第21話 修学旅行 ― 恋の星形散歩 ―
奉行所を出て木道を抜けると、揚げ物の熱気に混じった甘辛い香りと観光客のざわめきが、風と一緒に押し寄せてきた。
颯太が弾けるように叫ぶ。
「来たぁーっ!!ラッピッ!!!」
駆はいつものテンションそのままにひと言つぶやく。
「……人多い」
莉子は少し肩をすぼめながらも、視線は確かに店の大きな看板へ吸い寄せられていた。
「お昼時だしね……でも食べたい……」
店の外に描かれた巨大なハンバーガーのイラストが、御珠の視界を占領した。
目をまん丸にして、雪杜の袖をぐいっと引く。
「雪杜!あの“挟み物”、なんじゃあれは!?
肉が……塔のように積まれておる!!」
「……説明しづらいけど、まあ、食べ物だよ」
横で咲良がふふっと笑う。
御珠の無邪気さは、咲良にとって時々胸に小さな痛みをくれる。
(はしゃいじゃって……ほんと好き……)
六人は列に並び、店内の喧騒にゆっくり吞まれていった。
店内・注文カウンター前
甘辛い匂いに胃まで振動しそうなほど、店内は濃厚だった。
「チャイニーズチキン!チャイチキ一択!」
「……ラッピの王道」
「私、オムライスも食べてみたい……」
「雪杜くん、何にするの?」
「僕はラッキーエッグバーガーかな。卵好きだし……」
御珠はメニュー表を至近距離で凝視し、まるで古文書でも読み解くような真剣さで呟く。
「“ちゃいにーずちきんばーがー”……
“おむらいす”……“らきぽて”……
……なんと呪われた名称ばかり……!」
「呪文じゃないよ」
颯太が振り返り、ニヤッと笑う。
「御珠は、何にするんだ?」
「妾は雪杜と同じものを所望する!
雪杜が食すなら妾も食す!!」
「ひゅー。きょうもお二人はお熱い!」
「うむ。当然じゃ」
「や……やめてよ。恥ずかし……」
咲良は、その“当然”と言い切る距離感に胸がざわつく。
(……はいはい、またベタベタしてる。よーし私も)
「私もラッキーエッグバーガーにする!卵好きだし!」
御珠が満足げに頷いた。
「うむ。三人で食すのじゃ」
その“輪”に自分も入っている。
その事実が、咲良の胸にほんのり温度を灯す。
注文を終えると、店内の混雑があらためて押し寄せてくる。
番号札を受けとって席に落ち着いたものの、厨房はひっきりなしに呼ばれ続けている。
待つこと三十分。
御珠は飽きに限界を迎えそうになって、雪杜の袖を何度も引っ張っていた頃──
ようやく番号が呼ばれ、期待が一気に高鳴った。
紙袋の甘辛い匂いがテーブル全体を包み込む。
「ようやく来たのじゃ!」
「きたきたきた!!チャイチキ!!」
「うわ……大きい……手で持つの大変……」
「……写真撮る」
雪杜が包みを開くと、御珠が身体ごと乗り出してきた。
「おお……!玉子がこのように綺麗に……
これはどう食すのじゃ?」
「こうして……両手で持って……かぶりつく」
御珠はそのまま真似をして──
バーガーを両手でむんずと掴み、勢いよくかぶりついた。
「ん……っ……!?
この肉、主張が強い!!強いぞ雪杜!!」
「うまいじゃなくて強い!?」
咲良が指を伸ばす。
「御珠ちゃん、顔にソースついてる……」
莉子がおずおずと手を伸ばす。
「拭く……?」
御珠は口の端をぺろっと舐め、闘志を燃やすように言う。
「むぅ!!妾は敗北せぬ!!
この“肉の陣”……必ず攻略してみせる!!」
「攻略ね……おう、確かにこれは攻略しがいあるよな!!」
颯太は御珠の言葉に一瞬でスイッチが入り、同じ方向へ闘志を燃やした。
駆がその二人を面白がるように静かにカメラを構える。
「……御珠さん、写真撮ってもいい?」
「よいぞ!そなたの術で記録するがよい!」
パシャッ。
咲良はその光景に、ふっと嬉しそうに息を漏らした。
御珠が人の食べ物に悪戦苦闘していて、それを皆が当たり前のように受け止めて笑っていて――
(こういう普通の瞬間を見るたびに思う。
御珠ちゃんは神様だけど、ちゃんと“人の世界”にいるんだって)
雪杜が紙ナプキンを差し出す。
「御珠、紙ナプキン使って……」
「ふむ……これは雪杜が好きな“白い布”とは違うのじゃな?」
「ち……違うよ!!何のことだよ!!」
咲良はその反応がかわいくて仕方ない。
(ふふ……雪杜かわいい。意地悪しちゃお)
「なになに?雪杜の好きなもの興味ある」
「それはじゃな……もがもがもが」
「あーー!!ちょっと御珠!!」
雪杜が慌てて口を塞ぎ、咲良の心は“全部知っている”余裕で少しだけ笑う。
「えーなにかなー?」
──そして、時間は楽しく流れていく。
その後、
颯太は机につっぷし、胃を押さえて呻いた。
「ぐぇぇ……多すぎる……もう食えん……」
莉子は胃をさすりながら静かに頷く。
「おいしいけど……重い……」
咲良も苦笑した。
「半分でいっぱいいっぱい……」
駆も半分ほど食べ終えたところで、満足したようにスマホを持ち替え、淡々と写真撮影に専念しはじめた。
「……味も量も情報も、十分」
雪杜も息をつく。
「うまい……けど量が……」
そして御珠だけが、怒りに似た感動で拳を握る。
「なんじゃこの“質量”は!!妾を試しておるのか!?」
近くの店員が、慣れた笑顔で声をかけた。
「無理せず残していっていいからね〜」
──ラッキーピエロの洗礼。
六人は満腹と笑いに包まれながら、次の目的地へ歩き出す。
――――
昼食を終え、店の扉を出た瞬間、あの強烈だった甘辛い香りが、外の風にさらわれて薄まっていった。
昼の太陽が堀を照らし、水面は細かい光の粒で揺れている。雲の影までゆっくりと形を変えながら流れていく。
颯太は腹を押さえ、まるで世界に絶望したみたいな顔で息を吐く。
「ふぅ……まさか給食を食べ残す日が来るとは思わなかった」
駆が横から静かに刺す。
「(まぁ給食じゃないけど)……すごい量だった」
「ちょっと公園散歩して休むところでも探そうよ」
莉子の声は弱々しいのに、楽しもうという気持ちだけはちゃんと見える。
「そうだね……このままじゃ動けない」
雪杜も、胃の圧に逆らえず苦笑するしかない。
対して御珠だけは、あの量を平然と完食したとは思えないほど元気で、堀のきわにしゃがみ込み、水面へ顔を寄せていた。
まるで鏡ではなく、そこに眠る“音”でも聴こうとしているようだった。
「……この水、静かじゃが……“過ぎた時”がまだ眠っておる……」
雪杜がその言葉を受け取りきれないまま問い返す。
「過ぎた時……?」
御珠のまつげが風に揺れ、声音が少しだけ深くなる。
「人が争い、願い、泣き、守った記憶の……さざめきじゃ。
消えたようで、消えておらぬ」
「えっ!?何それ!?幽霊的な!?」
颯太が一歩下がって慌てる。
駆は冷静に首を振る。
「幽霊じゃないと思う……もっと根っこの話……」
咲良は御珠の言葉の意味を“全部理解はできない”のに、胸の奥には不思議と静けさが広がる感覚だけが落ちてきた。
(……御珠ちゃんは本当に“視てる”。
私たちの知らない層まで……
怖いとかじゃなくて……なんか、隣にいると強くなれる感じさえする)
そのとき御珠がふいに立ち上がり、雪杜の袖をそっとつまんだ。
そこだけ風とは別の、柔らかい重さが生まれる。
「雪杜。
そなたは……この星の陣をどう感じる?」
突然の“問う”モードに、雪杜は少し戸惑いながらも言葉を探す。
「どう、って……
なんか、落ち着くよ。広くて、風が気持ちいいし。
……昔の人ががんばった場所なんだって思う」
御珠の口元がゆっくりと綻ぶ。
「うむ。よき答えじゃ。
そなたは“人の営み”を大切に見る。
だから妾は……そなたが好きじゃ」
「っ……」
雪杜の耳が一瞬で赤くなる。
「まーた始まった」
颯太が呆れを隠す気ゼロで言い、莉子は頬を押さえてくすくす笑い、咲良はもう突っ込むのが仕事みたいに肩を落とす。
「もう隙あらばいちゃつくのやめてくれる〜?」
駆はそんな二人の距離を、まるで日記の一頁みたいに淡々とシャッターへ収めた。
――――
堀沿いの道を進むと、土塁へ向かう緩い坂が見えてくる。
みんなで息を合わせて上がると、視界が一気に開けた。
空が近く、風が強い。五稜郭の星形が、どこか遠くまで続いていくように見える。
「おおっ!高っ!!すげーー!!」
颯太はもう全身で風を浴びている。
「……風、気持ちいい……!」
莉子の髪がふわっと揺れ、その頬もほんのり赤い。
「ここ、写真スポットだって書いてあった」
駆は淡々とスマホを構えつつ、風に煽られる前髪だけが必死に抵抗している。
御珠は風に向かって手を伸ばし、すくうように掌を動かした。
「……この風、よい。
妾の宮とは違う“土地の声”がする」
「土地の……声?」
雪杜は自然と隣へ寄るようにして聞き返す。
御珠は空を見たまま言葉を続けた。
「人の手で形を刻んだ地は、その者たちの意図が残る。
この星の形には……“守れ”という願いが宿っておる」
「守れ……か」
咲良はそっと胸に触れる。眷属としての響きが、すっと身体に落ちた。
御珠はそのまま雪杜の横に立ち、袖を軽くつまむ。
風で揺れる髪が横顔にかかり、その仕草は神というより人に近かった。
「雪杜。
妾はそなたと歩くこの道……嫌いではないぞ」
「えっ、え?どういう意味……?」
不意を突かれた雪杜の声は、風よりずっと頼りない。
咲良は額に手をあてて、心の中で転がる。
(はいはい……また“好き”を全方位から撃ち込んでくる……)
そこへ颯太が風を切り裂く勢いで叫んだ。
「よーし写真撮れよ写真!“風つえ〜!”ってやつ!!」
「変な写真撮らないでよ……!」
莉子が慌てて風に逆らう。
「……颯太、髪がすごい……もっさぁ……」
駆は淡々と実況。
「やめろ!!もっとかっこよく撮れ!!」
颯太の抗議も、風と笑い声に流されていく。
六人の笑い声は堀を越えて広がり、風に乗って散っていった。
御珠は風の流れを追うように遠くを見つめ、そっと息を吸う。
どこか海の気配を含んだ風が、土塁の上をかすめていった。
「……雪杜。
人の作る景色は、いつ見ても面白いの。
妾は永く生きておるのに……
そなたらと歩くと、すべてが新しい」
雪杜はそれを受け止めきれず、ただ照れを誤魔化すように頬をかく。
「そう言われると……なんか照れるんだけど」
「あー……はいはい。ごちそうさま」
咲良は呆れつつも、胸のどこかが温かい。
(なんかきょう突っ込んでばっかり……でも好き)
――――
堀沿いの道を抜けたところで、カタン……カタン……とレールを叩く音が近づいてくる。
その響きが路面全体に伝っていて、街の空気がほんの少しだけ震えているようだった。
電車がゆっくりホームに滑り込むと、観光客のざわめきがふわっと広がる。
「っしゃあ!!路面電車きた!!」
颯太は腹の重さを忘れたみたいに元気を取り戻している。
「……人、多い……時間帯だから……」
駆は淡々と群れを観察している。
「乗れるかな……?」
莉子がそっと指を胸元に寄せて不安がる。
「15:30までに乗れば大丈夫だよ。急ごう」
咲良が班の速度を上げるように声をかける。
御珠は線路へ目を落とし、目を細めた。
「……雪杜。“鉄の道”が……地にむき出しになっておるぞ?」
「え?ああ、路面電車だから。こうして街の中を走るんだよ」
御珠は線路の高さと街並みをじっくり見比べるように眺めてから、低くうなった。
「昨日の“闇を裂いて走る高速の箱”とは違うのう……
こちらは……地を這う獣のようじゃ」
「獣扱いはひどいよ〜……」
頬を引きつらせる雪杜の横で、市電の扉が開く。
車内は観光客と地元の人たちで程よく詰まっていた。
六人は自然に固まり、端のスペースへと吸い込まれていく。
低いモーター音と同時に、市電が揺れながら動き出した。
カタン……ガタン……
御珠はその瞬間、肩を跳ねさせ、雪杜の袖にしがみついた。
「ぬぉっ!?床が揺れておる!!
雪杜、妾、沈むのか!?沈むのか!?」
「沈まない!動くだけ!!」
揺れに合わせて御珠の体が微妙に上下し、さらに焦りの声を上げる。
「っっ!!動いた!!雪杜!!妾が運ばれておる!!」
「そうだよ!運ばれてるんだよ!!」
莉子は必死に笑いを噛み殺したような声で言う。
「そんなに怖がらなくても……優しい乗り物だよ……?」
駆は冷静に揺れを観察しながらつぶやく。
「……動くと写真難しい」
御珠の視線は、頭上のつり革に移った。
「この輪……何の儀式じゃ?
ぶら下がるためか?試されるのか?」
「つり革だよ。つかまるための……」
「では妾も試される!」
「ぶら下がったりしちゃダメだよ!!」
御珠はつり革を掴み、揺れに合わせて身体を安定させた。
その満足げな表情は、まるで試練を突破した勇者のようだ。
「おー揺れに対抗できるのじゃ。これは良い。
ほれ。雪杜も同じところを掴んで手を触れ合わせるのじゃ」
「一人ひとつだよ!」
「……雪杜……そなたが近いと、揺れも怖くないな……」
「電車は安全だからね……」
咲良の胸に、軽い刺すような感情が走る。
(ほんと……この二人はいつもいつも……
ちょっと腹立ってきた)
揺れが強くなる区間に入ると、莉子がふっとよろめき、慌ててつり革に手を伸ばした。
「おわっ、大丈夫か!?」
「だ、大丈夫……ありがと……」
「……青春だ」
駆が淡々と実況し、
「何が!?」
颯太は全力で否定する。
御珠は窓の外へ視線を向け、ゆっくりと表情を変えた。
「……水面が見える……
人が描いた道が、風と海の上を走っておる……
不思議……じゃが……美しいのう……」
雪杜はその声色にふっと息を緩める。
「御珠がそう言うと……なんか特別に見えるね」
「そなたと見るからじゃ」
「はい!また始まりましたー!!」
颯太の声が揺れと一緒に弾む。
「はぁ……仲良しだね、ほんと……」
咲良は呆れながらも気持ちは離れていない。
「……写真撮る」
駆は構図を探し、シャッターを軽く押した。
カタン、コト……
市電の揺れと午後の光がゆらゆら混ざり、風の温度が窓から流れ込んでくる。
六人の距離もその揺れに合わせて静かに近づいたり離れたりしていた。
――――
停車のアナウンスが流れると、市電は速度を落としながら街の色へ溶け込むように停まった。
振動がゆっくり消えていく。
扉が開く直前、御珠は雪杜の袖をぎゅっと掴む。
「……雪杜。また乗りたいぞ、この箱……」
「うん。また来たいね」
ふたりの会話に、莉子が小さく笑いながら促す。
「降りるよ〜……」
「先生いるかな?」
颯太が駅の出口を探してきょろきょろする。
「……あそこ、手振ってる……」
駆が前方を指した。
石田が再会を確認するように軽く手を上げていた。
「よし天野班。無事だな。丸っと」
「問題なしです!」
咲良が明るく返し、
「妾は揺れに耐えたぞ!」
御珠が胸を張り、
「……耐える乗り物じゃないからね……」
雪杜がそっと訂正する。
六人は湯の川の街の空気を吸い込み、旅館へ向かう道へ歩き出す。
午後の熱気と自由行動の興奮が、少し汗ばんだ肌に残っていた。
──ここで、自由行動はひと区切りつく。




