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神愛 ─ 永遠の刹那 ─  作者: 神愛
第1章 小学生編
29/75

第25話 修学旅行 ― 了 ―

観光バスがブレーキを沈めるようにゆっくり止まり、車内にこもっていた熱がふっとほどけた。

ドアが開くと、潮を含んだ冷たい朝の空気が一気に流れ込み、まだ眠気の残る心臓にひやりと触れてくる。


最初に飛び出したのは、やっぱり颯太だった。

勢いよく立ち上がり、肩に乗った不安を振り払うように両腕を広げる。


「……よしっ!最終日だ!!

 今日も楽しむぞー!」


声は弾んでいるようで、どこか張りつめた明るさが混じっていた。

その無理を、班の誰もが自然と感じ取る。


「ふふ……颯太くん、カラ元気出てない?」


咲良が軽く笑いながら続くと、莉子が小さく首を傾ける。


「……うん……でも、そういうの好き……」


その素直すぎるひと言に、空気が少しほぐれる。


駆も淡々と一歩降りながら言葉を落とした。


「……無理してる感じはあるけど、ちゃんとテンションは上がってるな」


「うるせぇ!最終日はテンション勝負なんだよ!!

 ほら、行くぞ行くぞ!赤レンガだぞ!」


こういう時の颯太は、もう誰にも止められない。

その背に、青く澄んだ海風が重なって軽く揺れる。


御珠はバスの階段をゆっくり降り、風に髪をほどかれながら足を止めた。

昨日の喧騒が嘘みたいに、ベイエリアの朝はしんと静かだった。


「……静かじゃな。この街とも、今日でしばしの別れか」


その声は潮の気配と混ざって、少しだけ切なさを含んでいた。


「うん……なんか、ちょっと寂しいね」


雪杜の返事は、胸の奥の温度をそのまま言葉にしたようだった。


海沿いの道を歩くと、光を飲み込んだ水面がきらりと跳ね、遠くでカモメが輪を描く。

人の声はまだ少なく、旅の最終日の朝だけが持つ独特の静けさが漂っていた。


「はい散歩ー!散歩終わったら速攻でお土産ー!」


颯太の元気がまた一段階跳ねる。

そのテンポに咲良が苦笑を浮かべた。


「急ぎすぎだよ……!」


「でも……楽しみ……」


莉子の小さな期待が、歩幅にそっと滲んだ。


数分歩くと、赤レンガ倉庫の姿が海風の奥から姿を現す。

観光客がほどよく混ざり、倉庫特有のひんやりした空気が足元から立ち上がってくる。

曇りガラス越しのような柔らかい明るさが漂い、最終日の朝にぴったりの静けさがそこにあった。


――――


倉庫の中へ足を踏み入れた瞬間、海風がぴたりと消え、代わりに店内の柔らかいBGMが静かに降ってきた。

木の棚が迷路みたいに並び、キーホルダーやガラス細工が光を受けてちらちら瞬く。

修学旅行の最終日特有のワクワクと、「今日で終わるんだ」という名残惜しさが同じ温度で漂っていた。


「うわ……なんか可愛いお店多い……」


咲良は視線をあちこちに吸い寄せられながら、指先でそっと商品を触れないように避けて歩いた。

その横で、莉子は手を胸の前でぎゅっと握りしめながら、小さな声をもらす。


「お母さんに……何買おう……」


駆は商品棚を一度ざっと眺め、即座に結論だけを落とす。


「……お菓子は賞味期限が短い。

 雑貨系が安全」


「いやいやいや“安全”とか言うなって!

 観光地はロマン!!心で選べ!!」


颯太は両手を広げながら反論し、完全に“修学旅行モード”全開だ。

その勢いに、雪杜もつい笑ってしまう。


「僕もおじいちゃんに何か買いたいな……」


海沿いとは違う、倉庫特有のひんやりした空気が足元を通り過ぎる。

商品棚の奥には、怪しい色の木彫り民芸品がきらりと光を弾いていた。


そのひとつを颯太が掴んで、ぎょっとした声を上げる。


「見ろこれ!謎の木彫りクマのストラップ!!

 誰が買うんだよこんなん!」


「……買ってる人、普通にいると思う」


駆の淡々とした返しに、莉子がぽそりとつぶやく。


「でも……かわいいかも……」


咲良は赤レンガ色の写真立てを手に取り、光に透かした。


「赤レンガっぽい写真立てもいいなぁ」


「おじいちゃん、どれ喜ぶかな……」


雪杜が呟いたその少し先で――

御珠が、何かに引き寄せられたようにぴたりと動きを止めた。


「……雪杜よ」


その呼びかけは、周囲のざわめきとぜんぜん違う空気を持っていた。


「なに?」


「晴臣も、土産とやらを欲しがるかの?」


「え?おじいちゃんに?

 うん、喜ぶと思うよ。すごく」


御珠は、静かに頷いた。

その仕草が妙に丁寧で、“家族”という言葉の重さをちゃんと理解しようとしているようだった。


「ならば妾も選ぶ。

 晴臣は妾にとっても大事な家族じゃ」


その言葉だけで、雪杜の胸がほんのり温かくなる。

御珠が“受け入れられた側”ではなく、“迎え入れる側”として祖父を思っている――そんな感覚が伝わってきた。


「御珠……そんなふうに思ってくれてるんだ……」


「彼奴は雪杜を守り、妾を受け入れ、“湯”と“飯”の理を教えてくれた。

 良き翁じゃ」


「御珠……ありがとう」


「よい。では晴臣の品を探す」


御珠は棚の前に立ち、商品一つひとつを真剣に見つめていく。

“選ぶ”という行為そのものを、慎重に噛みしめるように。


「……御珠さん、選ぶの長い」


駆がぼそりと漏らし、咲良が小さく笑う。


「でも……どれ選ぶんだろう……」


そして突然、御珠の指がある一点を射抜いた。


「これじゃな。晴臣にはこれが相応しい」


「どれ……?」


振り返った瞬間、班のみんなが固まった。


「……え?」


「…………あっ」


「……金ぴか……?」


御珠が誇らしげに掲げていたのは――

金ピカに輝く木彫りクマが、湯飲みを掲げている置物。


圧倒的な存在感。

誰もが一度は見てスルーするタイプの商品だ。


「えっ……そ、それ選ぶんだ……?

 なんか……すごい存在感だね……」


御珠は胸を張って宣言した。


「うむ!晴臣にはこれが良い。

 湯を愛する者への最適解じゃ!」


『いや最適解って何……』と言いたげな顔の雪杜を、咲良がそっと支えるように笑った。


「絶対喜ぶよ。

 御珠ちゃんが選んだんだもん。

 それだけで特別なお土産になるよ」


「む!そうであろうな!」


莉子も、震える声で付け加える。


「……かわいいと思う……金ぴかだけど……」


駆は、商品の正体を冷静に評した。


「……棚に置くと元気が出るタイプ」


「いやもう“御珠セレクト”って時点で最強でしょ」


颯太が笑うと、御珠はさらに機嫌を良くした。


「ではこれを包んでもらうぞ!

 あと雪杜用の土産も選ぶ!」


「僕のも……?」


雪杜の眉が不安げに下がる。

御珠が選ぶ“僕用の土産”は……たぶん、独自の理が働くのだろう。


――――


倉庫を出ると、海風が一気に広がり、潮の匂いと光が頬をすべった。

水面はきらきらと跳ね返し、遠くの船のエンジン音が小さく板を伝って響いてくる。


「よし!!最後の写真撮るぞ!!

 先生ーー!!写真お願いしまーす!!」


颯太の声が澄んだ空気に突き抜け、石田が笑いながら手をあげる。


「おー、並べ並べー!」


自然と並んだ六人の距離は、もう“班”というより小さな家族みたいだった。

雪杜と御珠が隣り合い、咲良がその横でそっと微笑む。

莉子と駆も寄り添い、肩と肩が軽く触れ合う。


「じゃあいくぞー!」


石田の声とともに、風の温度がふっと揺れた。

シャッターが切られる一瞬――

三日間の記憶がそれぞれの胸に、小さな波のように寄せては返す。


光と風と、まだ終わりたくない旅の時間。

そのすべてが、カメラの中で静かに一枚へ溶けていった。


――――


港で写真を撮り終えたあと、昼食をクラス全員で近くのレストランでとり、ざわざわした時間がひと段落したころ――

クラスはフェリー埠頭へ向かうため、観光バスへ乗り込んだ。


扉が閉まると、外のざわめきがすっと遠ざかり、冷房の風が肌をやわらかく撫でていく。

どこか、旅がひと区切りついたような静けさが車内に流れた。


バスがゆっくり赤レンガエリアを離れ、窓の外に函館の街並みが横切り始める。

傾きはじめた光を受けた建物の輪郭、坂道の先にちらりと見える海、路面電車の線路――

“函館らしさ”がひとつずつ後ろへ溶けていった。


咲良は指先を窓に添え、景色の流れを目で追いながら小さく漏らす。


「……今日で、この景色ともお別れなんだね」


「うん……なんか、あっという間だった……」


莉子の声は寂しさと余韻が半分ずつ混じったようで、胸の奥でそっと響いた。


「……だな。

 はしゃいでたら終わってたって感じ」


颯太も、普段の勢いを少し落とした声で言う。

無理に明るくしない分だけ、本音がちゃんとにじんでいた。


「写真……もっと撮っておけばよかったかも」


駆が珍しく後悔を口にし、雪杜がふっと笑う。


「でも……十分楽しかったよね。

 いろんな場所見て、いろんなことあって……」


車内は自然と静けさをまとっていく。

ワイワイするでもなく、しんとするでもなく、

空気そのものが“終わりの方へ歩いていく”感覚を共有しているみたいだった。


街路樹が影を落とし、古い建物が坂の向こうへ滑り去る。

線路の銀色の線がゆっくりと尾を引き、この三日間の足跡のすべてが、窓の外を通り過ぎていく。


咲良がぽつりとつぶやいた。


「……なんか、帰りたくないな……」


「……わかる……」


莉子の返事はほんのり震えていて、颯太も窓にもたれながら視線を落とした。


「……おう。

 こういうの、ちょっと……くるよな」


そんななか、御珠だけは景色をじっと見つめていた。

まるで街そのものの“記憶”を読み取るみたいに。


「……この街も、そなたらの“時”の一片として刻まれていくのじゃな」


「御珠……?」


静かに返ってきた言葉は、昨日のあの夜景よりも深く、澄んでいた。


「妾にとっては流れぬ時でも、そなたらには“今日”しか味わえぬ街……

 別れの気は、寂しいものよ」


バスの中に、とても短い静寂が落ちる。

それは沈黙というより、“胸の中で何かをしまい込む時間”のようだった。


街が最後の角を曲がったとき、景色が不意に開け、港の風がまた思い出された。


「はーい、もうすぐフェリーだぞー!降りる準備しろー!」


石田の声が現実へ引き戻し、ふっと旅気分が切り替わる。

バスが大きくカーブした先――

巨大な白いフェリーが、海の光の中にゆっくりと姿を現した。


――――


観光バスが止まり、扉が開いた瞬間――

昼の熱を含んだ潮風がどっと流れ込んできた。

街の静けさとはまったく違う、港特有のざらついた空気が頬をかすめる。


その風を真正面から受け取った御珠が、いきなり弾けた。


「ゆっ……雪杜っ!!あれを見よ!!

 あの巨大な鉄の塊が……水に浮いておるのか!?

 信じられん!!理が狂っておる!!」


さっきまで窓の外にしんと目を向けていた子とは思えないテンションの跳ね方だった。


「え!?さっきの静けさどこ行ったの!?」


雪杜が思わず叫ぶと、颯太が両手を上げて騒ぎに乗る。


「テンション復活ーーー!!」


咲良は思わず吹き出した。


「御珠ちゃん……切り替え早すぎだよ……!」


莉子は口元を押さえて、こぼれる笑いを止められない。


「……かわいい……」


駆は無言でスマホを構え、微動だにしない。


「……貴重な映像」


御珠は巨大フェリーを睨みつけながら、もはや軽くパニックだ。


「沈まぬのか!?ほんとうに沈まぬのか!?

 妾は沈むのは嫌じゃぞ!!」


雪杜が急いで手を振る。


「沈まないから!!みんな普通に乗ってるから!!」


フェリーの大きさに圧倒されているのか、御珠の声は完全に周囲へ響き渡っていて、

さっきまで車内にあった“旅の終幕”の静けさは、一瞬で吹き飛んだ。


だけど――

その変化が、妙に心地いい。


颯太が勢いよく背伸びをしながら叫ぶ。


「よっしゃ!!乗るぞーー!!

 帰りのフェリー、満喫すんぞ!!」


咲良はその様子を見て、胸の奥のさみしさがふっと溶けていくのを感じた。


「……ふふ。こういう終わり方も悪くないかも」


海風は強く、でもどこか優しい。

フェリーへ続く道には、小学生の最後の冒険のような明るさが満ちていた。


――――


フェリーの中へ足を踏み入れた瞬間、ひんやりした空調がほてった肌にしみていく。

天井の高い広い空間が広がり、売店、休憩スペース、展望ラウンジ――

ひとつの船の中とは思えないほどの賑やかさが並んでいた。

まるで小さな街が海の上に乗っているようだった。


御珠はその光景を見た途端、目をまん丸にして走り出す。


「雪杜!!見よ!!

 ここには店がある!!

 船の中なのに店があるのじゃ!!」


「走らないで!落ち着いて!!」


雪杜が慌てて追いかけるが、御珠のテンションは完全に振り切れている。


颯太は売店を覗いた瞬間、大声をあげた。


「わっはー!テンション上がるわコレ!!

 ほら見ろよ!カップラーメン売ってる!!

 なんで船でラーメン!!最高!!」


駆はその興奮のポイントにどうしても納得がいかないらしい。


「……なぜ興奮ポイントがそこなのか」


莉子はでも素直にうなずいた。


「でも……わかる……旅行のラーメンって特別……」


「アイスもあるよー!飲み物も!」


咲良が売店を指差すと、御珠が勢いよくそちらを振り返る。


「アイス!!妾はアイスを所望する!!

 船のアイスは海の味がするのか!?」


「しないよ!!普通のアイスだよ!!」


雪杜が反射的にツッコむ。


そこからは、ただただフェリーの街を走り抜ける時間だった。


展望デッキ、ゲームコーナー、休憩室。

御珠はひとつ見るたびに全力で反応し、走り、指を差し、雪杜の袖を引き続けた。


「雪杜!あれは何じゃ!?」

「雪杜!!そなた見よ!!」

「雪杜!!ここは座れる場所か!?」


「わかったから!全部説明するから落ち着いて!!」


雪杜は追いつくので精一杯だ。


「よし、売店でジュース買って甲板いこーぜ!」


颯太が勢いのまま言い、咲良が喉に手を当てる。


「私お茶買お……。喉乾いた……」


「わたし……クッキー……」


莉子は控えめに手を伸ばし、駆はスマホを胸元で構えたまま淡々と呟く。


「……写真……忙しい」


数時間後――


買ったものは食べ終わり、デッキの風も浴び、景色も見尽くした。

笑って、はしゃいで、歩き回って――

それでも時計を見ると、まだ函館を出てからたった 2時間しか経っていなかった。


「……まだあと2時間ある……」


雪杜が現実を口にすると、咲良が目の下を押さえながらうめく。


「フェリーって……意外と長いね……」


「眠く……なってきた……」


莉子は椅子に寄りかかった姿勢のまま、半分夢の中だ。


颯太は床に寝そべり、天井を見ながらぼやく。


「暇だ……広い船で暇を感じるってなんだよ……」


駆もスマホを持つ手を膝の上に置き、疲れた声を落とす。


「……写真も撮り尽くした……」


その空気を真っ先に破ったのは御珠だった。


休憩室の椅子にもたれ、つまらなさをそのまま声に変える。


「……飽きた」


「え!?悠久の時を生きる神が飽きた!?」


雪杜がひっくり返りそうな声をあげる。


「妾の体感時間とやらは、そなたらより早いのじゃ。

 動きのない景色は……すぐに飽くのじゃ……」


その理屈は神ゆえに理解できそうだが、同時にただの子どものわがままにも聞こえる。


咲良が思わず笑う。


「でも御珠ちゃん、さっきまでずっとはしゃいでたじゃん」


「それはそれ。これはこれじゃ。

 ……雪杜、暇じゃ……なにかせよ……」


「えぇぇ……何かって……」


颯太が、さも他人事のように背中を押す。


「雪杜、なんかしろってよ!!がんばれ!!」


「……無責任な応援」


駆が淡々と突っ込み、莉子がそっと提案する。


「トランプでもしよっか……」


「それだ!」


咲良が即座に反応する。


ただ御珠は、昨夜十二人で散々遊んだ記憶が蘇ったのか、“トランプ”という言葉にまったく食いつかなかった。

むー、と咲良は小さく口をすぼめた。


御珠は雪杜の袖をつまみ、遠慮のかけらもなく甘える。


「雪杜……妾は退屈に弱い……構ってほしい……」


「こ、こういうところだけ子どもみたいになるよね……」


「妾はいつでも雪杜の隣にいたいだけじゃ。

 暇なのは……嫌いじゃ」


咲良は胸の奥がじわっと温かくなるのを感じ、思わずもれる。


「……かわいい……」


「よし!じゃあ甲板また行くか!?風吹いて目覚めるぞ!!」


颯太が勢いを取り戻し、駆がこくりと賛成した。


「……それは賛成」


「うん……外の空気、吸いたい……」


莉子の声も、少し明るさを取り戻していた。


「じゃあ行こうか。夕方にもなるし……いい景色見えそうだし」


雪杜が立ち上がると、御珠がすぐさま袖を引く。


「夕の光……妾は好きじゃ。

 行くぞ雪杜。そなたもな」


「はいはい……引っ張らないで……!」


フェリーの廊下に、足音と笑い声が軽く響いた。

夕方の光が差し込む甲板へ――

また新しい時間が始まりそうな気配があった。


――――


甲板のドアを押し開けた瞬間、まぶしいほどの橙が、六人を一気に包み込んだ。


海も空も境目がなく、どこまでも淡く金色に染まり、揺れる風だけが時間をそっと動かしているようだった。


「……っ、やべ……綺麗すぎ……」


颯太の声が風に消えかける。


「すごい……本当に、燃えてるみたい……」


莉子は目を細め、胸に手を当てた。


駆はレンズを構えたまま、普段より少しだけ震えた声で言う。


「……写真じゃ追いつかない。

 肉眼が一番……」


「……こんな景色、人生で何回見られるんだろ……」


咲良が吐き出した言葉は、夕陽に吸い込まれそうだった。


雪杜は声も忘れ、ただ海のきらめきに見惚れていた。

その隣で、御珠は風をまといながら静かに立つ。


「……終わりの光じゃな。

 そなたらの“今日”の最後を……空が祝しておるようじゃ」


橙の風がふわりと肌を撫でた。


その一瞬、胸の奥に押し込んでいた何かが、きゅっとほどけたようだった。


「……ねぇ……なんか……

 一気にいろんなこと思い出してきた……」


咲良の声が震える。

それは、誰も止められない合図みたいだった。


「そうだよな……

 函館山の夜景とか……

 ラッピのチャイチキとか……

 五稜郭でみんなで写真撮ったやつとか……

 なんか全部、昨日みたいに思い出せる……てか昨日だった」


颯太が笑いながら言い、莉子が涙をこぼしそうな声を重ねた。


「御珠ちゃんが……お風呂で叫んでたのとか……」


「ちょっ……莉子ちゃん……!」


「……暴露大会……」


駆の一言で雪杜は頭を抱える。


「や、やめて……あれは忘れて……」


笑いながら涙が落ちそうになる。

肩が揺れ、鼻をすする音が混じり、そして次の瞬間――


「……終わりなんだな……

 本当に……これで……」


ぽたり、と。

颯太の涙が夕焼けに光った。


強がって、走って、笑って。

その全部の裏側にあった“寂しさ”が、ようやく声になってこぼれ落ちた。


「……こんなの……ずるいよ……

 楽しかったのに……もっといたかったのに……」


咲良は涙を拭きながら、それでも笑っていた。


「……うん……

 こんな……綺麗な終わり方ってあるんだね……」


莉子の頬も光で濡れていた。


駆でさえ、写真越しの景色に目を潤ませて言う。


「……泣ける……」


そして、御珠が静かに口を開いた。


「妾は……“永遠”を持つ身じゃ。

 そなたらが忘れてしまうほど昔のことも……

 ずっと覚えておる。


 じゃがな……


 今、胸が熱いのは……妾も“今日”を生きたからじゃ。

 そなたらと同じように……

 終わることが、惜しいと感じておる」


言葉は夕風に溶け、空の奥へ吸い込まれていく。


「……御珠……」


雪杜の目からも涙がこぼれた。


「……僕も……

 こんなに……みんなが好きだって……

 思ってなかった……

 ありがとう……みんな……

 本当に……ありがとう……」


「……お前……おとといも泣いてただろ……

 ほんと泣き虫だな……」


颯太が鼻をすすりながら笑う。


「……もう……みんな泣くじゃん……

 ずるい……ほんと……」


咲良も涙で声が震えていた。


金色の光が、涙の跡をやわらかく照らす。

笑いと泣き声が混じり、甲板の空気がふっと揺れた。


御珠がそっと雪杜の手に触れる。


「……終わりは……悲しみではない。

 次へ繋がる道じゃ。

 そなたらの“心”が……

 今日を美しくしたのじゃよ」


沈んでいく夕陽の音が聞こえるような静けさ。

誰も話さず、ただその光景を胸に焼きつける。


金色の海。

赤く染まる空。

泣きながら笑う仲間の横顔。


最高の修学旅行の、最高の終わり方だった。


――――


夕陽が海に沈みきり、六人が甲板から戻ってきたとき――

その姿を見た者は、例外なく動きを止めた。


頬を伝った涙の跡はそのまま。

目はまっ赤に腫れ、鼻はぐずぐず。

さっきまで夕陽に照らされていた“泣き顔の熱”だけがまだ残っていた。


他クラスの生徒たちがざわっと身を引き、先生たちも振り向いたまま固まる。


「……え、えぇ……!?

 なにその顔……どうしたの……!?」


澄香の声が裏返る。


「お前ら……誰か死んだのか……?」


透が本気で心配した表情を向け、その横で石田はというと――目尻をゆるめた。


「青春だなぁ……」


その一言で、逆に泣き顔がこそばゆくなる。


「ち、違うし!!

 景色が綺麗すぎただけだから!!」


颯太が涙の残りを手の甲で拭いながら、まるで言い訳のように叫ぶ。


「そ、そうだよ……!

 感動して……泣いただけ……!」


咲良も目元を隠しながら笑っていた。


「うん……すごく……綺麗で……」


莉子はまだ鼻声のまま。


「……写真……全部ぶれた……」


駆はスマホを見下ろしながら、小さくため息をつく。


そして御珠は、胸を張って堂々と言い切った。


「妾は泣いておらぬ!!

 ただ……心が溢れただけじゃ」


「それを泣くって言うんだよ御珠……!」


雪杜が突っ込みながらも、涙の跡はそのままだ。


六人の顔は、どう見てもぐちゃぐちゃだった。

けれど、そのぐちゃぐちゃのど真ん中には――

どこか清々しいような、誇らしいような光が宿っていた。


泣くほどの景色を、

泣くほどの旅を、

泣くほどの仲間と一緒に見られたという事実が、

胸いっぱいに広がっている。


「……お前らが泣くほど楽しんでくれてよかったよ。

 涙は本物の証拠だからな」


石田の言葉が、六人の胸の奥に、もう一度じんわりと熱を落とす。


「……っ……!」


返事にならない声が、喉の奥で震えた。


(……この班で過ごせてよかった……

 ほんとに……)


咲良の胸の中で、最後の光が静かに揺れた。


――――


青森到着のアナウンスが船内に響いたころ、甲板で泣き崩れていた六人は、顔を洗ったり、鼻をかんだり、

ばたばたと“人の形”を取り戻しながら下船していった。


外に出ると、温度の違う陸の空気がふっと肌に触れる。

さっきまで胸の奥を満たしていた熱が、ゆっくり落ち着いていくようだった。


帰りのバスに乗ると、泣き疲れたような静けさが広がる。

車内の灯りは柔らかく、しんとした夕闇を背に走っていく。


「……帰ってきちまったな……」


颯太の声は、疲れと名残惜しさが半分ずつ混ざっていた。


「でも……なんか……満たされてる……」


莉子は窓の外の灯りを眺めながら、小さく微笑む。


「……写真は……悔しい……」


駆はスマホを抱えたまま、船の上から夕焼けを撮れなかったことを悔しがっていた。

それでも、どこか満足そうだ。


「また行きたいね、みんなで」


咲良の声は、涙のあとの優しさで少し柔らかくなっていた。


「うん……また、絶対」


雪杜の言葉は、約束というより“願いの形”に近かった。


御珠はその肩にもたれ、小さな息のように囁く。


「妾はどこへでも行く。

 そなたと共に生きる旅は……尽きぬ」


(……御珠……

 ほんとに……ありがとう)


雪杜の胸の中に、最後の温かさがそっと灯っていた。


バスは夕闇の道を静かに進み、修学旅行という夢の時間を少しずつ後ろへ置きながら走っていく。


――――


学校に到着すると、見慣れた校舎が夜の灯りに静かに浮かんでいた。

いつもの場所のはずなのに、どこか“帰ってきた”という実感が胸をやさしく締めつける。


「よし、三日間よく頑張ったな!

 今日はさっさと帰れー!

 明日は休めー!」


石田先生が手を振ると、


「先生……好き……!」


颯太が両手を広げて駆け寄り、石田は本気で困った顔で叫ぶ。


「告白すな!!」


笑い声がひとつ起き、六人はゆっくりと互いに向き合う。


「じゃあね、みんな……」


咲良が手を振ると、莉子も涙の名残をこすりながら笑う。


「また来週ね……!」


「……写真、編集して送る」


駆はもう仕事モードになりつつある。


「みんな……ありがとう。また学校で」


雪杜は言葉を噛みしめるように言い、御珠がその隣で堂々と宣言する。


「うむ。また会おう。

 そなたらとの“日常”も……妾は好きじゃ」


それぞれが歩き出し、暗くなった校庭に“いつもの帰り道”が戻ってくる。


けれどその背中には、三日間を確かに歩いた重みが残っていた。


――――


玄関の扉を開けると、夕食のあたたかい匂いと、家の灯りが迎えてくれた。


その光景だけで、旅の中で張っていた糸がふっと緩んでいく。


腕を組んだ晴臣が、いつも通りの落ち着いた表情で出迎える。


「おかえり。

 楽しかったか?」


「うん!!」


雪杜は間髪入れず、笑顔を輝かせる。

旅の最後の光が、まだ頬に残っていた。


御珠も胸を張って晴臣の前に立つ。


「晴臣!妾も楽しかったぞ!

 この“鉄の箱の旅”は……良き物じゃ!」


晴臣は目尻をゆるませ、孫と、孫が連れてきた“特別な存在”をまっすぐ見つめる。


「……そうかそうか。

 じゃあ、ゆっくり休め。

 あとで話を聞かせてくれ」


「うん!」


雪杜の声は、安心の色で満ちていた。


玄関の灯りがふたりを包み、

静かな夜がゆっくりと家を満たしていく。


修学旅行は終わった。

けれど胸に残ったものは――


三日では消えない“輝き”。


温かくて、切なくて、これからの“日常”へ持ち帰れる宝物だった。


──修学旅行編、終わり。

長かった修学旅行編も、ここで一区切りです。

ここまで読んでくれて本当にありがとうございました。


次回からは小学校編を駆け足で締め、中学校編へ進みます。

御珠と雪杜の人生は、ここからが本番です。


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