第3話 きたるべき不穏
初詣を終えて境内を出ると、夕暮れの光はもう薄く、雪の白さだけが道を照らしていた。
雪道を並んで歩くのは、雪杜と御珠の二人だけだった。
吐く息が白く揺れ、雪を踏む音が、冬の静けさを縫うように続いていく。
沈黙を切ったのは、雪杜だった。
「ねぇ……本当によかったの?」
御珠は横目で雪杜を見る。
けれどその横顔は、答える前からすでに照れを滲ませていた。
「何がじゃ?」
雪杜は少しだけ笑って言う。
「咲良への“ライバル宣言”。
嫉妬するんじゃなかったの?
ほら……御珠、言ってたじゃん」
雪杜はほんの少し声色を変え、御珠の真似をする。
『妾……嫉妬深いぞ……?
咲良にも、嫉妬しちゃうぞ?』
御珠はぶわっと顔を赤くした。
「な──なななな……そ、そなた!
神をからかうでない!!」
言いながら雪道で足を滑らせそうになるほど動揺し、袖をぱたぱたさせて抗議する御珠。
その姿があまりに必死で、雪杜は慌てて笑いを噛み殺す。
しばらく続いたバタバタが落ち着くと、御珠はふっと息を吐き、少しだけ視線を落とした。
そして、ぽつりと──
先ほどの大騒ぎとはまるで別の温度で言った。
「……よいのじゃ。
咲良が……好きなのじゃ」
歩きながら、御珠の横顔がかすかに揺れる。
「あれほどの娘、そうおらぬ。
正直……嫉妬もしておる。
ぬしらはまだ子供じゃ。
あれほど素直に好意をぶつけられては、明日にでもコロっと咲良に惚れてしまうのではという恐怖もある」
雪杜は驚いたように目を瞬いた。
御珠は続ける。
「それでも……それでもじゃ。
咲良もすでに妾の加護下におる。
大切に思っておる娘じゃ」
吐く息が白く溶ける。
「そなたにはまだ分からぬかもしれぬが……
同じ“人”である咲良にしかできぬことがあるのじゃ」
御珠の声が、冬の風より細く震える。
「その時のことを思うと……胸が張り裂けそうになる。
じゃが……そなたのことを思えばこそ、咲良にはそばにいてほしいのじゃ」
雪杜は静かに呟く。
「それって……子供ができないって言ってたやつだよね」
御珠は目を見開いたまま、雪杜を見つめた。
「……そなた……
あの時の言葉を、しかと胸に留めておったか」
雪杜はゆっくり頷く。
ただのからかいの延長ではない、本気のまなざしだった。
「だって……あの時の御珠……すごく悲しそうだったから」
御珠の喉が、ひゅっと震える。
肩がわずかに揺れた。胸の奥に刺さっていた棘に、そっと触れられたみたいに。
「……妾は、そなたに“奪う覚悟”を問うたのじゃ。
そなたの未来、家族、人としての道……全部じゃ。
それが怖くて……妾は……」
雪杜は言葉を挟んだ。
「でも……御珠はさっき“咲良にもそばにいて欲しい”って言った。
それって、僕がいつか“家族を欲しがる”って、そう思ってるからだよね?」
御珠の心が一瞬で揺れた。
わかりやすく、痛いほどに。
「……そなた……ほんまに子どもか?
そんなところまで……見抜くでない……」
声は震えていた。
怒っているわけじゃない。
ただ、触れられたくない傷口をなぞられたような震え。
「妾は……そなたが好きじゃ。
妾だけを見てほしいとも思う。
じゃが……そなたの一生を縛るのは……怖い。
子も……家も……人の幸せを……妾は与えてやれぬ」
雪杜は横を歩く御珠の袖をつまんだ。
「でも、離したくないんだよね?」
御珠は立ち止まった。
雪杜の顔を見るのが怖いように、視線が定まらなかった。
「……離せるわけなかろう!
そなたは妾の“伴侶”じゃ。
咲良に譲る気も、ほかの誰にも渡す気もない」
その言葉は、とても神様のものとは思えないほどわがままで、それでいて、ひどく弱かった。
「……じゃが……」
雪杜が続きを待つ。
御珠は小さく吐息を漏らして言った。
「……そなたが大人になった時。
妾では届かぬ場所が必ずある。
家族を持つこと、人としての営み……
妾はそれを……奪った。
その罪は……どれほど時が経とうと消えぬ」
雪杜は少しだけ笑って答えた。
「……大人になった僕がどうなるかなんて、まだわかんないよ。
でもね──」
雪道を見つめながら、小さく息を吸う。
「大人になっても、きっと僕は御珠が好きだよ」
その言葉は、子どもの無邪気さゆえか──
しかし、神の心臓を一撃で貫くほど残酷でやさしい“永遠”だった。
御珠は息を呑む。
手が震え、胸の奥に張りつめた何かが崩れかける。
「……そ……そなた……
そのような……ことを……さらりと言うでない……」
声は怒っているようで、泣いているようで、震えが隠せていなかった。
雪杜は歩き出した。
家へと続く道、冬の夕暮れがほんのりと赤い。
その背中に、御珠は小さく呟いた。
「……そなたが“人の幸せ”へ手を伸ばすその日……
妾は……どうすればよい……?」
答えられる言葉など、雪杜にはまだない。
だからこそ、その沈黙は雪のように積もり、二人の未来に静かなしこりを残していく。
二人の影は淡く伸び、雪の上で一度交わり、やがて別々の形へほどけていった。




