第22話 ログは残る
朝のホームルーム。
椅子が引かれる音が揃って、教室がようやく落ち着いた。
担任が教壇に立つ。
出席簿を手にしたまま、表情を崩さずに言った。
「おはようございます。
出欠の前に、一つ注意があります」
ざわついていた声が、糸を引くように細くなる。
何人かが顔を上げ、視線が前へ集まった。
「最近、皆の前で告白するのが流行っているようですが、学業に支障が出るのでやめてください」
後ろの方で小さな声が重なる。
「えー」「だってさ」みたいな音が、すぐに飲み込まれていく。
視線だけが、あちこちへ逃げた。
担任は淡々と続ける。
「もうすぐ夏休みで浮つく気持ちもわかりますが――」
言葉の端を切って、区切りを入れる。
次の一言が落ちる前に、誰かが息を吸った。
「見つけた場合、停学処分等も考えます」
教室の熱が一段引いたように、背筋が伸びる気配が走る。
担任は顔を変えないまま、視線だけをゆっくり動かした。
そして、咲良の方で止まる。
咲良が一瞬で縮こまる。
背筋が固まり、肩が小さく上がった。
(ひー!私が始めたことだってバレてる!?
でも、これで恋愛相談断る口実できて助かる……)
雪杜が横目で心配そうに咲良を見る。
咲良は目で「大丈夫」と伝えたが、動揺しているのが丸分かりだった。
担任は出席簿に視線を戻し、話を切った。
「以上です。では、出欠を取ります――」
咲良は肩を下ろすタイミングを失ったまま、机の端を押さえ直す。
先生の声が出席簿を追い始めて、きょうが始まる。
―――
放課後の通達は、昼休みから始まった。
教室のざわめきに混じって、校内放送のスピーカーが鳴る。
いつもより少しだけ音が割れて、声が硬く聞こえた。
「PC部員は本日放課後、PC室に全員集合してください。
繰り返します。PC部員は――」
雪杜が顔を上げる。
「PC部全員集合だって」
「うん。何だろうね。
っていうか顧問いたんだ」
咲良が小さく笑い、すぐに口元を隠す。
昼休みの終わりが近くて、教室の動きがせわしない。
放課後。
PC室に入った瞬間、機械の匂いが鼻についた。
いつもの冷えた空気に、放課後の熱が重なっている。
雪杜、咲良、駆、史、御珠。
いつもの顔ぶれが先に揃っていて、他にも数人、ばらけて座っていた。
普段見かけない生徒もいる。
椅子に深くもたれているのに、目だけは前を向いているタイプ。
雪杜が小声で言う。
「PC部ってこんなにいたんだ」
「活動が緩いから、幽霊部員も多いんだと思う」
前方で顧問が手を叩くようにして注意を集めた。
机の上にプリントの束が置かれる。
「はい、集まったね。まずはこれを見てほしい」
顧問が歩きながら配り始める。
紙が渡されるたびに、カサ、と乾いた音が続いた。
各自が受け取り、視線を落とす。
「――ハッカソン。聞いたことあるか?」
雪杜はタイトルを見て、声に出す前に口の中で転がした。
「ハッカソン……」
「二年、三年は去年参加したやつもいるだろ。一年のために説明する」
史はプリントを見下ろしたまま、静かに頷いた。
「近隣の中学校からも人が集まって、一泊二日で缶詰になって“チームで何かを作る”イベントだ。
参加は任意だが、できれば各学年から1チームは出してほしい」
顧問は淡々と続ける。
「条件を言うぞ。
参加費は三千円。食事代込み」
咲良が反射で顔を上げた。
「え、参加費あるんだ」
「泊まるからな。一応部費から補助が出るからこの金額だ。
会場は大学のキャンパス内にある宿泊所になる」
「大学……」
雪杜の声が、少しだけ伸びる。
駆はプリントの会場欄を指で追っていた。
目がわずかに前のめりになり、指先が止まらない。
「夕食と朝食は出る。
昼食は各自で適当に取る。
コンビニでも学食でもいい」
「昼は自由なのね」
御珠がさらりと言う。
声は落ち着いているのに、興味が混ざっている。
「作業は夜22時まで。消灯があるからそこは守るように」
「22時……」
雪杜が呟くと、咲良が横で小さく息を吐いた。
「シャワー設備はあるが、風呂はない。文句は言うな」
「……まぁ暑いしシャワーでいいよね」
「開発テーマは当日発表。おそらく“AIを使って何かを作れ”になる」
後ろの席から声が上がる。
「AI!?」
顧問はその反応に眉一つ動かさず、頷いた。
「何を作るかのアイデア出しから開発、発表までを一泊二日の時間内でやる。
かなり慌ただしくなると思う。だからチームワークが大事だ」
全員が頷く。
「1チーム3人から5人。
で、各チームに大学のボランティアが1人、アドバイザーとして付く」
駆が顔を上げる。
「……アドバイザー」
「そう。スキルを得るいい機会になる。
沢山質問して勉強して欲しい」
駆の指先がプリントの端を押さえたまま、口元がわずかに上がった。
目の奥だけが、露骨に明るい。
顧問がまとめに入る。
「以上だ。
応募締切は明後日、終業式が終わるまで。
質問はあるかー?」
手が数本上がり、短い質問がちらほら飛ぶ。
顧問は淡々と返し、必要なところだけを削って答えた。
「よし。
じゃ、希望者はメンバーの名前を書いて、先生のところに持ってくるように。
以上解散!」
椅子が軋み、部員たちが立ち上がる。
机の周りに小さな輪ができ始めて、「誰と組む?」があちこちで生まれた。
プリントの端を指で折る音が続く。
その中で、顧問がふと声を変えた。
「あーそうだ。春原、御珠」
咲良と御珠が動きを止める。
肩の位置だけが揃って固まった。
顧問は何でもない調子で言い切る。
「お前ら、パソコン使ってゲームやって遊んでるだろ。
全部サーバのログに残ってるからな。やめるように」
史が、ほんの少しだけ眉を動かす。
(……言った通りになった)
咲良の声が掠れた。
「は……はい。ごめんなさい」
(もう!きょうは二回も先生に睨まれるし最悪!)
御珠は一拍置いて、視線を落とす。
「……失礼しました」
(……人の理は、厄介じゃの)
顧問はそれ以上追わず、プリントを片づけ始めた。
PC室のざわめきが戻り、雪杜は咲良の肩を横目で見て、何も言わずに息を吐いた。
駆は配られたプリントを机の上に置いたまま、指先だけで端を押さえていた。
紙がずれないようにしているのに、視線は同じ場所へ何度も戻る。
「アドバイザー」
その文字だけが、やけに眩しい。
(スキルを得る機会……
出たい。けど、メンバーが最低でも三人……)
周りでは「誰と組む?」がまだ続いている。
笑い声も混じっているのに、駆の耳には入ってこない。
駆が一瞬だけ雪杜の方を見る。
声をかける手前で、視線を戻した。
雪杜は、その一瞬を見逃さない。
駆の目が、珍しく光っている。
「駆、出たい?」
「あ……」
駆は言うかどうか迷い、喉が一度動いた。
それから、観念したように頷く。
「うん。かなり。
……でも、メンバーがな」
雪杜が笑う。
言い切るまで、区切りを入れない。
「じゃあ、僕も出るよ」
「……いいのか?」
「うん!なんか楽しそうだし!」
駆の視線が雪杜の顔に固定される。
否定の言葉が出ない。
胸の奥の熱を、そのまま飲み込む。
そこへ、咲良が自然に割って入った。
「私も参加するよ。これで三人だね」
駆が、ぽかんと瞬きをする。
「……はや」
「咲良、泊まりだけど大丈夫?」
「大丈夫。林間学校と一緒だよね。
こういうの、やってみたいし」
(雪杜と泊まれるイベント、逃すわけないじゃん)
咲良はプリントの端を揃え、折れを指で伸ばす。
その手つきが妙に頼もしい。
さらに、隣から声が落ちる。
「……私も参加する」
「うん!一緒に頑張ろ、御珠ちゃん!」
咲良が御珠の手を取って笑う。
御珠は表情を崩さないまま、咲良の方にだけ小さく頷いた。
(雪杜と離れたくないのもあるが、また咲良に抱かれて眠れるかもしれないのじゃ)
その動きだけで、周囲の視線が柔らかくなる。
教室の端まで、ふっと緩む。
駆は何も言えずに、三人の並びを見る。
咲良の指は御珠の手を握ったままだが、目は雪杜から外れない。
御珠は咲良を見て、ほんの一瞬だけ瞳を甘くした。
二人とも口では穏やかなのに、欲が手元から漏れている。
そこへ自分が入ったら、紙一枚の距離で挟まれる。
駆の喉が鳴り、息を吸う場所を探した。
咲良が、その様子を見て、ふと手を叩く。
「あ」
勢いよく立ち上がるでもなく、声だけが真っ直ぐ飛んだ。
「あの……宮下先輩」
史がプリントを見ていた顔を上げる。
驚いた目が、咲良に固定される。
「……私、ですか?」
「合宿、一緒に出ませんか」
「え……私、二年生ですし。チームに入っても……」
咲良が声を落として、口元だけで言った。
「佐藤くんもいますよ……」
史の胸が、ふっと熱くなる。
その熱を、すぐに言い訳で包む。
(佐藤くん……。
また私の記録を使って、何か作るかも。
興味……そう、興味。
記録がまた形になるなら、見たい)
史は視線を一度だけプリントへ戻し、深く息を吸ってから言った。
「……分かりました。あなた達が何を作るのか興味があります。
記録も取れますし、参加します」
駆が即座に頭を下げる。
「ありがとうございます。先輩」
「メンバーは足りてるようですし、礼を言われるほどでは……」
「いいえ。マジで助かります」
言い切りが強い。
駆の本音が、そのまま出た。
(……三人の間に挟まらなくていい)
史が、駆の圧に少しだけ固まる。
「そ……そうですか。
一緒に頑張りましょう」
雪杜が人数を数えるように指を折り、笑った。
「これで五人。
ひとまず、これで提出しよっか」
「うん」
咲良が頷き、プリントをまとめる。
御珠は静かに立ち上がり、史の方へ一度だけ視線を置いてから戻した。
雪杜は頭の中で、別の数字も数えてしまう。
(御珠と二人分だと六千円か。
お小遣い足りるかな……)
ふと、御珠との二回目のデートの約束が脳裏をよぎる。
現実を一瞬忘れたくなって、雪杜は息を吐いた。
提出用紙を握った咲良が先に歩き出す。
五人分の足音が、PC室の床に揃っていった。




