第25話 寄り添う手、濁る風
翌朝の教室には、まだ冬の冷気が残っているのに、誰もが落ち着かずざわついていた。
その入口へ、御珠がそっと姿を現した瞬間、ざわめきがゆるみ、視線が一斉に集まる。
「……御珠ちゃん……!」
「今日……来れたんだ……よかった……(涙目)」
「ほんと無理しないでね?」
御珠は一歩進むたび、柔らかく微笑み、小さく会釈を返す。
その仕草で“儚い何か”を背負っているように見えるのだから、人の想像力は勝手なものだ。
「お気遣い……痛み入ります。
わたくしは、大丈夫ですゆえ」
心の奥では、別の声がゆっくりと立ち上がる。
(ほう……想定通りの効果じゃの。
憐みの目で見られるのはちと癪じゃが、雪杜と共に選んだ道じゃ……)
女子たちが、寄り添うように御珠のまわりを囲んでいく。
その寄り方は、完全に“保護者”のそれだった。
「ねぇ御珠ちゃん、家のこと……ほんと大変だったんだよね?」
「言いたくなかったでしょ……ごめんね……」
「御珠ちゃん……つらかったら私に言って……!」
少し離れた位置で雪杜は胸の緊張をひそかにほどく。
御珠が傷つけられていないことを確認しながら、深く息を吸う。
(本当は、御珠の隣に立つつもりだったけど……
今の教室は“御珠を守ろう”という空気で満たされてるな。
いまは踏み込むと、御珠を不利にしてしまう……)
そこへ、咲良が迷いなく歩み寄る。
低い雪明かりが彼女の横顔を照らし、確かな意志をそこに浮かべていた。
「御珠ちゃん。
……大丈夫だよ。
今日から私もちゃんとそばにいるから」
「……咲良。
そなたの気遣い、ありがたく思うのじゃ」
その瞬間、周囲の女子が一斉に息をのみ、教室の熱がほどけていく。
ふたりのやり取りを見守る視線が、柔らかくそろった。
咲良の胸には、解けるような思いが灯っていた。
(……御珠ちゃん。
普通に接していいって言ったもんね。
本当はずっとこうしたかった)
雪杜はその表情を見つめ、胸の奥がじんわりと熱くなる。
(咲良……うれしそう……
でも……僕が踏み出すのは、今じゃない)
御珠もまた、雪杜へと視線を流す。
その瞳には静かな揺れが宿っていた。
(雪杜……近くへ来ようとして、やめたのが見えたぞ。
いまの空気の中でそなたが前へ出れば、妾の立場が悪くなる。
その気遣いだけで十分じゃ)
教室の後ろの方では、ただ静かに周囲を見守る数人の姿もあった。
友達同士でひそひそ話すわけでもなく、特定の誰かに寄るわけでもない。
教室全体の色を読むように、ほんの少し頷き合っては、立ち位置をそっとずらしていく。
「……あのさ。御珠ちゃんのこと、そっとしてあげようよ」
「うん。なんか……そういうの違うよね」
誰が言ったのかも分からないほど小さな声。
けれどそのひと言が、ざわざわした空気の輪郭をすっと丸く変えていく。
誰かの肩越しに、“クラス全体が御珠を受け入れやすい空気”がじわりと整っていく気配があった。
(……ふむ。過剰に憐れまれるよりはこちらの方が良いの。
誰かが、上手く動いておる……)
そんな中、さらに女子たちの質問が飛んでくる。
好奇と善意が入り混じった、逃げ道の少ないタイプのやつだ。
「御珠ちゃん、今日は無理しないで」
「ねぇねぇ。のじゃ語って解禁したの?」
(むぅ。めんどうな質問がきたのぅ)
「……えっと。
養父の影響で、饒舌にしゃべるには“のじゃ”だけど、なるべく普通になるように、勉強中です」
「「きゃーかわいー」」
嬉し恥ずかしの歓声に、御珠は肩をすぼめる。
「……恐縮です」
柔らかな和みが教室に満ちた、その直後だった。
颯太が遠慮のない歩幅で一直線に近づき、声を投げる。
「おっす、御珠。
……大丈夫か?」
莉子も心配そうに続く。
「御珠ちゃん……無理しないでね?ほんとに」
ふたりの視線は真剣そのもの。
御珠はひと呼吸おき、瞳を伏せてから静かに微笑んだ。
そこには“悲劇のヒロイン”ではなく、“己の意図を理解しながら、それでも周りの善意を受け入れる少女”の姿があった。
「……御珠。
ほんと、大丈夫なのかよ」
御珠の表情が、ふっと和らぐ。
張りつめていた気配が、すうっと溶けていく。
「善意をありがとう、颯太。
わたくしは、平気じゃ」
しかし颯太は食い下がるように眉を寄せる。
「いや……!
平気とか言える状況じゃなかったって、昨日の話でようやく分かったんだよ……!」
声の震えは、ただの“友達”としての純粋な心配そのものだった。
(素朴な優しさ……
颯太は変わらぬの……
こういう者がクラスにおると、世界の温度が上がるの)
御珠は内心で、そのぬくもりをそっと確かめる。
莉子が一歩、小さく膝を折るようにして御珠の目線へ寄り添った。
「御珠ちゃん……
ほんとに無理しないでね?
辛いときは……私たちが支えるから」
御珠はその気遣いを丁寧に受け止める。
「……感謝いたします。
わたくしは、皆のおかげで日常へ戻れておりますゆえ」
少し離れた位置で雪杜が、その三人の輪を静かに見つめていた。
自分だけが御珠を守りたいと思っていたわけではない、と胸の奥で気づく。
(……御珠のことを“守りたい”って思うのは僕だけじゃないんだな)
颯太は大きく息を吐き、言葉を絞り出すように続ける。
「男子には言いづらいこともあると思うけど、困ったら言ってくれよな。
俺も、駆も、何でもやるからさ」
「……心得たのじゃ。
頼りにするぞ、颯太」
御珠の穏やかな返事に、颯太は肩を軽くすくめて笑った。
(男子まで妾を“守る側”に回ったか……
これで、妾たちの関係を揶揄する者はおらんの)
女子の列の後方に、ひとりだけ場に入りきれず立っている影があった。
華蓮だ。袖を握りしめるような姿勢が、不器用な気遣いをそのまま映していた。
莉子が背中を押す。
「あ、華蓮も何か言ってあげなよ」
「……えっ。
いや……私は……」
言葉に詰まる華蓮へ、御珠はゆったりと顔を向ける。
「華蓮。
そなたも来てくれたのじゃな。
嬉しく思うぞ」
呼びかけられた瞬間、華蓮の肩がびくりと跳ねた。
「……っ。
別に……私はただ……
その……大変だったなって……
それだけだし……!」
「うむ。
それで十分じゃ。
そなたは、優しい」
その一言で、華蓮の耳が一気に赤く染まる。
「言うなって……!」
照れ隠しの声を残しつつも、その目は確かに御珠への心配で揺れていた。
(華蓮も変わった……
妾の立場を“同じ女”として案じてくれるとは……
これも、雪杜の周囲にある温かさの一部じゃな)
チャイムが鳴り、ひとときの輪が解けていく。
「御珠ちゃん、席戻るね。また後で話そ?」
「無理すんなよ!」
「……じゃ、また」
三人がそれぞれの席へ散っていき、廊下のざわめきへ溶けていく。
御珠は去る背中を静かに見送り、ゆっくりと席に腰を下ろした。
(これで……教室の基盤は整った。
あとは――大人の反応じゃな)
その内心のつぶやきは、誰の耳にも届かず、ただ静かに次の波を待っていた。
―――
放課後の廊下には、夕日の名残が淡く差し込んでいた。閉じられた教室の扉が、静かな影をつくっている。
その中を、御珠と咲良は肩を並べてPC室へ向かって歩いていた。
「御珠ちゃんといつも一緒にいれてうれしい!」
咲良の声は軽く弾み、冬の廊下にぬくもりを混ぜる。
「妾もじゃ。
……始めからこうすれば良かったのかもしれんの」
どこか照れた響きに、悔いが一筋混じる。
咲良は肩をすくめて笑った。
「うーん、それは難しかったんじゃないかなぁ」
その和みを割ったのは、背後から届いた落ち着いた声だった。
「御珠さん、少し……いいかな?」
二人が振り返ると、高橋先生がそこに立っていた。
普段より柔らかい表情で、触れたら溶けてしまいそうな眼差しを向けている。
「あ、先生」
「……はい。何か、ご用でしょうか」
御珠が静かに一歩進むと、高橋は言いにくそうに息を整えた。
「昨日のこと……あんな重い話を皆の前でさせちゃって、ごめんね。
本当は……私たち大人がもっと丁寧に受け止めるべきだったのに」
御珠はすぐ首を振る。
その動作はかすかに固く、礼儀が形になったようだった。
「いえ。
わたくしが語ったのは、事実にすぎませぬ。
お気になさらず」
しかし、高橋はそこで言葉を遮るように、一歩近づいた。
「それでもよ。
茶番だと言ってたけど、とても勇気が必要だったと思うの。
よく話してくれたわ」
その瞳には、涙が光の粒のように滲んでいた。
御珠の肩がわずかに揺れる。胸の奥が追いつかず、足元がふっと浮く。
(……勇気……か)
「……三人で選んだ結果です。
わたくし一人ではとてもできませんでした」
自分の声を確かめるような静けさで御珠は言った。
高橋は、小さく息を呑む。
「……そう。
あなた達、三人の間には何かあると思ってたけど、想像以上に固い絆で結ばれているのね。
引き離せるような浅い関係じゃないことは分かったわ」
その言葉に、御珠の胸がわずかに揺れた。
“絆”という呼び方を、教師という立場の大人が自然に口にするとは思っていなかった。
「それでも、やっぱり中学生二人だけでの生活は大変だと思うの。
困ったことがあったら、全部じゃなくていい。
少しでも……私に話してね?」
「先生……」
咲良の声がかすかに震える。
御珠は一度、視線を落とした。
胸の奥に指を差し入れられたようで、息が止まる。
「……恐縮です。
わたくしは……大丈夫ですゆえ」
高橋は首を横に振った。
「“大丈夫”って言う子ほど、助けが必要なの。
御珠さん、あなたは……ひとりじゃないよ」
その言葉は、御珠の心の深いところへまっすぐ届いた。
張りつめていた糸が、静かにほどけていく。
(……妾を護る者として……
こうも自然に扱ってくれるとは……)
御珠は深く、丁寧に礼をした。
「……ご配慮、痛み入ります。
本当に、ありがとうございます」
高橋は優しく微笑む。
「二人とも、無理しないようにね。
春原さん。御珠さんのこと、しっかり支えてあげてね」
「はい。任せてください」
「……うむ。妾も……そなたを支えるぞ、咲良」
「御珠ちゃん……ふふ、ありがと」
二人は礼をして、その場を離れた。
廊下を歩き出す御珠の背は、さっきより軽い。咲良の隣を歩くその姿は、確かに――胸の内へ安堵を抱えていた。
―――
放課後のPC室には蛍光灯の低いうなりが響き、外の夕日は傾きかけて窓の端を赤く染めていた。
広い部屋に五人の気配が集まり、緊張が静かに積もっていく。
駆はモニターの前で腕を組み、画面を開いたまま唇を結んでいる。
その視線の重さだけで、ただ事ではないと伝わった。
「来たな。
……正直、見たくないかもしれないが、状況把握は必要だから。
御珠、咲良。二人は見ないほうがいい」
警告めいた声に、咲良は一瞬息を呑む。
それでも目をそらさず、前へ出た。
「ううん。見るよ。
現実を直視しないと、いざって時に正しい判断ができない。
……私も当事者だから」
御珠もその横へ静かに立つ。
背筋は伸び、迷いをまとわない。
「妾もじゃ。
妾たちの選択がどのようなことを引き起こしたのか。
この目で確かめておく必要がある」
駆は息を押し出し、視線を画面へ戻した。
「そうか……警告はしたからな」
雪杜はうなずき、駆の隣へ椅子を引いた。
背後には御珠と咲良が控え、反対側には史がメモ帳を握りしめて座っている。
画面に映る匿名掲示板には、皮肉と憶測が濁流のように流れていた。
《大人が絡んでるらしい》
《なんか訳ありらしい》
《美化してるだけだろ》
《裏事情知ってるやついる?》
《閉じ込められてた説ある》
《“あの子”の相手って誰?》
《写真まだー?》
その文字列を追った瞬間、雪杜の喉がごくりと鳴った。
(……くそ……)
駆が確認するように横目を向ける。
「これはまだ序の口だ。
本当にいいんだな?」
雪杜は短くうなずいた。
スクロールが進んだ先、画面に躊躇なく流れ出す“泥”があった。
《非・処・○w》
《子どもできないから○○しし放題》
《○ならいける》
《姫虐助かる》
《姫がダメでも彼女いるとか裏山》
《薄い本が厚くなる》
文字というより刃物だった。
興味本位と悪意が混ざり合った、生々しい汚濁。
雪杜は息を吸えなかった。
「覚悟はしてたけど……こんな……
変な目で見られるって……こういうことだよな……」
声が震え、涙がほんのり滲む。
怒りが、ゆっくりと胸の底に沈んでいった。
御珠はその背中にそっと視線を落とす。
誰よりも早く、雪杜の呼吸が浅くなったことに気づいていた。
(……怒っているのじゃな、雪杜。
妾のために……
ふふ……その優しさが、痛いほど愛おしい)
横で咲良が拳を強く握り、歯を食いしばる。
「……最っ低。
でも……私は大丈夫。
御珠ちゃんの方が、ずっと……」
御珠は咲良の視線を静かに受け止めた。
「人の欲というのはまこと……
心配無用じゃ。
妾は平気ぞ。
裏でいくら吠えられようが気にせぬ。
咲良もこうして隣におるしの」
「……御珠ちゃん……
ここでも寛容になれるのすごい」
史は眉を寄せ、胸の奥で強く息を落とす。
「天野くん。
あなたの怒りは正しい。
でも……あなたひとりで背負う必要はない」
駆はそこで画面を閉じ、椅子を回して雪杜へ向き直った。
「そうだ。
書き込みの流れは俺が止める。
拡散も遮断する。
必要なら、管理側に通報してデータを消す。
裏のアカウントは全部押さえる」
驚きよりも先に、雪杜の声が揺れる。
「……駆……そこまで……」
駆は軽い笑みを作って肩をすくめた。
「“友達”なんだから当たり前だろ。
怒るのはお前の仕事。
潰すのは俺の仕事だ」
「駆……ありがとう……」
その隣で史が深く頷く。
「私も協力します。
どれだけひどい言葉があっても……
あなたたちの価値は、誰にも汚せない」
雪杜は拳を握りこみ、深く息を吸った。
「本当に……助かるよ……
僕にはできないことだから……」
駆は再びモニターへ向かい、手を動かし始める。
「じゃ、俺は裏で動いてくるわ。
任せとけ」
咲良が雪杜を見上げて問いかける。
「……私たちはどうする?」
「帰ろっか。
さっきの書き込みがショックで……」
御珠が、ため息の輪郭を含みつつも強さのある声で返す。
「そなたが一番こたえてどうする。
駆が警告したであろ」
史も静かに見送る。
「帰り、気をつけてね」
三人は軽く手を振り、PC室を後にした。
扉を開けた瞬間、夕方の冷気が一気に流れ込む。
その匂いが、わずかな安堵と残滓のような痛みを運んできた。
(……帰りたい。御珠と家に……)
―――
夕方の光がカーテン越しに淡く差し込み、天野家の居間を静かに暖めていた。
三人がこたつに足を入れた瞬間、張りつめていたものがほどけるように、息が漏れる。
「……ふぅ。今日はなんか、体力ごっそり持ってかれた感じするね」
咲良が背にもたれながら乾いた笑いをこぼし、雪杜も肩を落としつつ返す。
「うん……
僕もぐったり……」
御珠は二人の間に視線を流し、こたつ布団をそっと整えた。
その仕草が、今日一日の揺れを包み込む。
「妾もじゃ。
じゃが……皆が妾を守ろうとしてくれたのは、悪い気分ではなかったの」
その正直さに、咲良は苦笑しながらも、どこか肩の力を抜いた。
「御珠ちゃん……悲劇のヒロインみたいになってたもんね。
クラスの子たち、泣きそうになってたよ」
「うーむ。多少の嘘があるゆえ、ちと心が痛むの」
「でも……教室での僕たちの位置は整った。
もう“引き離そうとする力”は働かないと思う」
雪杜の言葉はゆっくりと落ち、咲良も頷いた。
「うん。先生も協力的だったし」
そこで雪杜は口をつぐみ、息を飲むように眉を寄せる。
「ただ……オープンチャットの件だけは……
あれはさすがにきつかった」
「……ほんと最低」
咲良の声は低く、怒りより悔しさが濃い。
御珠は二人を静かに見渡し、淡く息を落とした。
「妾はそれほど気にしておらぬぞ?
人とは……昔からああいうものじゃからな」
「御珠は強いね……
気にしたら負けなのかな……」
「心配なのは、言葉ではない。
直接害を加える輩じゃ。
何事も起こらねば良いがの」
雪杜は唇を噛む。
「……僕、選択を誤ったのかな。
公開なんかしないで……もっと別のやり方を探すべきだった……」
「違うよ。
三人で決めたことだよ?」
咲良のまっすぐな声が、こたつの輪を支えた。
「うむ。
最初に“これしか道はない”と言ったのは妾じゃ。
想定の範囲内というやつじゃよ」
それでも雪杜は拳を握る。
「でも御珠が皆のおもちゃに……
事実と異なるから余計に腹が立つ」
御珠は目を細める。
「言いたい者には言わせておけばよい。
嘘に踊らされて滑稽だと思えば、怒りも静まろう」
「いいねそれ!
本当のことを知ってるのは私たちだけだよ?
みんな嘘に踊らされてるの」
咲良の言葉は軽いけれど、その奥の芯は強い。
「それはそれで心苦しいというか……」
「もうっ、ウジウジしない!」
咲良に軽く叱られ、御珠は満足げに頷く。
「それでよい。
それでこそ雪杜じゃ。
妾の愛し子よ」
「むー!ずるい!私だってそう思ってたもん!
私の愛しき人!」
突然の宣言に、雪杜がふふっと笑ってしまう。
「やっと笑った」
「そうだね。“言いたいやつには言わせておけばいい”か」
「うむ。直接害を加えるものに注意しておけばよい」
(暴力以外にもストーカーとか、家を盗撮とかいろいろありそうだけど……)
雪杜が胸の奥で呟いた瞬間、御珠が軽く顎を上げた。
「この家なら大丈夫じゃぞ。
人払いと、認識阻害の結界を張っておる」
「え。何その便利機能」
御珠は当然といった顔で続ける。
「妾、神じゃからの。理の範囲で多少はの。
望まぬ者は、この家を探し当てられぬのじゃ」
雪杜は胸をなで下ろすように息をついた。
「よかった。放火とかされたら大変だもんね」
そこで、咲良がびくっと上体を浮かせて声を上げる。
「なにその物騒な発想!」
「現代社会を舐めないほうがいい。
あんな書き込み見せられたらね……」
咲良は眉を寄せ、確かに……と息を飲んだ。
「うむ。警戒するに越したことはなかろう」
雪杜は軽く頭をかく。
「はぁ……なんか心配するのがバカらしくなってきた。
御珠の言う通りだ。物理攻撃にだけ気をつけよう」
「うむ。それでよい。
世界は常に騒ぐが、妾らは静かであればよい」
その言葉に、咲良がそっと御珠の方へ身を寄せた。
「ねぇ……御珠ちゃん。
今日みたいに、学校でも私……遠慮しないよ。
普通に一緒にいる」
「うむ。
妾も楽しかったのじゃ。
友とは良いものであるな」
咲良の頬が熱を帯びる。
「……御珠ちゃんが言うと、なんか嬉しいね」
雪杜も続く。
「僕も……御珠のこと、守りたい。
本当は隣に立ちたいよ。
でも学校では……どう動くのが正しいんだろう?」
御珠はその迷いを静かに受け止めるように視線を返した。
「そなたが立とうとした気持ちは妾に届いておった。
じゃが……学校では、そなたが前に出れば妾の立場が揺らぐこともあるのじゃ」
御珠はふっと息を整え、迷わず告げる。
「いまは踏み出す時ではないというだけじゃ。
家では寄り添い、学校では静かに構える。
それが今の……そなたと妾の立ち位置じゃ」
雪杜の胸に、ゆっくりと理解が落ちていく。
「……そっか。
一緒に変な目で見られるって言ったけど、波風を立てなくていいならその方がいいよね。
でも必要になったら迷わずいくから」
御珠はその覚悟に胸の奥がくすぐったくなり、少しだけ視線を逸らした。
「う……む……。
そなたの気遣い。心地よいのじゃ……
家で甘やかしてくれるだけで十分じゃ……」
咲良は頬を赤くしながら、そっと御珠へ寄り添う。
「ねぇ……御珠ちゃん。
私にも、家で甘えてくれていいんだよ?」
御珠はきょとんと目を瞬いた。
「咲良に……甘える……?
家で、そなたに……?」
「だって……親友でしょ?」
御珠は一瞬、あの“尊い夜”の記憶を思い出し、耳を赤く染める。
「……そなたと……お泊まりしたいのじゃ……」
「冬なら暑くないね」
「うむ」
(……二人とも、ほんと仲良くなったな……
僕の知らないところで、支え合ってるんだな……)
こたつの熱は少しずつ三人を同じ円の中へ引き寄せ、その輪郭をやわらげていく。
咲良がほっとしたように微笑む。
「三人で……これからも一緒にいようね」
「無論じゃ。
そなたらが歩む限り、妾も隣におる」
「うん。
明日からも……変わらず、三人で」
御珠はこたつからそっと身を起こし、ぽつりと呟いた。
「……日常とは、積み重ねてゆく奇跡のことを言うのじゃ」
その言葉は、冬の夕日の名残と混ざり、ゆっくりと部屋の静けさへ溶けていく。
天野家のこたつは、戻りつつある暮らしの証のように、三人をやわらかく包み続けていた。




