【閑話】第3.3話 嬉しくて、苦しくて
窓の外にうっすら積もった雪が、朝でも夜でもないみたいな静けさを作っている。
その白さをぼんやり見つめながら、私は枕を抱えたまま動けずにいた。
あの日のこと……ぜんぶ覚えてる。
教室の空気が急に変になって、みんなが雪杜くんばかり見てて、息を吸うたび胸の奥が、ゆっくりひび割れるみたいに痛くなって……そして──。
胸が“ピシッ”って割れたあの瞬間。
あれが今でも耳の奥に残ってる。
鼓動の音と一緒に、何度も蘇ってくる。
「“好きになって、ごめんね”って……言っちゃったんだよね……」
声に出すと、自分の言葉なのに、他人のものみたいに遠く聞こえた。
泣きながら言ったんだ。
雪杜くんの驚いた顔……忘れられない。
私の“好き”が全部こぼれ落ちていって、拾う間もなく床に広がってしまった、あの感じ。
思い出すだけで胸が痛い。
ひびが入ったところを、指で触れられてるみたいに。
お母さんにも迷惑かけちゃったな……
どうやって帰ったのか、ちゃんと覚えてない。
気づいたら布団にいて、気づいたら泣いてて、気づいたら今日になってた。
あの日の心の形だけが、まだ胸の中で割れたまま動けずにいる。
───
布団にもぐったまま天井を見ていた。
寒いわけじゃないのに、身体がずっと震えてる。
動きたくない。動けない。
……もう学校、行けないかもしれない。
みんな変になっちゃったし……雪杜くんも……あのままどうなるんだろう。
「……なんで、こんなに苦しいんだろ……」
声が布団の中で吸われて、自分のじゃないみたいに小さかった。
苦しいのは私じゃなくて、雪杜くんだったはずなのに。
あの日の顔……寂しそうで、今にも壊れそうで……
胸がぎゅって潰れた。見てられなかった。
助けたいって思ったのに……
もしかして、私がもっと苦しくさせちゃったの……?
その可能性が浮かぶだけで、息が浅くなった。
胸にそっと手を当てる。
鼓動が弱くて、心だけがすごい音で暴れてる。
「……好きになって、ごめんね……」
言葉はすごく軽いのに、喉の奥が熱くなる。
でも……もう戻れないよ……
あの日こぼれた気持ちはもう拾えない。
形が崩れたまま、胸の奥に沈んでいく。
お母さんも……ごめんね……
心配かけてばっかりで……
泣き疲れた子どもみたいに丸くなって、冬休みの時間だけが、私を置いてどこかへ流れていった。
───
雪が敷きつめられた境内は、空気まで白い。
私の部屋の窓から、鳥居がちょうど見える。
息を吐くたびに胸の奥のざわつきまでいっしょに溶けていきそうで、ただ、カーテンの隙間から外を見つめるしかできなかった。
そんな時だった。
雪杜くんと……御珠ちゃんが、並んで歩いてきた。
白い息がふたつ、寄り添うみたいに空へ消えていく。
……手をつないでた。
その瞬間、胸がぎゅってつぶれた。
痛いのに、目をそらせなかった。
痛いのに……胸の奥のどこかが、ふわってゆるんだ。
「戻ってきてくれたのは嬉しいの。
でも──また娘を泣かせるつもりなら、もう近づかないでちょうだい」
お母さんの声が、冬の境内をまっすぐ切り裂いた。
あんな顔で怒るなんて……私のために、ここまで怒るなんだって、胸の奥でじんと熱くなった。
「見た限り、あなた達……付き合い始めたみたいだし」
……そう、なんだよね。
あの手のつなぎ方は、どう見ても“特別”だった。
ただの友達じゃない。
私が入る余地なんて、きっとほとんどない。
胸が痛いのに、ちゃんと嬉しい。
どうしたらいいのか分からない気持ちが、喉の奥までつまっていく。
「待って、お母さん!それは違うわ!」
気づいたら声が出てた。
空気が一瞬止まった気がした。
止められたくなかった。
“近づかないで”とか言ってほしくなかった。
私自身が――逃げたく、ない!
……だって“好き”って言ったのは私だから。
あの日、胸が割れたみたいに痛くて、全部こぼれ落ちた。
雪杜くんの驚いた目も、震えた声も、あの時の涙も……全部覚えてる。
あの日の痛みも“好き”も、どっちも“私”なんだよ。
どっちもなかったことになんてできない。
だから……勝手に終わらせてほしくなかった。
ちゃんと、私の口で言いたかった。
雪杜くんと御珠ちゃんを見た瞬間、悔しくて、苦しくて……
胸の奥がきゅって縮んだ。
でも、不思議と……ほっともしたんだ。
雪杜くんが、すごく落ち着いてたから。
あの日みたいに壊れそうな顔じゃなくて、ちゃんと“帰ってきた顔”をしてた。
「……本当に、帰ってきてくれてよかった……」
その言葉は、私の中でどこにも嘘がなかった。
胸が痛くても……嬉しかった。
そんなふうに感じられる自分が、少しだけ救われた気がした。
お母さんの言葉も、御珠ちゃんの目も、雪杜くんの表情も……全部怖かった。
でも、あの日“好き”って言った私が、どうしたいのかは……
逃げずに自分で決めたかった。
逃げないって、あの日の続きからちゃんと始めたかった。
胸が割れたみたいにこぼれ落ちた気持ちを、もう一度、自分の手で持ち上げたかったんだ。
───
初詣のあと。
夕暮れの境内はほんのり朱くて、雪の白さに溶けるように淡かった。
息を吐くたびに白が揺れて、冬の冷たさの中で、胸の奥だけがゆっくりと温まっていく。
「“好きだった気持ち”を誤魔化したまま終わりにしたくない。
これからは……友達として、ちゃんと向き合いたい」
言った瞬間、胸の奥がひゅっと縮んだ。
御珠ちゃん、怒るかな……って思ったけど、それでも言わなきゃ前に進めなかった。
御珠ちゃんは一歩前に出て、まっすぐ私を見た。
「……咲良。
そなたの気持ち、しかと受け取った。
ならば妾とそなたは……『らいばる』というやつじゃな。
妾、負けはせぬぞ。
じゃが──争う気はない。
そなたが雪杜を想うように、妾も雪杜を想うだけのことじゃ」
強そうに言ってるけど……きっとちょっと嫉妬してる。
でも、それがなんだか安心でもあった。
私も争う気はないの。
ただ、雪杜くんのそばにいられたら、それだけでよかった。
仲のいい二人を近くで見ていられるなら……
少しくらい胸が痛くても、きっと大丈夫。
「……三学期、また学校に行くね。
前みたいには戻れないかもしれないけど……
“友達として”……ちゃんと隣にいたい」
言葉にするたび、足元が固まっていく感じがした。
逃げない。
胸が割れたあの日の痛みも、泣いた声も……
全部抱えたまま進む。
あれは私の一部だから。
忘れないし、捨てない。
ゆっくり空を見上げる。
白い冬空の奥に、ほんの少しだけ春の気配が混じっていた。
「……三学期、楽しみだね」
あなたが笑ってくれるなら……
それだけでいいんだよ。




