【閑話】第30.5話 やわらかい約束
薄暗い寝室は、祭りの熱気がまだ肌に残っている。
窓の外から遠い囃子の名残が漂い、二人は布団に横になったまま微妙な距離を保っている。
「……雪杜」
呼ばれた雪杜は、天井を見つめたままそっと返す。
「起きてるよ」
御珠の声は、わずかに柔らかかった。
「……夏祭り、楽しかったのじゃ。
そなたの心遣い……妾、感謝しておる」
「……うん」
短い返事の奥に、雪杜の照れと安堵が混ざる。
御珠はそれを受け取ったのか、布団の端をつまみ、口をつぐんだ。
「……今日のこと、聞かぬのか?」
「聞かない。
言いたくなったらでいいって、言ったし」
御珠はわずかに息を飲み、布団をきゅっと握る。
「……そなたは、ずるいのう」
「え、僕?」
「“聞かぬ”と言いながら……
本当は気になって仕方のない目じゃ」
雪杜は何も言えず、息が揺れた。
御珠は視線を外し、低い明かりで雪杜の横顔をそっと見る。
「全ては言わぬ。
言えば、そなたまで縛ってしまうでな」
言葉が途切れる。
布団の中で、御珠の足音のような微かな動きが伝わった。
「ただ……“骨”を申す」
「……うん」
御珠は目を閉じ、覚悟を整えるように言葉を紡ぐ。
「一年前、妾は澪と“約束”をした。
学校では踏み込まぬこと。
そなたを……正しい距離で護ること」
「距離……」
「それが守れているか、きょうはその“確かめ”じゃった」
雪杜は枕へ視線を落とし、深く息をした。
「……それだけ?」
「うむ。“それだけ”じゃ。
これ以上は……言えば、そなたの責務になる」
「責務……?」
「知らぬ者のままでおれば、背負わずに済む。
……ただ、澪にも言われた。
“閉じ込めるな”とな」
雪杜の指が布団の上でわずかに動く。
でも決して御珠を掴もうとしない。
踏み込めば壊れる──そんな予感が胸を押した。
「僕、閉じ込められてるわけじゃないよ」
「……なら、よいのじゃ」
御珠は息を吐き、照れ隠しのように布団に半分潜り込んだ。
「……雪杜。
ひとつ、必ず守って欲しいことがある」
「なに?」
御珠は布団を握りしめ、小さく声を落とした。
「きょう妾が澪と会ったこと……
咲良には、絶対に言うでない」
雪杜の呼吸が止まる。
「咲良は、妾やそなたが思う以上に“気づく子”じゃ。
知らぬところで大人たちが動いたと分かれば……
自分が外に置かれたと感じてしまう」
「……うん。言わない」
「そなたが悪いのではない。
ただ……いまは、あの子の心を揺らしてはならぬ」
雪杜はそっと体を寄せ、御珠の気配を包むようにした。
「分かってる。
咲良を守りたいのは……僕も同じだから」
御珠のまつげが震え、安堵が小さく漏れた。
「……そなたは優しいのう」
布団がわずかに動く。
御珠がゆっくり体温を寄せてくる。
「……雪杜」
「なに」
「きょう、妾は泣いたな」
「うん」
「そなたの胸は……あたたかった」
雪杜は照れをごまかすように枕を指で動かした。
「御珠が、話したくなった時は……聞くよ。
無理に聞かないけど、“聞けるように待つ”のはするから」
御珠はふっと笑みを漏らす。
その声は涙の名残を含んでいた。
「……そのようなこと、また妾が泣いてしまうではないか」
「泣いてもいいよ」
御珠の指がそっと雪杜の袖をつまむ。
掴むでもなく、離れるでもない距離で。
「……のう、雪杜。
妾はまだ……ここに居てよいのか?」
雪杜はすぐに答えた。
「一生一緒って約束したよ。
御珠が居たいなら、ずっと居ていい」
御珠はその言葉を胸に押し当てるように、ゆっくり目を閉じた。
「……そなたはどこまで妾を……好きにさせるのじゃ……」
灯りが落ち、遠くのざわめきがようやく静まり始めていく。
夜風が窓から入り、祭りの匂いをそっと残していた。
言葉以上のものが布団の隙間で交わされ、二人の距離は“誓約”とは別の形で、静かに寄り添っていった。




