第5話 こんな日も、悪くない
教室の空気は、三学期の始まりとは思えないほど騒がしかった。
御珠の爆弾級“伴侶宣言”の余韻が、そこかしこに残っていて、子どもたちのざわめきは床の上を転がるビー玉みたいにあちこち跳ねている。
教卓の前で石田が両手を叩いた。
「5年2組、並べー!体育館行くぞー!」
叫び声というより、魂の叫びだった。
その声に反応してクラス全体が慌てて列を作りはじめる。
「はーい!」
返事は元気でも、秩序はまったく守られていない。
誰かが笑いながら、誰かがひそひそ囁きながら、それでも列だけはどうにか廊下へ伸びていった。
廊下に並んでも、騒ぎは収まる気配がない。
男子の一人が後ろを振り返り、雪杜の顔を見て目を丸くした。
「おい、天野……なんか顔死んでるぞ……」
雪杜は視線を落とし、うつろな声で返す。
「だ、だって……」
隣で御珠が当然のようにぴたりと寄り添い、袖をそっとつまんだ。
「雪杜、妾がそばにおるゆえ安心するがよい」
その優しげな声音が、雪杜にとっては追い打ち以外の何物でもなかった。
「それが原因だよ!!」
廊下の空気が少しだけふわっと揺れる。
咲良は二人の一歩後ろで、深いため息をつきながら心の中でつぶやいた。
(……二人とも元気だなぁ……
私まだ“契り”の衝撃が消えてないんだけど……)
そのまま学年全体の流れに飲まれるように体育館へ移動する。
体育館の大きな扉が開くと、冬の朝特有の薄い冷気が一気に流れ込んできた。
冷たい空気に触れた瞬間、ざわざわしていた声の温度が、すっと下がっていく。
床に反射した光は白く、広い空間の静けさが子どもたちを包み込む。
さっきまで乱暴に跳ね回っていた騒ぎは、まるで体育館の天井に吸われたように薄まり、ざわつきがようやく静かに沈んでいった。
───
始業式を終えて教室へ戻った瞬間、体育館の冷えた空気は跡形もなく吹き飛んだ。
「ねぇ、天野くん!!」
前の席の女子が勢いよく身を乗り出してくる。
それに負けじと、別の男子が机をがたんと鳴らした。
「ちょ、質問させろって!」
窓際の女子は頬を真っ赤にし、うわずった声を出す。
「伴侶って……結婚って意味だよね……?えっ……?」
一斉に向けられる視線に、雪杜は逃げ場を失う。
「え、あ、あの……!」
だが隣の御珠は、むしろ堂々と胸を張って前へ出た。
「ふむ、妾への質問か?」
「御珠は何も答えなくていいから!!」
悲鳴のような声が教室に跳ね返る。
教室の端で、咲良はそっと椅子に座り込んでいた。
距離を置きつつ、騒ぎを静かに眺める。
(……やっぱこうなるよね……
でも、巻き込まれるほど私は目立ってない……よかった……)
そう思った矢先、すぐそばの女子に声をかけられた。
「春原さんて天野くんと仲よかったよね?なにか知ってる?」
「えっ……わ、私は別に……」
(……勘弁して……!)
雪杜の方では、男子が顔を寄せて探るように言う。
「天野!あれってお前ら……その……付き合っ……」
「ち、違うよ!!!」
雪杜が叫び返すと、御珠がさらに口を開こうとする。
「む?妾は雪杜の――」
「――ストップストップストップ!!!」
雪杜の制止はもはや悲鳴だった。
その声に教室の熱がさらに上がる。
このまま暴走しそうだった空気を破ったのは――
突然の扉の音だった。
ガラッ!
「席つけーーーーー!!!!!!」
石田の怒号が教室を一閃する。
全員が凍りついた。
「!?」
石田は深呼吸しながら、震える声で続ける。
「はい全員黙る!黙れ!!
はーい、今から授業します!質問は後!!後!!
いいから座れ!!」
ようやく生徒たちがばたばたと席へ戻る。
雪杜は机に突っ伏しそうな勢いで息を吐いた。
(助かった……)
咲良も胸を押さえ、ほっと肩を落とす。
(よかった……)
だが御珠だけは、のんきに感想を漏らした。
「石田はよく怒るのぅ」
「怒ってない……怒ってないぞ……
ただ今日は……耐久の限界なんだ……」
石田の声は悟りを開いた者のように遠かった。
やっと授業が始まり、教室に静けさが戻る。
……とはいえ、完全ではない。
ちらっ
ちらっ……
何度も、何人も。
好奇心に光る視線が雪杜と御珠へ向けられる。
(あぁ……今日もう無理……)
雪杜は涙目で机に突っ伏しそうになる。
一方、咲良は自分だけ少し遠いところから二人を見つめていた。
(……二人とも、ほんと大変そう……
私は……うん、今は静かにしていよう)
こうして、授業はどうにか流れていった――。
―――
「はい。じゃぁ授業終わるぞー」
石田がそう言って教室を出た瞬間だった。
扉が閉まる音と同時に、空気がぱちんと弾ける。
ざわあああああぁぁぁ!!!!
さっきまで押し殺されていた好奇心と混乱が、一気に洪水みたいにあふれ出した。
前の方の席から、興奮した声が飛ぶ。
「天野くん!さっきの続き聞かせて!!」
別の男子が机に手をつき、前のめりで叫ぶ。
「御珠ちゃんも!伴侶ってどういう意味!?」
後ろの方の女子は顔を真っ赤にして騒ぐ。
「ねぇねぇ“契り”ってどういう意味!?本当に!?」
教室が一瞬で炎上した。
「ま、待って!ちょっと落ち着いて!!」
雪杜は必死に両手を振るが、その横で御珠は自信満々に口を開きかけている。
「妾、答えればよいか?」
「答えなくていいから!!」
叫び声はほとんど悲鳴だった。
教室の端――
咲良は椅子の影のように小さくなって様子を見ていた。
(あー……大変そう……
まぁ御珠ちゃんがいるから大丈夫かな。
でも、本当は私だって雪杜くんを守りたいんだから……)
そんな咲良の前へ、控えめに影が落ちる。
近くの女子が小さく首をかしげた。
「春原さんはどう思うの?」
「えっ……えっと……私は……」
(やば!巻き込まれた……!やめて……)
言葉を選ぶ間もなく、後ろから勢いよく声が割り込んできた。
「天野!お前ら付き合ってんのか!?
それとも婚約!?どっち!?」
「どっちでもないよ!!」
雪杜の声はすでにひっくり返っていた。
すると、さらに追い打ちがかかる。
「じゃあ、その“伴侶”って何なの!?」
御珠は当然のように立ち上がる。
「伴侶とは、生涯寄り添う者のことじゃ」
「言わなくていいってば!!」
雪杜は机にしがみつき、震えながら否定した。
だが、燃料追加は止まらない。
「じゃあ……“契り”って何!?
契りって……え、それって……!」
雪杜は顔を真っ赤にし、口をぱくぱくさせる。
「いや違うんだよ!誤解なんだ!
その……“契り”っていうのは……あの……
キ、キスのことで……!」
その瞬間だった。
「「「「きゃあああああああああああ!!!!!!」」」」
悲鳴が爆発した。
男子たちは一斉に立ち上がって騒ぐ。
「え、キス!?キスしたのか!?おい天野!!」
「してない!!今はしてない!!いや、前は……いやその……!」
言えば言うほど泥沼にはまっていく。
隣で御珠が赤く染まった頬を隠しもせず、そっと言う。
「妾は……雪杜が嫌と言うから……
今は控えておるのじゃ……」
その“今は”が余計だった。
「“今は”???」
「えっ“嫌”!?ってどういう……!?」
「御珠!?!?!?やめて!?!?!?!?」
女子たちはパニック。
男子たちは半笑いで混乱。
教室全体が、まるで真冬にストーブが爆発したみたいになっていた。
咲良は胸を押さえながら、その様子を見つめる。
(……キス……
……でも、そこまで、なんだ……
それなら……)
ほんの少しだけ胸の痛みが和らいだ気がした。
(……ちょっとだけ、安心……
……でも複雑……)
御珠はわくわくした顔で周囲を見回す。
「質問とは楽しいのぅ」
「全然楽しくない!!僕もう帰りたい!!」
雪杜の絶叫がこだまする中――
キーンコーンカーンコーン。
チャイムが空気を断ち切った。
休み時間の地獄は、強制的に終わりを告げた。
―――
その後の授業もどうにか終わり、石田が教卓の前で息を吐きながら告げた。
「はい。今日の授業はここまで。
明日から本格的に授業始まるからなー。
あ、それと明日は体育あるから、 ジャージで登校してもいいぞー。ジャージ忘れるなよ。
……それと、天野と御珠さんは、あとで職員室に来るように」
雪杜は肩をびくっと震わせた。
その横で、咲良が小さく笑って声をかける。
「職員室呼ばれちゃったね。わたし教室で待ってるね」
その“待ってるね”が優しすぎて、余計に心臓が痛かった。
――そして今。
雪杜と御珠は並んで職員室の前に立っていた。
「……入るよ……?」
雪杜の声は、引き戸に手をかけた瞬間に小刻みに震える。
御珠は真剣な顔のまま、しかし全く事情を理解していない声音で答えた。
「うむ。何ゆえ呼ばれたのか、まだ腑に落ちぬが」
「原因は全部、御珠の“伴侶”と“契り”宣言のせい!!」
廊下に響いた雪杜の小声は、悲鳴に近かった。
ガラッ。
職員室の扉を開けた瞬間、雪杜は思わず背筋を伸ばしてしまう。
石田を含め、数人の先生がこちらに視線を向けた。
その全員の表情が、なんとも言えない“覚悟と諦め”の混ざったもの。
「来たね……座って」
石田の声は低く、しかし怒りではない疲労の色が濃かった。
「はい……」
「妾も座るか……」
御珠は当然のように隣へ座り、背筋を伸ばす。
石田は深くため息をついた。
職員室全体が、そのため息に合わせて沈むようだった。
「……怒ってはいない。怒ってはいないんだ。
ただ、今日は……心がもたず叫んでしまった」
近くの女性教員が、眉を寄せながら口を開く。
「“伴侶”……ねぇ……その……
あなたたちは好き合っているってことで合ってる?」
御珠は迷いなく言い切った。
「左様じゃ。妾と雪杜は将来を誓い合った仲なのじゃ」
「み、御珠!こんなところでまで!」
「妾は真実を述べ――」
「そこ!!そこが問題なんだよ御珠さん!!」
石田のツッコミはもはや本気ではなく“お願いだから理解してくれ”の懇願に近かった。
「いい?ここは学校。勉強する場。
“伴侶”とか“契り”とか……
そういうワードを連発されると、他の児童に影響が出るんだよ」
御珠は少しだけ顎に指を当て、考えるふりをした。
「……なるほど。
つまり妾が雪杜を想うがゆえの言葉は、この場では適切ではないと?」
「まとめるとそう!!」
石田は即答だった。
「うむ、理解した。
妾は雪杜が好きなので、つい言葉が溢れるのじゃ」
「言わないで!?今その話題ここで言わないで!?」
女性教員が苦笑しながら首を振った。
「……まぁ、二人が悪い子じゃないのは分かってるのよ。
好き合っているのも自然なことだから問題はないわ。
でも“契り”は行き過ぎかしら。健全なお付き合いってことでいいかしら?」
御珠は胸に手を当ててうなずく。
「うむ、恋人以上、夫婦未満ということでよかろう。
健全なお付き合いをするのじゃ」
(普通は友達以上、恋人未満だよな……)
雪杜は心の中で崩れ落ちた。
石田が椅子に座り直し、二人を正面から見据える。
「とにかく。
授業中は普通にすること。
“伴侶”も“契り”も禁止。
他の児童が浮つくような発言はしないように。
いいね?」
二人は揃ってうなずく。
「とりあえず今日は見逃す。……が。
今度また同じことがあったら、保護者を呼ぶことになるからな?」
「は、はい……」
「聞けば二人は一緒に暮らしてるそうじゃないか。
いいか、ほどほどにな。
ほ・ど・ほ・ど・に!
絶対だぞ!」
「う、うん……」
「あと御珠くん。先生を名字で呼ぶのはやめような?」
「む?そうなのか……気をつけるのじゃ。
うむ~。晴臣に迷惑がかかるのは避けたいのぅ」
石田は、最後にずっと言いたかったことを言い終えたことで、肩の力が抜けた。
そしてゆっくり天を仰ぐ。
「……はぁ……これがあと一年続くのか……」
最後には職員室全体が、諦めと少しの笑いの混ざった空気に包まれた。
「帰っていいよ。気を付けて帰れよ」
「す、すみませんでした……」
「では、また明日、授業で会おうぞ」
職員室を出て、廊下の冷たい空気を吸った瞬間、
「……疲れた……」
「妾は楽しかったがの?」
「いや、普通の人は職員室は楽しくない!!」
廊下に雪杜の叫びが響いた。
───
教室へ戻る廊下を歩く二人は、まるで抜け殻みたいに肩を落としていた。
「……なんか……寿命縮んだ気がする……」
雪杜はぶつぶつ呟きながら、壁に寄りかかりそうになる。
「雪杜……寿命が縮まるのは困る……
妾、そなたともっと一緒におりたいのじゃから……」
御珠は真剣かつ、少しだけしゅんとした顔で心配してくる。
雪杜はその姿に思わずキュンときて声を震わせた。
「ひ……比喩だから……!
(ちょ、ちょっと待って……そんな言い方ずるい……!!)」
雪杜は胸を押さえ、別の意味で寿命が縮みかけた。
こうかはばつぐんだ。
教室の前まで戻ると、中から数人の話し声が漏れている。
扉を開けると――
ガラッ。
咲良が席に座って待っていた。
ほっとしたような、でも少し心配していたような表情で。
「……二人とも。おつかれ」
「……ありがとう。
なんとか、生きて戻ってきた……」
「妾は元気じゃぞ」
御珠が胸を張ると、咲良は苦笑いをこぼした。
(……うん、やっぱり御珠ちゃんは強い……)
咲良が視線を横にずらすと、教室の後ろに、もう一人立って待っている男子がいた。
「お、やっと来た」
雪杜はきょとんと目を瞬かせる。
「……えっ……何か用?」
男子は少し照れくさそうに頭を掻いた。
「いや……まぁ……
一緒に帰ろうと思って……
ほら、お前ら職員室行ってたろ?」
雪杜の顔が驚きでぱっと明るくなる。
「……わざわざ待っててくれたの!?」
咲良もその男子を見て、事情を補足する。
「えっと……
なんか一緒に帰りたいみたいで、わたしが待ってるなら“俺も”って……」
男子は元気よく笑った。
「おう!
おまえら正月に神社で初詣してただろ!
あれ見てなんかいいなって思って……」
(あーあの時の)
雪杜はすぐに思い当たった。
「なぁいいだろ?
俺、前から天野と話がしたかったんだよ」
御珠が一歩前に出て、男子をまじまじと見る。
「ふむ。そこな男子。
なかなか見どころがあるな。名はなんと申す?」
男子は驚きつつも嬉しそうに胸を張った。
「ひゃー神様に認知された。
俺、金田。金田 颯太だ。よろしくな!」
颯太の「よろしくな!」という明るい声が、教室の空気をぱっと軽くした。
雪杜は、その一言を聞いた瞬間、胸の奥がじんと熱くなるのを感じていた。
(……“よろしく”って……
なんか……ちゃんと僕に話してくれてる……
嫉妬とか、意地悪じゃなくて……
ただの“同級生”として……)
わざわざ待ってくれたこと。
正月に見かけた、と自然に話してくれたこと。
「一緒に帰ろう」と言ってくれたこと。
それだけで十分だった。
胸の奥で、小さく何かがほどける。
「……っ……」
気づいたら涙がこぼれていた。
「お……おい!?
急に泣き出してどうしたんだよ!?
俺なんかしたか!?怒られたのか!?違うのか!?」
颯太があたふたと近づいてくる。
雪杜は首を振りながら、慌てて涙を手の甲で拭った。
「ち、違うよ……違うの……
ただ……なんか……うれしくて……」
「……うれしい?」
「うん……
僕、今まで男子に“ちゃんと話しかけられる”ってあんまりなかったから……
その……普通に接してくれるのが……
すごく……うれしくて……」
自分でも何を言っているのか分からなくなるくらい、胸がいっぱいで、苦しくて、でも暖かかった。
颯太は一瞬ぽかんとしたあと、照れたように頭を掻いた。
「な、なんだよ……
そんなの言われたら……こっちが照れるじゃんか……」
御珠は誇らしげにうなずいた。
「雪杜はよい子じゃからな。
男子に慕われるのも当然であろう」
咲良はその光景を見て、胸がきゅっとなる。
(……雪杜くん……
あぁ……これは……うれしい涙だ……
よかった……本当に……)
雪杜は涙の跡を指で押さえながら、笑った。
「……ありがとう、金田くん」
「お、おう……!」
その瞬間、四人の間に静かなあたたかさが流れた。
まるで冬の寒空の中に、小さな焚き火が灯ったみたいに。
四人はそれぞれランドセルを背負い(約1名は手ぶらだが)、昇降口へ向かって歩き出す。
颯太が歩きながら話しかけてきた。
「そういえばさ、明日体育あるよな」
「あ……うん」
「バスケだってよ。俺、ちょっと楽しみなんだよなー」
「ば、バスケかぁ……」
御珠はやる気満々で手を挙げた。
「妾も跳ね回るぞ!」
(……頼むから危ないことはしないで……)
咲良は心の中でそっと祈った。
四人の歩幅が自然とそろい、冬の冷たい空気の中へ隊列のように進んでいく。
話し声と笑い声が交じり合い、その何気ない温度は、まるで新しい日常のドアがゆっくり開いていくようだった。
小さな日常の始まりのように、穏やかで、少しだけ温かい帰り道が続いていく。
───
冬の午後。
職員室での説教もあり、正午に終わったはずが、陽の光は斜めに傾きはじめていた。
空気はきんと冷たいのに、照り返す雪だけは眩しい。
四人で歩いていた帰り道も、分かれ道が来ると自然にほどけた。
「じゃ、また明日な!」
颯太が明るく手を振る。
「また明日……二人とも気をつけて帰ってね」
咲良はマフラーを押さえながら、寒さに頬を赤く染めつつ歩き出す。
「うん。明日、体育……がんばろ」
雪杜は少し気合いを入れて言う。
「妾が守るゆえ安心じゃ」
御珠はいつもの調子で、まるで体育が魔物退治の任務か何かのようだった。
二人が家のほうへ曲がっていき、静かな道に雪杜と御珠だけが残る。
昼の光が雪に反射して、世界が白くゆらいだ。
昼なのにどこか静かで、冬特有の音が吸われる感じが路地に広がる。
「……なんか、今日……大変だったなぁ」
雪杜が肩を回しながらつぶやく。
「ふむ。騒がしくはあったが、悪くはなかったぞ」
「いや……御珠的には“悪くない”なんだろうけどさ……」
御珠は雪杜の横にすっと近づき、少しだけ笑った。
「妾は雪杜と共におるだけで、何事も良き日になる」
「……そ、それは……えっと……恥ずかしい……」
雪杜は耳まで赤くなり、視線を雪道へ落とした。
御珠は空を見上げて、ぽつりと言い換える。
「ではこう言おう。
妾は今日、楽しかった」
「……御珠が楽しかったなら、うれしいけど……」
雪杜は胸の前で手を組み、白い息を小さく漏らした。
「……でも、ほんとにさ。
恥ずかしすぎて死ぬかと思ったけど……
みんな普通に接してくれたし……
金田くんにも声かけられたし……
……なんか……こんな日も、悪くないかも」
御珠は頷きながら、雪杜の隣に歩幅を合わせた。
「うむ。
妾も、そなたと騒がしい日常を歩むのは嫌いではない」
「……そうだね。
こんな感じから……また始まっていくのかな」
御珠は雪杜の横顔を覗き込み、まっすぐに言う。
「始まるとも。
そなたの一生は、今日からまた続いていくのじゃ」
「大げさだよ……もう……」
触れ合ってないのに、どこかあたたかい距離感。
二人の影が、昼の陽射しでくっきり伸びる。
重なっているようで、少しだけ寄り添っている影。
「……でもさ。
ほんとに“悪くない日”だったよ。
ありがとう、御珠」
御珠は立ち止まり、雪杜の方へ体を向ける。
「……妾のほうこそ。
そなたと歩く日々は……
どれも良き日となる。」
白い息が、昼の光の中で優しく重なる。
──こうして、三学期の初日は賑やかだけど穏やかに終わっていった。




