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神愛 ─ 永遠の刹那 ─  作者: 神愛
第2章 中学生編 ― 距離の再編 ―
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第9話 噂が机に落ちる日

教室には登校してくる足音が流れ込み、椅子を引く音が重なる。

誰かの小声が笑いに紛れ、机の上の雑談へ滑り込んでいった。


雪杜は自分の席に腰を下ろした。

鞄を掛け、ノートを開き、ペンを握る。

けれどペン先は紙の上で止まり、動かない。


(……また、見られてる。昨日の続きみたいに)


視線だけが机の外側をかすめ、すぐに戻った。

ノートの罫線がやけに白く見えた。


隣の席に咲良が来た。

机の上を整え、教科書を出し、ページの端を揃える。

ペンケースが置かれる音が、やけに近かった。


「おはよ」


「……おはよ」


咲良はいつも通りの手順で、プリントの入るスペースを作る。

それから、雪杜のノートの端を指で軽く押さえた。


「今日、プリント多い日だよ。落とさないでね」


「……うん」


後ろの方で、わざと聞こえる距離の小声が飛んだ。

笑いを噛んだ声が、机の列をすり抜ける。


「なあ、見た?今日も隣」

「そりゃ彼女だし」

「じゃ、あっちは?」

「知らね」

「やばくね、あの関係」


雪杜の指が、ノートの角を無意識にいじった。

紙がわずかに皺になる。


(“あの関係”って、何だよ)


別の場所から、女子の声が重なる。

笑いを混ぜて、探る言い方だけが先に出ていた。


「春原さん、強いよね」

「あの宣言のあとでも普通にしてるし」

「てかさ、あの子……天野くんと別れたって言ってたじゃん」

「言ってた。さらっと。逆に怖い」


教室の前の方で、御珠は席に座って本を開いていた。


ページをめくる指が、時々だけ止まる。

視線は文字の上に置いたまま、耳だけが拾っていく。


「ねえ……」


御珠が顔を上げた。

表情は柔らかいまま、首だけを少し傾ける。


「なに?」


「天野くんと別れたって、本当?」


「本当だよ」


言い切る声は平らだった。

目だけが相手を見て、深くは踏み込まない。


「え、じゃあ今は……」


御珠は一度だけ瞬きをして、息を落とす。


「こないだ言ったはずだよ。

 ……それ以上はない」


「……ふーん」


女子はそれ以上踏み込まず、曖昧に笑って自分の席へ戻った。

背中が離れた瞬間、同じ内容が別の場所で、小声のまま再生される。


「こないだってあれだろ?深い信頼関係でってやつ」

「まぁだとしても、別れたのに同居って何だよ」

「小学校のとき、『同居しておる!』って言ってたな」

「それが中学で“別れた”って言ってんの、意味わかんね」

「知らね。でも、そういう“設定”なんじゃね」


雪杜がペンを握り直した。

書き始めようとして、やっぱり止まる。

指先に力だけが残った。


(設定って……あながち嘘じゃないのが痛いところ突いてくる)


咲良が、雪杜の手元を一瞬だけ見た。

視線はすぐ前に戻り、姿勢は崩さない。


「聞こえてる?」


「……うん」


咲良はノートの端を揃え直し、言葉を選ぶように息を入れた。


「気にしないでいい、は言わない。

 気になるよね」


雪杜が喉の奥で小さく息を詰めた。

返事は短く、声の位置が低かった。


「……うん」


「でも、今日は今日。やることやろ」


「……うん」


咲良はそれ以上言わず、ノートに向き直った。

隣にいる距離だけは、崩さずに保つ。


そこへ、勢いよく颯太が入ってきた。

いつもの声量で言いかけて、教室の端々に漂う目線に気づき、途中で音量を落とす。


「……よ。雪杜」


雪杜が顔を上げる。

颯太の靴が床を鳴らし、机の列の間を抜けた。


「……おはよ」


颯太が、わざと明るく笑った。

けど、目が一瞬だけ泳いで、すぐに戻る。


「昨日……いや、なんでもね。

 朝から腹減ったわ」


「……そう」


「給食、今日カレーだっけ?」


咲良が前を向いたまま答える。

口調は軽く、短い。


「カレーじゃない。たぶんシチュー」


「まじかー。じゃあ負けだな。カレーの舌だった」


颯太は笑い声を少し大きくして、話を給食へ流した。

雪杜は笑えないまま、小さく頷くだけだった。


駆が静かに入ってくる。

席に着くなり、鞄から薄い方眼メモを出し、付箋を一枚だけ貼った。

指先の動きが無駄なく、音も小さい。


「……おはよう」


「おっす」

「おはよう」

「おはよ」


駆はそれ以上言わず、淡々と机の上を整えた。

颯太が駆を見て、話題をずらすように声を投げる。


「なあ駆、お前部活決めた?」


「PC部」


「即答かよ」


「おう」


数人が口角を上げて、すぐノートへ視線を戻した。

鉛筆の先が紙を擦り、ページをめくる音が続いていく。


御珠は会話の輪には入らず、視線だけで雪杜と咲良を確認した。

二人の並びを確かめたあと、すぐに本へ戻す。


(……近づかない。今はそれでいい)


チャイム前になり、椅子を引く音が増えた。

教科書を揃える手が早くなり、筆箱の蓋が閉まる音が連なった。


担任が入ってくる。

教壇に向かう足音が止まり、声が教室の前から広がる。


「はい席ついてー。出席取るよー」


全員が教科書とノートへ視線を戻し、背中を椅子に収めた。

雪杜はノートに視線を落とし、ようやくペン先を動かした。


(……今日は、何も起きませんように)


―――


給食が終わって昼休みになり、教室の椅子が一斉に鳴った。


雪杜は食器を返してから一人で教室を出て、廊下を自販機方向へ歩いた。

上履きのゴムが床をこすり、反響が一定のリズムで続く。


背後から、声が追いつく。

距離が近いわけじゃないのに、わざと輪郭を立てた小声だった。


「なあ、聞いた?」

「何」

「同居っていっても、“離れ”って話もあるらしいよ」

「離れって……同じ敷地じゃん」

「だよな。実質――」


雪杜は足を止めかけて、止めない。

歩幅を変えずに進む。

上履きの擦れる音だけが、さっきより少し大きくなった。


(離れ?……そんな話、どこから)


自販機の前に着く。

ボタンのランプが並んで光り、硬貨投入口が鈍く光っていた。

雪杜は小銭を出し、入れようとして指が止まる。


横に、咲良が来た。

飲み物の列を見上げるでもなく、雪杜と同じ位置に並ぶ。

視線は雪杜の手元に落ちたまま。


「……聞こえてた?」


「……うん」


咲良は短く息を出して、ランプの列を一度だけ見た。


「離れ、って言い方に変わったね」


雪杜が小さく息を漏らす。

硬貨が指の間で冷たい。


「……どっちにしても、刺さる」


咲良は否定しなかった。

代わりに、雪杜の指先から小銭を受け取って、自分の手で投入口へ滑り込ませる。

金属の落ちる音が短く鳴った。


「はい。押して」


「……ありがと」


雪杜がボタンを押す。

機械が唸り、飲み物が中で転がって落ちる音がした。

雪杜が取り出し口からそれを取る。


そのタイミングで、廊下の奥から颯太が走ってきた。

勢いで声を出しかけて、すぐ周りの目を見て、音量だけ落とす。

足が床を叩く音はそのまま近づいた。


「雪杜、ちょい、今いい?」


「……うん」


咲良が顔だけ向ける。

目線は颯太に乗せ、体は雪杜の横からずらさない。


「なに?」


颯太は一歩だけ近づき、声を軽く装う。

でも目だけは真面目だった。


「咲良もちょうどいいや。

 今週の土曜日、スポッチャいかね?」


「……スポッチャ?」


颯太が、いつものノリに戻すみたいに笑う。

笑い方だけで、教室の廊下の視線を跳ね返す。


「そう。

 久しぶりに集まりてーんだよ。

 元天野ファミリー」


雪杜の手の中で、缶がわずかに鳴った。

指の力が無意識に入る。


「え……まだ一ヶ月も経ってないけど……」


「いいじゃーん。

 なぁ行こうぜー。

 積もる話もあるし」


「積もる話って……ほぼ毎日会ってるんだけど」


咲良の目が一瞬だけ泳いで、すぐに前へ戻る。

胸の前で指先が一度だけ絡んで、ほどけた。


「うん!行こう行こう!

 ね。行こうよ!」


雪杜は缶のラベルを見てから、視線を上げた。

返事は迷いを挟みつつも、短く落ちた。


「ま、まあ特に用事ないしいいよ」


颯太の肩がふっと上がり、勝った顔が出る。


「やりぃ!じゃ土曜の10時、ROUND1の前に集合な。

 あとで御珠も誘っといてくれ」


「う……うん。分かった」


颯太はそれだけ言うと、廊下の流れに乗って颯爽と去っていった。

背中が遠ざかるにつれ、足音が別の雑談へ紛れ込む。


雪杜は取り出し口の前で缶を持ち直し、小さく呟く。


「相変わらず強引だなぁ……」


咲良は雪杜の横に立ったまま、頷く。


「ま、それが颯太だよね。

 うんうん」


咲良は唇の端を持ち上げて、雪杜の横顔を盗み見てから前を向いた。

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