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神愛 ─ 永遠の刹那 ─  作者: 神愛
第3章 中学生編 ― その瞬間を抱きしめて ―
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第15話 冬闇の中で ― 託された願い ―

仏間。

薄暗い灯りの中で、線香の煙が細く揺れていた。

外の風は止み、家の中だけ時間が凍ったように静まり返っている。


雪杜は晴臣の前に正座し、動かない顔を見つめていた。

御珠も隣で背筋を伸ばし、膝の上に手をそろえる。


言葉が出ないまま、長い時間が過ぎた。


「……おじいちゃん……」


雪杜が小さく呟く。

晴臣の顔は穏やかで、まるで眠っているようだった。


「……もっと、話せばよかった……」


喉の奥が熱くなり、雪杜は息を飲み込む。

視界が滲むのをこらえようとして、瞼が重くなった。


「もっと……いろんなこと……聞きたかった……」


「……うむ」


御珠の声は落ち着いているのに、語尾だけがわずかに揺れた。


「おじいちゃんが……いなくなったら……

 僕、どうすればいいのか……」


「……雪杜」


御珠は迷いなく雪杜の手をそっと握る。

掌の温もりに、雪杜の呼吸が浅く乱れた。


「晴臣は……そなたを案じておった。

 最期まで……そなたのことを……」


「……っ……」


「妾が……風呂場へ急げと言った時……

 ……晴臣の魂が、妾を呼んだのじゃ」


「……呼んだ……?」


「言葉ではない。

 ただ……強い想いが妾に触れた。

 “雪杜を頼む”と……そう受け取ったのじゃ」


「……おじいちゃん……」


御珠の言葉が落ちるたび、胸の奥で固まっていたものがほどけていく。

雪杜は唇を噛んだまま、肩を小さく震わせた。


「晴臣は……最期まで、そなたを想うておった。

 それだけは……間違いないのじゃ」


雪杜は声を殺そうとして、うまくできなかった。

息が詰まり、喉が鳴る。

御珠は何も言わず、その背へそっと手を添えた。


やがて、雪杜は鼻をすすり、呼吸を整えようとする。

線香の香りが、胸の奥をゆっくり満たしていった。


「……御珠は……おじいちゃんのこと……

 どう思ってた……?」


「……よい男じゃった」


「え……?」


「強く……優しく……

 そなたを守ることに、一切の迷いがなかった」


御珠は晴臣の遺影へ目を向ける。


「妾が……人の世に降りた時……

 最初に出会うた“まともな大人”じゃった」


雪杜は言葉を失う。

喉の奥に残っていた息が、そこで止まった。


「晴臣は……妾のことを神と知りながら……

 決して畏れず、敬いすぎず……

 ただ、雪杜と共におる者として接しておった」


「……そうなんだ……」


「晴臣は……そなたを誰よりも愛しておった。

 それは……妾にもよく分かる」


「……うん……」


「じゃから……妾は誓うたのじゃ。

 晴臣の願いを……必ず果たすと」


雪杜がゆっくりと顔を上げる。


「……御珠……」


「雪杜よ。

 そなたは独りではない。

 妾が……ずっとそばにおる」


「……ありがとう……」


線香の香りの中で、二人はしばらく黙って煙を眺めていた。


「……御珠」


「なんじゃ」


「……なんか他にもおじいちゃんと話したことある?」


御珠は少しだけ目を細め、思い出を探るように息を整えた。


「晴臣とはよく一緒に茶を飲んでおったからの。

 ……よく妾に人の世のことを教えてくれたのう」


「え……?」


「『神様は人のことを知らんじゃろうから』と言うて……

 いろんな話をしてくれた」


御珠は遠くを見るように目を細める。


「人は……どうして泣くのか。

 どうして笑うのか。

 どうして……誰かを愛するのか……」


雪杜は胸に手を置き、その言葉を飲み込む。


「晴臣は……『人間は弱いからこそ、誰かを求める』と言うておった。

 『神様みたいに強くないから、支え合って生きる』……と」


「……おじいちゃん……」


「妾は……その言葉が……すぐには分からなんだ。

 神は孤独でも、永遠でも、強くおれるからのう」


御珠の視線が雪杜へ向く。


「じゃが……今は分かる」


「……?」


「人は……弱いからこそ、美しい。

 限りがあるからこそ、一瞬が尊い」


御珠は雪杜の手を握り直し、指先を包み込む。


「晴臣は……妾にそれを教えてくれた。

 そなたと共におることで……妾も学んだのじゃ」


「……御珠……」


「じゃから……晴臣には感謝しておる。

 妾を……人の世へ導いてくれたことを」


雪杜は唇を結び、頬を伝うものを拭う。

息を吸うたび、胸がひりついた。


「……おじいちゃん……

 本当に……いい人だったんだね……」


「……うむ」


二人はそっと手を合わせ、線香の煙に顔を向ける。

ゆらゆらと揺れる煙が、晴臣の息づかいの残り香のようだった。


「……御珠」


「なんじゃ」


「……僕……これから……

 どうなるんだろう……」


御珠のまつげがわずかに揺れる。


「父さんは……遠くに新しい家族がいる。

 僕を引き取るなんて……無理だよね……」


「……雪杜よ」


「修一おじさんが引き取ってくれるのかな……

 それとも……施設とか……」


「雪杜」


御珠は静かながら強い声で遮った。


「そなたは……この家におる」


「え……?」


「晴臣の家は……そなたの家じゃ。

 ここから動く必要などない」


雪杜は視線を落とし、かすかに震える声をこぼす。


「でも……僕、まだ中学生だし……

 一人で暮らすなんて……」


「独りではない」


御珠は雪杜の目を真っ直ぐ見る。

その光には、神としての確信と、少女としてのやわらかさが同時に宿っていた。


「妾がおる」


「……御珠……」


「修一も、咲良も、皆がそなたを支える。

 そなたは……決して独りにはならぬ」


「……本当に……?」


「うむ。約束じゃ」


御珠はそっと雪杜の頭へ手を置いた。

指先のやさしさが、冷えきった夜に小さな火を灯す。


「妾は……晴臣に誓うた。

 そなたを守ると。

 その誓いを……妾は決して破らぬ」


「……っ……」


雪杜は堪えきれず御珠に抱きつく。


「御珠……っ……

 ありがとう……っ……」


御珠は雪杜の背を静かに抱きしめ返す。

その目は揺れる線香の煙の向こうで、晴臣の遺影に向けられていた。


(……晴臣。

 そなたの願い……妾が必ず……)


(……いや。

 妾の願いでもある)


(雪杜を……守りたい。

 それが……妾の選んだ道じゃ)


二人はしばらくそのまま互いの存在を確かめていた。


やがて、雪杜が顔を上げ、小さく息をつく。


「……寝ずの番か……

 まだまだ時間あるね……」


「うむ」


「おじいちゃんの隣に……ずっと……」


「……うむ。

 共に晴臣を見送ろうぞ」


雪杜は新しい線香に火をつける。

細い煙が立ちのぼり、冬夜の静けさを再び満たした。


―――


朝9時。

薄い雪明かりが差し込む頃、葬儀屋のスタッフが静かな足取りで家に到着した。

玄関には張りつめた気配が満ち、冬の冷気がまだ鋭かった。


修一も駆けつけ、上着の雪を払って中へ入る。


「雪杜くん、俊明。おはよう」


「ああ。おはよう」


「……おはようございます……」


葬儀屋が淡々と告げる。


「それでは、納棺をさせていただきます」


仏間に親戚たちが集まり、外の冷気が押し返されるように、部屋がわずかに暖まっていった。

スタッフが晴臣の体を慎重に起こし、白布を整えながら棺へと納めていく。

一つひとつの所作が、儀式の重みを帯びている。


「ご遺族の方、お別れの品を納めてください」


親戚たちが思い出の品を手に取り、静かに棺へ入れていく。


雪杜は立ち上がると、自分の部屋へ向かった。


しばらくして戻ってきた手には、小さな写真が握られている。

晴臣と雪杜と御珠――三人で並んで撮った写真だった。

御珠がスマホを購入した時、記念に撮ったものを印刷して大切に取っておいたのだ。


「……おじいちゃん……

 これ……持っていって……」


雪杜は、震える手でそっと写真を棺に入れた。


御珠も棺を見つめ、ゆっくりと立ち上がる。


(……妾は……何を……そうじゃ)


考え込むように瞬きをし、御珠は台所へ向かった。


戻ってきた御珠の手には、小さな茶葉の包みがある。


「……晴臣。そなたが淹れてくれた茶の葉じゃ。

 妾は……その温かさを忘れぬ」


彼女はそれを丁寧に棺へ置いた。


(……御珠……)


「それでは、棺を閉めさせていただきます」


蓋がゆっくりと降りる。

晴臣の顔が、静かに視界から消えた。


「……っ……」


雪杜は息を飲み、指先に力を込めた。

俊明がそっと肩に手を置く。


「……雪杜……」


「……うん……」


釘を打つ音が、仏間に響く。

現実を刻むように固く、重い音だった。


「このまま出棺します」


親戚たちが棺の前で手を合わせ、頭を下げていく。

雪杜も御珠も静かに祈りを捧げた。


棺が霊柩車へ運ばれていく。

俊明は運転手と短く言葉を交わし、同伴で乗り込んだ。


「雪杜くん、御珠ちゃん、俺の車で火葬場まで行こう」


「……お願いします……」


「……うむ」


修一の車に乗り込む。


霊柩車のクラクションが、一際長く鳴った。

それを合図に、車はゆっくり動き出す。

冬の道を押し分けるように進むその後ろを、修一の車が静かに追った。


雪杜は窓の外を見つめる。

見慣れた景色が淡く流れていく。


(……これで、おじいちゃん……最後なんだ……)


御珠が隣で静かに座っている。

横顔は揺れないのに、目の下に深い影が落ちているように見えた。


(……御珠も……辛いのかな……)


火葬場に到着した。


「こちらへどうぞ」


告別室に案内され、最後のお別れが始まる。

棺の窓が開けられ、晴臣の穏やかな顔が再び現れた。


「……おじいちゃん……

 ありがとう……

 僕……頑張るから……」


言い終える前に喉が詰まり、雪杜は息を吸い直す。


俊明も静かに目頭を押さえた。


「親父……

 俺は……ろくな息子じゃなかったけど……

 雪杜を……よく育ててくれた……

 ありがとう……」


修一もゆっくりと手を合わせる。


「晴臣さん……

 お疲れ様でした……」


御珠は目を閉じ、胸に手を添えた。


(……晴臣。

 そなたは……立派な男じゃった。

 妾は……そなたの願いを……必ず……)


「それでは……」


棺が炉の中へ運ばれていく。

雪杜の足が小さく震えた。


「……っ……」


扉が閉まる金属音が、長く尾を引いた。


「お骨上げは一時間後になります。

 待合室でお待ちください」


待合室へ移動すると、ストーブの音がやけに大きく響く。

時間が、白い壁に積もっていくようだった。


窓の外には、薄い雪が舞っている。


「……雪杜。飲むか」


俊明が買ってきたジュースを差し出す。

甘いはずの液体は、舌にほとんど味を残さなかった。


「これからのこと。ちゃんと話し合わないとだな」


「……うん」


(……雪杜の未来。

 妾も……避けては通れぬのじゃな……)


「今日は……まだ通夜もあるから……

 明日の葬式が終わってから……な」


「……分かった……」


俊明は優しく雪杜の頭に手を置く。


「……お前は、強い子だな」


「……そんなこと……ない……」


「いや……強いよ。

 俺よりずっと……」


「……父さん……」


―――


一時間後。

お骨上げが始まった。


雪杜は震える手で箸を取り、白く細い骨を拾い上げる。


(……おじいちゃん……

 これが……おじいちゃん……)


胸の奥が熱くなり、雪杜は唇を噛む。


御珠も静かに箸を持ち、丁寧に骨を拾っていく。


(……晴臣……

 そなたは……妾に多くを教えてくれた……

 ありがとう……)


骨壺にすべてを納めると、雪杜はそっとそれを胸に抱いた。

掌に伝わる重さは確かにあるのに、容れ物自体は驚くほど小さい。


(……こんなに小さく……

 ……重い……

 でも……温かい……)


修一の車で家へ戻る道すがらも、雪杜は骨壺を膝から離さなかった。

御珠はその横顔を静かに見守り、揺れるたびにそっと体の向きを合わせる。


家に着き、仏間へ骨壺を安置する。


「それでは、我々は通夜の準備に向かいます。

 16時になったら会場に来てください」


葬儀屋は一礼して去っていった。


俊明は雪杜を見つめ、眉を寄せる。


「雪杜、少しでも休んでおけ。

 顔色がよくないぞ」


「……うん……」


自室へ戻ると、御珠が後ろに静かに続いた。


布団に横たわる雪杜の頬はまだ冷たかった。


「……雪杜」


「……うん……」


「少し……眠るのじゃ」


「……眠れないよ……」


「……なら……妾がそばにおる」


「……ありがとう……御珠……」


冬の時間が、ただゆっくりと流れていった。

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