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家族と始める異世界の暮らし  作者: 翠川
第1章 アロヴィナでの日常

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第5話 ギルドと教会、少しだけ中をのぞく日

 

 朝、ユタカの目覚ましが鳴る前に目が覚めた。


 寝室のドアがそっと開いて、彼が顔を覗かせる。


「起こしちゃった?」


「ううん。今日は“お仕事デー”でしょ?」


「一応、初出勤だからね」


 そう言いながらも、声はちょっと嬉しそうだ。




 ◆ いってらっしゃいと、いってきます


 リビングに出ると、まだ家の中は少しひんやりしていた。

 コーヒーを淹れて、簡単な朝ごはんを並べる。


「ギルドって、何時間くらい?」


「今日は一日、ってほどじゃないと思う。昼前くらいまで書類の確認して、午後は“持ち帰り仕事”をもらえたらいいな、って感じ」


「残業とかあるの?」


「まだ最初から残業出たら、さすがにやだなあ」


 そんな冗談を言えるくらいには、彼の顔色は明るい。


「何かあったら、すぐ家に戻ってきていいからね。ギルド近いし」


「分かってる。リカたちは?」


「午前中は家の整理。午後ね……教会をちょっと覗いてみたい」


 サナが、トーストをかじりながら顔を上げる。


「水の女神さまのとこ?」


「うん。まだ中をちゃんと見てないし、“旅の無事のお礼”くらいは言っておきたいかなって」


 あの見えない“誰か”と、教会が同じ相手かどうかは分からない。

 でも、先に少しだけ自分から顔を出しておきたい気がした。


「じゃあ、午後はお母さんとサナで教会?」


「そうしようかな。ユウトはどうする?」


「……ママと一緒に行く」


 返事は早かった。


「分かった。じゃあ、三人で」


 そう決めてから、私はユタカの服の襟を軽く引っ張った。


「はい、“初出勤のおまじない”」


「なにそれ」


「ただの“いってらっしゃいハグ”」


「……じゃあ、“いってきますハグ”も」


 軽く抱き合ってから、玄関で見送る。


「いってらっしゃい」


「いってきます」


 扉が閉まって、家が静かになった。




 ◆ 午前中は、ちゃんと生活


 午前中は、とにかく“普通の家”の仕事をした。


 洗濯機を回して、掃除機をかけて、

 棚の中の食材を整理して、

 ネットスーパーの在庫と、昨日買った現地食材の位置を分けておく。


「こっちの棚が“日本ゾーン”で、こっちが“アロイスゾーン”ね」


「ゲームでいうと、倉庫タブ分けた感じ?」


「サナ、なんでもゲームで例えない」


 と言いながら、その例えが地味に分かりやすくて困る。


 ユウトは、昨日に続いて“出さない練習”をしていた。

 正座して、ゆっくり深呼吸して、手のひらをじっと見ている。


「どう?」


「……なにも出てこない」


「それは成功なんだよ」


「そっか」


 ちょっとだけ表情が緩んだ。


 昼前、インターホンが鳴る。


(ギルド……じゃないよね、ここ)


 一瞬身構えたが、玄関の向こうにはいつものあの音だけ。


「ピンポーン、ネットスーパーです」


 玄関を開けると、ダンボールが一つ増えていた。


「……いや、便利すぎるでしょ」


 思わずつぶやく。


 とはいえ、いつまでもこれに頼りきるのも怖い。

 今は「非常用兼、心の安定剤」ってことにしておこう。


 昼は軽めに済ませて、片づけを終わらせた。


「じゃあ、そろそろ行こうか」




 ◆ 教会の中は、想像よりも静かだった


 アロヴィナの街は、昼下がりでも賑やかだった。

 ギルドの前を通ると、窓から見える中にユタカの姿がちらっと見える。


「お父さん、頑張ってるね」


「真面目モードだね、あれは」


 邪魔しないように、そのまま通り過ぎた。


 教会は、広場から少し外れた、少し静かな通りに建っている。


 白い壁と青い屋根。

 昨日見た水の女神像は、入口の前の噴水の中央に立っていた。


 今日は、噴水のふちに腰かけて話している人たちもいる。


「中、入ってみる?」


 サナを見ると、こくりと頷いた。


「ユウト、怖くなったらすぐ言うんだよ」


「うん」


 扉を押して中に入る。


 外とは空気が違った。

 ひんやりしていて、少しだけお香みたいな匂いがする。


 長椅子が並んだ、こじんまりした礼拝堂。

 正面には、大きな水の絵が描かれた壁と、その前に小さな祭壇。


 天井は高くないけれど、声が少しだけ響きそうな空間だ。


 数人が、それぞれ好きな場所に座って、静かに祈っていた。


「……きれい」


 サナが小さく呟く。


 祭壇の上には、透明な鉢に水がたたえられている。

 淡い光が差し込んで、表面がきらきら揺れていた。


「旅の人?」


 後ろから、優しそうな女性の声がした。


 振り返ると、二十代後半くらいの女性が立っていた。

 白い衣を着ていて、髪はうなじでまとめている。


「はい。この街に来たばかりで……」


「ようこそ。私はこの支部でお手伝いをしているリーネと申します」


 にこりと笑うその顔に、警戒心はあまりわかなかった。


「旅の無事のお礼を、と思って。勝手に入ってしまってすみません」


「いいえ。むしろ、立ち寄ってくださって嬉しいです。女神さまは“旅人と水を守る方”ですから」


(旅人と、水)


 あの“見られている感じ”が、胸の奥で少しだけざわつく。


「どうぞ、あちらの水に触れていってください。旅の人は、最初にそれを受けていかれることが多いんですよ」


 リーネさんが指差した先には、小さな台と、丸い鉢。


 さっき祭壇で見たものより小さいが、同じように透明な水が満たされている。


「怖くないからね」


 ユウトの耳元で囁いてから、三人で近づく。


「指先で少しだけ、すくうように触れてみてください」


 リーネさんの言うとおりに、私はそっと水に触れた。


 冷たさが指先から腕に上がって――そこで、温度がふっと反転する。


 冷たくて、あったかい。

 変な言い方だけど、本当にそう感じた。


(あ、これ)


 夜に感じるあの気配と、同じ種類のものが、ほんの少し混ざっていた。


「どうですか?」


「……すごく、落ち着く感じがします」


「それなら、きっと女神さまが歓迎してくださってますね」


 軽い調子で言うのに、変な押しつけがましさはなかった。


 隣でサナも水に触れて、目を丸くしている。


「……なんか、ゲームの“バフ”みたい」


「サナ」


「ごめん、でも、ちょっと分かりやすくない?」


 くすっと笑ってしまう。


 ユウトも、恐る恐る指先を水に入れた。


「どう?」


「……冷たいけど、やだじゃない」


「それは良かった」


 リーネさんが微笑む。


「ご出身は?」


「アロイスの端のほうの村です。ジャパン、という……」


 あらかじめ決めておいた答えを、そのまま口にする。


「そうなのですね。アロイスは広いですから、まだまだ知らない村もたくさんあります」


 あっさり受け止められた。


(本当に、この言い訳、だいぶ便利だな)




 ◆“おとぎ話”


 少しのあいだ、礼拝堂の隅のほうに座って、静かに過ごした。

 祈るつもりで来たわけではないのに、この空気の中にいると、自然といろいろ考えてしまう。


 前の世界のこと。

 こっちの世界のこと。

 この先のこと。


 前のほうから、小さな声が聞こえてきた。


「……母を、女神さまのところでよく休ませてあげてください」


 年配の男性が、一人で祭壇の前に立っていた。


 リーネさんが静かに横に立ち、短く祈りの言葉を添えている。


 しばらくして、その人が戻ってくると、別の席にいた年配の女性が声をかけた。


「大変でしたね……」


「ええ。でも、母も長く患っていましたから。今は楽になったと思うしか」


「……本当に“死者を蘇らせる奇跡”なんてものがあればいいのにね」


 そこで、リーネさんが少しだけ笑った。


「伝承では、昔一度だけ、そういう話がありますけどね。本当にあったのかどうかは、誰にも分かりません」


「おとぎ話みたいなものでしょう?」


「そうですね。今の時代にそんなことができる人がいたら、女神さまの使徒として、王さまより偉くなってしまいますよ」


 冗談めかした言い方だったけれど、「死者が蘇る」という言葉だけが、礼拝堂のひんやりした空気の中で、妙に重く響いた。


 隣を見ると、サナは膝の上で両手をぎゅっと組み、少しうつむいていた。

「そんなこと、本当にあったらこわい」とでも言いたげな顔だ。


 私は、そっと彼女の手の上に自分の手を重ねる。


(……そうだよね。指一本治すだけでも、あれだけ不思議だったのに)


 森でサナが見せた小さな光――かすり傷をふわりと塞いだ、あの程度でさえ、この世界の私たちにとっては十分「あり得ないこと」だった。


 リーネさんはこちらを見ることもなく、静かに別の人のところへ歩いていった。


 たぶん、さっきの会話がこちらの耳に入っていることなど、気にも留めていない。

 それくらい、ここでは「今はもう起こらない話」として受け止められているのだろう。


(サナが森で見せたあの光のことだって、ここでは口にしないほうがいい)


 そう思いながら、私は自分の中で、その線をもう一度太く引き直した。




 ◆ 教会は怖い場所じゃない、でも


「今日は、これくらいにしておきましょうか」


 しばらくして立ち上がると、リーネさんが扉まで見送ってくれた。


「いつでも、疲れたときや落ち着きたいときに来てくださいね。登録のことなどは、まだ焦らなくても大丈夫ですから」


「……登録?」


「旅人の方は、教会かギルドのどちらかに名前を残すのが普通なんです。もうギルドには?」


「はい。商業ギルドに」


「でしたら、今はそれで十分ですよ。どちらにしても、女神さまは見ていてくださいますから」


 “見ている”という言葉に、胸の奥がちくりとする。


「ありがとうございます」


 教会を出ると、外の光が少しまぶしかった。


 噴水の前で、一度だけ振り返る。


 水の女神像は、相変わらず穏やかな顔をしていた。


「怖いところじゃなかったね」


 サナがぽつりと言う。


「うん。むしろ、“普通にいい人たち”って感じ」


「でも、だからこそ慎重にしないとね」


 私が言うと、サナも頷いた。


「優しい人だから、全部話しても大丈夫、ってわけじゃないもんね」


「そういうこと」


「……女神さまって、ほんとにいるのかな」


 ユウトが、噴水の水を覗き込む。


「さてね」


 私は、空を一度見上げた。


「少なくとも、“誰か”が見てる感じはするけどね」




 ◆ ギルド帰りのお父さんと、普通の夜


 夕方、家に戻ってしばらくすると、玄関のドアが開いた。


「ただいま」


「おかえり」


 キッチンから顔を出すと、ユタカがちょっと疲れた顔で靴を脱いでいる。


「どうだった? 初日」


「書類の山は世界が変わっても山だった」


 第一声がそれか。


「でも、向こうも“できる人材が来た”って感じで、わりと歓迎ムードだったよ。少なくとも、“怪しい旅人”ではなくなったかな」


 ソファに座りながら、簡単に今日のことを話してくれた。


 支部長のような位置にいる人のこと。

 一緒に働く書記の人たちのこと。

 数字に強い人はどこでも重宝されること。


「リカたちは?」


「市場でちょっと買い足して、午後は教会の中を見てきた」


「教会?」


 その単語に、ユタカの目が少しだけ真剣になる。


「うん。中は静かで、雰囲気は悪くなかったよ。水の女神さまの話も、ちょっと聞いてきた」


 “おとぎ話”のくだりも、かいつまんで伝える。


「……そっか。“死んだ人が蘇る”なんて話は、こっちでも昔話レベルなんだな」


「うん。だからこそ、ああいう話が当たり前に出てくる場所で、サナの光のことを軽く口にするのはやめておこうって、改めて思った」


「それはそうだな。かすり傷でも治せる人なんて、そう多くはなさそうだし……当分は、あの光のことは家の中だけにしておこう」


 ユタカは、サナとユウトの頭を順番に撫でた。


「でも、教会の人たちがみんな怖い人、ってわけじゃないっぽいのは、ちょっと安心したかな」


「うん。リーネさんって人、普通に優しいお姉さんって感じだった」


「“普通に優しいお姉さん”が一番パワフルなやつなんだよね、こういう世界だと」


 サナの妙なメタ発言に、思わず笑ってしまう。


「とりあえず、“ギルドに名前があって、教会に顔見知りが一人いる”っていう状態は、悪くないと思う」


「そうだな。どっちにも“敵”を作らないのが一番」


 夕ご飯は、昨日の残りと、今日の簡単なおかずで済ませた。


 食卓で、今日の出来事を一つずつ話していく時間が、前の世界と同じように、いちばん落ち着く。




 ◆ 夜、少しだけ確かになったこと


 みんなが寝たあと、歯を磨いて、電気を消して、布団に潜り込む。


 目を閉じる前から、胸の奥で、あの“温かいのか冷たいのか分からない感じ”がじわじわ広がってきた。


(今日は、昼間に直接水にも触ったしね)


 教会の水の感触と、夜のこの気配が、頭の中で重なる。


(たぶん――同じ相手なんだろうな)


 そこまで思っても、やっぱりまだ口には出したくない。


「女神さま」と呼んだ瞬間に、何かが決まってしまいそうで。


「……今日も無事に過ごせました。ありがとうございます」


 誰にともなく、心の中でそう言う。


 返事はない。

 でも、今日は少しだけ、“聞いているような気”がした。


(今のところ、こっちはギルドにも教会にも、ちゃんと頭を下げてる。そっちも、どうか、あまり過激なことを求めないでね)


 妙なお願いを心の中で付け足してから、私は目を閉じた。


 テントの外の気配と、家の中のいつもの空気と、胸の奥の静かな波と。

 それらがゆっくり混ざっていく。


 こうして、アロヴィナでの四日目も、少しだけ“当たり前”に近づいた気がした。



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