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神愛 ─ 永遠の刹那 ─  作者: 神愛
第2章 中学生編 ― 距離の再編 ―
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第3話 神の涙

教室は、まだざわついていた。

告白の余韻が、言葉にならないまま空気に張りついている。


「あの……」


声をかけられて、顔を上げる。


「……うん」


短く返した声が、思ったよりも近くに落ちた。


周囲の視線が、肌に刺さる。

誰も聞いていないふりをしている。

けれど、その場にいる全員が、聞いているのが分かった。


「……返事、ありがとう」


その言葉に、胸の奥がわずかに沈む。


(返事した、って言われると。

 本当に、自分で決めたみたいに聞こえるな……)


「おーい、雪杜ー!おめでとー!」


場の空気を裂くように、明るい声が飛んできた。


「咲良、よかったね!」


続いて、屈託のない祝福。


「……うん」


笑顔を浮かべる。

けれど、それはどこか、ぎこちない。


言葉を探そうとして、何も見つからない。

ただ、立っている。


その横を、鞄を持った影が通り過ぎた。


振り向くこともなく、教室を出ていく。

こちらを、見ない。


呼び止める理由が、思いつかないまま。

その背中だけが、静かに遠ざかっていった。


(……何も言わないんだ)


―――


生徒たちが、校門の外へ三々五々と流れていく。

昼間の喧騒が、少しずつ薄まっていく時間。


「じゃ、俺ら先な!」


「また明日ね!」


「……また明日」


短いやり取りのあと、周囲の気配が遠のいた。

気づけば、二人きりになっている。


「……一緒に、帰る?」


少しだけ間を置いて、声が落ちる。


「……うん」


並んで歩き出す。

けれど、肩と肩の間には、わずかな隙間があった。


(彼女、隣にいるのに。

 さっきまでと、立ち位置が違う)


「……変な感じだね」


前を向いたまま、そう言う。


「……うん」


言葉はそれだけで、足音だけが続く。

しばらく、無言のまま歩いた。


歩幅を合わせようとして、彼女が、ほんの少しだけ歩調を速める。


「……あのさ」


「なに?」


「……怒ってる、よね?」


声が、わずかに揺れた。


一瞬、言葉に詰まる。

何をどう言えばいいのか、分からない。


「……分からない。

 咲良の考えも、御珠の考えも」


「ごめんね……なんか、騙し討ちみたいになっちゃって。

 雪杜、ここまでしないと受け入れてくれないと思ったから。

 家に帰っても、御珠ちゃんを責めないであげて……」


(“ごめん”か……)


「……善処する」


それ以上、言葉は続かなかった。


鳥居の向こうに、春原神社が見えてくる。


「……じゃあ、ここだね」


「うん」


立ち止まって、少しだけ迷ってから。


「こんな形になっちゃったけど……

 それでも、私は雪杜と付き合えることになって嬉しいよ」


「……そっか」


(“嬉しい”って言われたら。

 否定できないじゃん)


小さく手を振って、彼女は去っていく。

その背中を、見送るしかなかった。


―――


家の前に立つ。

見慣れたはずの玄関が、今日は少しだけ遠く感じた。


(……御珠、先に帰ってきてるのか)


中から、かすかな物音がする。

靴を揃える音。

戸の向こうに、気配がある。


「おかえりじゃ」


聞き慣れた声。

いつも通りの調子だった。


「……ただいま」


声を返した瞬間、間が落ちる。


視線が、ふと重なる。

先に逸らしたのが、どちらだったのか。

雪杜には、分からなかった。


「……どうじゃった?」


探るようでも、責めるようでもない。

ただ、確かめるだけの問い。


「……」


答えが、すぐに出てこない。

言葉にすると、何かが壊れそうな気がした。


「……あとで」


短く、先送りにする。


「……うむ」


それ以上、御珠は何も言わなかった。

玄関には、いつもの家の匂いと、

言葉にならなかった感情だけが残る。


―――


夕食の席は、いつもと違って静かだった。

箸の音だけが、やけに大きく聞こえる。


黙々と食べる。

視線を上げない。

味は分かるのに、記憶に残らない。


向かいでも、御珠は何も言わない。

湯気の向こうに、表情があるはずなのに、そこに辿り着けない。


その様子を、少し離れた位置から見ていた晴臣は、初めて見る二人の空気に、ほんの一瞬だけ足を止めたあと、「一緒に暮らしていれば、そういうこともあるさ」とでも言うように、何も言わず、普段通りに振る舞った。


夕食が終わる。

風呂も終わる。


逃げ場はなくなって、雪杜の部屋で、二人きりになる。


扉が閉まった瞬間、胸の奥で溜めていたものが、ようやく形になる。


「きょうのアレはどういうつもり!?

 僕、なにも聞いてないんだけど!!」


声が、思った以上に荒れていた。


「まぁそう怒るでない。

 あれは、我ら三人が幸せになるために必要だったのじゃ」


落ち着いた声。

諭すようで、どこか決めつけるような言い方。


「三人て何?

 咲良になにを吹き込んだの?」


問い返すと、わずかな間があった。


「何も……

 咲良があれを提案した。

 妾が許可した。

 それだけじゃ」


淡々とした説明。

感情が、置き去りにされる。


「どうして……

 僕は御珠と一生を添い遂げるって約束したのに……」


縋るような言葉だった。


「添い遂げておるではないか。

 そこに、咲良も加わるだけじゃ」


当然のことのように言われて、言葉を失う。


「御珠はそれでいいの!?

 嫉妬しちゃうって言ったのは御珠だよ!?」


声が、さらに強くなる。


「……もはや、そのような感情は抱かぬ。

 あれは妾の愛し子じゃ。

 そなたと共に、添い遂げる仲間じゃ」


聞き慣れない言葉の並びに、胸の奥が冷えていく。


「そんな……僕の気持ちは!?

 御珠だけを愛するって誓ったのに……

 御珠が、それを拒否するの!?」


言葉が、ぶつかる。


「すまぬ」


それだけ。


「それだけ!?」


声を荒らげても、返ってくるのは沈黙だった。


御珠は、何も言わない。


部屋の中に、言い切れなかった感情と、引き返せなくなった言葉だけが溜まっていく。


しばらく、沈黙が続いた。


「……のう、雪杜よ」


沈黙を破った声は、低く、静かだった。


「その愛情、咲良にも分けてやってくれぬか。

 妾、修学旅行の夜にの。咲良に抱きしめられて眠ったのじゃ」


一度、言葉を切る。


「何も語らず、ただ抱きしめるという行為が――

 これほど人を救うものだとは……妾は、知らなんだ」


唐突な回想に、言葉を失う。


「あの優しさ。包容力。

 力も、理も、誓いもない。

 それでも、そこに在ってよいのだと……

 そう、許された気がしたのじゃ」


声は淡々としているのに、そこに込められた実感だけが、やけに生々しい。


「妾は神じゃ。

 本来、誰かに包まれる必要など、ない」


わずかな間。


「……だが、あの夜だけは――

 その理が、どうでもよくなってしまった」


小さく、息を吐く。


「もはや、咲良は妾の一部じゃ。

 共に、愛してやってくれぬか?」


しばらく、言葉が出なかった。


「……御珠の考えは分かった」


一度、息を整える。


「でも、今回のことは許せない。

 明日、咲良には別れ話をする」


空気が、凍りつく。


「……」


御珠は、何も言わない。


しばらく、黙ったまま俯いていた。


「……それは」


声が、わずかに掠れる。


「妾が、一番恐れておった答えじゃ」


それ以上、続かなかった。


「……」


沈黙が、長く伸びる。


「……のう」


静かに、呼びかける。


「今から言うことは、ずるい」


「……なに」


「妾は」


言葉を選ぶように、少しだけ間を置く。


「泣けば、そなたが折れると分かっておる」


沈黙。


「だから、本当は泣いてはならぬ」


「……それでも」


声が、ほんの少しだけ震えた。


「妾は、咲良を失いとうない……」


その言葉より先に、涙だけが、静かに落ちた。


「……わかった」


短く、答える。


「別れ話は、しない」


少し遅れて、付け足す。


「でも、これは、御珠の涙に負けたわけじゃない」


「……」


「明日、三人で、ちゃんと話す。

 その時は、逃げないで」


「……うむ」


それだけで、約束は成立した。


そして――

この日、初めて手を繋がなかった。

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