第12話 神衣と、常識
日曜の午後。
ショッピングモールの通路は人の流れでうねっていて、フードコートの油の匂いと甘い匂いが重なり、入口から引き込まれる外気が肌にまとわりつく。
その真ん中で、咲良の声だけがやけに遠くまで届いた。
「雪杜ー。御珠ちゃーんこっちー」
近くのカップルがちらっと振り向く。
「さ、咲良、声大きい」
「咲良はいつも元気じゃの」
「結局ジャージにしたんだね」
「うむ。雪杜が目立ちたくないと申してな。
妾の正装じゃというのに」
「ジャージでもそこそこ目立ってるよ?」
袖をつまんで、御珠が自分の服を見下ろす。
口元がむっと歪み、納得していないのが見て取れた。
雪杜が咲良の肩に寄って、小声で耳打ちする。
視線だけは周りを警戒したまま、声だけを落とした。
「ただでさえ両手に花なのに、これ以上目立ちたくないよ。
ジャージなら、御珠をあやしてる関係者二人に見えないかなって」
「もー。御珠ちゃんに失礼だよ」
雪杜の肩が、ほんの少し沈む。
それで済ませればいいのに、口が勝手に滑った。
「僕、いる?」
言ってしまってから、雪杜は自分の頬を引きつらせる。
冗談にしたかったのに、喉の奥が変に乾いた。
「必要じゃ」
「絶対必要」
二人の返事が被る。
雪杜は面くらって、瞬きをひとつ遅らせた。
周りのざわめきより、この二人の視線のほうが逃げ道を塞いでくる。
「あ、はい」
「じゃー早速いこう。まずジャージ脱却だね」
「妾、巫女服でよいのじゃが」
さらっと言う声。
冗談なのか本気なのか判別しにくい目で、御珠が咲良を見る。
「いいの。ほらほら早く」
咲良が御珠の背中をぐいぐい押す。
御珠は「む……」と言いかけて、結局そのまま押されるように歩き出した。
「わ……ま、待ってよー」
雪杜が慌てて追いかける。
人の波に肩をかすられながら、二人の背中に置いていかれないように足を速めた。
―――
店の前だけで、光が変わる。
白い照明が肌を平らにして、壁のように並ぶ色つきの服が視界を埋める。
棚と棚の通路を、同世代の女子がすいすい行き来していて、咲良の足取りが一段軽くなった。
「わっ、ここにしよ!ここ!」
「布が多いの。布が元気じゃ」
「う……女性服だらけ……
僕、あっちでガチャガチャ見て来るね」
「ダメー。ちゃんと御珠ちゃんの服選んであげて」
「え、僕がいても……」
「むー」
「は、はい。付き合わせていただきます」
咲良は迷いなくハンガーを引っこ抜く。
色も形も、最初から決め打ちの速さだった。
「ねぇねぇ。これ!かわいい!」
「いきなりじゃの」
店員の声が、ちょうどいい距離で差し込んでくる。
「試着室お使いになりますか?」
「はい。
御珠ちゃん、こっちこっち!」
「うむ……」
「僕、やっぱり……」
「雪杜も。ほら一緒に」
咲良が雪杜の腕を引っ張る。
「ち、ちょっと!」
雪杜は抵抗するタイミングを失って、試着室の前で立ち位置に困ったまま縮こまった。
(うぅ……みんな見てる。
もう帰りたい)
カーテンの向こうに入ると、外の明るさが少しだけ遠のく。
咲良が手元の服と御珠を見比べて、いったん固まった。
「……え。御珠ちゃん」
「なんじゃ」
「ジャージの下に……何も着てないの!?」
「ん?何か必要かの?」
「シャツとか、肌着とか……インナーとか!」
「ふむ。肌着はなんとなく分かるの」
咲良は昨日の光景を思い出して、言葉が勝手に加速する。
「え!でも昨日、普通にボウリングしてたよね?
ってよく見たら何これ!?ジャージっぽい何かだった!
ジッパーっぽい何かだし、肌着っぽい何かがくっついてて、外から見たら普通に見えるだけだった!」
御珠は平然としている。
説明する内容だけが、やたらと神様だ。
「それは妾が雪杜のジャージを参考に作った神衣じゃ。
まぁ妾の皮膚みたいなものじゃの」
「ひ……皮膚……」
咲良は反射で指先を引っ込め、眉をきつく寄せた。
「むー。そなたでなければ神罰がくだるところじゃぞ」
「と、とにかく神衣はダメ!
人間社会で生きていくなら、周りの人と同じにして!」
「そうは言ってもの……
雪杜は何も着ていない方が好きみたいじゃしの」
「もう!何なのあのむっつりスケベ!」
咲良は、一瞬だけもう彼女やめよっかなと思った。
そして、その一瞬をなかったことにする速さで、次の行動に切り替えた。
「先に下着売り場に行くよ!」
勢いよく試着室から出ると、雪杜が真っ赤な顔でうつむいていた。
耳まで染まっていて、目が泳いでいる。
「あ……あの、その……」
「え……えと、先に御珠ちゃんに常識を叩きこむことにしました……」
雪杜の頭の中で“むっつりスケベ”がぐるぐる回り、このあとどんな顔してついていこうかと本気で悩むのであった。
―――
下着売り場の一角だけ、背すじが伸びる。
パッケージの写真がずらっと並んでいて、機能の説明がやたら丁寧だ。
咲良は迷わず御珠の前に立って、手元で棚を指し示した。
「これが肌着。
服が直接肌につくのを防いでくれるの。
洗濯にも強くて乾きやすいから、普通は毎日替えるよ」
「ふむ。妾、汚れることがないので不要じゃの」
「いいから着て!」
咲良は間髪入れず、次の棚に手を伸ばす。
もう止める気がない速度だ。
「そしてこれがスポブラ。
体育でも使えるし、動いてもズレにくいの」
「サラシでもよいかの」
「で、こっちはブラトップ。
肌着と合体していてこれ1つでいいからとっても楽」
「合体……神衣に近いの」
咲良はもういちいち突っ込まなくなっていた。
突っ込むと負けるやつだと悟った顔をしている。
「ねえ。もしかして制服の下も何も着てないの?」
「ん?そうじゃが?」
「はいはい……制服っぽい何かだったのね……
靴下とか、あれも全部、それっぽい何か……」
「便利であろ」
「もう何なのこの神様」
雪杜はその会話の横で、完全に行き場を失っていた。
視線の置き場を探すたび、よりまずいものが目に入りそうで、息が短くなる。
「あの。その。もう帰ります。ごめんなさい」
雪杜はもう限界であった。
「ダメ!
雪杜はいままで御珠ちゃんに常識教えなかった罰」
逃げ道は塞がれた。
雪杜は耳まで熱くしながら、この場をやり過ごす。
結局、御珠にインナー類を数着買い、その場で着てもらうのであった。
今後は神衣ではなく普段から使うように口酸っぱく言い聞かせる。
この後、家に帰ってこれをどこにしまっておくかでまたひと悶着起きるが、それはまた別の話。
「はい。荷物持ち」
咲良は雪杜に、御珠のインナー類が入った紙袋を渡す。
雪杜はこれが罰ゲームなのかご褒美なのか分からなくなってきていた。
「はぁ。なんか疲れた……
ちょっと休憩しましょう」
「そ……そうだね」
「大福もちが食べたいのぅ」
―――
カフェの席に腰を落とすと、さっきまでの人波がいったん遠のく。
テーブルの上に紙コップとトレー。
ストローの袋を破る音が、やけに大きく聞こえた。
「コーヒー飲んでると、なんか大人になった気がする。
砂糖いっぱいだけど」
「僕はコーラだけどね」
「この苦い汁はなんじゃ。
抹茶はないかの」
「さて。やっとお洋服見にいく準備が整ったね。
この後は御珠ちゃんのお洋服見にいくよ。
正直もう疲れたけど、ゴールデンウィークまで時間ないし」
「ん?ゴールデンウィークどっか行くの?」
「!!
な!何でもない!」
咲良は紙ナプキンを細く折りはじめて、目をそらす。
指先だけが妙に忙しい。
インナーのドタバタで本来の目的が薄れかけていたが、咲良が強引に軌道修正する。
飲み物を飲み切るより先に、三人は席を立った。
さっきの店へ戻ると、明るい照明と色の壁がまた視界を埋める。
咲良は自分の分も当然のように選びはじめた。
「私もこれ着てみようっと。
御珠ちゃんは……これとかどう?」
「うむ」
雪杜は試着室の前で待つ。
さっきほど足の置き場に迷わない。
壁のポスターも、今はそこまで脅威じゃなく、前より慣れたのか慣れたふりが上手くなったのか、視線がぶれない。
「じゃーん」
咲良が試着室から出てきて、生成りのカーディガンの前を指でつまむ。
中は白のカットソーで、襟ぐりに細いレースが一周していた。
ネイビーのプリーツスカートは膝の少し上で止まり、歩くたび折り目がきちんと揺れる。
足元は白いソックスに茶色のローファーで、つま先が小さく光った。
「どうじゃ?」
御珠は白いシャツの上に、黒のジャンパースカートを重ねている。
肩ひもは細く、胸元は四角く切り取られて、形だけがきっちり決まっていた。
スカートは膝の少し上で止まり、歩くと揺れるのに、折り目は崩れない。
色は少ないのに、どこにも手抜きがなく、服そのものが整ってしまっていた。
雪杜は反射で顔が熱くなる。
目をそらすのも失礼で、見すぎるのも危なくて、ちょうどいい視線の角度を探して失敗した。
「に、似合うと思うよ……」
「よし。じゃあ私これにしよーっと」
「うむ。妾もこれにするのじゃ」
(やっと終わる)
終わりかけたところで、咲良が雪杜を見た。
言いにくそうに、でも逃げない目をする。
「その……雪杜は何か買わないの?」
「えっ、僕!?僕は別に……」
「何か買おうよ……選んであげるから……」
「そう?じゃあ僕も……」
そのまま量販店へ引きずられて、咲良に一式を選ばれる流れになった。
白に近いシャツと、濃すぎない色のパンツで、どれも目立たないのに今まで着ていたものより少しだけ新しい。
雪杜は試着室から出てきて、ぎこちなく立つ。
「ど、どうかな……」
咲良は一瞬だけ顔を赤くして、視線を外しそうになって、踏みとどまる。
「うん……いいと思う……」
こうして三人は新しい服を手にいれるのであった。
―――
帰り道は、買い物袋の紙のこすれる音が一定のリズムでついてくる。
モールを離れると、人の声が急に薄れて、夕方の光が道の端に長く伸びていた。
「明日からまた学校かぁ……」
「あと一週間でGWだよ。
頑張ろう?」
「うん……」
(御珠、また距離取っちゃうのかな)
御珠は雪杜の横で、歩調を揃えたまま言う。
ためらいがなくて、むしろ楽しみにしている顔だ。
「妾は平気じゃぞ?
帰ったら雪杜に甘えられるしの」
「そう?無理しないでね?」
(いっぱい甘えてるんだろうな。
ちょっと羨ましい)
咲良は少しだけ歩幅をゆるめて、雪杜の顔を覗き込んだ。
言い出すきっかけを探るように、指先が買い物袋の持ち手をいじる。
「ねぇ……GWにさ。デートしない?」
「デ、デート!?」
「そう……二人だけで……」
御珠がぴくりと反応して、咲良を見た。
口元がむっとして、目がきっぱりしている。
「むむ!妾の目の前で雪杜を誘うとは。
そなた、どんどん遠慮がなくなってきておるの」
「御珠ちゃんだけずるい。
私も雪杜と二人きりになりたい。
彼女だし。
ね。いいでしょ?」
「妾も雪杜とデートがしたいのじゃ。
これで休みの予定が決まったの」
「また勝手に外堀が埋められてる……」
「勝手じゃないよ。
いまちゃんと相談してるよ?」
雪杜は視線を前に置いたまま、少しだけ口をつぐむ。
胸の奥に小さな熱が残る。
逃げたいわけじゃないのに、胃のあたりが落ち着かない。
「……分かった。
二人とも、日を分けて、デートしよう」
「やったね。
じゃぁどっちが先にデートするかじゃんけんしよ」
「じゃんけん?石拳のことかの」
「うん。たぶんそれ」
二人の手が同時に上がって、同時に落ちる。
指の形が変わるたび、咲良の声が少しずつ弾む。
じゃんけんの結果、咲良が先になった。
「やった!じゃぁ今日買った服、着てきてね」
(これが狙いだったのか)
「分かった」
(二人とデートか……)
雪杜は息を吐いて肩の力を抜く。
明日からのことを考えると胃が重いのに、足取りだけは少し軽かった。
今日も、ちゃんと終わっていく。




