第12話 能力台帳がひらく日
◆ 野営地の朝と、短く決めた一日
朝、玄関の向こうから、薄い布を揺らす風の気配がした。
ここ数日で、私たちの生活拠点はすっかり「城壁の外の野営地」に落ち着いている。
といっても、実際に寝起きしているのは、あくまでマイホームの中だ。
リビングの窓から見えるのは、見慣れた日本の住宅街ではなくなったけれど、それでも、この家の空気だけは昔と変わらない。
キッチンには、ネットスーパーで頼んでおいたパンとスープの香り。
テーブルの上には、いつものように四人分の皿が並んでいる。
「今日も、午前中だけ街に行く感じでいい?」
パンをちぎりながらそう言うと、向かいのサナが「うん」とうなずいた。
「薬草、少し買い足したいし。市場の様子も、見ておきたいなって」
「お昼ごはんは?」
「今日は、家で食べよう」
私は、あらかじめ決めていた方針を口にした。
「しばらくは、街で長くのんびりするのは控えたいしね。午前中に用事だけ済ませて、早めに戻ってこよう」
「賛成」
サナが、スープの入ったカップを両手で包み込むように持ちながら笑う。
「ぼくも、行く」
ユウトが、スープの縁に口をつけたまま、ぽつりと言った。
「うん、一緒に行こうね」
そう返しかけたとき、ユウトが少し眉を寄せた。
「……でも、なんか、あんまり長くいたくない」
「長く、って? 街に?」
「うん。きのうの“黒い人”みたいに、とくべつってほどじゃないけど……きょうは、ずっと、ざわざわしてる感じ」
ざわざわ。
ユウトのそういう表現には、もうだいぶ慣れてきたつもりだ。
慣れてきたぶんだけ、軽くは扱えない。
「どこから、って分かる?」
「ううん。どっか遠くのほう。はっきりじゃないから、よけい、いやな感じ」
スープの表面を見つめる目が、少しだけ揺れている。
「……じゃあ、確定」
私はパンを飲み込み、カップをテーブルに置いた。
「今日は午前中だけ街に行って、用事をちゃちゃっと済ませたら帰ってくる。お昼は最初から家で食べる予定だから、そのまま戻ろう」
「いいの?」
「いいの。ユウトが“ざわざわする”って言ってるのに、無理して長居する理由なんてないよ」
そう言うと、サナも素直にうなずいた。
「うん、わたしもそのほうがいいと思う。薬草も、必要なぶんだけ買えたら一回戻って、午後は家で調合したほうが落ち着くし」
「……ありがとう」
ユウトの顔に、少しだけ安心の色が戻る。
隣では、ユタカがコーヒーを飲み終え、カップをそっとソーサーに戻した。
「午前中は、僕もギルドだね。昨日の続きの書類仕事が、まだ少し残ってるから」
「セリューンさんの分?」
「うん。今日中って言われてるのは午前で区切りだから、昼前には野営地に戻ってこられると思う」
「了解。じゃあ、門までは一緒に行って、そこでいったん解散かな」
そうやって、今日一日の大まかな形が決まっていく。
食器を片づけ終えてから、私たちは玄関へ向かった。
ドアを開けると、そこは魔道具テントの中だ。
内側から見るぶんには、広めの部屋に見えるけれど、外から見れば、ただの「少し大きめのテント」にすぎない。
テントの布をめくって外に出ると、城壁のすぐ外に広がる野営地の空気が肌を撫でた。
いくつものテント、荷馬車、朝の支度をする人々。
遠くには森の緑が見え、振り返れば石の城壁がどんと構えている。
「じゃあ、しまうね」
私は入口にある小さなリング型の金具を外した。
次の瞬間、さっきまでそこにあったテントが、音もなくリングへ吸い込まれるように消えた。
普段は夫が管理しているけれど、私たちが早めに帰宅しそうな日は、私が預かる――それがいつの間にか定番になっていた。
このテントは、この世界の人から見れば「ちょっといい魔道具」くらいの扱いらしい。
ただ、マイホームの玄関ドアは相変わらず見えないままだ。
「行こうか」
野営地から城門へ続く道を歩き出した。
ユウトはいつものように私の手を握りながら、それでもときどき城壁のほうへ目をやっていた。
◆ 市場の空気と、「今日はここまで」の決断
城門の前は、やっぱり昨日より門番が多かった。
荷馬車の荷台を覗き込む目は、どこか刺さるように鋭い。
それでも、私たちのような徒歩の旅人に向けられる視線は、そこまで厳しくはない。
「街の中で仕事と買い物をするだけです」
いつもの調子でユタカが告げると、門番は軽くうなずき、通行を許してくれた。
門をくぐって少し行ったところで、ユタカが足を止める。
「じゃあ、僕はここからギルドに寄るよ」
「うん。こっちは市場で買い物して、用事が済んだら先に戻ってるね」
「午前中の書類を片づけたら、野営地に戻る。昼前には帰れると思う」
「分かった。気をつけてね」
そう言って、ユタカはギルドのある方角へと歩いていった。
私たちは反対側、商業区と市場のほうへ向かう。
石畳の道の先には、市場の賑わいが広がっていた。
昨日に比べれば、人の足取りも少し戻ってきたように見える。
「……でも、やっぱり、ちょっとピリピリしてるね」
サナが小声で言う。
耳を澄ませると、行き交う人の会話の端々に、あの事件の影がかすかに残っていた。
「昨日より荷物検査、ずっときついらしいぞ」
「ロックボアなんて持ち込まれたら、そりゃそうだろうよ」
「でもさ、真っ当な商売してるこっちまで疑われるのは、ちょっとねえ……」
そんな愚痴交じりの声が、パン屋の前でも、野菜を売る露店の前でも、ぽつぽつと耳に入ってくる。
「荷物検査が厳しくなったって、冒険者ギルドの人も言ってたよね」
「うん。ユタカも、『商業ギルドにも書類が増えたって、セリューンさんがぼやいてた』って言ってたし」
そういう「余波」は、しばらく続くのだろう。
私たちは、まずパン屋で丸いパンをいくつか買い、
干し肉と、保存の利きそうな豆を少々。
ついでに、薬草屋の屋台を見つけて、サナが欲しがっていた材料を少しだけ確保した。
「これとこれ、あと、こっちの葉っぱも欲しい」
「お嬢ちゃん、目がいいねえ。昨日も似たの買ってっただろ?」
露店の主と軽くやり取りをしている間、私はユウトの様子をちらりと見る。
さっきから、彼は私の手を握ったまま、何度か空を見上げたり、通りの向こう側をじっと見つめたりしていた。
「ユウト、大丈夫?」
パンと袋を持ち替えながら、小声で尋ねる。
「……さっきより、ちょっとイヤな感じつよくなってきた」
返ってきた声は、はっきりとした不安を含んでいた。
「どこから、っていうのはやっぱり分からない?」
「うん。どこかっていうより、“このへん全体”って感じ。前みたいに、ひとりだけ真っ黒、じゃないけど……」
言葉を探すみたいに、ユウトは眉を寄せる。
「なんか、いつもより空気がざわざわしてて、どっかでこぼれそうな感じ」
「……そっか」
私は、袋の口をきゅっと結び直した。
こういうとき、私がするべきことはひとつだ。
「サナ」
「うん?」
「用事、だいたい済んだよね?」
「うん。薬草も、今日はこれだけあれば十分」
「じゃあ、今日はここまでにしよう。用事も済んだし、予定どおり家でお昼にしよ」
「えっ、いいの?」
「いいの」
私は笑ってみせる。
「街の気配を見ておくのも大事だけど、ユウトの“ざわざわ”を軽く見るつもりはないからね。用事も終わったことだし、さっさと戻ろう」
サナは一瞬だけ周囲を見回し、それから素直にうなずいた。
「……うん。わたしも、ちょっと疲れたし。薬の調合、家のほうが落ち着いてできるしね」
「うん」
ユウトの返事は、さっきよりも少しだけ力が入っていた。
そうして私たちは、足早に市場を後にした。
城門を抜け、城壁の影を離れると、野営地が見えてきた。
さっきよりユウトの手の汗が少し引いているのを感じて、私はようやく胸の奥の力を抜いた。
◆ ギルドの午前 ― セリューンと、ひと区切り
――俺は、セリューン・グレイ。
アロヴィナ商業ギルドの副ギルド長。今日も今日とて、紙と数字に囲まれている。
「これで、ひとまず被害の集計は終わりだな」
俺は、机の上の紙束を軽く指で叩いた。
「急ぎで王都に送る分は、全部そろった。あとは細かい店ごとの帳尻合わせだから、今日の“山場”はこれでおしまいだ」
「それは、肩の荷が下ります」
向かいの机で、平伊ユタカがほっとしたように息を吐いた。
「午後は、家族とゆっくりしてやってくれ。昨日も今日も、街の空気はあまり落ち着いてないからな」
「そのつもりでいます。家族にも、午前だけだと話してきました」
「じゃあ決まりだ。今日のところは、昼前に上がっていい。残りはこっちで回す」
俺は、署名を入れるためのペンを取りながら言った。
「助かります。本当に」
ユタカは、どこかほっとしたように笑う。
「冒険者ギルドのほうからは?」
「いくつか、気になる荷の出入りの話が上がってきてる」
俺は机の端に置いていたメモ紙を手に取った。
「妙に羽振りのいい商人、荷車の出入りが急に増えた一団……そういう連中だ。けど、まだ“黒”と決めるには早い」
「そのあたりは、エルヴェさんたちが?」
「そうだ。酒場で耳を使うのは、あいつらのほうが得意だからな」
ユタカは小さくうなずき、それ以上、その話題を追及しようとはしなかった。
――その距離感が、ありがたい。
「今のところ、君を捜査に巻き込むつもりはない」
釘を刺すというより、念押しだ。
「うちにとって君は、優秀な事務員であり、非常時に頼れる“協力者候補”の一人だ。日常で無理をさせるつもりはない」
「こちらとしても、それが一番助かります」
ユタカは、はっきりとした安堵を浮かべた。
「何か思い出したことがあれば、そのときだけ教えてくれ。それで十分だ」
「分かりました」
俺は、窓の向こうに目をやる。
市場のざわめきは、昨日より少しだけ日常に近づいている。
けれど、その下で動いているものは、まだ落ち着く気配を見せない。
――だからこそ。
「家族持ちに無理をさせると、あとで女神さまに叱られそうでね」
冗談半分に言うと、ユタカは苦笑しながらも、素直に「ありがとうございます」と頭を下げた。
紙束の山が、一段落するタイミング。
こういう日くらいは、家族のいるテントに、少し早めに帰してやっても罰は当たらないだろう。
◆ 家でのランチと、「そろそろ整理したいよね」
野営地に戻った私はテントを展開した。
布の内側に一歩入ると、すぐ奥に、マイホームの玄関ドアがある。
家族以外の目には入らないはずの、そのドアノブをひねると、途端に空気が変わる。
靴を脱いだ瞬間、外のざわつきが一枚の膜で断ち切られるような感覚がした。
「ただいま」
「お腹空いた~」
サナが、買ってきたパンの袋をテーブルに置きながら言う。
「じゃあ、今日は簡単に済まそうか。スープは昨日の残りがあるし、パンとサラダで」
「賛成」
キッチンでスープを温め、野菜を切っていると、玄関のほうから鍵の回る音がした。
「ただいま」
さっきまでギルドにいたユタカが、少し早足でリビングに入ってくる。
「おかえり。ちょうどスープ温めてるところ」
「いいタイミングだったね」
自然と、テーブルに四人分の皿が並ぶ。
「なんだか、ここ数日で一気にいろんなことがあったよね」
パンをちぎりながら、私はぽつりと言った。
「異世界に来て、森を歩いて、ロックボアに巻き込まれて……サナの光も変わって」
「薬屋さんとの話も進んだね」
サナが、薬草の本にちらりと目をやる。
「教会から本借りて、女神さまの水までいただいちゃって」
「ぼくの“ざわざわ”も、前よりちゃんと気づいてもらえるようになった」
ユウトは、スープの器を両手で包みながら言った。
「今日は、早く帰ってきてくれてよかった」
「それはこっちの台詞だよ」
私は笑って、ユウトの頭を軽く撫でる。
「ユウトがちゃんと言ってくれるから、“じゃあ戻ろう”って決められるんだもん」
そう言いながらも、心のどこかが、じわりと落ち着かない。
――私たち、わりと普通に異世界生活してるけど。
よく考えたら、もう既に、かなり“普通じゃない”ことになってるよね。
「こうして話してるとさ」
コーヒーを一口飲んだユタカが、ぽつりと口を開いた。
「自分たちが“何を、どれくらいできるのか”、一度ちゃんと整理しておきたくなるね」
「整理?」
「うん。何となく、“身体が軽くなった”とか、“魔法が使えるようになった”とかで済ませてきたけど……」
ユタカは、指先でテーブルの上を軽く叩く。
「経理の台帳みたいにさ、“能力台帳”みたいなものがあって、一覧で見られたら分かりやすいのになって、つい思ってしまうんだよ」
能力台帳。
いかにもユタカらしい発想に、思わず笑いそうになる。
「さすが、帳簿の人……」
サナが、スープをすすりながら苦笑する。
「でも、たしかにちょっと分かる。“だいたいこれくらいかな”って感覚じゃなくて、ちゃんと見える形になってたら安心するかも」
「でしょ?」
「ゲームで言うと、ステータス画面みたいなやつだよね」
サナの目が、少しだけ楽しそうに光った。
「名前とかレベルとか、体力とか魔力とか書いてあって、“あ、自分こういうタイプなんだ”って分かるやつ」
「あー……分かる。ああいうの、あったら便利だよね」
「だからさ――」
サナは、ちょっと気まずそうに笑った。
「実は、こっそり試したことあるんだよね。自分の部屋で、“ステータスオープン!”とか“ステータス表示!”とか言ってみたり」
「やってたんだ……」
「やってた。でも、そのときは何も起きなかったから、“やっぱり現実はゲームじゃないなー”って思って、そのままにしてた」
その言い方がおかしくて、私とユタカは思わず顔を見合わせる。
「じゃあ、ほんとに“能力台帳”とかって呼び名だったりしてね。言葉が違ったから反応しなかったとか」
ユタカが冗談めかして言ったそのとき、サナがふと椅子から腰を浮かせた。
「じゃあさ」
その顔は、完全に“ゲーム脳が何か思いついた顔”だった。
「“能力台帳、出ろ!”とか“能力台帳開示!”とか言ってみたら出てきたりして」
「ちょっと待って。それ、もし本当に出てきたらどうするの?」
「そしたら、それはそれで便利になる!」
きっぱりと言い切る娘に、私は頭を抱えたくなる。
――でも。
こういうとき、何かが起きるのが、今の私たちなんだろうな、という予感も同時にあった。
◆ サナの「能力台帳開示!」
「じゃあ、やってみるね」
サナは、空いているほうの手を胸の前にすっとかざした。
その動きが妙に様になっているあたり、やっぱりゲームの遊びすぎだと思う。
「家の中だから、何か変なことが起きても、ここならどうにかなるでしょ」
そう言って、サナはほんの少しだけ息を吸い込んだ。
「……能力台帳開示!」
その瞬間だった。
ぱん、と音がしたわけじゃない。
光が爆ぜたわけでもない。
ただ、サナの目の前の空間に、ふっと空気の層が浮かび上がったように見えた。
透明な板のようなものが一枚、そこに在る。
光を受けて、半透明にきらめくその表面に、ゆっくりと文字が現れていく。
――それは、私にも見えた。
私だけじゃない。ユタカも、ユウトも、同じ方向をぽかんと見つめている。
「……出た」
最初に言葉をこぼしたのは、呆然とした声のサナ自身だった。
板の上には、見慣れた文字で、見慣れない項目が並んでいる。
サナ・ヒライ (20歳)
その下に、4つの項目。
体力 ……420
魔力 ……560
持久力……410
スキル
「体力に魔力、持久力……」
私は思わず、そこを指さしそうになって手を引っ込めた。
「ほんとに、“ステータス画面”みたいだね……」
サナの声が震える。
スキル欄には、いくつかの文字が並んでいた。
身体強化
言語理解・人
光魔法
闇魔法
薬師見習い
ただ、その隣に小さく書かれた説明文の一部は、インクがにじんだように読めなかった。
「……なんか、読めるところと、わざとぼかしてあるみたいなところがあるね」
私は、板の端に目を細める。
光魔法の下には「治癒・守護」といった単語がかろうじて読み取れたが、その先は滲んでいる。
闇魔法の説明文は、文字そのものがふわっと霞んで、目が滑ってしまう。
「こういうの、どこかで……」
私は、ふと別の記憶を引っ張り出した。
「そうだ。冒険者ギルドの待合で、前に話してる人たちがいた」
『成人の体力平均は300くらいだ』
『子どもはその半分、150前後が普通だ』
そんな会話が耳に入ってきたとき、特に理由もなく覚えていた数字。
「たしか、成人の平均が300って言ってた気がする。性別はあまり関係なくて、子どもはその半分くらいって」
「ってことは……」
サナは、自分の“420”を、じっと見つめた。
「体力は、平均よりはちょっと高い、くらい?」
「魔力はだいぶ高いね。平均300でしょ? 560って……」
「“ちょっと”どころじゃないよねえ」
サナは、苦笑いとも戸惑いともつかない表情を浮かべる。
「でも、数字だけ見ても、ピンとこないね」
「少なくとも、“外から見て飛び抜けた怪物”ってほどではない、ってことじゃない?」
私はそう言いながらも、心の中では別のことも考えていた。
――これ、本当に“本当の数字”なんだろうか。
それとも、“外向きに見せていい範囲”だけ調整されてるんだろうか。
スキル欄の説明のにじみかたが、その疑問に、うっすらと答えている気がする。
「これ、どうやったら消えるんだろ」
「えっと……メニュー閉じるときみたいに、手で払ってみたら?」
サナが、おそるおそる板の端に手を伸ばし、横に払うように動かす。
すると、半透明の板は空気に溶けるように、すっと消えた。
「……消えた」
「ほんとに、ゲームのステータス画面みたい……」
ユタカは額に手を当て、深く息を吐いた。
「これ、私たち全員にあるのかな」
私がそう言うと、場の空気が、少しだけわくわくと緊張で揺れた。
◆ 家族全員の「開示」タイム
「じゃあ、次はママ」
「え、私?」
「順番順番」
押し切られる形で、私は胸の前に手をかざした。
「……能力台帳開示」
最後の「!」をつける勇気はなかった。
それでも、目の前にはやっぱり、さっきと同じ半透明の板が現れた。
平伊リカ (45歳)
体力 ……390
魔力 ……480
持久力……430
スキル
「体力、そんなに悪くないね?」
サナが、素直に驚いた顔をする。
「平均300なら、かなり高いほうだよ」
「……主婦だって、鍛えられるのよ」
思わず、どうでもいい方向に照れ隠しが出てしまう。
スキル欄には、見覚えのある単語が並んでいた。
身体強化
言語理解・人
アイテムボックス
異界通販
天耳通
「“異界通販”って、名前がだいぶひどくない?」
「そういうこと言わない」
タイトルセンスに関して、抗議したい気持ちはある。
その下の説明文には、やっぱりにじみや空白が混ざっていた。
アイテムボックス:収納空間を開き、物品を出し入れできる。
異界通販:遠く離れた別世界の品を取り寄せる。
ここまでは、まあ素直だ。
問題は、その下だ。
天耳通:――必要なとき、必要な分だけ、離れた場所の声や音を聞き取る。
「“必要なとき、必要な分だけ”って、誰基準なんだろうね……」
思わず、ぼそっと呟いてしまう。
説明文の後ろには、うっすらと何かが書かれている気配がするのに、そこだけ霧がかかったように読めない。
板を消し、次はユタカの番になった。
「……能力台帳開示」
ユタカの前にも、同じ板が出る。
平伊ユタカ (43歳)
体力 ……370
魔力 ……520
持久力……410
スキル
「やっぱり、魔力高いね」
「四大元素、扱えてるしねえ」
スキル欄には、こう書かれていた。
身体強化
言語理解・人
四大元素魔法(生活レベル以上)
家屋格納
時間制御(限定)
「“限定”ってついてるの、ちょっと面白いね」
サナが興味津々で覗き込む。
「……たぶん、自覚してる以上のことは書かれてないよ」
ユタカは、苦笑しながら板を消した。
最後は、自然とユウトに視線が集まる。
「ぼくも、やる」
ユウトは、少しだけ緊張した顔で、両手を胸の前に持ち上げた。
「能力台帳開示!」
彼の前にも、同じ板が現れる。
平伊ユウト (13歳)
体力 ……310
魔力 ……340
持久力……280
スキル
「体力、成人の平均くらいじゃない?」
「13歳でそれは、だいぶ高いほうだと思う」
サナが、素直に感心したように言う。
スキル欄には、見慣れたものと見慣れないものが並んでいた。
身体強化
言語理解・全
アイテムボックス
再現能力(制限付き)
気配察知
――そして、その下に、「???」がいくつか。
???
???
???
「……多いね、“???”」
サナが、ごくりと喉を鳴らした。
「わたしの画面には、こういう“???”、一つもなかったよ」
「僕のも、なかったな」
ユタカも、さっきの自分の板を思い出すように眉を寄せる。
「ユウト、どう?」
「どうって?」
「見てみて、何か変な感じするとか」
「ううん。ふつう。……“再現能力”って書いてあるの、ちょっといやだけど」
ユウトは、板から目をそらすようにして言った。
「“気配察知”は、ちょっとかっこいい」
その言い方がおかしくて、思わず笑ってしまう。
――だけど。
板の下のほうを埋める「???」の列は、私の目にはどうしても、「この子の“先の長さ”」みたいに見えてしまった。
「家の中だからいいけどさ」
板を消してから、私はあえて軽い声で言った。
「こんなの、外でやったら絶対ダメだよね」
「うん。人前でやったら、“何あれ?”ってなる」
「っていうか、“あれ”どころじゃ済まない気がする」
ユタカの苦笑いに、私も同意しかなかった。
「じゃあまずのルール」
私は指を一本立てる。
「『能力台帳開示』は、家の中だけ。外や、人前では絶対に使わない。いい?」
「はーい」
小さな子みたいな返事をするサナとユウトに、少しだけ救われる。
――とはいえ。
「でもさ」
サナが、少し真面目な顔で言った。
「自分の状態をこっそり確認したいときって、あると思うんだよね。魔力どれくらい残ってるかな、とか」
「それは、たしかに」
「開示は家の中だけにして……自分だけに見えるやり方、あったらいいのにな」
その言葉に、またしても“ゲーム脳のひらめき”の光が宿るのが見えた。
◆ 「能力台帳表示」と、空いている枠
「じゃあ、今度は……」
サナはまた、胸の前に手をかざした。
「“開示”がみんなから見えるなら、“表示”は自分だけ、みたいな感じでさ」
言いながら、自分で笑っている。
「能力台帳表示!」
さっきと同じように、空気が少し揺れた。
けれど、今度は。
「……どう?」
「見える。ちゃんと、さっきみたいな画面が」
サナは、じっと1点を見つめたまま答えた。
「でも、ママたちからは?」
「何も見えない」
ユタカが、サナの前の空間を覗き込んで首をひねる。
「さっきみたいな板、出てないよ」
「やっぱり……これは、わたしにだけ見えてるんだ」
サナの声が、少しだけ高くなる。
「さっきより、説明がちょっと詳しい。あと、“今後習得可能なスキル”って欄もある」
「今後習得可能?」
私は思わず身を乗り出した。
「なんて書いてあるの?」
「えっとね……“今後の経験や感情、願いによって変動します”って」
「経験と、感情と、願い」
女神さま、ずいぶんロマンチックな仕様にしてくれたものだ。
「今後習得可能なスキルの枠が、いくつか空いてる。名前は、まだ空欄っぽいけど」
「枠だけ見える感じ?」
「うん。“未定”みたいな書かれ方してる」
サナは、指先で空中をなぞりながら説明してくれた。
「他の人も、やってみる?」
「……やってみようか」
今度は、私が手をかざした。
「能力台帳表示」
目の前に、さっきと同じ板が現れる。
――ただ、さっきより、文字が細かい。
体力 390 / 1950
魔力 480 / 2400
持久力 430 / 2150
「“現在値と最大値”みたいな書き方になってるね」
私は、数字を見ながらそう呟いた。
「左側は、さっき『開示』で見えた数値と同じだね。右側は……だいたい5倍?」
390の5倍で1950。
480の5倍で2400。
「うん、きっちり5倍になってる気がする」
“今はここだけど、本気を出したらここまで行けますよ”、とでも言われているみたいで、少しむずがゆい。
スキル欄の説明も、さっきより少しだけ詳しい。
天耳通:離れた場所の声や音を、必要なとき、必要な分だけ聞き取る。ただし、すべてを聞かせるつもりはない。
「“すべてを聞かせるつもりはない”って、誰の台詞?」
私は思わず、空中の板に突っ込んでしまう。
その下には、「今後習得可能なスキル」という項目があった。
今後習得可能なスキル:
――(空欄)
――(空欄)
空欄の行が二つ。
さらにその下に、「空き枠(あと四)」と、小さな枠が四つ並んでいる。
「……まだ、何も書かれてないんだ」
自分で言いながら、胸の奥が少しくすぐったくなる。
「ユタカは?」
「能力台帳表示」
ユタカも同じように板を出し、じっと見つめた。
「こっちにも、“今後習得可能なスキル”ってあるな。空欄が一つ、“空き枠(あと三)”って書いてある」
「少なっ」
「もともと、そんなに器用なタイプじゃないからね」
自分で笑いながら言うあたり、らしいと言えばらしい。
最後に、ユウトが同じように「能力台帳表示」と唱えた。
「どう?」
「……なんか、みんなとちょっと違う」
「違う?」
「うん。体力も魔力も持久力も、みんな“500 / 5000”って出てる」
ユウトは、自分の板を見つめながら、指で数字を追う。
「さっき“開示”で出てたのは310とかだったよね?」
「そう。体力310、魔力340、持久力280だったはず」
私は、自分の記憶を確認するように言う。
「だから、ママたちみたいに“開示の数値の5倍”じゃないんだ。最初から、きっちり500 / 5000って感じ」
「……成人平均が300くらいでしょ?」
サナが、そっと口を挟む。
「今の時点で、それ全部500って、けっこうおかしい数字だよね。しかも、最大値が5000」
「桁が一個増えてるねえ」
ユタカが、苦笑しながら板を覗こうとして、何も見えない空間に目を細める。
「“今後習得可能なスキル”ってところは?」
「空欄が五つあって、その下に“空き枠(あと十)”って書いてある」
ユウトは、読み上げるように言った。
「……ほんとにいっぱいだね」
サナが呟く。
「わたしは空欄が三つくらいで、“空き枠”もそんなに多くなかったよ」
「僕なんて空欄一つで、“空き枠(あと三)”だからなあ」
ユタカの自己申告に、私は「それはそれで分かりやすくていいと思うけど」と返す。
――それにしても。
「ユウト、どう?」
「どうって?」
「見てて、何か変な感じするとか、怖いとか」
「ううん。数字だけ見ても、よく分かんない。……でも、“あんまり人には見せちゃダメなんだろうな”って感じはする」
その言い方が、この子らしくて少しだけ笑ってしまう。
「……やっぱり、この子が一番“先が読めない”タイプなのかもね」
私は小さく息を吐いた。
「だからこそ、ルール決めはちゃんとしておこう」
板を消しながら言う。
「もう一回整理するよ。
『能力台帳開示』は、家の中だけ。外や、人前では絶対禁止。
『能力台帳表示』は、自分だけに見えるから、外でも使っていいけど――」
「変なタイミングでは使わない」
サナが続ける。
「そう。戦闘中とか、人に見られてるかもしれない状況ではやらない。確認したいときは、安全な場所で、落ち着いてやる」
「はーい」
今度の返事は、さっきよりも少し真剣だった。
みんなが板を消してしまうと、リビングにはいつもの空気だけが戻ってきた。
けれど、さっきまでそこにあった半透明の文字たちは、まだどこかで薄く光を残している気がする。
私はもう一度だけ、自分の「能力台帳表示」を開いてみた。
画面の一番下。
今後習得可能なスキルの欄の下に、空欄の二行と、「空き枠(あと四)」と書かれた小さな枠が四つ。
それらは、今はまだ、何も書かれていない。
――ここに何が埋まっていくのかと思うと。
少しだけ怖くて、少しだけ楽しみだった。




