね」


「うん。私たち、戦う家族じゃないし」


 そんな話をしながら歩いていると、ふと、耳の奥にひっかかる音がした。


 風でも、鳥でもない。

 低くて、濁っていて、どこか笑っているような。


(……ん?)


 思わず立ち止まる。


「どうしたの?」


「……変な声が聞こえた気がして」


「声?」


「うん。でも、聞き間違いかも」


 そのときは、本当にそう思った。


 数十歩ほど進み、森と街道の距離が近づいてくる、野営地の少し手前まで来たときだった。


「……やだ」


 ユウトが、さっきより強くしがみついてくる。


「また“いやな感じ”?」


「うん。ぐるぐるしてる」


 説明はよく分からないけれど、腕に伝わる力は本気だ。


「とりあえず気をつけよう」


 そう言った瞬間――草むらが、大きく揺れた。


 小さな影が二つ、飛び出す。


 緑色の皮膚。小さな体。汚れた布切れの服。

 手には、錆びた短剣。


「ゴブリン!」


 街道の向こうを走っていた荷馬車の護衛が叫ぶ。


 馬が驚いていななき、荷馬車がぐらりと傾いた。


「危ない!」


 甲高い悲鳴。

 次の瞬間、荷馬車が横倒しになり、中にいた少女が転がり出る。


 腕を強く打ったのか、服が裂けて血がにじんでいた。


「っ……!」


 思わず一歩、前に出かける。


「リカ!」


 ユタカが私の腕を掴んだ。


 同時に、護衛たちが動く。


「くそ、また出やがった!」


「二匹だ、落ち着け!」


 剣が閃き、短い悲鳴が上がる。

 二匹のゴブリンは、護衛たちの手であっという間に地面に沈んだ。


「ユウト、見ないで」


「……うん」


 ユウトの頭を抱き寄せながら、私は息を飲む。


 倒れた少女のもとへ、鎧を着た女性冒険者が駆け寄った。


「大丈夫、大丈夫。そんなに深くないわ」


 彼女は少女の腕に手をかざす。


 ほのかな光が、じわっとにじみ出る。

 血で赤くなっていた傷口が、ゆっくりと塞がっていった。


「……ちゃんとしたヒールだ」


 サナが、小さく呟いた。


 私は、自分の指先を見つめる。


(私たちも、できる。でも――)


 少女の傷は、もうほとんど分からないくらいになっている。

 彼女は涙を拭きながら、「ありがとう」と何度も頭を下げていた。


 護衛たちは、倒れたゴブリンを素早く片づけ、荷馬車の状態を確かめる。


「すみません、お怪我はありませんでしたか?」


 女性冒険者がこちらを振り向いた。


「はい。こちらは無事です。助けてくださって、ありがとうございました」


「この辺、最近ちょくちょく出るのよ、ゴブリン。城門から近いからって油断しないほうがいいわ」


 そう言って、軽く笑う。


 この世界では、さっきの出来事も「日常の延長」なのだと、改めて思い知らされる。


「街に戻るなら、日が落ちる前にね」


「はい。気をつけます」


 私が頭を下げる横で、ユウトが小さく震えている。


「……さっきから、ずっといやな感じしてた」


「いつから?」


「冒険者ギルドの中と、ここの手前の草むらから」


(やっぱり、さっきの“変な声”と繋がってるんだ)


 背筋が冷たくなる。




 ◆ 夜、新しい能力の名前を決める


 その日の夜、リビングに四人で座った。


 テーブルの上には、湯気の立たないお茶のカップだけ。


「まずは……みんな無事で、本当によかった」


 ユタカが、ゆっくり口を開いた。


「ゴブリンを倒したのは護衛の人たちだし、少女もヒールを受けられた。俺たちは見ていただけだ。でも、それでよかったと思う」


「うん」


 私は頷く。


「でも、“何もできなかったこと”が引っかかってるのも正直なところ」


 サナが、素直に言った。


「私、たぶんあの子の傷、もっと早く治せた。でも、ここでやったらアウトだって分かってたから……何もしなかった」


 それは、私も同じだ。


「だからって、“何もしないのが正解”って頭では分かってても、胸は納得してくれない感じ?」


「そう。それ」


 サナが、苦笑いする。


「でね。あのとき、頭の中に、突然“薬の作り方”みたいなのが浮かんだんだよね」


「薬?」


「うん。“この辺りで採れる草と根をこういう割合で煮て、こういう軟膏にすれば、あのくらいの傷はすぐ治る”みたいな」


「それは……」


 ユタカが目を丸くした。


「ゲームでいうと、“薬師スキルが解放された”感じに近いかな」


「例えはともかく、言いたいことは分かる」


 私は笑ってしまう。


「教会で女神の水に触れたあと、昨日の夜は何も起きなかった。でも今日、“目の前でヒールを見た瞬間”に、そのレシピが落ちてきた感じがした」


 サナは真剣な目で続ける。


「“ヒールじゃなくて薬で助けるほうの道もあるよ”って、言われたみたいな」


「……薬師、ってことね」


「うん。ヒールは外では極力使わない。でも、“薬に詳しい子”って顔なら、まだ自然にいられる気がする」


 なるほど、と私は思った。


「魔法で治すと目立つけど、薬なら“努力と勉強の範囲”ってことにできるもんね」


「そう、それ。それなら、女神さまも怒らなそう」


 女神さま、という言葉に、胸の奥が少しざわつく。


(あの水と、このレシピは、たぶん同じ線で繋がってる)


「じゃあ、ユウトは?」


 私は向かいに座る息子の顔を見る。


「今日、“いやな感じ”って何度か言ってたよね」


「うん……」


 ユウトは指をいじりながら話し始めた。


「冒険者ギルドの中で、“この人こわい”“この人やだ”って感じが、前よりはっきり分かった。あと、ゴブリンが出てくる前の草むら……なんか、ぐるぐるしてた」


「ぐるぐる?」


「うん。こっちに向かってくる感じ。いやな方に」


 言葉がうまく見つからないのだろう。それでも、一生懸命伝えようとしているのが分かる。


「教会に行く前は、そういうの、あんまり感じなかった?」


「“人見知り”はあったけど……こんなにはっきりじゃなかった」


「ってことは、ユウトも“何か一つ、増えた”ってことだね」


 私は言葉を選びながら続けた。


「悪意とか敵意とか、そういうのの“気配”をざっくり察知してるのかもしれない」


「むずかしいことはよく分かんないけど、“近づきたくない方向”は前より分かる」


「それなら、それで十分だよ」


 あとは、使い方の問題だ。


「リカは?」


 今度はユタカに聞かれる番だった。


「さっき、“変な声が聞こえた”って言ってたけど」


「うん」


 私は、昼間のことを思い出しながら話した。


「教会で、その……“女神の水”に触れたあとからね、遠くの会話が変にはっきり聞こえることがあるのよ」


「遠く?」


「たとえば、冒険者ギルドの中で、離れたテーブルの会話が、普通なら聞き取れない距離なのに耳に入ってきたり。今日の草むらも、ゴブリンが飛び出してくる前に、どこかで笑ってるみたいな声が聞こえた」


「見えてないのに?」


「見えてない。だから、“なんだろう”と思いつつ、深く考えずにそのまま歩いちゃった」


 それが、一番悔しい。


「前の世界の言葉で言うとね、“天耳通てんじつう”っていうのが近いかな」


「仏教のやつ?」


 サナが首をかしげる。


「そう。距離とか壁とか関係なく、いろんな声が聞こえちゃう耳。千里眼の耳版。……ただ、名前は立派だけど、実際はただの盗み聞きになりかねないから、正直あんまり嬉しくはない」


「でも、ゴブリンの気配を早めに察知できるなら、すごく役に立つ能力でもあるよね」


 ユタカが真面目な顔で言う。


「教会で水に触れてから、今日いきなり覚醒した感じ?」


「うん。“少しずつ”っていうより、“スイッチ入った”に近いかな」


 サナもユウトも、たぶん同じだ。


「教会で水をもらった三人にだけ、新しい“おまけ”がついてきたってことね」


「女神さま、やることが細かい……」


 サナがぼそっと言う。


「じゃあ決めようか」


 私は、テーブルの上で自分の手を組んだ。


「この新しい能力、どう使うか」


「うん」


「サナは、“薬師”を前面に出す。ヒールは家族と、ごく一部の“絶対に必要なとき”にだけ。外では、まず薬でできることを優先しよう」


「分かった」


「ユウトの“気配察知”は、全力で“逃げるほう”に使う。いやな感じがしたら、迷わず教えて。理由が説明できなくてもいいから」


「……うん。ちゃんと言う」


「私の“天耳通”は、基本“家族を守るためだけ”。盗み聞きは、ほんとに必要なときだけ」


「“だけ”って言うあたり、ゼロにはしないんだね」


 サナが笑う。


「ゼロにしたら、せっかくの能力がもったいないでしょ」


「そういうところ、ほんとお母さんだなぁ」


 少し笑いが戻って、空気が緩む。


「お父さんは?」


「俺は……教会で水にも触ってないし、今のところ増えたものはないな」


 ユタカは、少し照れたように笑った。


「でも、それでいいのかもしれない。誰か一人は、“普通の物差し”を持ってたほうがいいだろ?」


「うん。その役は、あなたが一番向いてると思う」


 そう言うと、胸の奥で、かすかな水音がした気がした。


(それでいい、って言われた気がする)


 もちろん、ただの気のせいかもしれない。

 でも、今日はその気のせいに、甘えさせてもらうことにした。


「じゃ、今日はここまでね」


 私は立ち上がる。


「考えすぎると眠れなくなるし。ごはん食べて、寝て、明日も生き延びる。それで十分」


「それ、大事」


 サナが笑う。


 ユウトは、少しだけ表情を緩めた。




 ◆ それぞれの寝室と、聞こえる気配


 歯を磨いて、電気を落とす。


 うちは、もともと寝室は別だ。

 仲が悪いわけじゃない。

 ユタカの豪快ないびきと、私の浅い眠りがあまりにも相性最悪で、何度も真剣に話し合った結果、そうなっただけだ。


(お互い、ちゃんと寝て機嫌よく起きたほうが、長い目で見て夫婦仲にいい)


 そういう結論になった。


 自分の部屋の布団に潜り込む。


 目を閉じる前から、胸の奥で水が静かにたまっていくような感覚がした。


(今日も、いろいろありました)


 心の中だけで、そっと言う。


(全部が上手にできたわけじゃないけど、とりあえず、みんな生きてます。ありがとうございます)


 返事はない。

 代わりに、水面に小さな波紋が広がるような静けさが、胸に落ちてきた。


(……明日は、もう少し早く“変な音”に気づけるようになりたいな)


 そんなささやかな目標を立ててから、私は目を閉じた。


 こうして、アロヴィナでの六日目は、

 新しい能力に“名前をつけた日”として、静かに終わった。



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