第11話 息ができる場所
休日の入口は、人の波が絶えない。
自動ドアが開くたび、外気が切れ込んで、機械音と笑い声が押し出される。
床を滑る靴音が、入口のタイルを細かく叩いた。
小さな子が走り、親が追う。
受付の方から、景気のいいアナウンスが飛ぶ。
「おーい!こっちこっち!」
声の方向で、颯太が腕を振っている。
その横に莉子が立ち、二人は並んだままこちらを待っていた。
咲良は莉子の近くで、笑いながら何かを話している。
言葉の端が弾み、咲良の髪が揺れた。
そこへ、雪杜と御珠が現れる。
雪杜は入口の雑踏を一度だけ見回して、遠慮がちに手を上げた。
その動きに気づいた咲良が、すっと雪杜の横へ並ぶ。
「おはよ。ちゃんと来れたね」
「……うん。迷いそうだった」
「ふふ。休日の集まりは、よいの」
御珠は機嫌よく、周囲のざわめきを眺めていた。
「っちょ、おま、ジャージかよ!
しかも“のじゃ”モード!?」
颯太の視線が、御珠の格好に刺さる。
学校で見る姿とは違う。
動きやすさを優先した装いが、逆に目立っていた。
「“おせいそ”は学校だけじゃ。
そなたらの前で取り繕う必要もなかろう。
妾、これしか持っておらんのじゃ。
巫女服でもよいかの?」
言い切る御珠に、颯太が一瞬だけ言葉を探す。
すぐに雪杜へ矛先を変えた。
「おい雪杜、何か買ってやれよなー」
「え、えぇ……僕が!?
“おせいそ”とかまた変な言葉覚えてるし……」
雪杜の声がひっくり返り、咲良が小さく笑った。
咲良は雪杜と御珠を交互に見て、軽く指を立てる。
「今度お洋服一緒に買いにいこ?」
「うんなのじゃ」
御珠は即答した。
予定表に丸を付けるような返事だった。
その少し後ろから、息を整える音が近づく。
駆も到着し、肩を揺らしながら周りを見回した。
最後尾を確かめるように、短く言う。
「俺が最後?」
「おう。全員揃ったな!」
入口の前は、流れが止まらない。
誰かの笑い声にゲーム機の起動音が重なり、靴底が床を鳴らす。
六人が円になると、その一角だけ小さな“身内の島”になった。
颯太が雪杜の肩を軽く叩く。
叩き方が、いつものノリより少し丁寧だった。
「雪杜。ちょい、先に報告することがある」
「……なに?」
颯太は一瞬だけ咳払いして、視線を莉子へ送った。
莉子はわずかに背筋を伸ばして、指先を握る。
「俺さ。莉子と、付き合うことになった」
雪杜の目が丸くなる。
「え」
莉子が顔を赤くして、小さく頷いた。
「……うん」
咲良がすかさず両手を軽く上げる。
声だけで場を明るくする速度が、さすがだった。
「おめでとー!
まぁ、私は卒業式の日に莉子から報告受けて知ってたんだけどね」
「え!?卒業式の日!?
もう水臭いなぁ」
颯太が耳の後ろを掻く。
照れをごまかす仕草が、逆に分かりやすい。
「なんか恥ずかしくてな……
言おう、言おうと思って今日になっちまった」
雪杜が目を瞬かせて、颯太と莉子を見比べる。
「あ!きょうってもしかしてそのために!?」
「ま、まぁな」
そして颯太は、急に姿勢を正した。
声の調子まで改まる。
「雪杜、ありがとう!」
颯太が頭を下げる。
雪杜は反射で半歩引きかけて、慌てて立ち直った。
「え……僕、何かしたっけ……?」
「天野ファミリーはお前が中心だろ?
あれがあったから莉子と仲良くなれた」
雪杜は咲良の方をちらっと見て、次に御珠を見る。
自分に矢印を立てられると、どこか居心地が悪い。
「それを言うなら御珠だよ。
御珠が家族とか言い出したんだし」
御珠は胸を張った。
誇らしげなのに、顔はやけに澄ましている。
「なに。妾は雪杜のために家族を増やしたまでじゃ」
「やっぱお前じゃん!
遠慮すんなって!」
颯太が勢いよく指を向け、御珠は当然のように受け止める。
その横で莉子が、小さく息を吸ってから咲良へ向き直った。
「咲良もありがとう。
私を家族に入れるようにお願いしてくれたのは咲良だもんね」
咲良は肩をすくめて、笑いながら手を振る。
「私はちょっと御珠ちゃんとの橋渡しをしただけだよ。
たいしたことしてないよ」
莉子は首を横に振り、言葉を重ねる。
「それでもだよ。
それがなかったらファミリーに入れなかったわけだし」
「莉子ならそのうち自分から入れてって言ってたはずだよ」
二人のやり取りに、颯太が口を尖らせる。
「もう、なんだよ二人して」
同じ瞬間、莉子も同じ調子で返した。
「もう、なんなの二人とも」
声が揃った。
颯太と莉子は一拍遅れて顔を見合わせ、同時に目を逸らす。
赤くなった分だけ、わかりやすく仲がいい。
咲良がくすっと笑う。
「ふふ。仲良しだね」
駆が短く頷く。
「仲がいい」
颯太が駆の肩を軽く小突いた。
今度はいつもの雑さに戻っている。
「かけるー。次はお前の番だぞ?
彼女作れよー」
「お、おれ!?
俺は別に……」
駆の視線が一瞬だけ泳いだ。
名前の輪郭が頭に浮かんで、すぐに押し戻される。
(なんで宮下先輩が……)
「お?なんか好きな人いるっぽい?」
「えー、だれー?気になるー」
「な、なんでもない!なんでもないぞ!」
颯太は笑いながら、駆の顔を覗き込む。
「駆が慌てる姿とか初めてみた」
駆はそれ以上の追及を断つように、入口の方へ顎をしゃくった。
「いつまで立ち話してるんだよ!
早く受付行こう」
わいわいと言い合いながら、全員が店内へ流れていく。
自動ドアが開き、機械音が一段大きくなる。
「良き良き」
御珠は一番最後に回り、満足そうに呟いた。
―――
受付の前で、券と案内を受け取る。
靴の棚からサイズを探す音が連鎖して、マジックテープが剥がれる乾いた音が混じる。
ボウリングエリアの奥から、ピンが弾ける甲高い音が定期的に届く。
「スポッチャ来たら、とりあえずボウリングっしょ」
颯太が先にシューズへ履き替えながら言う。
床の感触が変わって、雪杜は自分の足元を一度だけ見た。
「僕、ボウリングとか初めて」
「私も」
「俺も」
「妾もじゃ」
四方向から同じ報告が返ってきて、颯太が眉を上げる。
「ま、俺も二、三回しかないけどな」
「私も同じ感じ」
莉子が小さく笑い、指先で靴紐の端を整える。
ボールのラックが並び、球の表面を照明が滑る。
指穴へ指を入れると、奥の空気がひんやりした。
「これは玉転がしかの?
なぜこんなにも沢山の玉があるのじゃ?」
御珠がラックを覗き込み、真剣に首を傾げた。
咲良が説明役の顔で近づく。
「重さでいろんな種類があるんだよ。
自分に合った重さを選ぶの」
御珠は迷わず、奥の方を見た。
数字の大きい球に手を伸ばす。
「ふむ。一番重い玉にしておくかの」
咲良の声が裏返りかける。
「え……大丈夫?」
御珠は球を片手で持ち上げ、重さを確かめるふりだけした。
「妾にとってはどれも同じじゃ。
であれば重いほうがよかろう」
雪杜は横で、思わず息を漏らす。
(たまにしれっと神様ムーブするんだよなぁ)
雪杜は御珠の袖を軽く引いた。
「御珠、ほどほどにね……」
レーンの前で、画面が点滅している。
名前入力の画面が待っていて、ピンの映像がループしている。
颯太が両手を叩いて、今日の遊びに勝敗を付けたがった。
「なぁ、せっかくだし対決しね?」
「対決……」
雪杜は言葉をなぞるように返す。
颯太は勢いのまま、指を三本立てた。
「3対3でチーム戦!」
咲良が即座に乗る。
この子は勝負のルールを作るのが早い。
「いいね!負けた方がお昼に何か一品おごるってことで!」
莉子が小さく肩をすくめる。
笑顔を作ろうとして、慎重に声を出す。
「……私、足引っ張るかも」
「大丈夫だって!俺も引っ張るから!」
「えぇ……」
二人のやり取りに、全員の笑いが重なる。
颯太はもう結論まで走っていた。
画面の前でくるっと振り向き、指で順番に示す。
「チーム分けはこれしかないな。
雪杜、御珠、咲良!
俺、莉子、駆!」
御珠が頷き、球を抱えたまま堂々と言う。
「ふむ。雪杜組と颯太組と言ったところかの。
望むところじゃ」
駆がレーンの奥を見て、淡々と聞いた。
「何ゲームやるの?」
とりあえず3ゲームに決まった。
―――
レーンの端に立つと、床の光沢がやけに眩しい。
指穴の感触を確かめるたび、球の冷たさが手のひらに残る。
奥のピンは遠いのに、白く主張している。
咲良が先に構えた。
助走が短いのに、手首の返しがきれいで、球が素直に走る。
ピンが軽やかに弾けて、倒れる音が続いた。
「よし」
雪杜は思わず口を開ける。
「すご……」
雪杜の番になる。
真似をしてみるが、足の出し方がぎこちない。
球はレーンの端を舐めて、ガターの溝へ吸い込まれそうになり――
直前で曲がり、数本だけ倒した。
「……セーフ」
御珠は何の迷いもなく球を持つ。
助走は短い。
なのに球だけが、やけに真っ直ぐで速い。
ピンが派手に散った。
「うわ!ストライク!?」
雪杜の喉が鳴る。
(……やりすぎでは)
御珠はさらっと言い切った。
「偶然じゃ」
雪杜は御珠の顔を見て、すぐ視線を逸らす。
(偶然の顔じゃない)
次のターン。
莉子が球を両手で支えるようにして運び、慎重に投げた。
勢いは弱いが、芯に当たって倒れる。
ピンの音が、控えめに気持ちいい。
「……やった」
「いいぞ莉子!」
颯太が大げさに拳を上げる。
そのまま自分の番で、勢いだけは完璧だった。
球がわずかに外れて、残りが立つ。
「くっそ!」
駆の番。
颯太がニヤニヤしながら近づき、肩を組もうとする。
「次はお前の番だ。駆。
頑張れよ、孤独枠」
「……孤独枠って何」
「カップルに挟まれてんじゃん」
駆の視線が一瞬だけ落ちる。
床の反射に、自分の顔がぼやけて映った。
(宮下先輩……いや、ちがう。
くそ、味方に精神攻撃されるとは思わなかった)
駆は小さく頭を振った。
肩に乗りそうになった颯太の腕を、無言で外す。
「……投げる」
駆が投げた。
球はまっすぐ溝へ吸い込まれて、乾いた音を残す。
「そうたー!お前のせいだ!!」
「ぎゃはは!
駆ってこんなおもしれー奴だったっけ!」
莉子が苦笑いで手を振る。
「駆くん。どんまい」
雪杜は向こうのチームを眺めて、ぽつりと言った。
「あっちは何してるんだろ。自爆?」
咲良は肩をすくめて、目尻をやわらげる。
「あれはあれで楽しそうだよ?」
御珠は満足げに頷いた。
「良き良き」
―――
ピンの音が、さっきより多い。
倒れるたびに、颯太の悲鳴が一段上がっていく。
御珠がターキーを出す。
戻ってきた球を受け止め、雪杜の方へ振り返った。
「どうじゃ?雪杜よ?」
顔が、わかりやすく得意げだ。
「う……うん。すごいね……」
雪杜は褒めながら、ほんの少しだけ後ろへ重心を逃がす。
(御珠ちゃん生き生きしてる。
学校では無理してたんだね)
咲良はそんなふうに見ていた。
御珠の肩が軽く、声の張りが違う。
颯太が悲鳴を上げる。
「絶好調だな!
もう勝ち目ねーよ!」
御珠は胸を張って笑った。
「ふはは。我にひれ伏すがいい!」
「駆、なんとかしろ!」
颯太の叫びに、駆は淡々と返す。
「颯太が土下座したら、手加減してくれるかも」
莉子が御珠を見て、口元を押さえる。
「御珠ちゃん、完全に猫かぶりが剥がれちゃったみたいね」
「猫?」
御珠がきょとんと首をかしげる。
その小さな首の傾きが、視線を釘付けにした。
(う……かわいい。反則だろ……)
雪杜の頬が熱くなる。
(もうデレデレしちゃって。でもほんとかわいい)
咲良も、雪杜の横顔を見て、苦笑いで息を吐いた。
―――
結局ボウリングは颯太チームが惨敗し、山盛りフライドポテトを六人でシェアすることになった。
フードコートは、テーブルの数に対して人の数が多い。
トレーがぶつかる音。
揚げ物の匂いと、甘い飲み物の匂いが混じっている。
なんとか空いている席を見つけて、六人が腰を下ろした。
紙の包みが開く音がして、カップの氷が鳴る。
「いやー、こういうの久々だな!」
莉子は小さく頷いて、ストローの位置を直す。
「うん……」
駆は周りを見回してから、短く言った。
「人が多い」
雪杜はトレーの端を指で押さえながら、視線を上げる。
「休日って感じ……」
颯太が、急に声の調子を落とした。
さっきまでの騒がしさが、一瞬だけ引っ込む。
「学校のさ、あの噂。
なんか流れ変わってきたよな」
莉子がすぐに乗る。
言葉の並べ方が、すでに聞いた話の形になっている。
「そうそう。
御珠ちゃんが外国に帰るから自分から身を引いたって。
てか事実なんだけど……」
御珠が水を飲みかけて、止まる。
目が泳いで、咳払いのように喉を鳴らした。
「ん?
そ、そうじゃ。
妾、外国に帰るのじゃ」
(御珠ちゃん演技下手!)
咲良は口元を押さえて、笑いそうになるのを堪えた。
莉子の表情が少しだけ曇る。
箸を止めて、御珠の顔を見る。
「そっか……本当に帰っちゃうんだね……
外国ってどこなの?」
御珠が固まる。
答えを探して、視線が宙に逃げる。
「そ、それはじゃな……」
すると駆が、何でもないように助け舟を出した。
視線は皿の方に落としたまま、声だけ差し込む。
「太平洋にある島国。
地図にも載ってないような小さな島だって」
御珠が一拍遅れて頷き、勢いで乗った。
「そ、そうじゃ。
名前を出してもきっとわからん」
莉子が眉を上げる。
疑うというより、面白がる手前の顔だ。
「ふーん?」
咲良が割って入る。
明るい調子を作ろうとして、声を少しだけ高くした。
「あ、あと3年かー。寂しくなるなー」
莉子はその言葉に引っ張られて、視線を落とす。
箸の先で、紙の端をいじる。
「そう……あと3年なの……
いっぱい思い出つくろうね」
御珠が小さく頷く。
「う、うんなのじゃ」
(駆?設定盛ってる?)
雪杜は駆の横顔をちらっと見て、すぐ水を飲んだ。
突っ込むのはあとにする、と喉の奥で決める。
颯太が手を叩いて、話を前へ進める。
「なあ。このあとどうする?まだ行ける?」
咲良が即答する。
「私は大丈夫」
雪杜も頷いた。
「……うん。せっかく来たし」
駆が、入口の方を顎で示す。
まだ遊びの棚が山ほど残っている顔をする。
「ボーリング以外もいっぱいある」
莉子がそっと提案する。
「……カラオケ、行く?」
言い終わったあと、颯太の反応を待つ目になる。
颯太が一気に明るくなる。
「おー!カラオケ!一度やってみたかったんだ!」
―――
扉が開くと、外の騒がしさが遠のいた。
部屋の空気は乾きぎみで、ソファがやたらと柔らかい。
壁際にモニター。
テーブルにリモコン。
マイクが二本、充電台に刺さっている。
雪杜は入口で立ち止まり、部屋を見回した。
想像していたより、四角い箱に詰められた空間だった。
「こんな風になってるんだ」
咲良がソファに鞄を置きながら振り向く。
「初めて?」
「……うん」
駆も短く頷く。
「俺も」
颯太が手を上げて乗っかる。
「俺も初めて!」
御珠も続く。
「妾もじゃ」
咲良も、しれっと言った。
「私も」
莉子が申し訳なさそうに小さく手を上げた。
声もいつもより控えめだ。
「……私は、家族で数回だけ」
颯太が即座に指を差して、頼もしさを勝手に認定する。
「頼れる!」
莉子がリモコンを操作する。
画面のメニューが切り替わり、曲名が流れていった。
莉子は皆の顔をちらっと見て、確認するように言う。
「テンポ速いの、入れていい……?」
「いいよ!」
莉子が歌う。
軽いリズムが部屋を跳ねて、手拍子が揃っていく。
颯太は途中から、座ったまま身体でリズムを刻み始めた。
(……莉子、歌だと強い)
雪杜はそう思いながら、拍手の位置を合わせた。
次は颯太だ。
リモコンを取ると、迷いがない。
「よし!俺はこれ!アニソン!」
颯太が歌う。
声がでかい。
そして妙に上手い。
ビブラートまで使う。
咲良が隣で耳を押さえるふりをする。
「颯太くん、声でかい」
「褒めてる?」
「うんうん(棒)」
颯太は棒に気づいていないふりをして、最後まで全力で歌い切った。
雪杜がリモコンを持つ。
選曲画面を眺めて、指が止まる。
迷った末に、いつも頭の中で流している“あれ”を押してしまった。
「……じゃ、僕」
ボカロ系の速い曲が入る。
イントロの時点で、駆が小さく言う。
「速い」
「……歌詞、流れるの速い」
雪杜は歌い始める。
最初は何とか追える。
二番に入る頃には、息が足りなくなる。
言葉が追いつかない。
喉が笑う。
「むり……」
咲良が笑いを堪えながら拍手する。
颯太はソファに沈み、肩を揺らした。
「なぜそれを選んだ(笑)」
「何十回も聞いてるしいけるかなって……
絶対無理だった」
雪杜はマイクを膝に落として、天井を仰ぐ。
(恥ずかしい……でも、笑われるのは悪くない)
笑い声が針になって刺さってこない。
同じ輪の中で息をしている感覚が、確かにあった。
咲良が次を入れる。
リモコンを手にしたまま、わざとらしく咳払いする。
「じゃあ、私は……ラブソング」
雪杜が少しだけ姿勢を正す。
背筋が勝手に固まる。
(うわ、真正面から来た……)
咲良が歌う。
画面を見ながら、時々、雪杜をちらちら見る。
視線が合いそうになるたび、雪杜の目は逃げた。
(……やめて。恥ずか死ぬ)
御珠が隣で小さく頬を膨らませる。
手元のストローを、やけに真剣に回していた。
駆がリモコンを取った。
選曲画面を二、三回スクロールして、迷いなく決める。
「俺は、ちょい古め」
「渋っ!」
「平成」
駆が歌う。
皆が「聞いたことあるかも」で乗る。
サビのあたりで、颯太が指を鳴らして合わせ始めた。
「車でとーちゃんが聞いてるやつだ」
(駆、こういうの似合う……)
雪杜は、曲調と駆の淡々とした声が噛み合っているのを拾った。
その流れを、御珠が断ち切る。
マイクを奪うように取って、堂々と言った。
「次は妾じゃ」
「え、何入れるの」
御珠は真顔のまま、画面を見ない。
「入れぬ」
全員の顔が同時に止まる。
「「「え?」」」
御珠が立つ。
胸を張る。
発表に入る前の手つきで、息を整えた。
「――祝詞を作った」
「「「の、祝詞!?」」」
御珠が謡い始める。
曲の伴奏はない。
なのに声だけで、部屋の空気が切り替わる。
言葉の響きが、意味がわからないのに妙に格好いい。
途中から、もう全員が耐えられなかった。
咲良が口元を押さえて、肩を震わせる。
颯太が腹を抱えて、ソファに転がる。
莉子は笑いすぎて涙目になり、息を吸うたびに声が漏れた。
駆は無言で親指を立てて、評価を確定させる。
御珠が最後に決めポーズをする。
「以上」
「最高かよ!!」
「反則」
「お腹痛い……」
「データ化したい」
「わかる」
雪杜の返事が早すぎて、また笑いが増えた。
―――
施設の出口を抜けると、外の空気が頬に当たった。
室内の匂いがふっと切れて、冷たさが肺に入る。
遠くの車の音が戻り、空の広さが急に目に入った。
颯太が伸びをしながら笑う。
「いやー、楽しかったな!」
莉子は手を胸元に当てるようにして、頷いた。
「……うん。楽しかった」
咲良がさらっと言う。
次の約束を、自然に置いた。
「また来よう」
駆は入口の看板を見上げて、もう別の遊びに意識が向いている。
「次は別のゲームもやりたい」
雪杜は少しだけ足を止めた。
颯太の背中を見て、言葉を選ぶ。
「……うん。今日は、助かった。
颯太、ありがとう」
「何が?」
「……色々」
颯太は一瞬きょとんとして、すぐにいつもの笑いに戻りかけた。
でも突っ込まずに、ただ頷いた。
御珠が雪杜の袖を軽くつまむ。
ほんの一瞬だけ。
その指先の圧で、雪杜は横を見る。
「妾も、少し息ができた」
「……そっか」
御珠は袖を離して、何事もなかったように前を見る。
そのまま、要求だけは堂々と続けた。
「次の休日も、娯楽を所望する」
「検討します……」
皆が手を振って別れる。
「じゃなー!」
「またね……」
「また」
咲良が、月曜を先に置く。
「また月曜」
雪杜は頷いて返事を飲み込む。
その言葉が、胸の奥に小さく残った。
「……また」
御珠が最後に、いつもの調子で言う。
「またの」
雪杜と咲良、御珠が並んで歩き出す。
三人で歩き出すと、足音が揃う。
出口の喧騒が背中へ遠ざかり、代わりに風の音が耳に残った。
御珠が、ふと思い出したように口を開いた。
「のう雪杜よ。
駆は気づいておるようじゃったの」
「うん。
なんか設定勝手に盛ってたし」
咲良が頷き、指先で紙袋の持ち手を直す。
「火消ししてくれたのも駆だしね」
雪杜は苦笑いで視線を落とす。
「……駆、そういうとこあるよね」
御珠は歩幅を変えずに言う。
言葉だけが静かに重くなる。
「うむ。
“分かっておる”者ほど、口を閉じられる」
雪杜の喉が鳴る。
冗談にして言いたくなるけど、冗談で済まない話だ。
「駆、御珠のこと神様だって気づいてるのかな……」
御珠は首を横に振る。
「そこまでは届いておらぬ。
ただ、妾が“嘘を吐いておる”ことは見えておるようじゃ」
咲良が、少しだけ前を見たまま言う。
「でも、追い込まなかった」
「追い込めば、皆が困るからの」
雪杜は息を吐いて、靴先で小石を蹴った。
「困るのは確かなんだけど、やばい秘密握られちゃったなぁと……」
御珠は落ち着いた声で続ける。
「いまのところ害意はなそうじゃ。
そなたの人徳のなすところよの。
一度じっくり話してみるのも良いかもしれん」
咲良が小さく笑う。
声の角が丸い。
「駆、優しいよね」
「うん。
……でも、土下座提案は悪質」
「ふふ」
御珠が得意げに言う。
「妾は土下座されても手加減せぬぞ?」
雪杜は即答した。
「魔王がここにいる」
咲良が話題を切り替える。
今日の約束を、明日の約束へ繋げた。
「そうだ。明日、服買いに行こう?」
「うんなのじゃ」
雪杜は頷きながら、喉の奥で息を整える。
明日はまだ日曜だ。
袖をつまむ指も、得意げな顔も、続いてくれる。
それでも、さっきの「また月曜」が頭の隅で硬くなる。
月曜になれば、御珠はまた“学校の御珠”に戻る。
やわらかく笑って、線を引いて、よそよそしくする。
その切り替えを知っているのに、今の距離が近いせいで、余計に痛い。
雪杜は御珠の横顔を盗み見る。
御珠は笑っているのに、視線だけはまっすぐ前に置かれていた。
(……月曜になったら、また仮面を被るのか)
雪杜が、現実的な地雷を踏む。
「服を買いに行く服はどうするの?」
御珠は迷いなく返す。
「そこは当然巫女服じゃ」
雪杜と咲良の声が重なった。
「「やめて」」
三人の笑いが、夕方の空気にほどける。
足並びは崩れないまま、家路へ向かった。




