第20話 こたつの上の未来予想図
冬の午後の光が、カーテン越しに薄くこたつへ落ちていた。
静かな部屋の真ん中で、雪杜がペンを取り、白紙へ線を引く。
「えっと……炊事、洗濯、掃除、ゴミ出し、雪かき……
あとは買い物とか?」
隣でこたつに沈んでいた御珠が、ゆっくりと顔を上げた。
「うむ。妾も手伝うぞ」
その言い方がほんの少し誇らしげで、雪杜はふっと笑う。
「ありがとう。
買い物は学校の帰りとか、修一おじさんと行くとして、炊事が一番の負担だよね……」
「当番制にするかの」
「まぁそうなるよね。
御珠は……一応できる?のかな」
問いかけると、御珠はわずかに視線を逸らし、こたつ布団の端をつまんだ。
「……妾、頑張るのじゃ」
雪杜はその横顔を見つめ、胸の奥で小さく吐息を落とす。
(ちょっと心配だけど、お弁当とか作ってくれたこともあるし大丈夫かな)
「平日はお互い学校もあるし、極力負担を減らしたい。
朝は軽め、昼は給食で、夜は総菜がメインかな」
「……雪杜よ。
妾、食べなくても生きていけるぞ。
そなた一人分だけの用意であれば、負担も少ないし、節約にもなるであろ」
その言葉に、雪杜の手が止まる。
「それは絶対ない。
“人として暮らす”なら、一緒に食べて一緒に笑おうよ」
御珠のまつげが小さく震えた。
「……雪杜。そなた、また妾を惚れさせる……」
とろんとした目で見つめられ、雪杜は慌てて紙へ視線を戻す。
「えと……
総菜って何日くらい日持ちするんだろ」
照れ隠しで話を逸らした。
御珠はその様子を面白がるように、ふっと息を漏らした。
「……雪杜よ。
妾、食材を腐らせることなく保存できるぞ」
「え……それは……ちょっと便利かも……」
(神パワーやべぇ……でも、頼りっぱなしになるのは……)
「いまは緊急事態じゃ。
働き始めるまでは、妾の力に甘えてもよいと思わんか?」
(この神、さっきから堕落させようとしてくる)
雪杜は頬を掻きながら、ゆっくり首を振った。
「……うーん……
でも、それに慣れちゃったら……御珠がいない時に困るし……」
「妾と雪杜は生涯一緒じゃぞ?」
その一言で、雪杜の呼吸が浅くなる。
甘さの奥、御珠の瞳に理性の影が差した。
「……とはいえ、雪杜の“人としての道”を奪うほど力に頼らせる気はないがの。
保存くらいなら理を乱さぬ範囲じゃ」
「……そ、そうなの?
うーん。じゃあどうしても困ったらってことで……」
「うむ。保険として考えておけばよい」
雪杜はペンを回しながら、ふと思い出す。
(そういえば昔『金のことなら心配いらぬ』って言ってたことがあったな)
「もしかして掌から金とか出せる?」
「む。そなたよからぬことを考えておらぬか?」
「えー。堕落させようとしてたのは御珠の方なんだけど……」
御珠は軽く眉を寄せた。
「金は出せぬな。そのようなことは“理を外れる”」
「なるほど。物質の生成はできないか。
昔、お金のことは心配いらないって言ってたことがあったけど、あれってどういう意味?」
「よくそのようなことを覚えておるの。
あれはの“富くじ”じゃ」
「富くじ?宝くじのこと?」
「現代ではそう呼ばれておるかの。
妾の力で、あれをドカンと当てるのじゃ」
「え、そんなこと出来るの!?」
「妾を舐めるでない」
「でも今の抽選って全部機械だよ?
こんな感じ」
雪杜はスマホを取り、YouTubeの抽選動画を見せた。
御珠は画面を覗き込み、思わず目を細める。
「む。人が錐で突くのではないのか?」
「人が介入すると不正が発生するから、全部機械が抽選するよ。
しかもちゃんとカメラで撮られてるから、変な挙動したら全部バレる」
「……すまぬ。機械の理は知らなんだ」
雪杜はがくっと肩を落とす。
「まぁ競馬とか、競輪とか、もしかしたら抜け道があるかもしれないけど、神パワーには頼らないってことで。
バレたらやばいって御珠も言ってたじゃん」
その言葉に、御珠の肩もわずかに落ちる。
「雪杜のために……何か力になりたかったのじゃが……すまぬ」
「何言ってるのさ。そばにいるだけで十分だよ……
御珠がいなかったら僕……」
御珠は息を呑み、ゆっくりと見つめ返す。
「雪杜よ……」
二人の視線が絡む。
距離が自然に縮まり、息づかいまで届きそうだった。
「い……いかん。思いが溢れそうじゃ」
「え……えと、何の話をしてたんだっけ」
頭の中が真っ白になる。
会議はまたしても中断した。
――こうして、事あるごとにいちゃつくので、家事会議は脱線の連続だった。
それでも夕方までかけて、なんとか家事分担表は完成した。
炊事:平日は総菜、休みの日は交代で作る
食器洗い:作らなかった方が洗う
洗濯:御珠(3日に1回くらい)
掃除機がけ:雪杜(週1回)
トイレ掃除:雪杜(週1回)
風呂掃除:雪杜(風呂に入ったら)
ゴミ出し:雪杜(週2回)
雪かき:御珠(神力を使わず、自分の腕で)
紙を見つめながら、雪杜は苦笑した。
「こんなところかな。僕掃除ばっかりな気がするけど」
「なに。妾のほうが力が強いゆえ、適材適所じゃ」
「買い物は、おじさんが来た時に車を出してもらってまとめ買いってことで。
平日は学校の帰りに近所のスーパーに寄って総菜を買おう」
「うむ。きょうはどうするのじゃ?」
窓の外はすでに薄暗く、こたつから一歩出る勇気が削がれるような寒さが漂っている。
「もう夕方か……いまから買いに行くのもめんどくさいな……」
「うむー。しかし初日からこれでは先が思いやられるぞ?」
「っく……面倒だけどスーパーにいこっか」
御珠はふっと微笑んだ。
「雪杜となら、面倒も楽しみに変わるのじゃ」
こたつを抜けると、冬の空気が足にまとわりつくように冷たい。
玄関で並んで靴を履きながら、雪杜は少し息を吸い込んだ。
外へ出ると、薄暮の空に白い吐息が重なる。
その儚い白さを見ていると、胸の奥がほんの少し軽くなる。
手袋越しの指先がそっと寄った。
二人は自然に手を繋ぎ、ぬくもりを確かめ合う。
――この冬を、もう二人で歩くのだと。
その確かさが、静かな夕方にゆっくりと広がっていった。
―――
あくる日。
こたつの上に、通帳と電卓とノートが並べられていた。
冬の夕光がゆっくり傾き、紙面の白さだけが淡く浮かび上がる。
雪杜は通帳を開き、ページの数字を慎重に追った。
「……えっと、おじいちゃんの預金が……600万円」
「うむ」
御珠は背筋を正し、雪杜の横から覗き込む。
「生命保険が200万円で……合計800万円」
「そうじゃな」
ページをめくるたび、紙のかすかな音だけが部屋に残る。
「これ……全部、御珠が相続したんだよね」
「うむ。
俊明が『受け取らぬ』と言ったゆえ、妾が預かる形になった。
家も土地も、いまは妾の名義じゃ。
未成年ゆえ、修一が代理で動いておるがの」
「……父さん、何も受け取らなかったんだ」
「……そういうことになるのう」
雪杜は通帳を伏せ、指先でゆっくりこたつの縁をなぞる。
「“金だけになってしまう”って、こういう意味だったのか……
仕送りもしてくれるって言ってたし……負担、大丈夫なのかな」
「以前から送っておったのではないか?
むしろ変わらぬために、そう言うたのかもしれぬ」
「……ああ、そっか」
雪杜は電卓を手に取った。
呼吸を整え、生活の数字を精密に組み上げるようにボタンを叩く。
「じゃあ……支出を計算しよう。
卒業まで続く生活だし」
「うむ」
「食費が……月4万円。
光熱費が1万5千円。
通信費が1万円。
固定資産税が年8万円」
御珠は眉を寄せ、不満そうに呟く。
「固定資産税……家にも税を取るのか。面倒な世界じゃのう」
「僕も知らなかった……。でも必要なんだって」
数字の列がノートの上に静かに増えていく。
「学校関係は……給食費とか修学旅行の積み立てとかで一人月1万5千円くらい。
二人分だから3万円か。
服や下着は……少しずつ買い足して月3千円くらいかな。
ティッシュとか生活用品も同じくらいで……」
「ふむ」
雪杜はペンを止め、電卓を一度押し直す。
「全部足して……12を掛けて……固定資産税を足すと……」
雪杜は表示を見つめ、結果を小さく告げた。
「年間で約129万円。分かりやすく130万円としよう。
高校卒業まであと5年だから……650万円」
「650万円……!」
御珠の声は思ったより大きく、怯えた響きが混じっていた。
「遺産が800万円だから、残りは150万円……
一応、足りる計算にはなるね」
「むぅ……」
御珠はこたつ布団を指先でつまみ、力を入れてほどいた。
雪杜は、継ぐようにゆっくりと言葉を重ねた。
「あ、でも光熱費や通信費は全部父さんが払ってるんだった!
で、仕送りが月3万円だから……計算しなおすと……年約100万円で……仕送りが5年で180万円で……480万円残る!」
「……それなら!」
御珠の表情がぱっと明るくなる。
「おお……!」
「大学進学の資金も貯められるし……
本とかゲーム買うくらいは余裕でいけそう」
「……よかったのう、雪杜」
胸の奥の張りがほどけ、雪杜は微笑を落とした。
「あ、でも。
おじさんが食材を持ってきてくれるって言ってたから……
食費、もう少し抑えられるかも」
「修一は……優しい男じゃ」
「ほんと、助かってるよ」
御珠は身を寄せ、遠慮がちに口を開いた。
「妾もご飯少な目でよいぞ?
そなたと同じものを少し食べれれば満足じゃ」
「それは……助かるけど」
「風呂も本来いらぬぞ?光熱費が抑えられるのではないかの?」
(この神、省電力すぎる……でも……)
雪杜は深く息を吸い、はっきり言った。
「……やっぱりダメだよ」
御珠は目を瞬かせる。
「なぜじゃ?」
「御珠には……人として、一緒に暮らして欲しいから」
その言葉は、生活計算よりもずっと重く、温かく響いた。
「……人として?」
「うん。
御珠が神じゃなくて……その……
ちゃんと女の子として、隣にいて欲しい」
「……っ」
御珠の頬にじわりと色が差す。
「そなた……また……」
(無自覚で妾を惚れさせよる)
「……また?」
「い、いや。何でもないのじゃ……」
御珠は目を逸らしながらも、どこか嬉しげにこたつへ指先を押し付ける。
「……分かった。
妾も、そなたと同じように生きよう。
風呂も飯も……“共にある”形で」
「……ありがとう」
こたつの下で、足先が触れあいそうになり、二人は同時に息を呑んだ。
窓際から冷えが満ちる中、ふと雪杜が口を開く。
「……でも、なんか……寂しいね」
「……うむ」
「おじいちゃんがいなくて……
まだ実感ないけど……
これからずっと、二人だけなんだなって思うと……」
「……怖い、か?」
「……うん。
ちゃんとやっていけるかなって……
二人だけで」
その言葉に、御珠は優しく雪杜の手を包み込む。
その手の熱は、神ではなく“寄り添う者”のものだった。
「……妾がおる。
そなたを独りにはせぬ」
「……うん」
御珠はゆっくりと言葉を紡ぐ。
「妾も……怖いぞ」
「……え?」
「妾は永き時をひとりで過ごしてきた。
誰かと共に道を選ぶのは……これが初めてじゃ。
だから……そなたと同じように、不安も抱える」
「……御珠……」
御珠の指が雪杜の手をきゅっと強く握る。
「じゃからこそ、妾たちは共に歩くのじゃ。
不安も、寂しさも……全部抱えて」
「……うん」
御珠は静かな声で続けた。
「晴臣がおらぬのは……やはり寂しい。
じゃが晴臣は、妾たちに“生きる場所”を遺してくれた」
「……うん」
「じゃから、前を向かねばならぬ。
妾たちが幸せに暮らすことが……晴臣への恩返しじゃ」
その言葉に、雪杜の胸が震える。
こぼれそうな涙が一粒、頬を伝った。
御珠はそっと指で拭った。
「泣き虫じゃのう」
「……ごめん」
「謝るでない。
泣きたいときは……そのまま泣けばよい」
「……うん」
御珠はそっと腕を回し、雪杜を抱き寄せる。
その抱擁は柔らかく、静かで、確かなぬくもりを持っていた。
「……妾がそばにおるぞ。
ずっとじゃ」
「……うん」
二人はしばらくのあいだ、言葉もなく寄り添っていた。
冬の夕暮れが窓の向こうへ沈み、家の灯りだけが優しく二人を照らしていた。




