第10話 【幕間】街の目に映る家族
◆ 商業ギルド副ギルド長 セリューン
市場でロックボアが暴れた翌朝、ギルドの会議室はいつもより空気が重たかった。
長机を挟んで向かい合う顔ぶれは四つ。
商業ギルド副ギルド長の俺、セリューン。
領主側の書記官、バルザス。
兵士隊との連絡役、ベルトランド。
それから、冒険者ギルドからの使者、エルヴェ。
窓の外では、いつも通り行商人たちが動き回っている。
そんな日常の音が、今日は少し遠く聞こえた。
「では――昨日の件を、改めて整理しましょうか」
最初に口を開いたのはバルザスだった。
几帳面な書記官らしく、すでに手元の紙には細かい文字が並んでいる。
「市場で暴れた魔物は、ロックボア級。街の外ではたまに狩りの対象になる獣ですが、城門を通して生きたまま入れる許可は、この街では出ておりません」
「台帳には?」
俺が尋ねると、バルザスは即座に首を横に振る。
「正規の貨物台帳には、一切記載がありません。
昨日、門番から聞き取りもしましたが、巨大な檻を通した覚えはないとのこと」
「となると」
ベルトランドが、顎に手を当てる。
「どこかでこっそり持ち込まれた、ということか。……面倒な話だな」
「面倒ですね」
俺も同意した。
「領主さまご自身がやらせたことでは、まずないでしょう。あの方は、こういう真似を一番嫌う」
「ええ。殿は、市場の安定と庶民の暮らしを何より重んじておられる」
バルザスがきっぱりと言う。
「となると、狙いは殿を困らせたい誰か。
領主の敵対勢力か、大貴族か……あるいは、欲に目がくらんだ大商人か」
「名前を挙げるのは、まだやめておこう」
俺は手を上げて制した。
「今ここで誰かの名前を口にした時点で、話が政治になる。
俺たちの仕事は、まず“事実”を揃えることだ」
エルヴェが、軽く肩をすくめる。
「事実その一。街のなかでロックボアが暴れた。
事実その二。誰かが正規ルート以外で魔物を持ち込んだ。
事実その三。被害があれくらいで済んだのは、兵士と冒険者と……ギルドの事務員のおかげ」
「事務員、ね」
俺は思わず口元が緩む。
平伊ユタカ。
ついこの前採用したばかりの“旅人”だ。
「水と土を同時にあそこまで扱える魔法使いを、“事務員”の一言で片づけるのもどうかと思うがな」
「でも、肩書きは事務員でしょう?」
エルヴェが少し笑う。
「うちのギルドにも欲しいくらいだよ。ああいう落ち着いた魔法使いは」
「残念ながら、彼は商業ギルドの人間だ」
俺は咳払いして、話をまとめることにした。
「ユタカの件は、議題を分けよう」
机の中央に紙を置く。
そこに、昨日の出来事が走り書きで整理されている。
「ひとつ。ロックボアの暴走は、兵士と冒険者と、そしてユタカの魔法によって鎮圧された。
ふたつ。被害は露店の破損と数名の怪我で済み、死者なし。
みっつ。魔物は“どこかの誰かが密かに持ち込んだ”とみて間違いない」
皆、黙って頷いた。
「よし。では、次はユタカの扱いだ」
俺は、紙の端にその名を書き込んだ。
「商業ギルド所属、平伊ユタカ。
当初の契約通り、肩書きは事務員のままとする」
ベルトランドが少し眉を上げる。
「それでいいのか? あの腕なら、兵士隊としても――」
「兵士に引き抜くつもりはない」
俺ははっきりと言った。
「あれだけの魔法が使えるうえに、計算も帳簿も任せられる男だ。
商業ギルドとしても手放す気はないし、何より――」
一瞬、ユタカの家族の顔が脳裏に浮かんだ。
「あの人には家族がいる。
日常でまで前線に立たせるのは、俺の趣味じゃない」
エルヴェが「だよね」と苦笑する。
「じゃあ、どうする?」
「ギルドとしての正式な扱いはこうだ」
俺は新たに一行書き加えた。
「ユタカを“非常時協力要員(魔法担当)”として、名簿に登録する。
呼ぶのは、昨日のような街全体の危機のときだけ。
普段は、今まで通りの事務仕事に専念してもらう」
「妥当だと思います」
バルザスが頷いた。
「殿に報告するときも、そのようにお伝えします」
こうして、ひとつ目の議題はまとまった。
問題は、もうひとつのほうだ。
◇
「魔物の出どころ、ねぇ」
会議後、残っていたのは俺とエルヴェだけだった。
バルザスとベルトランドは、それぞれ領主邸と兵舎に戻っていった。
「兵士隊に全部任せちまえば楽なんだけどな」
「そうもいかないでしょう」
エルヴェは椅子の背にもたれ、窓の外を見やった。
「正面から兵士が動けば、“どの貴族のケツを叩いたか”って話になる。
面子と面倒の嵐だ」
「まあ、そういうことだ」
俺は肩をすくめた。
「王都の連中に『辺境の街は管理が甘い』なんて言われるのもごめんだしな」
「じゃあ、どう動く?」
「静かに、だ」
俺は机の端に置いてあった別の紙を引き寄せた。
「エルヴェ。冒険者ギルドのほうで、“最近やけに羽振りのいい商人”がいないか探ってくれ。
あとは、“いつもより荷物の量と台帳の数字が合わない”荷車がいなかったかどうか」
「なるほど」
「兵士隊は、あくまで『正規のルート』だけを見張っていればいい。
裏の臭いを嗅ぐのは、冒険者たちのほうが向いてるだろう?」
「確かにね」
エルヴェは笑い、すぐに真面目な顔に戻った。
「平伊の家族は、どうする?」
「巻き込まない」
答えは決まっていた。
「今のところ、彼らは完全に“鎮圧側”だ。
魔物密輸の話とは無関係。むしろ、魔物騒ぎのせいで命を落としかけた市民側に近い」
「証言者ではあるけど?」
「証言が必要になったときには頼る。
ただし、“捜査の一員”として引っ張り回す気はない」
俺は少しだけ、声を柔らかくした。
「旅人の家族なんだ。
この街に根を張るかどうかもまだ決めてない。
最初から騒ぎに巻き込んで、嫌気がさして出て行かれても困る」
「“良いお得意様候補”だもんね」
「そういうことだ」
俺は笑い返した。
「ユタカ本人には、『正式な捜査に参加させるつもりはない』とはっきり伝えておく。
ただ、落ち着いた頃に一度、あの場で何を見たか詳しく聞かせてもらおう」
「了解。こっちも、それくらいの距離感で接するよ」
エルヴェが立ち上がる。
「じゃあ、ギルドに戻る。また報告する」
「ああ、頼む」
扉が閉まると、会議室は急に広く感じられた。
◇
ひとり残った部屋で、俺は机の上の書類を積み替えた。
その中には、ユタカの採用時に書かせた簡単な経歴書も混じっている。
(ジャパン、か)
見慣れない地名。
最初に見たときは、正直「どこの小国だ」と思った。
採用のときに、少しだけ身の上も聞いている。
生まれはアロイスの外側にある国で、そのあと辺境の村ジャパンに移り住んだと言っていた。
今は「ジャパンから来た旅人」と名乗っているが、帳簿の付け方や物の見方に、この国の人間とはちょっと違う癖が混じっている。
面接で向かい合ったとき、彼は落ち着いていた。
異国出身のはずなのに、“異国人らしいぎこちなさ”がない。
ただ一つ、印象に残っているのは――
金のことも、職のことも、“この世界”そのものも、どこか一歩引いた目で見ているような、そんな雰囲気だった。
帳簿を任せてみれば、仕事は丁寧で正確。
計算も早い。人当たりも悪くない。
(あのとき、「魔法は?」と聞いても、彼は首をかしげていただけだったな)
まさか、ロックボアの突進を止めるほどの魔法を隠し持っていたとは。
家族のことも、折に触れて少しずつ聞いていた。
薬に興味を持つ娘がいるらしい。
「妻に似て、はっきりものを言う子なんです」と、休憩中の雑談で苦笑まじりに話していた。
息子のほうは、「少し幼いところがあって、すぐ母親にくっついてしまうんですが……家族のことはよく見ていて、危なそうだときゅっと手を引くんですよ」と、どこか誇らしげに言っていた。
「強い力を持つ者が街に居つくのは、良くも悪くも“重さ”を生む」
昔、俺にこの席を譲った前任者が、よくそう言っていた。
強い剣士。
名の知れた魔法使い。
大金を動かす商人。
そして――異国から来た、ちょっと風変わりな家族。
それでも昨日の働きを見れば、
あの男を遠ざける理由は、今のところどこにもない。
「どうか彼らが、“商業ギルドの良いお得意様”でいてくれますように」
思わず、口に出していた。
政治の駒でも、陰謀の中心でもなく。
ごく普通に、物を売り買いし、税を払い、時々街を助けてくれる――そんな存在でいてほしい。
窓の外から、今日も市場のざわめきが聞こえてくる。
その中に、異国の家族の声も混ざっているのだろうかと、ふと思った。
◆ アロヴィナ教会の巫女 リーネ
聖堂は、朝の祈りが終わると静かになる。
水の女神さまの像の足元。
白い石で縁取られた水盤の前に、私はひとり膝をついていた。
水面は穏やかだ。
けれど、昨日の揺れは、まだ目の裏に残っている。
(あの子がヒールを使ったとき――)
市場の広場。
ロックボアが倒れたあと。
膝をついた旅の娘が、怪我人に手を伸ばした。
柔らかい光が広がり、傷口がみるみるふさがっていく。
あの瞬間、私が持っていた聖水の瓶も、教会の水盤も、同じように強く波打った。
まるで、女神さまのほうが「ここにいる」と知らせているみたいに。
「……記録、ですね」
小さく息を吐いて立ち上がる。
神官長さまに見せるための報告書を書かなければならない。
遠く離れた王都に送る報告の、元にもなる紙だ。
◇
執務室の机に紙を広げ、私はペンを取った。
まずは、事実から。
――一つ。市場にロックボア級の魔物が現れたこと。
――一つ。兵士と冒険者、そして商業ギルドの人間によって鎮圧されたこと。
――一つ。女神の教えに背いて魔物を密かに持ち込んだ者がいると見られること。
そして、もう一つ。
――一つ。旅人と名乗る家族の娘が、教会所属ではないにもかかわらず、高度な回復魔法を行使したこと。
ペン先が、そこで一度止まる。
サナ、という名前だった。
これまでも、彼女が祈りに来たとき、水盤の波紋は他の人と違っていた。
昨日のそれは、さらに強い。
私は言葉を選びながら、続ける。
――その際、女神の水盤および携行していた聖水が、特有の波紋を示したこと。
――波紋の性質は、拒絶や警告ではなく、むしろ「寄り添う」ようなものだったこと。
書き終えると、少し肩の力が抜けた。
危険だ、と書くことは簡単だ。
でも、それは違う気がする。
彼女の魔法を見ていたとき、私が感じていたのは――
恐怖ではなく、むしろ安堵だった。
(ああ、この子がいてよかった)
あの場で、何人かはもっと酷い怪我をしていてもおかしくなかった。
私よりも、よほど強いヒール。
「……でも」
ペンを置き、窓の外を見やる。
(このまま放っておけば、きっとあの子は“引っ張られる”)
教会に。
ギルドに。
王都に。
あるいは、女神の名のもとに。
だからこそ、ちゃんとした言葉で守る必要がある。
報告書を畳み、私は神官長さまの部屋へ向かった。
◇
「入ってよろしいですか、神官長さま」
「お入りなさい」
年配の神官長さまは、いつものように窓際の椅子に腰掛けていた。
柔らかな目をしているが、その奥は油断ならない。
「市場の件ですね?」
「はい。こちらに、簡単にまとめました」
報告書を手渡すと、神官長さまは静かに目を通し始めた。
数枚を読み終えたところで、ふと顔を上げる。
「……この“旅の娘”というのが、例のご家族の?」
「はい。平伊サナさんです」
「ふむ」
神官長さまは、水盤のほうへ視線を動かした。
「女神の水がここまで明確に反応することは、そう多くはありません」
「私も、そう思います」
私は背筋を伸ばした。
「ただ――」
「ただ?」
「今のところ、サナさんの力は“回復魔法”までです。
伝承に語られるような“蘇生”の奇跡には、まだ至っていません」
「つまり、“女神の使徒”と断じるには早計、ということですね」
「はい」
私の答えに、神官長さまは小さく頷いた。
「女神さまの加護が濃いことは確かです。
ですが、それは“利用すべき力”ではなく、“守るべき命”のほうだと、私は感じています」
「利用ではなく、守るべき命」
神官長さまは、その言葉を繰り返した。
「なるほど。あなたらしい見方ですね、リーネ」
「恐れ入ります」
「王都への報告、どうしましょう」
そこで、本題が来る。
「事実は隠せません。
しかし、盛る必要もありません」
私は慎重に言葉を選んだ。
「辺境に“将来有望なヒーラーがいる”程度の書き方がよろしいかと。
女神の水の反応についても、簡単に触れるだけにして」
「“女神の使徒が現れました!”などと送れば、大ごとになりますからね」
神官長さまは苦笑した。
「王都から使者が送り込まれ、娘さんを連れて行こうとするかもしれません。
それは――少なくとも今は、この街にとっても、あのご家族にとっても良いこととは思えません」
「私も同意です」
ほっと息を吐きそうになるのを、ぐっとこらえる。
「でしたら、アロヴィナ教会としての立場は」
「平伊家は“女神の加護が濃い旅人”」
神官長さまはゆっくりと告げた。
「そして、教会にとっては“守るべき客人”です。
しばらくは、信頼を積み重ねつつ、距離を詰めすぎないようにしましょう」
「ありがとうございます」
「あなたに任せますよ、リーネ。
あなたは、あのご家族とよく顔を合わせていますからね」
「はい。責任を持って、見守らせていただきます」
頭を下げ、部屋を辞した。
◇
聖堂に戻ると、さっきと同じ水盤の前に座り込んだ。
女神さまの像は、いつも通り静かに微笑んでいる。
「……女神さま」
小さな声で呼びかける。
「あなたが、あのご家族を特別に気にかけておられることは、もう分かりました」
祈りのたびに揺れる水面。
市場でのヒールの瞬間に立ち上がった波紋。
「でも、その“愛され方”が、あの人たちの自由を奪うものになってしまうのは、私は嫌です」
私は、膝の上で手を組んだ。
「だから、私は――」
あの娘に、薬草の本を貸そうと思う。
薬師として学びたいと言っていた。
教会には、古くから伝わる薬草の書や、調合の記録がたくさんある。
「薬師としての勉強のために、教会の本を使いませんか」
そう言えば、自然な形で、教会との出入りを作ることができる。
“ヒーラー”としてではなく、“薬師見習い”として。
祈りに来たときには、少しだけ女神の水を分けよう。
この水は、傷を直接治す力はない。
けれど、疲れを和らげ、毒や穢れを薄め、女神さまの加護を受けやすくしてくれる。
旅の家族には、きっと役に立つ。
そして私は、そのたびに水盤の揺れを見ていよう。
あの人たちの周りで、波紋がどう変わっていくのか。
「どうか、あの方々が、あなたの愛され方で傷つきませんように」
そっと目を閉じて祈る。
水面が、ふわりと広がった。
女神さまの声は、やはり聞こえない。
それでも、この静かな波紋を、私は小さな同意だと受け取ることにした。
平伊家という旅の家族が、
この街でどんな日々を歩いていくのか。
彼らの物語を見守ることは、きっと私自身の物語にもなる――そんな予感を抱きながら、私は立ち上がった。




