表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神愛 ─ 永遠の刹那 ─  作者: 神愛
第1章 小学生編
28/69

第24話 修学旅行 ― 未来の子どもたちへ ―

男子部屋は、十二人の熱でむんとした空気が満ちていた。

カードの音、笑い声、誰かの跳ねる布団の音が渾然として溶け合い、この瞬間だけは“夜の校則”という概念が皆の頭から抜け落ちていた。


……だが、その幻想は足音で破られる。


コツ……コツ……

硬い床を叩くリズムが、少しずつ近づいてくる。


澄香が真っ先に反応した。

肩を跳ねさせながら、声が裏返る。


「ちょ、ちょちょちょ、どうするの!?先生来る!!」


莉子は両手を振りながら半泣き。


「無理無理無理無理無理!!」


部屋の端では、別の女子たちが膝を抱えて震える。


「死んだ……」

「ここで人生終わるの……?」


状況を理解した瞬間、咲良が御珠へと詰め寄った。


「御珠ちゃん!ほら、隠れ──」


しかし当の本人は胸を張り、堂々と言い放つ。


「隠れぬ。妾は堂々とする」


全員の声が揃った。


「隠れろよ!!!!!!」


雪杜はもう布団に埋まりそうな勢いで頭を抱えている。


「もう無理だ……!」


その波を押さえ込むように、透が手を上げて声を落とす。


「落ち着け!まずは静かに──」


だが足音はすぐそこ。


コツ……コツ……

そして──


バンッ。


襖が勢いよく開いた。


石田が立っていた。

眉がわずかに上がる。

目の前には男子六人と女子六人が入り混じってトランプに興じる“事故現場” と呼ぶしかない光景が広がっている。


石田は言葉を探すように一拍置いてから、重い声を落とした。


「…………………………お前ら」


十一人が反射的に叫ぶ。


「「「違うんですーーーーーー!!!」」」


咲良が必死に手を振る。


「ち、違うんです!御珠ちゃんが暴走して……!」


澄香が半泣きになりながら口を開く。


「そ、そう!私は止めようとしたの!!児童会長として!!」


莉子は手を胸に押し当てて震える。


「ただの見張りで……!」


他の女子たちも慌てて続く。


「その……なんか流れで……!」


男子のほうでも、颯太が意味不明な言い訳を叫ぶ。


「たまたま一緒にやってただけで……!遊びじゃなくて……勉強会で……!」


透が即座に切り捨てた。


「いやそれは嘘すぎる」


「うるせぇ!!」


雪杜は心底申し訳なさそうに頭を下げる。


「すみません……ほんと僕のせいで……」


すると石田の視線が止まった。

澄香に、まっすぐ向けられる。


「……如月、お前までここにいるのか」


名前を呼ばれ、澄香の肩がビクリと震える。


「わ、私は……その……!

 児童会長として皆を見張る責任があって……!」


石田はほんの少しだけ眉を上げ、静かな声で問う。


「“見張る”のか。

 じゃあ――お前が責任を持つんだな?」


部屋の空気が凍りついた。

澄香は、言葉と責任の重さを胸の中で何度も転がす。


(……どうするの、私……

 でも……ここで退いたら……

 みんなの楽しい修学旅行の思い出が……)


一度まぶたが震え、息を吸い込む。

そして、顔を上げた。


「……ええ。

 私が責任を持って……この場を見張るわ」


石田は深く息を吐いた。

それは怒りではなく、理解と覚悟をひとまとめにした大人の息。


「……分かった。

 なら――今回は見逃す」


部屋が爆発した。


「えええええええええええええ!?!?」


歓喜と衝撃の混ざった叫びがあがる。


雪杜は涙目で。


「せ、先生……!」


咲良は胸に手を当てて震える。


「ほ、ほんとに……?」


莉子は力が抜けたように笑う。


「優しい……」


颯太は両手を突き上げた。


「え!?マジ!?ラッキー!!」


石田が去ろうとしたその背中に、御珠のぽつりとした声が落ちる。


「……ほんに甘い教師よの」


全員が固まった。


(言ったぁぁぁぁぁぁ!!!!)


石田は背を向けかけたまま、一度だけ小さく息を飲む。

それは、言葉を絞り出す前に喉の奥で何かが引っかかったような、そんな微かな間だった。


そして――

静かな声で続ける。


「……お前らに“あの時の修学旅行、最高だったな”って……

 未来で思ってほしいだけだよ」


その声音には“自分にはできなかった過去への悔しさ”が混ざっていた。


襖が静かに閉じられる。


しばしの沈黙。

十二人の心臓の音だけが、部屋に淡く響いていた。


「……先生、かっけぇ……」


颯太が呟き、莉子が小さく笑う。


「すてき……」


咲良は胸の奥をぎゅっと抱きしめた。


(胸が……熱い……)


澄香は項垂れる。


「私、ダシに使われただけでは……」


雪杜は深く頭を下げるように呟いた。


「先生……ありがとう……」


その横で、御珠は静かに微笑んだ。


「……あやつ、良き人間よの」


廊下の向こうから石田の声が飛ぶ。


「次の巡回までには帰れよ!」


十二人は大きな声で返事した。


「はーーーーい!!」


颯太は笑いながら頭をかいた。


「優しいな……あの人……」


莉子は胸に手を当てて。


「えへへ……なんか好き……先生……」


澄香は顔を真っ赤にして怒鳴る。


「褒めてる場合じゃないわよ!!でも……格好良かった……」


咲良はその声を聞きながら、胸の奥の温度がゆっくり広がるのを感じていた。


(先生……ありがとう……)


御珠がぽつり。


「……良き夜になったな」


修学旅行の夜は、ようやく静けさを取り戻していった。


――――


石田が去ったあと、部屋はしばらく呆然とした静けさに包まれていた。

しかし、誰かが笑い出すと堰を切ったように空気が弾け、先ほどまでの緊張は、まるでなかったかのように消えていった。


「よし、次大富豪やろうぜ!」


颯太が声を上げると、部屋全体が一気に明るさを取り戻す。


「やったー!」

「わ、私も!」


風呂上がりの熱を残した笑顔たちが、また輪になって座る。

布団の上には散らばったカードと食べかけのお菓子。

修学旅行の夜にしか生まれない、雑多さと宝物みたいな空気。


御珠はカードを握りしめ、まるで戦場の指揮官のような顔で雪杜へ迫る。


「雪杜!妾のカードを見よ!!」


「見せちゃダメなんだよ御珠……!」


雪杜が焦るほど、御珠は満足げだ。

澄香は最初こそ眉間に皺を寄せていたが、気づけばカードを指差し、声が少し弾んでいた。


「そ、それ出せばいいんじゃない?ほら……」


女子の何人かが、頭を抱えながら天井を見つめる。


「まじ青春……」

「一生忘れない……今日……」


男子も女子も、笑いながら叫びながら、夜を噛みしめるように遊び続けた。

修学旅行の夜が、ゆっくり、優しく、深く深く沈んでいく。


――――


どれだけ騒いでも、時間は確実に流れていく。

笑い声が落ち着いた頃、透が腕時計を見て顔をしかめた。


「そろそろ本当に帰らないとヤバい」


駆も淡々と言い足す。


「次の巡回に当たったら終わるよ」


その言葉に空気が一気に引き締まり、咲良が御珠の袖を軽く引いた。


「御珠ちゃん、戻ろう?」


御珠は両手を布団に突いて、必死に抵抗するような声を出した。


「……嫌じゃ。雪杜の気配がここにあるのに……」


「御珠……頼むから……」


雪杜の声は泣きが入りそうなほど切実だ。


「むぅ……」


御珠はぷいと顔をそらす。


咲良は苦笑しながらその腕をとり、やんわりと引っ張る。


「ほらほら、行くよ〜〜」


颯太が笑いながら叫ぶ。


「引きずれー!」


すると数人が一斉に御珠を囲み“ぴょこーっ”と引きずりあげるようにして廊下のほうへ動かし始めた。


御珠は足をばたつかせながら抗議する。


「こら!離せ!妾はまだ雪杜と……!」


「はいはい、行くよ御珠ちゃん〜!」


咲良が軽く笑い、莉子は頬をほんのり染めながら囁く。


「可愛い〜……」


澄香は怒りながらも頬が赤い。


「可愛いとかじゃないわよ!!校則違反よ!!」


にぎやかな声が廊下へこぼれ、まるで小さな祭りの後片付けのように、笑いながら騒ぎながら“宴会”は幕を閉じた。


そして誰もが知っていた。

この夜はきっと、一生忘れない。


――――


布団が敷き詰められた女子部屋は、さっきまでの騒がしさが嘘のように静かになっていた。


部屋着の擦れる音や、誰かが布団を整えるときに立つ柔らかな衣擦れだけが、夜気の中へゆっくりと溶けていく。


その静けさを破ったのは、御珠だった。

咲良の布団へ、ためらいもなく滑り込んでくる。


ぎゅーーーーっ。


咲良は肩を跳ねさせ、声を裏返す。


「ひゃっ!?御珠ちゃん!?また!?

 ……もう……しょうがないなぁ……」


御珠は咲良の脇へ顔をうずめ、小さく囁いた。


「咲良……ぬしは温かい……

 雪杜の隣に戻れるまで……耐える……」


その言葉に、咲良の胸がきゅっと縮まる。

痛むような、くすぐられるような、不思議なあたたかさが広がる。


(胸が痛いような、嬉しいような……)


「……おやすみ、御珠ちゃん」


部屋には次第に、少女たちの静かな呼吸が重なり、穏やかな夜のリズムが満ちていく。


そんな中、澄香が隣の布団からぽつりと声を落とした。


「ねぇ。御珠さん」


御珠は咲良にくっついたまま、視線だけを向ける。


「なんじゃ。

 ぬしから話しかけるとは珍しいの」


薄暗い天井を見ながら、澄香は小さく息を吐く。


「ルールって何だろうね」


御珠は眉を寄せ、静かに耳を傾ける。


澄香の声は、まるで自分に問いかけているようだった。


「私、きょう初めて自分を曲げてルールを破ったの。

 ルールを破ったのに皆が喜んでくれた。

 ルールって何なんだろ……」


咲良はその言葉に胸がちくりとし、そっと御珠を見つめる。


(如月さん……)


畳の上で澄香のつぶやきがゆっくり吸い込まれていく。

御珠はすぐ答えようとはしなかった。

咲良の腕に寄り添ったまま、澄香の横顔をじぃっと見つめる。


ようやく口を開くとき、声は驚くほど柔らかかった。


「……ぬしは、今日の“楽しさ”を壊したくなかったのじゃろ?」


澄香はうつぶせ気味に顔を隠し、でも否定しなかった。


「……そう、だけど……

 私は“正しさ”で皆を守ろうとしてきたのに……

 きょうはそれと逆のことをしたの。

 なのに……みんな笑ってた」


御珠は少し体を起こし、布団の境目から澄香のほうへ顔を向けた。


「それが“人の理”じゃよ」


「……人の、理……?」


御珠は言葉を選びながら、続けた。


「ルールとは“皆が困らぬため”にあるものじゃ。

 だが時に“皆が喜ぶ方”が正しさを越えることもある。

 ぬしは今日、それを選んだだけのことよ」


澄香は目を瞬かせる。

胸につかえていたものが、すぅっとほどけていく感覚。

その変化を自分でうまく説明できずにいた。


「……それでも……

 自分が勝手にやったことに変わりはないわよ」


御珠は迷いなく首を振る。


「勝手などではない。

 ぬしは“皆を思った”からそう動いた。

 それは妾から見ても……誇れる行いじゃ」


澄香の息が止まる。

誰かに“誇れる”と言われる重みが、

自分が思っていたよりずっと深く心に触れた。


咲良は布団の中で、そっと拳を握る。


(……御珠ちゃん、優しい……

 如月さん、ずっと抱えてたんだ……)


澄香は布団をぎゅっと握りしめ、吐息のような声で呟いた。


「……ありがとう……

 なんか……ちょっとだけ楽になった」


御珠は満足げに咲良へ顔を戻しながら言った。


「ぬしも、ようやく“人らしい揺れ”を得たのじゃな。

 悪くないぞ、澄香」


澄香は枕に額を押しつけ、


「……言い方がムカつくんだけど……

 でも……なんか……分かる気はする……」


と、少しだけ照れた声で返す。


そのやり取りを見届けながら、咲良の心はじわりと温かくなっていく。


(すごいな……

 今日一番の“距離が縮まった瞬間”かもしれない……)


薄明かりの中で、三人の距離は静かに、確かに近づいていた。


――――


朝の空気は夜の混乱が嘘みたいに澄んでいた。

食堂前の廊下には、まだ眠気の抜けきらない子どもたちが集まり、

昨夜の喧騒とは正反対の、ゆるく流れる時間が漂っている。


その静けさを切るように、教頭の低い声が響いた。


「……石田先生。

 夜の見回り、もう少し徹底してくださいね?」


石田は淡々と頭を下げる。


「……はい。以後気をつけます」


周囲の空気がしんとした。

怒られているというより、“大人の世界の重さ”がそこにあった。


颯太が小声で吐息を落とす。


「やっべ……先生怒られてる……」


莉子は胸の前で手をぎゅっと握る。


「……うぅ……どっからバレたんだろ……」


駆は目を伏せ、淡々と呟く。


「……まぁ……あれだけ騒いでればね……」


咲良は胸の奥がちくりと痛む。


(……先生……

 昨日あんなに優しかったのに……

 怒られちゃうんだ……

 ごめんなさい……)


雪杜も不安げに石田の背中を見る。


「……先生……大丈夫かな……」


その隣で御珠が小さく首をかしげる。


「人の組織は……面倒よのう……」


ふっと緊張がゆるんだ。

御珠の無垢な感想が、夜と朝の境目を柔らかくほぐしたように感じられる。


やがて、教頭から解放された石田が、ゆっくりこちらへ歩いてくる。

叱られた直後とは思えない落ち着いた足取りだった。


そして――

叱られたというのに、その顔はどこか誇らしげだった。


まるで「昨夜のお前らを守れたことが嬉しい」と言っているかのような、不思議に柔らかい表情。


石田は軽く息を吐き、全員を見渡して言う。


「……情けないところを見られてしまったな。

 お前らは気にするな。

 さぁ、朝飯食いに行くぞ」


その声には、子どもたちの夜を抱きしめた大人の温度があった。


食堂へ歩き出す足音が、ゆっくりと流れを作り出す。

眠気も、疲れも、胸の中に残った昨夜の熱も、全部抱えたまま動き始める。


そして――

修学旅行三日目、最終日の朝が静かに幕を開ける。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ