第3話 役割の始まり
チャイムの音が教室に落ちると同時に、ざわつきがゆっくりと沈んでいった。
高橋先生が教壇に立ち、視線を生徒たちへ向ける。
「はーい、みんな席についてー」
声に従うように椅子の音が連なった。
「じゃあ今日のホームルームは、文化祭の話をします。
あと一ヶ月半もあるけど、途中で中間テストもあるし、あっという間だからね」
その一言で、教室のざわめきがぱっと跳ねた。
浮き立つ声が何人かから漏れた。
「おー!文化祭!」
「何やるんだろ!」
高橋は話を続ける。
「1年生は、教室での展示発表と、ステージ企画での合唱を行います」
咲良が軽く身を乗り出す。
「展示と合唱かー」
「両方やるんだ」
雪杜も隣で頷いた。
黒板にチョークの音が走る。
合唱曲候補が四つ、白い文字で並んだ。
・大地讃頌
・手紙
・翼をください
・あの素晴らしい愛をもう一度
「結構定番だね」
「うん」
黒板に視線を向けたまま、御珠はそっとため息を飲み込む。
(合唱のう。妾、歌は苦手なのじゃ。
祝詞じゃいかんかの)
高橋が説明を続ける。
「じゃあ歌を知らない人もいるかもしれないから、それぞれを聞くわよ」
四曲が順に流れ、教室がわずかに共鳴した。
鼻歌をもらす生徒、手を揺らす生徒、思い思いの反応が散る。
(大地讃頌……地を讃える。歌うなら、これが一番ましじゃな)
「はい。どうだったかしら。
これにピアノ伴奏と、指揮者が一人ずつ必要です」
教室に緊張が落ちる。
「ピアノは、早川さんお願いできるかしら」
「はい」
「ありがとう」
流れるように伴奏が決まり、続いて、高橋は二人の名前を呼ぶ。
「じゃあ、楽曲と指揮者、それと展示テーマを話し合ってください。
あとは如月さんと真壁くん、進行をお願いね」
澄香と透が前へ出て、自然と教室の中心に立った。
澄香が姿勢を整えて、話し合いを始める。
「じゃあ何から決めましょうか。
一番簡単なところから……指揮者。やりたい人いる?」
静寂。
誰も手を挙げない。
「……まぁ、そうなるわよね。
じゃあ推薦。誰か思い当たる人いる?」
その瞬間、堰を切ったように声が飛んだ。
「御珠ちゃん!」
「いい!御珠ちゃん!」
「見栄えするし!」
「御珠ちゃん、絶対似合うよ!」
一気に盛り上がる声と拍手。
御珠の肩がびくりと揺れた。
「……え」
隣で咲良が小声で雪杜に寄る。
「御珠ちゃん、大丈夫かな」
「うーん……あれ、困ってる顔だ」
前に向き直った御珠は、硬い声で言った。
「……私、あまり目立ちたくないんだけど……」
教室中の視線が一斉に「何言ってんだこの人?」に染まる。
その理由を、全員が心で数えた。
――入学直後の三人で“存る”宣言。
――雪杜と別れたのが辛いと零す。
――佐々木を一刀両断で振って「冷輝姫」の二つ名を得る。
――つい先日、華蓮への陰口を一喝。
どれもこれも、目立たないはずがなかった。
前では澄香が小さく息を吐き、御珠へ短いアイコンタクトを送る。
(頼む。ここが決まらないと、全部グダる)
御珠は視線を返し、不満げにまぶたを細めた。
(い・や・だ)
(っく、手強い)
そこへ透が、静かな口調で横から言葉を差し込む。
「御珠さん。指揮者は歌わなくていいよ」
その言葉に、御珠の肩がわずかに跳ねた。
(……歌わずに済む?)
透は淡々と続ける。
「腕でテンポ出して、みんなを合わせる役。
楽……かは人によるけど、歌が苦手ならこっちの方が合ってると思うよ」
御珠の視線が揺れる。
(前に立つ役か。面倒じゃが、まだ“歌う”よりはまし。
ここで拒めば、妾の説得役として話が雪杜に振られるかもしれん。
雪杜が矢面に立てば、角が立つ。
妾が引けば、この場は収まる)
一瞬、教室のざわめきが遠のく。
前に立つ澄香と透、その視線の先にいる“代表者”として、御珠が引き受ける以外の道が薄れていく。
(……目立つのは癪じゃが、雪杜が燃えるよりはましじゃ)
御珠はゆっくりと頷いた。
「分かったわ。引き受けます」
「よっしゃー!」
颯太が叫び、教室のざわめきがまた跳ねた。
「御珠ちゃん、絶対かっこいいよ!」
「燕尾服とか絶対似合うよね!」
「え、燕尾服!?見たい見たい!」
盛り上がりの中心で、御珠だけが首をかしげる。
「……燕尾服?」
そこへチャイムが鳴り、先生がまとめに入った。
「きょうはここまでみたいね。
御珠さん、指揮者よろしくね」
「はい……」
「じゃあ次回は、楽曲決めと展示テーマを決めるから、皆ある程度考えておいてください」
椅子の音が再び鳴り、ホームルームは静かに解散へ向かった。
―――
放課後のPC室は、夕陽に照らされて柔らかい光が広がっていた。
それぞれの机からキーボードを叩く音や紙をめくる音が重なり、部屋には穏やかな作業音が満ちていた。
咲良が椅子をくるりと回し、隣の御珠へ声をかけた。
「ねぇ指揮者、大丈夫?」
御珠はモニターから視線を離し、軽く肩を落とす。
「歌わなくていいのは助かるわ。……けど、目立つのは嫌ね」
咲良は机に腕を乗せてため息をつく。
「でしょー。
指揮者って、歌わないけど一番目立つからね。
お客さんの視線、全部くるよ」
御珠はまぶたを伏せて小さく頷いた。
「……そのくらいなら、耐えるわ」
「そうだ。この子緊張とかないんだった」
咲良が苦笑する横で、雪杜が資料を閉じて会話に入ってくる。
「指揮って、テンポを合わせるだけじゃなくて、みんなの入りとか、強弱とか、そういうのも出すんだよ」
御珠はわずかに眉を上げる。
「それぞれが鍵の音を聞いて歌えば良くない?」
「ぶっちゃけそうなんだけど、鍵の音?の人も指揮を見て合わせるし、結局御珠が中心になるよ」
御珠は机に手をつきながら、小さく息を吐いた。
「……うーん。よくわからないけど頑張るね」
少し離れた机では、駆と史が静かに話している。
二人の机にはノートと数枚の紙が重なり、作業の続きを示していた。
「史さん。記録ですけど……」
「……すいません。
もう少し時間をください……」
「分かりました」
そのとき、PC室の扉が乱暴に開いた。
重たい足音とともに、顧問がにやにやした表情で入ってくる。
「よう、お前ら」
雪杜が椅子を起こして振り向く。
「あ、先生。どうしたんですか?」
顧問は腕を組んだまま、妙に満足げなドヤ顔を見せた。
「文化祭の話だ」
御珠以外の四人が一斉に固まる。
「……?」
「お前ら、ハッカソン優勝しただろ」
「あ、はい」
顧問はわざとらしく頷く。
「あれが好評でな。
文化祭でも何か出せってなってな」
四人の表情がみるみる青ざめる。
「……え?」
「え、マジで?」
「えーめんどい」
「……」
顧問は追撃するように続けた。
「優勝したんだから、何かしら成果を見せろ。
学校の名誉にもなるしな」
そして小声でぼそり。
「部費も上がるしな……」
雪杜が前に倒れそうな勢いで抗議する。
「ちょ、ちょっと待ってください!急すぎますよ!」
顧問は首をかしげるだけだった。
「文化祭まであと一ヶ月半あるだろ。十分だ」
「いや、でも……」
「予算はないぞ。金かからないやつでよろしく」
雪杜の声が裏返る。
「予算ないんですか!?」
顧問は肩をすくめた。
「部費カツカツだからな。
お前らを一泊させるのだって大変だったんだぞ。
じゃ、頼んだぞー」
返事を待つ気もなく、顧問はさっさと出ていった。
ドアが閉まる音だけが虚しく残る。
「……行っちゃった」
「……マジか」
「……やるしかないですね」
「うわぁ……」
駆が深くため息をつき、机にほおづえをつく。
「……どうしよう」
重たい静けさを破るように、御珠がふっと顔を上げる。
「また、さーや様……できるの?」
御珠の呑気すぎる返事に、部室に張っていた力が一気にほどけた。
全員の表情が、肩の力を抜くようにほころぶ。
―――
部室には夕方特有の静けさがあり、机に落ちる光が作業の跡を照らしていた。
雪杜は椅子に深く座り込み、両手で頭を抱える。
「何、出そうか……」
駆は背もたれに寄りかかったまま、天井を見上げる。
「ハッカソンでやったやつ、そのまま展示するか?」
史はノートを指先で軽く叩きながら、淡々と現実を突く。
「……ただの展示では、人は来ませんよ」
「そうだよね……」
言葉が途切れ、部屋が静まり返った。
紙のこすれる音だけが小さく続く。
その静けさを割るように、咲良がぽつりと声を投げた。
「占いとかどうかな」
雪杜が顔を上げる。
「占い?」
咲良はいたずらっぽく笑い、御珠を指差した。
「うん。御珠ちゃん、さーや様やりたいんでしょ?」
「うん!」
御珠の即答に、雪杜はこっそり目線をそらす。
(まぁ、あっちが素だからな)
咲良はさらに身を乗り出す。
「今度は占い師やろうよ。
見た目、ぴったりだよ」
御珠はぱちりと瞬きをする。
「占い師?」
すぐ横で史が小さく頷いた。
「いいですね。それ」
駆も椅子をまわしながら、手元のメモを見つめる。
「占いか。
さーやシステムを流用できそうだな。
記録の代わりに悩みを入れて、整理して、次の行動を出す」
史は冷静に補足する。
「判定は外した方がいいですね。
悩みを棄却されても困りますし」
その案に火がついたように、雪杜が勢い込んだ。
「いける!いけるよそれ!
出てきた結果を、御珠が占い師っぽく伝える。
導入も分かりやすいし、人も来る!」
御珠は胸に手を当て、ほんの少しだけ嬉しそうに問い返す。
「占い師は“わらわ”でいい?」
「もちろん。
……ただ、学校の中では抑えめにね」
御珠はむっと頬をふくらませ、しかし折れる。
「む。分かっておる。やる時だけ、わらわじゃ」
「それそれ。
役の練習ってことにしよ。ね」
咲良が大げさに笑うと、その声に釣られたように近くのPC部員たちがこちらを見る。
“わらわじゃ?”という視線が何本か飛ぶ。
咲良は慌てて両手を振った。
「練習、練習だよ~。役の練習~」
説明しながらも目の端に苦笑が滲んでいる。
御珠が堂々と頷き、手を広げる。
「うむ。これは練習なのじゃ。
そなたらの悩みを聞こう」
駆は机の上の資料をまとめながら言った。
「じゃぁ俺は、さーやシステムを占い向けにカスタマイズする」
史も静かに席を立つ。
「私も手伝います。
ダミーの悩みを作って、テストに使えるようにします」
咲良は手を挙げて元気よく続ける。
「私は受付とか、お客さん役とか。御珠ちゃんの練習に付き合う」
雪杜は考えるように視線を宙へ向けた。
「僕は……内装どうするかとか、必要なもの整理するね。
あの水晶っていくらくらいするのかな……」
言葉が部室いっぱいに広がり、それぞれの机が同じ方向へ動き出す。
文化祭へ向けて、小さな歯車が回り始めた。
―――
翌日の午後、教室にはゆるいざわめきが漂っていた。
ホームルームの開始とともに、高橋先生が教壇に立つ。
「じゃあ昨日の続き。展示と合唱曲を決めます。
如月さん、お願い」
澄香が前へ出て、手にしたノートを開いた。
「はい。
じゃあまず合唱曲だけど、多数決でいいよね?」
教室のあちこちで、小さな頷きが波のように広がる。
その中で、御珠が静かに手を上げた。
視線が自然とその一点に集まる。
「……私は、大地讃頌がいい」
御珠の挙手を、雪杜は後ろから静かに見守った。
(あの歌、そんなに気にいったんだ)
澄香が確認するように問いかける。
「えっと……理由、聞いてもいい?」
御珠は一度まぶたを閉じ、落ち着いた声で答えた。
「……指揮をするなら、好きな曲の方が良い。
それだけ」
その簡潔さに、教室の反応が揃った。
「指揮やるの御珠ちゃんだしね」
「好きな曲の方が頑張れるよね」
同意する声がぽつぽつ漏れる一方で、別の曲を推す声も混じる。
「翼をくださいも捨てがたいけど……」
「拝啓ありがとう……」
透がチョークを持ったまま淡々と言った。
「決めないと練習が始まらないよ。
多数決でいいと思う」
「じゃあ、曲は多数決で決めましょう」
澄香が促し、挙手が並ぶ。
大地讃頌の手がしっかりと上がり、結果がひと目で決まった。
「合唱曲は、大地讃頌で決定ね」
軽い拍手が教室に広がる。
その中で、御珠が胸元近くで小さくガッツポーズをした。
その仕草に、教室のそこかしこで表情がゆるむ。
「かわいい」と言いかけた声が、喉の奥で引っ込んだ。
場が和んだところで、澄香が次の議題へ移る。
「じゃあ次。展示テーマね。
これは少し話し合ってから、候補を出して、多数決にしましょう」
教室中で、隣同士が身を寄せて話し合い始める。
透が黒板に候補を書き出していく。
・環境問題
・地域の歴史・文化調査
・最新の科学技術
・美術作品展示
意見が出そろったところで、澄香が声を上げる。
「じゃぁ多数決で決めるわよ」
挙手が上がり、黒板の前で透が数を確認する。
決まったのは、地域の歴史・文化調査だった。
「合唱は大地讃頌。ピアノは早川さん。指揮は御珠さん。
クラス展示は『地域の歴史・文化調査』。
全部決定したわね」
高橋が前で満足そうに頷いた。
「はい。如月さん、ありがとう。
じゃあ次回はクラス展示で、具体的に何を展示するかを話し合ってもらうわよ。
合唱は基本、音楽の授業で練習。
放課後は自主練になるから、計画を立てて練習日を決めてちょうだいね」
「わかりました」
澄香が丁寧に一礼する。
こうして、文化祭へ向けてクラス全体も本格的に動き始めた。
その中心に、知らぬ間に御珠が立つことになっていた。




