第5話 放課後のテーブル
昼休みの教室は、プリントを配る音が重なって少し騒がしかった。
紙の端が擦れるたび、ざわめきがじわっと一段落していく。
颯太がプリントを片手で揺らし、隣の雪杜へ身を寄せた。
「なぁ、来週から中間テストだな」
雪杜はプリントを見下ろし、静かに頷く。
「うん。早いよね」
颯太は机に肘をついて小声で続けた。
「またあれやんねーの?天野塾」
前にあった名前が、そのまま口にのぼる。
雪杜は視線をそらし、苦笑いを隠した。
「前回は駆ゼミがあったけど、宮下先輩が一回限りだって言ってたよ」
「そうなんだよなー」
そこへ咲良が、机の上のプリントをとん、と指で叩きながら顔を寄せる。
「でもさ、集まって勉強するのはアリじゃない?空き部室、まだ使えるよね」
雪杜は咲良の視線を受け、数秒だけ目線を落として考えた。
昼休みのざわめきの中で、言葉が途切れた場所がそこだけ浮く。
「……じゃあ一回だけ。放課後、軽くやろう」
咲良の表情がほぐれる。
颯太はすぐさま勢いを取り戻し、机を軽く叩いた。
「決まりだな!じゃあ放課後な!」
「うん。放課後」
雪杜がスマホを取り出し、素早く指を動かす。
その画面に、見慣れた名前が次々と光った。
【元・天野ファミリーグループチャット】
雪杜:放課後、空き部室集合
雪杜:中間テスト対策
莉子:了解
駆:了解
御珠:承知したのじゃ
教室の端の席でプリントを眺めていた華蓮の肩が、わずかに跳ねた。
(勉強会か……あたしもやべーんだよなぁ)
視線がひょいと横に滑る。
そこに座る御珠が、静かにページをめくっていた。
華蓮はそっと息を漏らし、机の端を指でとん、と軽く触れた。
その小さな動きで、胸の奥の期待をごまかす。
(そうだ 御珠と……)
その願いはまだ言葉にならないまま、昼休みのざわめきの中にそっと沈んでいった。
―――
放課後のチャイムが鳴り終わると同時に、廊下へ人の波が一気にあふれた。
その流れに逆らうように、華蓮は壁際を歩く。
(あいつ、普通に友達いるんだな……
なんか近づけねーな)
少し離れた前方を歩く御珠の姿が、人の影に揺れながら見える。
華蓮は距離を詰めるでもなく、離れるでもなく、程よい距離を崩さずついていった。
御珠は視線をほんの少し横へ滑らせた。
(む……また後をつけておる。
しかし今は隠すものが多すぎる)
そのまま雪杜たちと合流し、迷いなく空き部室へ入っていった。
華蓮は立ち止まり、扉の上の小さなプレートを見上げる。
(なんだ……こんな部屋あったのか?)
そっと扉に手をかけ、指先でわずかに押し開ける。
中の様子を覗いた、その瞬間――
「……何してるの」
すぐ目の前に御珠が立っていた。
距離、ゼロ。
「っひ!?
……って、脅かすなよ!」
思わず飛び退いた華蓮の声が、部屋中に弾む。
視線が一斉に向けられた。
雪杜が驚いたように立ち上がる。
「え?坂本さん?」
「華蓮じゃん。何してんだ?」
颯太が椅子の背にもたれかかり、足で床を軽く蹴って体の向きを華蓮側へずらした。
楽しそうに眉を上げている。
「な!颯太!お前なれなれしーんだよ!名前で呼ぶな!」
「お前も呼んでんじゃねーか」
くっ、と喉が変な音を立てる。
その横で莉子が、じぃーっと観測するように視線を向けた。
「知り合い?」
「まぁな。家がちけーんだ」
「ふーん……」
莉子の視線が値踏みめいていて、華蓮は肩をすくめた。
「……あたしも、勉強ヤバくてさ。
混ぜて欲しいなぁなんて……」
颯太は椅子の背に腕をかけ、あっさり言う。
「別にいいんじゃね?机まだ余ってるし」
「もう! 勝手に決めないでよ!」
莉子が早口で割り込んでくる。
雪杜は眉を下げて微笑む。
「まぁ、僕は別に」
駆も、ペンをくるりと回しながら続けた。
「まぁ、俺も別に」
咲良は明るく頷く。
「まぁ、私も別に」
莉子は頬をふくらませて小さな声で言う。
「むー!じゃぁ私も別に!」
華蓮は両手を上げた。
「な……なんか歓迎されてない?」
その問いに、御珠がきっぱり返す。
「邪魔しないでね」
「しねーよ!むしろお前が邪魔すんじゃねーのか?」
「失敬な……失礼ね。私は真面目に勉強するのじ……わよ」
語尾がぐらりと揺れた。
華蓮が目を細める。
「どした?なんかバグってねーか?」
雪杜が苦笑しながら間に入る。
「あー……御珠、ちょっと疲れてて。
あんま話しかけないであげて」
御珠は胸を張るように短く言い放つ。
「そうそう。話しかけないで」
華蓮は完全に意味が分からない顔になった。
「?」
すると、部屋の扉が再び開く。
「……今日は一段と人数が多いですね」
史が静かな足取りで入ってきた。
華蓮の目がまん丸になる。
「え?まだ来んのかよ。お前らどうなってんだよ」
史は軽く首を傾げる。
「この人は?」
颯太が即答した。
「坂本 華蓮。おバカキャラ」
「ひでーこと言うなお前!」
史は軽く目を細める。
「……なるほど。
2年の宮下 史です」
「せ、先輩!?すみません!」
史は手をひらりと振った。
「気にしなくていいですよ」
華蓮は周囲を見渡した。
机に向かう七人。
部屋はにぎやかで、それでいて妙に落ち着いている。
(……先輩までいるのかよ。
なんなんだ、この集団)
胸の奥で、小さな羨望がきゅっと疼いた。
―――
空き部室には夕方の光が差し、紙の匂いが薄く漂っていた。
八人がそれぞれ席につき、静かな集中が続く。
ページをめくる音が、規則正しく重なった。
駆がシャープペンを回しながら、史へノートを向ける。
「史さん、ここ……」
史は隣に身を寄せ、淡々と答えた。
「……うん。こう」
少し離れた机では、莉子が颯太のノートを指で押さえる。
「颯太、そこ違う」
「お……おう」
言い返しかけて、すぐに引っ込める。
そのやり取りも、すぐ勉強へ戻っていった。
別の机では、御珠がノートを傾けて雪杜を呼ぶ。
「雪杜……ここが……」
咲良がすかさず声を重ねる。
「ねぇ雪杜、こっちも」
雪杜は軽く息を吐き、二人の間でペンを構えた。
「はいはい。順番ね」
華蓮はペンを持ったまま、部屋全体を眺める。
(……カップル多っ。
でも、ベタベタしてるわけじゃねぇ。
“ちゃんと生活してる”感じだ)
胸の奥で、得体の知れないぬくもりが揺れた。
「あ、あの……ここ、誰か……」
雪杜がすぐに顔を上げる。
「僕でよければ」
「むー! 雪杜はダメ!」
咲良が即座に横から止めた。
「え」
雪杜が素で戸惑う。
莉子は肩をすくめて前に出る。
「はいはーい。私がやる」
華蓮はわずかに身を引く。
「あ……ありがとうございます……?」
莉子は華蓮のノートを覗き込み、該当箇所を指でとん、と叩いた。
「ここ。公式使うとこ」
「……おお、すげ」
理解の糸がつながる瞬間、華蓮の目がわずかに開いた。
(マジで助かる。
勉強会きてよかった)
莉子はペンを置いて、唐突に聞いた。
「で、坂本さん。なんで来たの?」
「……勉強会って聞こえたから。
あたしも中間、やべーし」
「ふーん」
莉子がじっと華蓮の顔を見つめる。
観察するように、まばたきも少ない。
華蓮は耐えきれずに眉をひそめた。
「……な、なに」
「うん。悪くない」
「?」
意味が分からず固まる。
莉子は真剣な声で続けた。
「ね。お化粧してみない?」
「え、化粧?なんで?」
「だってすごくもったいないんだもの」
そこで颯太が余計な口を挟む。
「無駄だって。やめとけ」
莉子の目が、すっと細くなる。
「颯太。それは失礼だよ。冗談でも言っちゃダメ」
「す……すまん……」
華蓮は手を振る。
「……颯太の言う通りだ。
あたし、そういうの興味ねーし」
莉子は否定しなかった。
ただ穏やかに言葉を選んだ。
「興味なくてもいいよ。
でも、嫌じゃないなら一回だけ試してみない?」
華蓮は頬をかきながら視線を落とす。
「……一回だけな」
莉子はにこっと笑った。
「約束だよ。じゃ、勉強続けるよ」
「お……お願いします」
その言い方は、少し照れくさくて、でも嬉しそうだった。
こうして勉強会は静かに続いていく。
その輪の中で、華蓮の居場所がひとつ、そっと生まれ始めていた。
―――
翌日の朝。
教室にはまだ半分ほどしか生徒がおらず、窓から差し込む光が机の縁を淡く照らしていた。
華蓮が席に鞄を置いたその時、後ろから軽い足音が近づく。
「おはよう坂本さん。はいこれ」
莉子が小さな袋を差し出してきた。
紙袋の口から、淡い色のボトルがのぞいている。
「おはよう。昨日は勉強教えてくれてありがとな。
で、これは?」
「シャンプーとコンディショナー」
「え、なんでこんなもの」
莉子は机に肘をつき、声を落とした。
「昨日の続き。
髪、きれいになったら絶対似合うと思う」
華蓮は袋を持ち上げ、重さを確かめるように揺らした。
「……わりーだろ。こんなの」
「気にしないで。
気に入ったら、次は自分で買ってね」
莉子の言い方は押しつけではなく、ただ“知ってほしい”という色が滲んでいた。
「うーん。……じゃあもらっとく」
「絶対使ってね」
「お……おう」
言ったあと、華蓮は自分の返事が思ったより素直だったことに気づき、頬を触った。
教室のざわめきがゆっくり増えていく中、莉子による“華蓮改造計画”は、静かに動き始めていた。




