第17話 御珠ブレイク ― 余韻の先で ―
ゲームセンターの入口をくぐった瞬間、音が押し寄せてきた。
コインが落ちる音、ボタンを叩く音、スピーカーの派手な効果音が重なる。
光が床に散り、画面の色が人の顔を次々塗り替えて、鼓膜の奥までチカチカする。
「ほう……ここが、げーむせんたー」
御珠が見上げる。
眩しいのに目を細めず、全部を吸い込もうとしている顔だ。
「うん。僕も初めてきた」
雪杜も落ち着かない。
視線の行き場が忙しくて、肩が少しだけ上がる。
御珠はずんずん進む。
迷いがない。
人波を縫って進み、ふいに足を止めた。
画面いっぱいにゾンビが映る筐体。
暗い通路、血の色、うねる腕。
銃の形をしたコントローラーが二丁、前に突き出ている。
「……あれじゃ」
「ゾンビ退治だね」
「ぞんび……死人が動くのか」
「映画とかゲームのやつ」
御珠は顎に手を当てるような仕草で、画面を見た。
「理に反する」
「まぁ創作世界だから。なんでもありだよね」
「ふむ。雪杜との協力ぷれいを所望する」
「うん。やろう」
雪杜が硬貨を入れる。
機械の奥でコインが跳ね、スタート音が鳴った。
画面の「INSERT COIN」が消えて、派手にタイトルが弾ける。
二人分の銃を手に取る。
御珠は握った瞬間、構えが決まった。
肩の入れ方も視線も、妙に様になっている。
「すごい。なんか上手そう」
「神じゃぞ」
言い切るのが癪なのに、今の構えだと否定できない。
ゲームが始まる。
画面は暗い通路を映し、足音が響く。
湿ったうめき声が近づき、奥がざわついた。
「来たの」
御珠が撃つ。
狙いはいい。
弾がピタリと頭に吸い込まれて、倒れる演出が気持ちいい。
しかし、次々現れる。
二方向から詰めてくる。
引き金が追いつかない。
「多いの」
「多いね!」
雪杜も撃ちながら声が上ずる。
二人の銃声が重なり、スピーカーが悲鳴を返す。
警告音。
画面の端に「RELOAD」が点滅する。
「……れ…ろ…あ…?」
御珠が読んだ瞬間、雪杜の喉が反射で動いた。
「弾切れ!横のボタン!」
御珠が銃を見て固まる。
指が一瞬迷って、銃口がわずかに下がった。
その隙に、画面のゾンビが距離を詰める。
腕が伸びる演出が、嫌なほど丁寧だ。
「むっ――」
噛みつかれる。
ぎゃっと派手な音。
画面が暗転する。
GAME OVER
御珠が動かない。
銃を握ったまま、画面を見つめている。
「…………」
雪杜は言い訳を探して、結局正直に出した。
「……リロード。間に合わなかったね」
「弾ごとき、いくらでも作り出せるであろう」
「本気で言ってるから困る……」
御珠がふっと息を吐いて、銃を構え直す。
悔しさがその動作に出ていた。
「次は勝つ」
「うん。今度はボタン、最初に覚えよう」
雪杜が追加で硬貨を入れる。
またコインが跳ね、スタート音が鳴る。
画面が再び暗い通路へ戻った。
御珠が銃を取り直し、今度は横のボタンを指で確かめた。
「今度は“れろあ”するのじゃ」
「リロードね」
言い直しながら、雪杜も構える。
二人の声が重なり、銃声がさっきより軽く走った。
今度は倒す手応えが、途切れずに続いていく。
―――
ゾンビ退治はステージ3の硬いボスに押し返され、二人ともまとめて倒された。
そのまま筐体を離れて、次の遊びを探す。
ゲーセンの一角に、光の柔らかい箱が並んでいた。
銃声や爆発音から離れたこの辺りだけ、響きが角を落としている。
カーテンの向こうから笑い声が漏れ、機械の案内音がやけに明るい。
御珠が足を止めて、筐体を見上げる。
「……これは何じゃ」
「プリクラ」
「ぷりくら」
御珠は口の中で転がすように言って、画面の見本へ視線を戻す。
「写真をシールにできるんだよ」
「ふむ。“しぃる”とな」
見本の画面には、目が大きい二人組。
頬が不自然に白く、輪郭まで丸い。
「理が曲がっておる」
「まぁデフォルメしてるからね」
御珠はじっと見続けたあと、ふいに頷いた。
「ふむ。やってみたいのじゃ」
「……うん」
雪杜は返事をした時点で、もう逃げ道がないのを悟った。
御珠の“やってみたい”は、だいたい本気だ。
二人は小さなカーテンをくぐる。
中は狭い。
肩が当たりそうな距離で、息の場所まで近い。
「近いの」
「そ、そういうものだから」
雪杜は言いながら背中を壁に寄せた。
寄せたところで、距離はほとんど変わらない。
撮影のカウントが始まる。
機械の声が妙に元気だ。
3、2、1
「……よし」
御珠が雪杜の腕を絡めとる。
迷いがない。
体温が腕に移って、雪杜の喉が詰まった。
「……っ」
「どうしたのじゃ?」
御珠はいたずらっぽく笑う。
照れを楽しんでいる顔だ。
「いや……近い」
「デートとはこういうものであろ?」
「う、うん……そうだね」
雪杜は負けを認めるように頷く。
カメラの赤い点が点滅して、次のカウントへ移った。
御珠がちらっと画面の指示を読む。
「ふむ。次はどうするかの」
「うん……なんでも」
投げやりな返事のつもりでも、御珠は真面目に受け取って考え込む。
それから指で小さく輪を作った。
片手だけで、不器用に。
「おお、こうか」
「それ、よく見るやつ」
撮影。
フラッシュ。
画面に二人の顔が映る。
「ほう。妾の目がでかい」
「でかいね」
「これは……人間の美の理か」
「まぁそういう人もいる」
御珠は納得したように頷いて、次のカウントへまた構え直した。
雪杜はそのたびに距離を意識して、呼吸の仕方を忘れそうになる。
撮影が終わる音が鳴る。
画面が切り替わり、編集画面が流れていく。
外へ出る。
プリント待ちの機械が唸り、内部で何かが動く音がした。
「楽しみじゃ」
「……うん」
雪杜の返事は小さい。
さっきのフラッシュがまだ目に残っている。
シールが出てくる。
御珠が両手で受け取り、手の中の紙をじっと見下ろした。
「……ふむ」
「どう?」
御珠は一枚、雪杜に渡す。
「証拠ができた。
デートの記録じゃ」
雪杜はシールを見て、少しだけ黙った。
並んで笑っている自分たちがいる。
人形のように目は大きいのに、笑い方だけは妙にそのままだ。
御珠がぽつりと言った。
「……よいな」
「……うん。悪くない」
御珠はシールを大事そうにしまう。
拾った宝物をしまうときの手つきで、丁寧に。
雪杜も自分の分を指で挟んだまま、しばらく動けなかった。
―――
ゲーセンの奥へ進むと、響きが少し低くなり、足音が反響した。
ぬいぐるみの列が続き、ガラスの箱がずらりと並んでいる。
中の景品はどれも同じ顔で、同じ角度で寝転がっていた。
御珠がふいに足を止める。
「……あれは」
「ん?」
雪杜が視線を辿る。
ガラスの向こう。
小さなマスコットが、ほかより少し奥に置かれている。
胸のマークが、さっき観た映画のそれによく似ていた。
「空の理が、ここにもある」
「コラボだね」
御珠は顔を近づけて覗き込む。
ガラスに映る自分の顔と、マスコットを交互に見る。
「欲しいの」
「いいよ。やってみる?」
「妾がやる」
「え、できるの?」
「神じゃぞ」
言い切りに負けて、雪杜は何も言えなくなる。
硬貨を入れると、軽い音がして画面が切り替わった。
操作音。
アームが初期位置に戻る。
御珠はレバーを握る。
さっきまでの遊び顔が消えて、目が真剣だ。
「……この腕は、理で動くのか」
「理じゃなくて機械だよ」
「理じゃな」
納得したように頷き、御珠はレバーをゆっくり動かす。
止める。
視線を固定して、画面を見つめた。
「今じゃ」
ボタンを押す。
アームが降りる。
空振り。
アームが景品に触れもせず、床を撫でて戻っていく。
「……なぜ」
「この手のやつ、握力にムラあるんだって」
「む」
御珠は納得していない顔で、もう一枚硬貨を入れようとする。
その手に、雪杜がそっと手を添えた。
「次、僕がやる」
「……頼む」
場所を交代する。
雪杜がレバーを握る。
「握力がなくても取れる位置が大事。あと角度」
「角度……理か」
「もう理でいいよ」
雪杜は慎重に位置を合わせる。
画面の影と、アームの先を何度も見比べる。
「今じゃ」
「……今」
ボタン。
アームが降りる。
マスコットを掴む。
一瞬、持ち上がる。
「おお」
期待が声に出る。
次の瞬間、するりと落ちる。
転がって、穴の手前で止まった。
「……惜しい」
「惜しいね」
御珠は悔しそうに唇を尖らせた。
さっきまでの理論はどこかへ消えている。
「妾が、もう一度」
「うん。交代でやろう」
硬貨。
操作音。
二回、三回。
掴めそうで、掴めない。
持ち上がっては、落ちる。
「理不尽じゃ」
「クレーンゲームってそういうもの」
「納得できぬ」
「納得できないから、やる」
「うむ」
妙な結託が生まれる。
次の一回。
雪杜が狙う。
今度は、ほんの少しだけ横から引っ掛ける。
アームが降りる。
引っ掛かる。
ずるりと位置が動く。
そのまま、穴の上へ。
ぽとん。
一瞬、音が抜けた。
「……!」
御珠が両手を握る。
声が出ない。
「取れた」
雪杜が言うより早く、御珠は景品口へ手を伸ばしていた。
マスコットを持ち上げ、そのまま胸に抱く。
「勝ったの」
「勝ったね」
「そなたとの思い出の品じゃ」
「う……うん」
雪杜は照れて目を逸らす。
耳の奥が熱い。
御珠は満足そうに頷き、マスコットを大事そうにしまう。
落とさないように、抱え直す手つきがやけに丁寧だった。
その後、袋の数が一つずつ増えていく。
雑貨屋を覗いて、小さな星のキーホルダーを買った。
御珠は映画の余韻をそのまま握りしめるように、袋を胸に寄せる。
歩くたびに中で紙が擦れて、その音まで弾んでいる。
本屋ではSF棚の前で足が止まる。
背表紙を指先でなぞり、タイトルを声に出さず追っていく。
迷った末に、薄い文庫が一冊増えた。
雪杜は会計を済ませてから、御珠の歩幅に合わせて通路を流していく。
人を避けるたび、袋が軽く揺れて、手元の重さが少しずつ増えていった。
気づけば、買い物袋が二つ。
御珠の満足そうな横顔だけは、ずっと明るいままだった。
―――
モールを出る。
外の光がやわらいで、空の色が変わり始めている。
ガラスの自動ドアが閉まる音が背中で遠ざかり、冷えた風が頬に触れた。
人の流れも少しずつ細くなる。
昼の賑やかさが、背中に置いていかれる。
靴音がやけに響き、自分の呼吸まで耳に戻ってきた。
御珠は歩きながら、買い物袋を見下ろす。
中身の重さを確かめるように持ち手を握り直し、指を一本立てた。
「映画、げーむ、ぷりくら、買い物」
一つずつ、指で数える。
最後に親指まで立てて、うむ、と頷いた。
「デートは、成功じゃな」
「成功基準、そこなんだ」
「当然じゃ。
きちんと積み上がっておる」
言い切る顔が誇らしげで、雪杜は笑うしかない。
御珠の中では今日一日が、きっちり“成果”として整理されている。
雪杜は空を見上げる。
夕焼けが、建物の縁をなぞっている。
さっきまで青かった空が、橙へ寄っていく途中だった。
「もう、こんな時間なんだね」
「ふむ。
では最後じゃ」
「最後?」
雪杜が聞き返すと、御珠は立ち止まり、振り返った。
夕暮れの光が髪に引っかかり、目だけが妙にくっきり見える。
「公園じゃ」
「……なんで?」
「デートの総括は公園と相場が決まっておる」
「またスマホ知識?」
雪杜が半笑いで言うと、御珠は一瞬だけ口をつぐんだ。
それから、ほんの少しだけ声を落とす。
「……妾なりの考えじゃ。
静かなところで、そなたと語らいたい……」
雪杜は息を飲む。
胸の奥がふわりと持ち上がり、鼓動が早くなる。
自分でも分かるほどで、喉が乾いた。
昨日は咲良に、今日は御珠に振り回されている。
いつかキュン死するかも、などとくだらないことが頭をよぎる。
笑うしかないのに、笑ったら壊れそうで、口が閉じたままになる。
「うん、行こっか」
返事をすると、御珠は満足そうに先を向いた。
袋が揺れ、足取りが少しだけ軽くなる。
二人の影が、夕暮れの道に長く伸びていく。
並んだ影だけが先に歩き出し、静かな方へ導いていた。
―――
公園の小道を抜けると、街灯の輪が地面を丸く照らしていた。
遠くで車の音が流れ、木の葉が擦れて小さく鳴る。
ベンチに並んで座る。
買い物袋は足元へ置かれ、紙の持ち手が少しだけよれていた。
御珠は空を見上げたまま、呼吸を整えている。
白い息は出ないが、喉の奥に冷えが触れているのが分かる。
「……寒くない?」
「平気じゃ」
「そっか」
御珠は胸の前で、取ったばかりのマスコットを握る。
指先が布を確かめるように動き、縫い目をなぞって止まった。
「今日のデートはどうじゃった?」
「うん。楽しかったよ」
御珠は小さくうなずいた。
マスコットを握り直し、短く息を吸って吐く。
「映画は理が広く」
「うん」
「ゲームは理不尽で」
「うん」
「プリクラは……理が曲がっておった」
「うん。曲がってたけど笑ってた」
「そうじゃな。笑っておった」
雪杜が小さく笑う。
御珠も、つられるように笑った。
笑い声が引くと、夜の音が戻ってくる。
御珠が急に真面目な顔になる。
雪杜の横顔を見ていた。
「雪杜」
「ん?」
「妾は、今日」
言葉が止まる。
御珠は一度だけ息を吸い、喉を鳴らさずに吐いた。
「……雪杜が、ずっと嬉しそうで」
「僕?」
「うむ」
短く頷いてから、御珠は言葉を重ねた。
「それが、妾は、よかった」
雪杜は返事を探して、視線を落とす。
足元の光の輪を見つめた。
自分の靴先と、御珠の靴先が、近い。
「僕は……御珠が楽しそうだったから」
「妾は、いつも楽しい」
御珠はすぐに言い切ってから、少しだけ声を落とした。
「じゃが今日は、別じゃ」
「別?」
御珠はマスコットをぎゅっと握り、膝の上に置く。
布が少し潰れて、すぐに戻った。
「待ち合わせをした。
手も握った。
同じ画面を見た。
同じ場所で笑った」
一つずつ、確かめるように言う。
数えるようなのに、数だけでは終わらない。
「それが……
妾には、たまらなく嬉しい」
「……うん」
雪杜の声がかすれる。
御珠は雪杜の手元を見る。
指先が少し動き、迷ってから止まった。
「妾は、雪杜が好きじゃ」
「……うん」
「出会った時から、ずっと――
いまも、もっと」
雪杜の喉が鳴る。
言葉が出ない。
でも、顔は逸らさない。
御珠は雪杜の肩に、そっと額を寄せる。
強くは当てない。
触れるだけの重さで、そこに置いた。
「妾は、学校では引いておる。
雪杜が困らぬように」
「うん。分かってる」
「だが、家では……
こうしていたい……」
雪杜は小さく息を吐く。
手の甲で、御珠の髪を撫でた。
指先に柔らかさが引っかかって、すぐにほどける。
「うん」
御珠はそれだけで満足したように、目を細めた。
「雪杜は、優しいの」
「優しくないよ」
「優しい」
言い切られて、雪杜は負けを認めるように口を閉じる。
「……御珠の方が、優しいよ」
「妾は神じゃぞ」
「それ、関係ある?」
「関係ある」
「はいはい」
二人の声が、夜の闇に小さく溶ける。
笑いの余韻だけが残って、また静かになった。
御珠は顔を上げて、空を見る。
「星は、きれいじゃな」
「うん」
「……雪杜の一生は」
言いかけて、御珠は止めた。
唇がわずかに開いたまま閉じ、視線だけが揺れる。
「……なに?」
「なんでもないのじゃ」
御珠は笑って、言葉を切る。
だが指先だけが、雪杜の手を探す。
迷いながら触れて、そこにいることを確かめるように止まった。
雪杜はそれを受けて、手を重ねる。
指を絡めるほどではなく、逃げない位置に置く。
「……もう少し、ここにおってよいか」
「うん。もう少し」
二人は並んで、空を見上げ続ける。
街灯の輪の外で、葉の擦れる音だけが続いていた。
―――
ベンチに腰を下ろし、手は重なったままだった。
指先の位置がじわじわ変わり、互いの熱を確かめ合う。
御珠は星を見上げていたが、ふいに視線を下ろす。
雪杜の横顔を、まっすぐ見つめた。
「……雪杜」
「ん」
御珠は言葉を探すように、口を開いて閉じる。
そのまま、雪杜へ近づいた。
肩と肩の距離が消えていく。
雪杜は身を引かない。
呼吸が浅くなり、胸の奥が忙しくなる。
唾を飲む音が、自分の耳にだけ大きい。
御珠の指が、雪杜の手をぎゅっと握った。
「……今日、よかった」
「うん」
「妾は……」
続きが出ない。
代わりに、視線だけが雪杜の唇に落ちる。
雪杜はそれに気づく。
気づいたまま、目を逸らさない。
逃げたら、今日が終わってしまうと思った。
距離が詰まり、御珠の額が雪杜の額に触れる。
吐息が混ざり、熱が近づく。
昼間見たスクリーンの、唇が重なる場面がよぎる。
それに重なるように、前に一度だけ交わした感触が戻ってくる。
雪杜は目を閉じかけ、御珠も息を詰めた。
その瞬間。
御珠の肩が、わずかに強張った。
「……っ」
御珠は一度だけ呼吸を止める。
片手が胸元へ行きかけて、途中で止まる。
押さえるのではなく、そこへ意識を集めるように。
「御珠?」
御珠は首を振る。
すぐに息を整えようとして、深く吸い直した。
「……だめ、じゃ。
これ以上は……」
「え」
御珠は雪杜から、はっきりと距離を取る。
一歩分。
それだけで、息が離れた。
「思いが……溢れる……」
声は震えていない。
ただ、抑え込んでいる。
「……呪い?」
「……うむ。
そなたが苦しむ前に……早くひかねば……」
御珠は目を伏せる。
唇を噛む代わりに、深く息を吐いた。
「こんなにも愛おしいのに……
抑えねばならぬ……」
雪杜は言葉を飲み込む。
責める気になれない。
目の前の御珠が、踏みとどまっているのが分かるからだ。
「……ごめん」
思わず出た言葉。
「雪杜のせいではない」
即座に、きっぱりと。
「妾が、欲張っただけじゃ」
雪杜は手を伸ばす。
触れていいか迷って、途中で止まる。
指が宙に浮いたまま固まった。
御珠はその手を見て、先に自分から重ねた。
震えは、もう引き始めている。
「……手なら、よい」
「うん」
雪杜はゆっくり握り返す。
強くしすぎないように、でも離れないように。
「帰ろうぞ」
「うん。帰ろう」
ベンチから立つ。
夜の冷えが頬を撫で、肌の熱だけが残った。
歩き出すと、街灯の光が二人の影を並べる。
手を繋いだ影が、同じ速さで伸びていく。
御珠は歩きながら、小さく言う。
「妾は、雪杜が好きじゃ」
雪杜は短く息を吸って、声を落とした。
「……うん。僕も大好きだよ」
御珠が目を見開く。
足が止まりかけて、すぐに追いつく。
「またさらりと……照れさせるでない」
「でも御珠が先に言い出したんだし」
御珠はそれ以上言わない。
手だけを強く握った。
雪杜も、離さない。
公園を出る。
家の方角へ、二人の足音が重なっていく。
夜の道は静かで、繋いだ手だけが確かな音を持っていた。




