第10話 整形はPC室で
放課後のPC室は、起動音が順番に鳴っていった。
椅子を引く音は乾いていて、キーボードの小さい連打が一定の距離で散る。
教室の声とは別の音が並び、机の上の光が白かった。
駆は端の席に座っていた。
画面にはテキストが並び、別タブにオープンチャットのページが開いている。
ハンドル名は無難で、誰のものかを探す気も起きない。
(……話が雑だな)
スクロールすると、「同居」「二股」「ハーレム」といった単語が、短い文で投げられていた。
言葉だけが先に走って、理由は置き去りになっている。
(“同居”は違う)
駆の指がキーボードに落ちる。
文章は短く、要点だけを置く形に揃えられていった。
(事実っぽく。怒らせない。火を付けない)
投稿欄に打つ。
《※補足…
あいつの家は“離れ”がある。
居候してるのはそこ。
同居って言い方は違う》
送信した直後、返信が付く。
《離れって何それw》
《同じ敷地なら同居でしょ》
《結局ヤバいやつ》
駆の表情は動かない。
視線だけが、反応の流れを追った。
(説明しすぎると逆効果)
もう一段だけ情報を足す。
《田舎の家あるある。
本宅と別棟。玄関も風呂も別のとこ多い。
あいつのとこ、そういう感じ》
送ると、“あるある”の枠に入った分だけ反応の角が落ちた。
言葉の棘が減り、噛みつく勢いが鈍る。
《それならまあ》
《離れなら同居って言うの微妙か》
《てか、別れてるって言ってたよな》
駆が小さく息を吐いた。
画面を切り替えると、同じ文面が別の部屋にも転送されていた。
貼り付けたように、同じ言葉が同じ順番で繰り返されている。
(拡散、早い)
駆は短いテンプレのような文を打って回った。
語尾も強さも揃えて、誰か一人の人格が見えない形に寄せる。
(“誰が言ったか”が目立つと終わる)
扉が開き、咲良と雪杜が入ってきた。
二人とも鞄の重さより、教室で浴びた言葉の重さをまだ肩に残している。
「駆、いた」
「いる」
雪杜が席に近づいて、画面をちらっと見る。
投げられたスクショの文字が目に入り、視線が止まった。
「……それ」
駆は画面を閉じない。
先に説明を置かず、指先をキーボードの上で止めた。
「噂、見た?」
「……見たくなくても、見える」
咲良が椅子に座った。
鞄を下ろしながら、駆の手元を見て察する。
「……火消し?」
「まぁそんな感じ」
「えぇ……」
駆は淡々と言った。
視線は画面に置いたまま、言葉だけを投げる。
「“同居”って言葉が強い。
強い言葉は、強い方向に転がる」
雪杜の返事が途中で止まった。
口が開きかけて閉じ、息だけが短く出る。
咲良が先に繋いだ。
「離れ、っていう言い方に寄せる?」
「うん。
“離れ”なら、からかい方が変わる。
深刻になりにくい」
雪杜が唇を引いて言う。
声は低く、机の上で滑らない。
「……からかいは残るんだ」
「残る。
でも、刺さり方は弱くできる」
雪杜は眉を寄せた。
納得しきれない顔のまま、目線だけが駆に寄る。
「……なんで、そこまで」
駆はようやく雪杜を見た。
顔色を読むためではなく、ただ確認するための目だった。
「放置すると、面倒」
「……」
駆の視線が一度だけ落ち、また戻る。
言葉が、少し遅れて出た。
「クラスが騒がしくなる。
友達が……つらい目に合ってるところは見たくない……」
雪杜が唇を噛んだ。
視線が落ち、机の角を見たまま戻らない。
咲良が小さく笑って、でも軽くしきれない声で言う。
「駆って、ほんとそういうとこある」
「必要だから」
駆はまた画面へ戻った。
新しい返信が増えていて、文の並びがまた尖り始めている。
《離れでも結局二人じゃん》
《今の子、可哀想》
《てか、あの“別れた”子、何者?》
咲良が自分の手を見下ろして、口を開いた。
「私、可哀想って思われてるんだ……」
駆の指が止まる。
画面の文字を追い、数秒だけ手を浮かせた。
《中学校限定の関係らしいよ。
あの子は卒業と同時に外国に帰るんだって》
送信すると、反応が途切れた。
ページの更新だけが淡々と進む。
「え!何その話!?
僕知らないんだけど!?」
「え?御珠さん本人が言ってたんだけど……」
駆の顔に、わずかに遅れて“しまった”が出た。
視線が画面から雪杜へ移り、また画面へ戻る。
《中学限定?まじ?》
《え、じゃあ自分から引いたってこと!?》
《何その関係、尊い》
駆が短く言う。
指先で流れを追いながら。
「流れ変わったな」
「変わったね」
雪杜が小さく呟く。
声は低いのに、言葉だけが熱い。
「外国に帰る……」
(後で問い詰めないと)
オープンチャットの中で、「外国に帰る」が別の部屋へ転がっていった。
文が切り取られ、貼り直され、別の誰かの言葉として増えていく。
雪杜が駆に向き直る。
息を整えてから言った。
「……ありがとう、駆」
「うん」
雪杜が不安を隠しきれない顔で続ける。
「……これ、バレない?」
「バレない。
“みんなが言ってる”に見える形にする」
雪杜が変な顔で笑いそうになって、やめた。
口角が上がったのに気づいて、すぐ口を閉じる。
「……すご」
「オプチャは管理がいるし、途中で止められる。
でも“本物”は止まらない。速いし、言葉が荒い」
雪杜が眉を上げる。
冗談にしたいのに、半分だけ本気の声になる。
「本物って……何と闘ってるんだ」
「社会……そのもの?」
咲良が肩をすくめて乗る。
「敵は壮大だね」
三人の肩から力が少し抜けた。
机の上の光がさっきより眩しくなくなった。
雪杜が思い出したように言う。
「そうだ。駆も颯太から聞いてる?
土曜日に集まろうって」
「うん。
聞いてる。
もちろん参加する」
「そっか。久しぶりに天野ファミリー全員集合だね」
「うん。楽しみ」
咲良がキーボードに手を置く。
指先がホームポジションに収まる。
「じゃ、今日の部活始めよっか。
何書く?」
雪杜も自分の席に着いた。
画面を開き、入力欄にカーソルが点滅する。
「……異世界、続き」
「漫画、続き」
「消火、続き」
雪杜が即座に突っ込む。
笑いが混ざる手前の声。
「それ、創作なの?」
「現実のデバッグ」
雪杜が今度は小さく笑った。
笑えたことに気づいて、すぐ視線を画面へ戻す。
―――
夜の天野家。
玄関で雪杜が靴を揃える。
廊下の奥から足音が近づき、板が小さく鳴った。
「おかえりじゃ」
「……ただいま」
御珠は近づきすぎない位置で止まった。
でも目はじっと雪杜を見ていて、瞬きの回数だけがいつもより少ない。
「今日は、どうじゃった?」
雪杜は鞄の肩紐を外しながら、言葉を探した。
そのまま探すのをやめて、いきなり核心を投げた。
「……外国に帰るの?」
御珠はピクリと反応し、眉をほんの少しだけ上げた。
「……ほう。
聞いてしまったか……。
そうじゃ。
妾は外国へ帰るのじゃ」
「えー!そんなー!御珠が外国に帰るなんて聞いてなかったよー!」
雪杜は半笑いで大げさに演じた。
声が明るいぶん、胸の奥の硬さが逆に目立つ。
「雪杜よ。
短い間だったが世話になったな。
さらばじゃ」
御珠はそのまま浮かび始めた。
床から足が離れて、影が薄くなる。
「うわー!ちょっと待った待った!
どこいくのさ!」
雪杜が一歩近づき、手が上がる。
掴めない距離に、指先だけが宙を切った。
「冗談じゃ」
すとん、と御珠が降りる。
床に足がつく音は軽い。
「すまぬな……
こうすることで自然にいなくなることが出来ると思ったのじゃ。
……言う隙を逃しておった」
雪杜は肩で息を落とし、鞄を廊下に寄せた。
目線が御珠から外れない。
「もう。言ってよ。
“僕抜きで決めない”って約束したはずだよ」
「これは三人で話し合う前に決まったことなので“ノーカン”じゃ」
「また変な言葉覚えてるし……」
雪杜が先に廊下へ進み、御珠が少し後ろをついてくる。
二人の笑い声は軽いのに、玄関の明かりだけがやけに眩しい。
居間ではテレビの音が流れていて、晴臣がリモコンで音量を少し下げた。
食卓の湯気が立ち、箸の先が小さく鳴る。
「部活は決まったのか?」
「PC部にしたよ。咲良も、駆も」
「ほう。なんかすごそうじゃの」
御珠が箸を持ったまま頷く。
「妾も、名目はPC部じゃ。
宮下のいる部屋は、頭が落ち着く」
「えっ!いつの間に会ってたの!?」
「そなたらが学校デートをしている間にじゃ」
雪杜の箸が止まる。
否定したいのに、言い切れない位置で言葉がひっかかる。
「してないって言えないのが悔しい……」
御珠はころころと笑った。
笑いながら、箸の先で小さく米粒を整える。
(まあ学校で“落ち着く”って言える場所ができたのは良かったのかな)
―――
夕食が終わり、風呂も済んだ。
雪杜は自分の部屋の机に向かい、宿題のノートを広げる。
隣からはテレビの音が響き、御珠がくつろいでいる。
スマホが短く震えた。
颯太:スポッチャ、御珠も誘った?
(そうだ)
雪杜は椅子を軋ませ、廊下側へ声を投げた。
「ねえ御珠。
土曜日に皆で集まろうって話になってるんだけど、御珠も来るよね?」
部屋の入口に御珠が立つ。
顎に指を当て、考えるふりをする。
「……ふむ。よいではないか。
行こうぞ」
「了解」
雪杜:御珠も行くって
颯太:了解。これで全員だな!予約しとく!
雪杜は画面を見たまま、声に出してしまう。
「予約って……ずいぶん気合入ってるなぁ」
御珠は口元だけで笑った。
言い方は軽いのに、目は廊下の奥へ流れている。
「まあ、あやつも思うところがあるんじゃろうよ」
雪杜は顔だけ御珠に向ける。
「……思うところ?」
「知らぬふりをするのも、人の礼儀じゃ」
「……?」
まぁいいか、と雪杜は肩を落として、宿題に戻った。
―――
灯りを落とすと、部屋は一気に静かになった。
布団に並んで横になる。
「ねぇ御珠」
「なんじゃ?雪杜」
雪杜は天井を見たまま、声を小さくする。
「やっぱり高校には行かないの?」
御珠は天井の一点を見つめ、言葉を選んだ。
「……そうじゃの。
前にも申したが、齢を重ねるほどに法の理が厚くたちはだかるのじゃ。
受験はどうする。住家を調べられたら、何と申し開きをする。
それに、妾は勉学が苦手じゃ。
中学の授業ですら、危うい」
「そっか……
御珠と高校、通いたかったな」
御珠は息を入れて、口調を持ち上げる。
「なに、心配は無用じゃ。
とっておきがあるでな」
雪杜は思わず声が上ずった。
「とっておき!?
透明になってついてくるとか?」
「まあ似たようなものじゃな。
そなたに勾玉を授け、妾はその中から見守る。
いつかの小学生の時と同じじゃよ」
「あー、あれか。なるほど……
……ねぇ、あれってトイレとかも見てたの……?」
御珠がふっと笑う。
「見ようと思えば見れるの。
心配するでない。妾、そんな無作法な神ではない」
雪杜は言い返したいのに、言い切れず、声が丸くなる。
「見れるって言い切るのが問題で……
まあ、いまさらか……」
「そうじゃ。いまさらじゃ。
そなたのことは、だいたい分かる」
御珠が雪杜の方へ顔を向ける。
妖艶に微笑むと、雪杜の頬が熱くなった。
「のう雪杜よ」
御珠の視線が急にまっすぐになる。
「なに」
雪杜は、からかわれる準備をして肩を固めた。
「こんな面倒なことをせずとも、妾がひと息で“世界を書き換えて”しまう方が早いとは思わぬか?」
雪杜は息を止めた。
喉の奥が詰まり、返事が遅れて出る。
「……それをしたら、僕は終わりだと思う。
御珠もそう思ってるから、しないんでしょ?」
御珠は静かに頷く。
言葉は重く、でも正確だった。
「さすが妾の愛し子じゃ。
確かに妾ならできる。
しかし嘘は、必ずどこかがほどける。
ほどけた場所を隠すために、また嘘を重ねる。
行き着く先は、世界中を嘘で塗り固めることじゃ」
御珠は言い切ってから、小さく息を吐いた。
「妾は神じゃ。本来は見守るだけの立場。
いまこうしてここにおるのが、すでに歪みじゃ。
これ以上、手を入れれば、どこへ転ぶか分からぬ。
それでもそなたが望むのであれば妾は……」
雪杜は御珠の言葉を止めるように、そっと手を伸ばした。
指先が御珠の手首に触れる。
「御珠が嫌がることを、僕が強要するわけないよ。
ただ……そばにいてくれればいい」
「雪杜……」
御珠の指先が一度だけ止まる。
それから雪杜の手を握り返した。
握り返す力は弱いのに、離さない。
「……今宵は、練習はせぬのか?」
雪杜の声がひっくり返りそうになる。
「え!?練習!?
じゃぁ少しだけ……」
二人はそっと抱き合う。
御珠の額が雪杜の肩に触れる。
「……今夜は長いね」
「妾も、少し慣れてきたのじゃ……
そなたの体温……ぬくい……」
「う……そろそろきついかも……」
御珠がそっと離れる。
「今宵は暴走せんかったのじゃ。
そなたと語らってからであれば、落ち着いて触れ合えるのかもしれぬ」
御珠の口元がほころぶ。
雪杜の視線が御珠から離れない。
「……そろそろ、寝よっか」
「うんなのじゃ」
御珠がぽつりと言う。
「皆との会合……楽しみじゃ……」
雪杜が小さく笑う。
「はしゃぎすぎて転ぶ未来が見える」
「転ばん。……たぶん」
「たぶんかよ」
(……とりあえず、土曜まで走ればいい)
御珠がにやっとする。
声だけ明るい。
「土曜まで生き延びるのじゃ」
「言い方」
「楽しいことが先にあると、人は強い」
「……それは、そう」
御珠が言い足す。
「妾は、外で暴れる準備をしておく」
雪杜が半分笑いながら返す。
「準備って何」
「靴紐を固く結ぶ。転ばぬようにな」
「結局転ぶ前提なんだ」
「万全に転ぶのじゃ」
「それ、万全の使い方おかしい」
二人の笑い声が、天井へ薄く上がっていく。
胸の奥の硬さは消えていない。
それでも、息の出入りだけはゆっくりになっていった。




