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神愛 ─ 永遠の刹那 ─  作者: 神愛
第3章 中学生編 ― その瞬間を抱きしめて ―
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第1話 空振りの先に

新学期が始まって数日が過ぎた。

教室には夏休みの名残がまだ漂っているのに、その気配を断ち切るように華蓮かれんの視線は鋭かった。

彼女は席に肘をつき、御珠を一方的に睨みつけている。


(あいつ……佐々木を振りやがって)


表情は動かさずとも、胸の内に渦巻く苛立ちがそのまま目に滲んでいた。


休み時間のチャイムが鳴る。

華蓮が勢いよく席を立ち、御珠へ向かう。


「おい、ちょっと話が――」


声をかけても、御珠はページをめくるだけだった。

完全に無視。

その静けさを破るように、周囲の女子が御珠の机へ集まる。


まるで意図しているかのように、華蓮の前へ壁ができた。


「御珠ちゃん、その本面白い?」

「まあまあ」


「夏休みどっか行った?」

「ハッカソン」

「なにそれ?」


女子たちの問いかけに対して、御珠は淡々と返すだけ。

華蓮の入り込む余地なんて一ミリもなかった。


(くそ、やっぱ教室じゃダメだ)


華蓮は舌打ちを飲み込み、いったん引き下がる。




昼休みになると、華蓮は再びチャンスを窺っていた。


(昼休みなら動くだろ)


給食を食べながら、視界の端で御珠を捉える。

御珠は淡々と食事を終えた。

だが、席を立つ気配がまるでない。


本を開く。

ページをめくる。

それだけ。


(トイレくらい行けよ……!)


十分が過ぎる。二十分が過ぎる。

御珠は微動だにしない。


チャイムが鳴った。

結局、御珠は一度も席を立たなかった。


(あいつ朝から一回も行ってねーし!おかしーだろ!)




放課後、廊下に残った夕陽の色が長く影を伸ばしていた。

華蓮はようやく決断する。


(次こそ絶対捕まえる)


御珠が教室を出る。

その背を、華蓮は距離を保ちながら追った。

靴音が階段に吸い込まれ、曲がり角が続く。


(よし、見失ってねぇ)


廊下の先、十メートルほど向こうに御珠がいる。

目の前を誰かが横切った。

制服の背中が一瞬、視界を遮る。


「――は?」


御珠の姿が、跡形もなく消えていた。


「どこ行った!?」


焦りが声に滲む。

華蓮は必死に周囲を見回すが、見えるのは帰り支度の生徒たちばかりだ。


「嘘だろ……絶対見てたのに……」


ありえない、と唇が歪む。

拳を握り、悔しさを掌で潰す。


「くっそ……明日こそ絶対……!」


夕陽に照らされた華蓮の影だけが、伸びたまま動かなかった。


―――


翌日の放課後、華蓮は校門の柱に背を預けていた。

校庭から流れてくる部活の声を背中で聞きながら、視線を校門の通りへ固定する。


(尾行がダメなら待ち伏せだ。ここなら絶対通る)


腕を組み、足を揃えたまま動かない。

帰宅する生徒の流れが、華蓮の手前でわずかに曲がって抜けていく。


やがて、御珠が一人で歩いてくる。


(――来た)


華蓮は校門の前に立ち塞がる。


「やっと捕まえた」


御珠が足を止めた。

表情は変わらない。


「何か用?何日も前からうっとうしいんだけど」


「気づいてたのかよ」


「当たり前でしょ。隠れてるつもりだったの?」


奥歯を噛む。

声が低くなる。


「……なんで佐々木を振ったんだよ」


「佐々木?……ああ、休み前に告白してきたあれ」


「『あれ』って何だよ。佐々木の何が悪いんだよ」


「別に悪くないわよ。興味がないだけ」


「はぁ?サッカー部のホープだぞ?顔だっていいし、人気だってあるし――」


「だから何?」


華蓮の言葉が喉でつかえる。


「私が誰を好きになるかは私が決める。

 佐々木がどれだけ優れていようと、関係ない」


「お高くとまりやがって……」


「不思議なことを言うのね。

 あなたにも機会が回ってきたと喜ぶべきでは?」


華蓮は息を呑んだ。

目元がきしみ、怒りとは別の苦さが滲む。


「あたしなんかじゃ釣り合うはずねーだろ……」


「あなたの値踏みなんて、知ったことじゃない」


華蓮は視線を逸らしてしまう。

御珠の目が、まっすぐこちらを射抜いていた。


「私につっかかって何がしたいの?

 私が佐々木と付き合えば満足?」


「ああ、そうだよ。

 そうすりゃ全部丸く収まんだろ」


「私の気持ちはどうなるの?

 好きでもない佐々木と付き合えって?」


「ああ、そうだよ」


「……丸く収まるのは、誰の都合?

 佐々木の面子?あなたの納得?

 私の意思は、そこに入ってないの?」


言い返そうとして、喉が詰まる。

握った拳が、ほどけない。


「むかつくなら殴れば?

 そんなもの痛くもかゆくもないけど。

 それで満足したなら二度と私の前に現れないで」


「なんなんだよお前……」


華蓮の声が震える。

抑えていたものが、喉の奥から這い上がってくる。


「あたしだってほんとはなー!佐々木の隣に立ちてーんだよ!

 それなのに!

 お前は佐々木に選ばれたのに!

 なんで佐々木を選ばねーんだよ!!」


叫びが校門に響く。

通りすがりの生徒が足を止めかけ、すぐに目を逸らして去っていった。


御珠はまばたき一つ。

叫びを受けても、目を逸らさない。


「……なるほど。

 ようやく、あなたの話になったわね」


「うるせぇ!」


華蓮が吠える。


「答えろよ!なんで選ばれたのに捨てんだよ!」


「さっき言ったでしょ。興味がないって。

 なんで選ばなきゃいけないの?

 あなたが立ちたいなら、あなたが立てばいいじゃない」


「だからあたしなんかじゃ釣り合わねーって……」


「それ、誰が言ったの?あなたが勝手に思ってるだけでしょ?」


「言われなくても分かんだろ!

 こんな、ガサツで、バカな、不細工が、佐々木と付き合ったら笑いもんだ」


「じゃあ、あなたは私を自分の代わりにしたいの?

 私が佐々木と並んでる姿に、自分を重ねて満足したいと?」


華蓮の喉が詰まる。

否定できない。


「……そうだよ」


「じゃあ佐々木が選ぶ女なら誰でもいいの?」


「そうだよ。

 お前がたまたま選ばれただけだ」


「じゃあ私は、たまたま佐々木に選ばれた不幸な奴ね」


「……いや、幸せだろ」


「私は不幸だと思うけど?」


御珠の声に、抑揚がない。


「あなたみたいなのがつっかかってくるし。

 興味のない相手と無理やり一緒にさせられるし。

 誰でもいいなら、佐々木に別の女でも紹介すれば?」


御珠の目が、華蓮を射抜いたまま動かない。


「本当に、何がしたいの?」


華蓮は唇を噛んだ。


「……わかんねーよ」


声が小さくなる。


「わかんねーけど……

 あたしだったら……捨てねーのに……」


拳が震える。

力を込めているのに、ほどけそうになる。


「選ばれたら、絶対離さねーのに……

 なんでお前は……そんな簡単に……」


「簡単?」


御珠が首を傾げる。


「好きでもない相手を好きになる方が、よっぽど難しいと思わない?」


華蓮の呼吸が浅くなる。

言葉が出ない。


「あなたは佐々木が好きなんでしょ?

 でも、佐々木があなたを好きかどうかは分からない」


御珠は淡々と続ける。


「じゃあ同じよね」


「何がだよ」


「佐々木は私に告白してきた。好きなんでしょうね。

 でも私は佐々木に興味がない」


「あなたは佐々木が好きだって言う。

 でも佐々木はたぶんあなたに興味がない」


「同じよね」


「だからなんなんだよ!」


「あなたが佐々木に告白して振られればいい」


御珠の声が、わずかに柔らかくなる。

けれど、目は笑っていない。


「そして私が佐々木に『なんでこの子を振るの。こんなにいい子なのに』って迫ってあげる。

 そしたらあなたは晴れて付き合えるわね」


「そんなんで喜ぶわけねーだろ!」


「あなたは今、それを私にやろうとしてるんだけど?

 佐々木は満足すると思う?」


華蓮の口が開いたまま、止まる。

殴りかかることもできないまま、立ち尽くした。


御珠は一歩、華蓮の横を通り過ぎる。


「……私を恨むのは自由よ。

 でも、それであなたの望みは叶わない」


足音が止まる。

振り返らないまま、声が落ちた。


「好きにすればいい。

 でも、私はあなたの代わりにはならない」


「立ちたいなら、自分で立ちなさい」


御珠は華蓮の脇を静かに通り抜け、校門を出ていく。

背中は小さく揺れながら、まっすぐ前を向いていた。


華蓮はその場に取り残され、握っていた拳をゆっくりほどく。


「……くそ……」


声が震えて、続かない。


(……あいつ、何様だよ……)


(……くそっ……くそっ……)


校門の影が長く伸びる。

帰宅する生徒の流れは、とうに途切れていた。


―――


数日後の放課後。

校舎裏はひどく静かで、風が吹くたび草の擦れる音だけが響く。

人気のない場所に、華蓮はひとり立っていた。


呼び出された佐々木が、半歩距離をとって姿を現した。


「……で、話って何?」


その表情にはわずかな警戒があった。

御珠絡みの噂がまだ残っているのだろう。


華蓮は拳を握ったまま動かない。

膝がわずかに震えている。


(やるって決めたんだ。逃げんな、あたし)


息を一度、強く吸って。


「あたし、お前のことが好きだ」


「……は?」


「聞こえなかったか?好きだっつってんだよ!」


言い切った声が、夕方の静けさに鋭く響いた。


佐々木は困惑したように頭を掻く。


「いや、聞こえたけど……」


しばし置いて、視線をずらしながら問い返す。


「……えっと、悪い。お前誰だっけ?」


華蓮の胸がきゅっと痛む。

それでも目は逸らさなかった。


「……2組の坂本」


「あー……ごめん、分かんねーわ」


「……だろうな」


その返しは、怒っているわけじゃなく、覚悟していた現実をもう一度なぞる声だった。


佐々木は息を吐く。


「……悪い。俺、お前のことそういう目で見たことない」


「……」


「つーか正直、今日初めて話したし」


「……だろうな」


「……ごめん」


短い静けさが落ちる。

夕風が吹き抜け、華蓮の髪を柔らかく揺らした。


華蓮は拳を握ったまま、小さく息を吐く。


「……そっか」


「……怒んねーの?」


「怒ってどうすんだよ」


その言葉は、投げやりじゃなく、諦めとも違った。

華蓮はゆっくりと指をほどいていく。

きつく握っていた手が、ようやく空気を吸い込んだ。


「分かってたし。釣り合わねーって」


「いや、釣り合うとかそういうんじゃなくて――」


「いいよ。言い訳しなくて」


顔を上げた。

その目は赤いけれど、涙は落ちていなかった。


「ありがとな。ちゃんと聞いてくれて」


「……おう」


華蓮は背を向ける。

歩き出そうとしたとき、背中へ声が飛ぶ。


「……坂本」


「あ?」


「……なんつーか、度胸あんな、お前」


華蓮は振り返らず、片手をひらっと上げた。


そのまま校舎裏を離れ、足の向く方へ歩いていく。

頭の中がまだざわついていて、ふらふらと彷徨う。


校舎を回り込んだ先、日が届かない細い影の帯がある。

人がほとんど通らないその場所へ、華蓮の足は自然と吸い寄せられた。


壁に背を預けた瞬間、さっきまでの熱がわずかに遠のく。


華蓮はゆっくりと空を見上げた。


「……ふー……」


長い息が漏れる。

胸の奥に引っかかっていたものが、ゆっくりほどけていく感触だけが残った。

痛いのに、どこか軽い。


「……振られた」


声にしてみる。


「……あはは、振られたわ」


その瞬間、涙が頬を伝った。


(結果は分かってた)


(分かってたけど……やっぱり……つらいな……)


(なにやってんだろ私)


風が頬の涙の跡を撫でる。


(でも……)


「……何かすっきりしたわ」


夕焼けの色がわずかに濃くなる。

華蓮はしばらく、その影の中に寄りかかったままでいた。


―――


翌日の昼休み、教室には給食の残り香と片付け終わったあとのざわめきが漂っていた。

窓際では御珠が本を開き、周囲には女子たちの輪ができている。

自然と視線を遮る形になっていた。


華蓮は自分の席から、その中心を見つめる。


(……行くか)


椅子を引く音が小さく鳴った。

数日前まで睨みつけていた相手へ向かう足取りは、妙に重い。


御珠の席へ近づくと、女子たちがわずかに身構えた。


「……おい」


御珠はページをめくる手を止めない。


「聞こえてんだろ。おい」


「……何?」


ようやく顔を上げる。

表情は固いまま、目の動きも読めない。


華蓮は喉の奥がつまるのを誤魔化すように息を吸った。


「……告った」


「……そう」


「振られた」


「……そう」


短い言葉が並ぶ。

それとは裏腹に、周囲がざわつき始めた。


「え、坂本さん誰かに告白したの?」

「佐々木くんじゃない?御珠ちゃんに絡んでたし」

「えっ、じゃあ御珠ちゃんに八つ当たりしてたってこと?」


華蓮はそちらを見ない。

前だけを見据える。


「……すっきりした」


「良かったじゃない」


「……ああ」


会話はそこで途切れた。

華蓮は後頭部をガシガシと掻き、言葉を探す。


「……その」


御珠は静かに視線を向ける。


「……ありがとな」


御珠の瞳が、ほんの一瞬、柔らかく揺れた。


「何が?」


「……背中、押してくれただろ」


「押してない。あなたが勝手に動いただけ」


「……っ、素直に受け取れよ!」


「事実を言ったまで」


華蓮は奥歯を噛みしめ、視線をそらす。

胸の奥がちりっと痛んだ。


「……くそ、やっぱムカつくわ、お前」


「そう。じゃあもういいかしら。本の続き読みたいんだけど」


「……ああ、悪かったな。邪魔した」


華蓮は踵を返し、自分の席へ戻っていく。

背中には悔しさでも恥でもない、妙な熱が残っていた。


御珠は本へ視線を落とす。

ページをめくる指が、ほんの一瞬止まった。


(……変な奴じゃの)


窓から差し込む陽射しが、わずかに傾いていた。

その光の温度は、夏休みより少しだけ冷たかった。

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