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神愛 ─ 永遠の刹那 ─  作者: 神愛
第3章 中学生編 ― その瞬間を抱きしめて ―
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第14話 冬闇の中で ― 壊れた家族の影 ―

※この物語では、雪国の一部地域で行われる「前火葬」(通夜より先に火葬を行う形式)を採用しています。


―――


仏間で晴臣の顔を拝み、ひと通り手を合わせ終えたあと。

修一が「積もる話もあるだろ」と静かに人払いをして、襖をそっと閉めた。


残されたのは、俊明と雪杜、そして御珠だけ。

冬の光が障子越しに淡く差し込み、畳の上に三人の影が横たわっていた。


言葉が途切れたまま、短い時間が過ぎる。

俊明がぽつりと口を開いた。


「……確かに変わったな」


雪杜はわずかに顔を上げる。


「え……?」


俊明は視線を落とし、ゆっくり言葉を選ぶように続けた。


「親父から聞いてたよ。

 お前には黙っていたが、たまに電話で様子を聞いていた」


「え!」


予想していなかった事実に、雪杜の目が大きく開く。


「一人の女の子がお前を救ったってな」


俊明の視線が御珠へ向けられる。


「聞けば孤児だというじゃないか。

 施設から虐待されて逃げだしたところを、お前と出会ったって。

 居候してるんだろ?」


(おじいちゃん!そんな説明してたの!?)


御珠は微動だにせず、背筋を崩さない。


俊明はその前に膝をつき、深く頭を下げた。


「改めて……ありがとう。

 俺は……息子を守ることができなかった。

 逃げることしか出来なかったダメな父親だ……」


御珠は言いかけて、そっと視線を伏せる。


「……」


俊明は痛みがにじむ声で続けた。


「……お前の母さんのことだが」


雪杜の肩が小さく震える。


「……母さんは……?」


「……離婚したよ。

 母さんはあの日から家に帰ってきていない。

 実家にも様子を見に行ったんだが……いなかった。

 どこでどうしているか……もう俺にも分からないんだ」


短い言葉なのに、雪杜の胸へ重く沈んだ。

どこかで覚悟していたこと、それでも聞きたくなかった現実。


「そっか……母さん……」


壊れる前の母の手の温かさが、不意に浮かんで涙が滲む。


(僕のせいだ。僕が壊したんだ……)


御珠がそっと首を振る。


「雪杜よ……

 そう自分を責めるでない」


俊明もゆっくりと雪杜を見る。


「……あの日、何が起きたかは……お前が一番分かっているはずだ。

 母さんは壊れていた。

 お前を責めるつもりはない。

 あれは……誰にも止められなかった」


雪杜は視線を落とし、呼吸の仕方を忘れたように黙り込む。


俊明は握った拳を震わせながら言葉を絞り出した。


「俺は……守れなかった。

 妻も、息子も、誰も救えなかった。

 夫としても、男としても……完全に負けたんだよ」


俊明の肩がわずかに落ちる。

その姿は、雪杜が知る父よりもずっと小さく見えた。

長い時間を背負ってきた男が、ようやく痛みを言葉にしている――

そんな静かな崩れ方だった。


「あいつは……泣きながら俺に言ったよ。

 “自分が母親でなくなってしまいそうだった”って……」


俊明の声が揺れる。


「そのことを知った時……俺はもう“家族の形”を維持できる自信がなくなった。

 お前のそばにいる資格なんてないって……そう思ってしまったんだ」


雪杜は膝の上で手を握りしめる。


「……それで僕を預けたの?」


「……ああ。

 逃げたんだよ。弱かったんだ。

 本当は……お前が怖かったんじゃない。

 “父親としての自分”が壊れるのが怖かったんだ」


雪杜の拳が強く締まる。

歯を食いしばる音が、冬の冷気に微かに溶けた。


「親父に全部を任せてしまったのも……。

 “不甲斐ない自分を見られたくなかった”だけだ」


言葉が尽き、部屋の音が目立ち始める。

障子の隙間から差す白い光が、三人の影を静かに歪めた。


雪杜は小さく息を吸う。


「……僕も……母さんのことがつらかった。

 でも……おじいちゃんがいたから」


俊明はゆっくりと晴臣の遺影へ視線を向ける。


「……あの人は強かった。

 俺が投げ出したものを、何も言わずに全部引き受けて……

 雪杜を育ててくれた」


その言葉と共に、仏間にしんとした静けさが満ちる。


俊明は覚悟を決めるように息をのんだ。


「……それと、もう一つ……話しておかないといけないことがある」


雪杜は目を上げる。


「?」


「……俺は……再婚してる。

 新しい妻がいて、もうすぐ二歳になる子供もいる」


言葉が止まり、秒針の音がやけに大きく響く。


「……僕がお兄ちゃんに……」


「……お前を捨てたわけじゃない。

 でも……あの頃の俺は……誰かにすがらないと立っていられなかった」


俊明は力なく言い切った。


「不義理な父親だと罵ってもいいんだぞ」


「……できないよ」


「……なぜだ」


雪杜は震える指先を見つめ、搾り出すように言った。


「僕も……一人じゃ無理だったから。

 御珠がいなかったら……今ここにいなかった」


御珠がそっと雪杜の指先に触れる。

触れただけなのに、その温もりは言葉よりも静かに背中を支えた。


「だから……父さんのこと……

 罵る資格なんて、僕にはない」


俊明は息を呑み、口を閉じた。

後悔と安堵と痛みが、喉の奥で絡まっている。


「……すまん……本当に……」


雪杜は俯き、膝の上で拳を強く握りしめ続ける。

御珠は隣で静かに座り、その手へそっと自分の手を添えた。

雪杜の体温と震えが、掌越しに確かに伝わってきた。


―――


昼過ぎ。

冬の光が傾き始める頃、玄関のインターホンがひっきりなしに鳴っていた。

戸が開くたび、寒気を連れた風が入り込み、人の気配が家の中へどっと流れ込む。


「ご愁傷様です」

「突然のことで……」


修一が慣れた調子で丁寧に応対し、俊明も横に立って一人ひとりに頭を下げていく。


居間の隅では、雪杜が小さく背を丸めて座っていた。

親戚の顔は視界に入るのに、言葉の端が頭の中でほどけていく。

返事をしようとして、舌が動く前に喉が固まった。


御珠がそっと隣に腰を下ろす。

彼女は周囲のざわめきから少し離れた位置にいるように、姿勢を崩さなかった。


「……雪杜」


「……うん……」


近くにいた年配の親族が声をかけてくる。


「雪杜くん、大きくなったねえ」


続けて別の親族が、心配そうに言葉を添える。


「大変だったね。しっかりしなきゃね」


「……はい……」


その返事を口から出した瞬間、肩の力が抜ける。

握っていた指先に、じっとりと汗がにじんだ。


やがて、黒いスーツ姿の葬儀屋の担当者が玄関に現れる。


「ご遺族の方、お打ち合わせを」


修一がすぐに立ち上がり、俊明を振り返る。


「俊明、こっちで」


「ああ」


雪杜も無意識に立ち上がった。


「……僕も……」


修一は振り返り、優しいがどこか厳しい声音で言う。


「雪杜くんは無理しなくていい。

 俺たちでやるから」


「……でも……」


俊明が少しだけ目を細め、真っ直ぐに雪杜を見つめた。


「雪杜。

 お前は……おじいちゃんの隣にいてやれ」


「…………」


言葉にならず、喉の奥で息が詰まる。

雪杜は小さくうなずいた。


修一と俊明、そして葬儀屋の担当者は別室へ移動していく。

残された部屋が、急に広く思えた。


雪杜は仏間へ戻る。

晴臣の顔を見つめた瞬間、胃の奥がきゅっと縮んだ。


(……おじいちゃん……

 僕、何もできない……)


御珠が何も言わず隣に座る。

手を伸ばすでも、慰めの言葉を置くでもなく、そこにいる。


「……雪杜よ。

 そなたは何もできなくてよいのじゃ」


「……え……?」


「今はまだ子供じゃ……ただ、晴臣と共におればよい。

 それは……そなたにしかできぬことじゃ」


「……御珠……」


雪杜は唇を噛み、息をひとつ飲み込んだ。

視界が滲みそうになって、目を伏せる。


台所の方から、親戚たちの話し声が重なって聞こえてくる。


「明日は朝から納棺だって」

「火葬は昼前か……」

「通夜は夕方からね」


少し声を潜めた囁きが続いた。


「雪杜くん、これからどうするんだろう」

「お父さんが引き取るのかしら」

「でも新しい家族がいるって……」


その言葉は、壁越しでも生々しい。

胸の内側を撫でられたみたいに、冷たいものが走った。


「……僕、これからどうなるんだろう……」


御珠がそっと雪杜の手を握る。


「……雪杜。妾がおる」


そして声には出さず、唇が静かに動いた。


(……人は弱い。

 ゆえに別れも、未来も、かくも痛い……

 だが雪杜よ。そなたは独りではない)


「……御珠……」


雪杜は握られた手をほどけないまま、じっと前を見つめる。

線香の煙が細く揺れていた。


ほどなくして襖が開き、修一と俊明が戻ってくる。


「雪杜。明日の流れを説明するぞ」


「……うん……」


「朝9時に納棺。

 そのまま出棺して火葬場へ。

 火葬が終わったら、夕方から通夜だ」


「……うん……」


俊明が椅子に腰を下ろし、雪杜を見つめる。


「……学校にも連絡しておいた。

 二人とも、しばらくは休んでいい」


「……わかった……」


「雪杜。

 無理はしなくていい。

 分からないことがあったら、俺たちに聞いてくれ」


「……うん……」


俊明がそっと肩へ手を置いた。


「……お前は、よくやってるよ」


「……っ……」


雪杜は返事を探したが、喉の奥で音が折れた。

うなずく代わりに、肩が小さく震える。


夜になり、親戚たちが帰っていく。

風が吹き込むたび、家がひとまわり広くなったように思えた。


「じゃあ、俺も一回帰るから。

 明日の朝また来るよ」


「ああ。何から何まですまん。ありがとう、修一」


「雪杜くん、頑張って」


「……はい……」


修一が帰り、玄関の音がそっと閉じる。


家には雪杜と御珠、そして俊明が残された。


俊明が静かに言った。


「……雪杜。

 通夜が終わるまでは線香を絶やさないようにしないといけない。

 お前が先に寝ずの番をするんだ。

 12時になったら俺を起こしてくれ。

 俺は……二階の部屋で先に休む」


「……うん……」


俊明は階段を上がる前に手すりを握り、ほんの一瞬だけ呼吸を乱す。

それでも何も言わず、二階へ上がっていった。


足音が遠ざかる。


仏間には雪杜と御珠が残る。

線香の煙が細く揺れ、冬の冷気に淡い香りを溶かした。

外の風の音が、やけに遠く思えた。

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