第18話 小さな宣言
御珠が榊へ帰った翌日。
御珠は「寂しい」と言い出し、あっさり隣の布団へ戻ってきた。
結局、三日に一回くらいの頻度で一緒に寝ることになる。
離れていた時間を埋めるように、御珠はやたらと触れたがり、雪杜は危ないところを何度か踏みとどまる。
プリクラの写真を、御珠が咲良に見せびらかした。
咲良は即座に「ずるい」と返す。
その流れで、咲良とは二回目のデートをすることになり、翌日には恋愛映画とゲームセンターへ行く話が決まった。
すると今度は御珠が「咲良だけ二度はずるい」と言い出し、自分も二回目を要求しだした。
ただ、それがGW最終日だったため、御珠との二回目は翌週以降に持ち越しとなった。
こうしてデート三回と、雪杜の理性が試されるGWは終わった。
約束が一つ残り、生活のリズムだけが先に戻っていく。
朝、制服に袖を通す。
身体のどこかに、まだ夜の名残が貼りついている。
それでもチャイムは待ってくれない。
連休明けの教室は、思った以上にうるさかった。
休みの話題が飛び交い、机と椅子の音が重なっていく。
時間だけが、いつもどおり先へ進んだ。
そして、
「もうすぐ中間テストがありますよ」という一言が、何事もない口調で告げられた。
教室のざわめきが、ほんの少しだけ形を変える。
「え、もう?」
「中学って早くない?」
「範囲やば」
別の誰かが笑い混じりに言って、テスト範囲が書かれたプリントをひらひらさせた。
雪杜がプリントを見る。
ページがやたら多く見えて、指先が一度止まった。
(……小学校のテストと別物だ)
咲良も隣でプリントを覗く。
唇がきゅっと結ばれ、視線が文字を追う。
(順位がついちゃうのか。
雪杜、頭よさそうだな。
……二回目のデート……プリクラ……えへへ)
咲良は机の隅に置いた手帳へ視線を落とす。
貼られたシールが目に入って、口元が緩んだ。
御珠がプリントを受け取って、目を丸くする。
「……ちゅうかん、てすと?」
小声でぼそりと呟く。
それから、もはや特技になった首かしげを披露し、周りの呼吸が一瞬止まった。
御珠がプリントを裏返す。
すぐに表へ戻して、もう一度じっと見る。
(“範囲”とは、狩場の指定かの?)
三者三様の思いを抱えたまま、中間テストへ向かっていく。
―――
放課後のPC教室。
机の配置も、椅子の軋みも、もう見慣れた。
ここはいつの間にか、御珠と咲良が並ぶのが当たり前の場所になっていた。
「中間テストって何?」
御珠が真顔で言う。
咲良が一瞬だけ固まり、それから勢いよく首を振った。
「え、御珠ちゃんそこから!?
中間テストはテストだよ。
小学校と違って順位とかついちゃうんだから」
「ふーん。
点数取れないとどうなるの?」
咲良は指を折って考える。
言葉が出る前に、本人の眉が先に寄った。
「それは、えーっと先生に怒られるとか?
狙ってる高校にいけなくなるとか?
通知表にも低評価つけられちゃうよ?」
「なら私にはあまり関係ないね。
どうせいなくなるし」
咲良の目が、ぱちんと瞬く。
笑って流す余裕が消え、声がすっと落ちた。
「それはよくないよ御珠ちゃん。
どうでもいいかもしれないけど頑張ろ?
御珠ちゃんがそんなモチベーションだと雪杜もがっかりだよ?」
御珠は口を尖らせかけて、やめる。
目だけが泳ぎ、最後に小さく肩を落とした。
「うーん。やれるだけはやってみる……」
雪杜は隣で、マウスを指先で転がした。
(御珠。勉強苦手って言ってたもんな。
クラスで最下位とかにならないといいんだけど)
咲良の声が落ち着いたところで、教室の別の机から短いタイピング音が返ってきた。
駆が椅子を半歩だけ寄せる。
画面のフォルダを開いたまま、さらりと言った。
「先輩。自動スクリプト完成しましたよ。
スキャンした画像をこのフォルダに放り込んで、スクリプトを実行すると自動的にテキストを抽出してくれます」
史の肩が、ほんの少しだけ緩む。
「あ……ありがとう……」
(これは、一人で回す作業じゃない。
頼れる手があるなら、離したくない)
史は視線を落として、すぐに持ち直す。
手元の紙が、きちんと揃え直された。
「あの……お礼……
お礼をさせてください」
「気にしなくていいです。
部活動の一環なので。
俺も勉強になったし楽しかったので」
「そうですか……」
史の口元が、言葉を探して動く。
目が一度だけ遠くを見て、そこで止まった。
(そうだ)
「あの……抽出した内容を、自動的に整理するスクリプトは作れますか?」
駆が一瞬だけ目を瞬かせる。
「できなくはないです。
でも、その場合は整理の方針が必要なので……記録の中身を結構見ますよ?」
史の返事は、ほんの少し遅れた。
その遅れを消すように、すぐ頷く。
「……かまいません。
記録は、記録です。
私が見たものを残してるだけなので」
「……了解です。
じゃあ、先に確認したいことがあります。
“見られたくない”種類の記録は混ざってないですか?」
史は唇を結び、視線を外したまま答える。
「混ざってない……はずです。
もしあったら、その時は言います」
「分かりました。
過去の記録と、今の整理ルールをください。
それ見て作ります」
「はい。
これになります」
その日から、駆と史は記録整理の打ち合わせを重ねることになった。
―――
そして中間テストが始まる。
椅子を引く音が途切れ、紙を配る音だけが一定の調子で続く。
国語。
御珠は問題文を追い、筆先が止まった。
(書き手の声など推し量って何になる。読み手が受け取れば、それでよい)
社会。
年号と用語が並ぶ。
御珠の視線が一点に刺さったまま動かない。
(これは妾が見てきた。人は同じ過ちを繰り返す)
数学。
符号がひっくり返るたび、計算が別物になる。
(引き算が足し算に化ける。人間、器用じゃの)
理科。
現象の説明は読める。
けれど、設問の最後が急に遠くなる。
(現象は分かる。問われておる言葉が分からぬ)
英語。
短い文章が、呪文のように並ぶ。
御珠は眉を寄せたまま、静かに息を吐いた。
(二十六の文字ですべての声を?……何の試練じゃ)
こうして中間テストは終わった。
鉛筆を置く音がいくつも重なり、教室に息が戻っていく。
―――
中間テストから数日。
教室では答え合わせの話題が落ち着き、代わりに「順位」の二文字が小声で行き来し始めていた。
「はい。じゃぁ中間テストの結果を返しますよ。
名簿順に取りにきてください」
先生の声が、教室の前で乾いて響いた。
教室のあちこちから、あー、とか、うわー、とか、息を吐く音が上がる。
「なお、順位は個人票に印字してあります。
廊下の掲示板には学年の上位だけ張り出します」
言い終わる前から視線が動く。
椅子の脚が床を軽く擦った。
「助かった……」
「いや、上位は晒されるじゃん」
「それはそれで地獄」
咲良が雪杜の方へ身を寄せる。
声は小さいのに、距離だけは近い。
「雪杜は何点だった?」
「僕は……えっと、440点で8位だった」
咲良の目が丸くなる。
息を飲んで、それから口角が上がった。
「え!?なにそれすご!
私は……えっと、38位だった」
咲良が小さく拳を作る。
指先に力が入り、視線が前から外れない。
(……まずい。
期末で上げる。雪杜と同じ高校に行けない)
雪杜は自分の紙を握り直した。
それから前の席へ視線を送る。
(御珠は何点だったんだろ)
前の席の御珠は、個人票を受け取ると一度だけ目を落とした。
次の瞬間には紙を二つ折りにし、鞄の奥へしまう。
背筋は真っすぐだった。
表情も崩れない。
(……ふむ)
それだけだった。
―――
夕方。
玄関の鍵が回る音がして、家の中に静けさが戻った。
雪杜が靴を揃え、鞄を置く。
居間の方から、御珠の気配がする。
「……おかえりじゃ」
「ただいま」
雪杜は一度、自分の部屋へ向かいかけて足を止めた。
戻って、居間の方を見る。
「ねぇ。御珠は成績、どうだったの?」
「ん?妾の出来か」
御珠はあっさり頷いて、ちゃぶ台の端に置いてあった紙を取り上げる。
折り目を伸ばし、雪杜へ見せた。
「これじゃ」
国語:70
社会:85
数学:28
理科:45
英語:22
合計:250
順位:110/120
雪杜の喉が鳴る。
視線が点数の上を滑り、順位のところで止まった。
「み……御珠……これはさすがに」
「なーに」
御珠は口元だけ笑って、視線を紙から外した。
何でもないことのように扱う仕草が、余計に刺さった。
「妾はどうせ高校にはいかぬ。
問題なかろう?」
雪杜は言葉を探して、息を吸う。
点数の話だけじゃ届かないと分かっている。
それでも、ここで黙ったら終わる気がした。
「点数のためじゃなくていい。
僕が頑張ってる時に、御珠が“関係ない”って顔をしたら……
たぶん僕、寂しい」
御珠が瞬きする。
視線がほんのわずか揺れ、紙を挟む指が止まった。
「雪杜が……寂しい……」
「うん」
御珠はしばらく動かない。
紙を指で挟んだまま、考えるように固まっている。
それから短く頷いた。
「うむー。
雪杜のためじゃ仕方なかろう……
期末は、頑張ってみるのじゃ」
雪杜の肩から力が抜ける。
息が、やっと奥まで入った。
「うん。期末は一緒に頑張ろ」
「うむ。
雪杜と一緒であれば頑張れるのじゃ」
御珠が雪杜の袖を小さくつまむ。
引き止めるほどじゃないのに、離さない力だった。
「……ただし」
「ただし?」
「褒美が欲しい」
「褒美……僕にできることなら……」
「二回目のデートは、抹茶と甘いものを所望する」
雪杜は一瞬だけ考える。
(デートか。
むしろ僕へのご褒美のような。
……簡単な願いで済ませるところが、御珠だ)
「うん。二回目のデートは、抹茶のある和風カフェにしよう」
そう決めた瞬間、雪杜の頭の中に店の候補が浮かび始めた。
帰り道のコンビニ、商店街の甘味処、休日に寄れそうな古い喫茶店。
“美味しい”を探す理由が、一つ増えた。




