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神愛 ─ 永遠の刹那 ─  作者: 神愛
第1章 小学生編
20/69

第16話 修学旅行 ― 距離が離れても ―

夜の静けさは、まるで部屋全体が修学旅行を前に息を潜めているようだった。

咲良は布団に入る前、机の端に置いていた小さな貝殻へ自然と視線を向ける。


去年、夏の海で拾ったおそろいの貝殻。

雪杜と御珠との、あの淡い思い出の欠片。


(修学旅行楽しみだな……)


胸の奥がふわっと温かくなる。

そのまま貝殻をそっと手に取り、光に透かすと、あの日の波音が耳の奥に蘇るようだった。


(これ……新幹線での話のネタにしよう。

 “こんなことあったよね”って……皆で笑えたら)


想像した瞬間、心がふわりと弾む。

ぼんやりした妄想に色がつきはじめ、気づけばもう次の“そうだ”が浮かんでくる。


(せっかくだから……アクセサリーにしよう)


思いついたら止まらなくなるのは、まだ子どもの特権だ。

小さな胸の高鳴りに背中を押されるまま、咲良は机に向かい直した。


(ブレスレットだと邪魔になりそう……

 うん、ネックレスなら……雪杜も気づいてくれるかな)


その晩から咲良は、毎日コツコツと夜更かしをして、細い紐を通したり結び直したり、手元の不器用ささえ愛おしいと思えるほど、気持ちを込めて作り続けた。


――修学旅行前日


「できた……」


完成したネックレスをそっと胸にあてる。

鏡に映る自分は、どこかいつもより背伸びをして見えた。

……正直あまり上手とは言えないけれど、それでも“世界にひとつだけ”という事実が胸を温かくする。


(これ、いきなり見せるのは……ちょっと恥ずかしいな……

 胸元にしまっておいて……ここぞって時にスッて出したら……

 びっくりしてくれる、かな……

 雪杜にわざと胸元を見せつけちゃったりして)


胸元に指をそっと添えると、じわっと熱が広がって、心臓が跳ねた。

“わざと見せる”なんて考えただけで、胸の奥がほどけるように熱くなる。


(……あ……また、この感じ……)


最近になって、その正体に薄々気づきはじめている。

雪杜のことを考えると、胸の奥がきゅっと波打つようにざわめく感覚。

触れたわけでもないのに、身体のどこかが熱を持つ。


咲良は急いで布団に滑り込み、毛布をきゅっと抱きしめた。

熱を落ち着かせようと目を閉じるけれど、その内側にはどうしても、ネックレスを見せたときの雪杜の顔が浮かんでしまう。


(……修学旅行、早く行きたいな……)


その小さな願いは、胸の奥で火種みたいにあたたかく灯り続けていた。


――――


修学旅行一日目。新青森から北海道へ向かうホームには、初夏の熱気と子どもたちの高揚が入り混じっていた。

行き交う声はどれも弾んでいて、列車の到着を待つ空気そのものが浮き立っている。


そのざわめきの中で、咲良も雪杜も胸の奥が少しそわそわしていた。

いよいよ、海を越える旅が始まるのだ。


そこへ――

風を切るような勢いで新幹線が滑り込んできた。


「これがしんかんせんと申す高速の箱か!

 電気とはすごいの……理が狂っておる!

 いざ参るぞ雪杜!この走る箱の理、すべて暴いてくれるわ!」


もちろん御珠は大興奮である。

雪杜が止める間もなく、まるで使命でもあるかのように一番近い車両へ飛び込み、1号車から順に調べ始めた。


「ちょ……落ち着いて!

 待ってよ、御珠ー!」


雪杜も慌ててその背を追う。

暴走機関車みたいな小さな神の勢いは、ホームの空気を一気にかき乱していった。


――その頃、咲良は乗り込む直前で足を止めていた。


(いよいよ出発だね……。話題に困ったら、これを出そう)


胸元の布の上からネックレスをそっと押さえる。

……押さえた手に、違和感が走った。


(……あれ?ない……!?

 さっきまであったのに……落とした!?)


胸の奥がひやりと冷えた。

ネックレスは紐だけ残り、貝殻の感触がない。


素人作りの弱さが、よりによって今日出てしまうなんて。


(さっきエスカレーターで登ってくるまではあった……

 まだ近くに落ちてるはず……!)


焦りのまま、咲良は新幹線のドアを前に方向転換する。

ホームの端から端まで、必死に視線を走らせた。


(ない……ない……

 雪杜との大事な思い出なのに……どうして……)


胸の奥のあたたかさが、いっきに不安に飲まれる。

視界が滲み、涙がひと粒こぼれた。


アナウンスが冷たく空気を裂く。


「まもなく発車しまーす」


(やだ……やだ……まだ見つかってないのに……

 電車、行っちゃう……)


咲良が諦めの影を落とした瞬間、車内の窓から雪杜がこちらに気づいた。


驚いたように目を見開き、最寄りのドアへ走ってくる。


「咲良!どうしたの!早く!!」


名前を呼ぶ声が、胸に触れた途端――

こらえていた涙があふれた。


「雪杜ぉ……!」


泣き顔を見た瞬間、雪杜の表情が変わる。

迷う暇もなく、ドアから外へ飛び出していた。


「咲良!」


駆け寄った雪杜に、咲良は半ばしがみつくように訴える。


「貝殻が……思い出の貝殻が……!」


震える声は、ただの“物をなくした”ではない。

あの日の海と、胸にしまってきた気持ちごと落としたような痛みがにじんでいた。


「お……落ち着いて。僕も一緒に探すから……!」


雪杜の声は驚くほど優しかった。

咲良の肩に手を添え、その震えをそっと受け止める。


――その背後で、ドアが無情に閉まりはじめる。


車内では御珠が異変に気づいた。


「お?雪杜よ?どこにおる?」


ついて来ない気配に眉をひそめ、窓の外を覗き込む。


そこに映ったのは、ホームで半ば泣き崩れる咲良と、それを抱えるように支える雪杜。


「なんじゃとーーー!?

 なぜ外におる!すでに動いておるではないか!!

 いますぐ止まるのじゃーーー!!」


御珠の絶叫は、新幹線の加速音にかき消されながらも車内中に響き渡った。


――――


新幹線が勢いよくホームを離れていき、車内の揺れが落ち着いたころ。


「先生よ!雪杜と咲良が!」


声は、叱ったり怒ったりというより、明らかに“恐れ”の色を帯びていた。


石田は慌てた御珠の肩を押さえ、落ち着かせるように短く息を吐いた。


「落ち着け。分かってる。いま電話するから」


ポケットからスマホを取り出し、指がやや震えながら雪杜へ発信する。


「お前ら、何してる!

 初っ端からやってくれたな!!」


その怒鳴り声に、車内の子どもたちが一瞬びくりと振り返る。

けれど石田の表情には“叱責”よりも“心配”が混じっていた。


『先生、ごめんなさい。

 ちょっと落とし物を……』


スピーカー越しの雪杜の声は、息を切らしつつも落ち着いている。


「叱るのはあとだ。起きてしまったものは仕方がない。

 一時間後の次の新幹線に乗るんだ。

 先生が北斗駅で待ってるから」


その言葉の途中で、御珠が割り込む。


「妾にも話させい!!」


車内の空気がもう一段階ざわついた。

御珠の声は鋭いのではなく、必死さが滲み出ていた。


「っちょ、まだ先生も話すことがあるんだ。

 ちゃんと話させてやるから待ってろ。

 切符は持ってるな。

 先生が駅員さんに話しておくから、そのまま次の新幹線に乗るんだ」


『はい』


雪杜の返事が聞こえた瞬間、御珠がたまらず前に身を乗り出す。


「雪杜よ。なぜ妾を置いて降りたのじゃ!!

 妾、妾すごく不安なのじゃ」


その声音には、神の威厳の欠片もない。

ただ、雪杜を失った幼い少女のようだった。


『ごめんね御珠。

 咲良も一緒だから心配しないで。

 すぐ合流できるから。

 皆に迷惑かけないように静かにしてるんだよ』


彼の声は、まるで泣きじゃくる子を寝かしつける兄のように柔らかい。

御珠は唇を噛んで震えながら、かすかにうなずいた。


「うん……妾、いい子にするのじゃ……」


その言葉には、本当に“努力”がにじんでいた。


莉子がそっと袖をつまむ。


「御珠ちゃん。元気だして」


颯太も、困ったように眉を下げながら続く。


「そうだぞ御珠。すぐ会えるって」


しかし――

その優しさすら御珠には届かない。


「ぬしら、なにを悠長な……!

 雪杜がいない……!咲良も……!

 妾、どうすれば……どうすれば……」


胸に手を当て、小刻みに肩が震え始める。


透がすぐ横から息を呑み、静かに促した。


「っちょ……深呼吸して」


だが御珠は首を振る。

呼吸が浅く乱れ、えずくような吐息が漏れた。


「できぬ……っ……

 雪杜の……気が……っ」


ただ“会えない”だけでここまで乱れるのは、もはや神性の問題ではなく、愛が深すぎるせいだと分かる。


石田はそんな御珠を正面から受け止め、強く、だが優しく言い切った。


「御珠くん、落ち着け!

 さっき話ただろ!二人は安全だ!

 後続の便ですぐ来る!」


御珠は目をぎゅっと閉じ、震えた声を漏らす。


「……本当か……?

 雪杜は……無事……か?」


「無事だ!」


その一言に、御珠はようやく空気を胸に吸い込めた。

まだ呼吸は不安定だが、暴走の兆しは落ち着いていく。


「……雪杜……

 はよ……来てくれ……」


その呟きは小さく、誰よりも切実だった。


――――


新函館北斗駅に降り立つと、初夏の風が広いホームを抜けていった。

しかし旅の高揚は、石田の最初の一言で見事にかき消される。


「あー知っての通り、天野と春原が乗り遅れた。

 先生はここで待つので、皆は教頭先生の指示に従って行程通りバスに乗るように」


「「はーい」」


返事は元気だが、ざわざわとした視線があちこち飛び交う。

その中で、澄香だけは露骨に眉を吊り上げていた。


「っく……初っ端からこれとか、天野ファミリー……やってくれるわね……!」


言葉の奥には、焦りというより“ルールを乱されたことへの苛立ち”が混じっていた。

透は苦笑しながら肩をすくめた。


「まぁまぁ。すぐに合流できるってことだし、僕たちも先に行こうよ」


「ぐぬぬ……」


ふてくされた声を残しながらも、澄香は列へ戻っていく。


――そこへ、迷いのない声が割って入った。


「妾もここで待つのじゃ!

 これは絶対じゃ!!」


御珠は拳をぎゅっと握り、ホームに仁王立ちしていた。

小さな身体なのに、絶対に動かない岩みたいな気迫をまとっている。


石田は、深く長く息を吐いた。

こうなるだろうと、内心では読んでいたのだ。


「まぁ……友達が一人くらいは残ったほうが天野たちも安心だろう。

 御珠さん、残ってくれるか」


その瞬間、御珠の瞳に強い決意が灯る。


「当然じゃ!」


子どもたちは次々にバスへ向かい、やがてホームには石田と御珠だけが残った。

広い空間に、二人分の気配だけがぽつんと置かれる。


御珠はベンチには目も向けず、ホームの端でまっすぐ立ち尽くしていた。


石田は横で腕を組み、小さくぼやく。


「……せめて座れって……」


御珠は視線を動かさず答える。


「座れぬ。心が落ち着かぬ」


風に揺れる髪さえそわそわして見えるほど、落ち着きのない立ち姿だった。

それでも、誰よりも“待つ覚悟”が滲んでいた。


石田はため息をひとつ増やし、苦笑混じりに呟く。


「……お前ほんと……神なんだか小学生なんだか……」


御珠は返事をしない。

ただ、遠くの線路の先に雪杜の気配を探すように、じっとまばたきを止めていた。


――――


ホームの隅を探し続けて数分――

落下防止の溝のそばで、白い貝殻がひっそりと光っていた。


「……あった……!」


咲良が小さく声を漏らし、拾い上げた瞬間、胸を張りつめていた糸がぷつりと切れた。


「よかった……ほんとに……」


握りしめた貝殻が震えて、こぼれた涙がそのまま指先に落ちる。


雪杜がそっと横に寄る。

安心したような、胸をなで下ろしたような表情だった。


そのとき、雪杜の携帯が震え、画面に「石田先生」の名前が光る。


『お前ら、初っ端からやってくれたな!!』


開口一番の雷に、雪杜は肩をすくめた。

その背後から、聞こえなくても分かる怒涛の声が割り込む。


『妾にも話させい!!』


電話越しでも御珠の切迫した叫びが伝わり、雪杜は苦笑しながらも状況を説明する。


落ち着いたところで、指示は簡潔に伝えられた。


「先生が北斗駅で待っててくれるって。

 次の新幹線で必ず来るようにだってさ」


そのまま二人は指定された後続便へ乗り込み、席に腰を下ろした。

ようやく息が整った頃――

咲良はふと、ある事実に気づく。


(二人きり……)


車内のざわめきから少し離れた隣同士の席。

いつも周りにいるメンバーの気配がなく、目の前には、ただ雪杜だけ。


それが胸の奥をどくんと揺らした。


沈黙をほぐすように、雪杜がぽつりと聞く。


「どうして貝殻をホームに落としちゃったの?」


咲良は一瞬、胸元の紐に触れ、照れたように小さく息を吸った。


「思い出話ができればと思って……

 ネックレスにしてきたんだけど……

 作りが甘くて壊れちゃったみたいで……」


雪杜の目に、去年の夏に見た浜辺の光景がふっと浮かぶ。

小さな波音と海風と、笑い声だけの時間。


「……今年も海にいこう」


「うん!」


咲良は迷いなく返事をした。

その明るさが続くかと思った次の瞬間――

不意に声が落ちる。


「ねぇ雪杜くん。

 こんなことになっちゃったけど……

 私、実はちょっとうれしいかも」


「うれしい?」


咲良は視線を膝の上に落とした。


「普段、御珠ちゃんがべったりじゃん。

 こんなふうに二人きりになるの、あんまり無かったから……

 御珠ちゃんが一緒だと、私……入り込めないし……」


ほんの少し、寂しさと勇気が混ざった声。


「……咲良……」


その名を呼ばれただけで、咲良は顔をそむけてしまう。


「私も雪杜くんを好きだってこと……

 時々でいいから思い出して欲しい……

 なんか眷属とかになっちゃって……

 どうしたらいいのかわかんないけど……」


雪杜は言葉を失い、口元がわずかに震えた。


「……え……あ、その……」


咲良は苦笑して、肩をすくめる。


「……ごめんね、急に。

 でもこれからも……隙があれば言っちゃうかも。

 御珠ちゃんも許してくれてるから……合法なんだよ」


「合法って……そんな言い方……」


「だって本当だもん」


咲良は、少しだけ悪戯っぽく笑った。


「眷属って何なんだろ。

 御珠ちゃんがそばにいない今こそ、雪杜くんを守るのが眷属の役目だよね!」


その“守る”という言葉がやさしく響き、雪杜は頬を赤らめてうつむいた。


そして――

咲良は今日一番の勇気を使う。


「ねぇ……手、繋いでいいかな……

 その、眷属だから……離れると困るし……」


眷属を都合よく持ち出してくるあたり、本気なのか照れ隠しなのか、判断がつかない。


断ったら咲良の肩が落ちる未来が、雪杜にははっきり見えた。

優しさなのか、押しに弱いのか――

彼はそっと答えた。


「い……いいよ……」


二人の手が触れた瞬間、咲良の心臓が跳ね、鼓動が指先にまで響く。

雪杜にも聞こえてしまうんじゃないかと思うほど。


そのまま函館の予定、御珠の話、莉子と颯太がどうなりそうか……

たわいのない会話が続いていく。


けれど咲良にとっては――

どれも宝物みたいに甘い時間だった。


(……貝殻、落としてよかったかも……)


思わずそんなことまで思ってしまうほど、修学旅行は“夢のようなスタート”になった。


――――


新函館北斗駅のホームは広いのに、やけに冷たかった。

電車が去った後の静寂が、御珠には“空虚”そのものに感じられる。


彼女は両手を握りしめ、まるで風に吹かれぬよう自分を固定するかのように立ち続けていた。

指先は小刻みに揺れ、視線は一点を探すようで、しかしどこにも定まらない。


少し距離を置いて見守っていた石田が、肩を落としながら近づいた。


「……落ち着かないか」


「……落ち着くわけがなかろう」


答えはひどく弱々しかった。

その声には、神の威厳など欠片もない。

ただ“雪杜がいない世界”に耐えられない少女の震えがあった。


石田は苦笑とも疲労ともつかない息を吐く。


「まさかお前が一人で残っちまうとは思わなかったよ。

 いつもセットだろ」


御珠は胸元をぎゅっと掴んだ。


「妾もじゃ……。

 新幹線を目の当たりにして“てんしょん”が上がってしまったのじゃ……

 雪杜の気配を見失うとは……万世の恥じゃ……」


“気配”。

普通の子どもの口から出る言葉ではない。


「気配、ねぇ……」


石田はそこで一度息を止め――

覚悟を固めたように、問いを投げた。


「なぁ御珠。……お前はいったい、何者なんだ?」


彼の声音は教師ではなく、大人だった。

目の前にいる少女を“小学生として扱うのはもう無理だ”という悟りの色。


御珠はゆるく顔を上げる。

翠の瞳が石田を静かに射抜いた。

その光は、同じ世界の理に属していない深さを持っていた。


「妾は妾じゃ。

 雪杜の伴侶として寄り添う者。

 この世の理から外れた在り方をしておるだけじゃ」


淡々とした断言。

まるで“それ以上の説明は不要だ”と言わんばかり。


石田は目を細める。


「……外れてるのは分かるさ。

 去年の春に急に転校してきたかと思えば、二学期には消え、三学期にはまたひょこっと現れて“伴侶”だの何だの……。

 ……普通じゃないのは、鈍い俺でも分かる」


御珠はゆるく口角を上げた。

それは笑みでもあり、“見抜いたか”という小さな賞でもあった。


「ほう。普段やる気を見せぬ、ぬしにしては鋭いな。

 だが深入りはするな。

 ぬしらの世界には“知らぬ方が良い”理も多い」


その言葉の気配だけで、空気がわずかに冷える。


石田の眉が寄る。


「教師として聞いてんだよ。

 お前が問題を起こして、他の児童に被害が出たら困る。

 頼むから卒業までは大人しくしててくれ」


御珠は小さな肩を少しだけ揺らし、短く息を吐く。


「妾とて望んで騒ぎを起こしておるわけではない。

 雪杜さえ絡まねば、妾は静かなものよ。

 利害は一致しておろう?」


「小学生の言葉じゃねーな。利害ってなんだよ。

 ……お前の雪杜への執着、あれは何なんだ。

 どう見ても“好き”とか“恋人”とか、そんな軽い言葉じゃ説明できねぇ」


御珠の瞳が細まる。


その光は、深い湖の底がわずかに波立つような――

静かで、しかし抗えない圧だった。


「始めに申したはずじゃ。

 妾は雪杜の伴侶。

 それ以上語る気はない。

 黙れ痴れ者が」


その一言が放たれた瞬間、石田の肩がびくりと震えた。

御珠から立ち上る“神気”が、わずかに肌を刺す。


石田は必死に呼吸を整え、弱い声で返す。


「……わ、分かったよ。

 邪魔はしない。

 しないから……お前も俺の邪魔をしないでくれ。

 ただ全員を無事に卒業させたいだけだ」


御珠はしばらく石田を見つめ――

ゆっくりと力を抜いた。


「……妾も少し言い過ぎたの。

 ぬしも教師としての役割を全うしようとしているだけに過ぎぬか。

 すまぬ。

 雪杜の地盤は着々と固まってきておる。

 これからは、なるべく目立たぬようにしよう」


石田は片眉を上げる。


「……やっぱり、あの“伴侶宣言”も“家族宣言”も……わざと、ってことか」


御珠は静かに微笑んだ。

神が意図を明かすときのような、淡い確信を帯びて。


「雪杜が心地よい日常を歩むために、必要な調整をしただけじゃ。

 恐れることはない。妾はもう世界を壊さぬ」


その宣言は、逆にとてつもなく恐ろしい。

“壊さぬ”とわざわざ言う存在なのだ、と嫌でも理解させられる。


石田は乾いた笑いを漏らす。


「ほんと……怖い神様だよ、お前は」


「ふむ……神様とな。

 少し素を出し過ぎたか」


御珠は視線を上げ――

石田に向けて、意図的に神意をぶつけた。


「な……なにを……

 くっ……うっ……」


石田が呻き、片膝をつきかける。


御珠は静かに告げた。


「すまぬの……どこから漏れるかわからぬゆえ、記憶を少し霞ませてもらった。

 世の理が乱れるゆえ、あまり使いとうないのじゃが仕方あるまい……

 妾に関する話の輪郭だけじゃ」


数秒の白い空白。

その後、石田は瞬きをして表情を戻した。


「ん……あれ、御珠くん?

 心配なのはわかるが落ち着きなさい」


「妾は落ち着いておる。

 ぬしこそタバコでも吸ってきてはどうかの」


「……タバコ?いや吸わんけど……

 お前、ほんとに小学生か?」


「妾は御珠じゃ。それで十分であろう」


石田は深いため息をついた。


「ほんとくそ生意気な小学生だよ」


御珠はにやりと唇をゆがめる。


「うむ!妾は生意気な小学生なのじゃ!」


そう言って、再び青森方面へ視線を向ける。

その横顔は、強くて、弱くて、危うい。


「……雪杜。

 早う来い。

 妾は……また会うまで、息がしづらい……」


ホームの風だけが、その呟きをさらっていった。


――――


――新函館北斗駅ホーム


線路の向こうに、後続の新幹線がゆっくりその姿を見せはじめた。

金属のきしむ音が風を震わせる。


その気配を感じた瞬間、御珠は石田の制止を振り切った。


「御珠くん!走るな!危ない!」


「妾は雪杜を迎えに行く!邪魔するでない!」


声に迷いがなかった。

ただ一直線に、雪杜の元へ戻ろうとする衝動だけが彼女を走らせている。


ホーム中央に飛び出した御珠は、その場で立ち尽くしたまま動かない。

胸に添えた手は震え、呼吸は浅く乱れ、瞳だけが一点を探して揺れていた。


「……雪杜……はよ……来い……

 妾……もう耐えられぬ……」


到着アナウンスが流れ、停車する車体の風が服を揺らす。


――ドアが開く。


最初に降りてきたのは雪杜と咲良だった。

二人が姿を見せた瞬間、御珠の表情が一瞬でほどける。


「……雪杜……っ!!」


「御珠!!」


次の瞬間、御珠は迷いなく雪杜へ飛び込んだ。

抱きしめる腕が震え、ふわりと雪杜の身体へ額を押しつける。


「雪杜……おそかった……っ……!

 妾……そなたの気が感じられず……

 胸が……ひき裂かれるかと思うた……っ」


言葉が震えすぎて、ところどころ息になっている。

雪杜は反射的に腕を回し、優しく支えた。


「ごめん……ごめん御珠……

 もう離れないよ……

 でも、ちょっと……息が……」


雪杜の声は苦しげで、胸の奥に何か重くのしかかるような圧があった。

御珠はしまった、とばかりに反射的に腕を離す。


少し離れたところで咲良がそれを見守る。

微笑んでいるのに、胸の奥が痛むような表情だった。


(……よかった……ほんとに……)


その小さな独り言は、風に溶けていく。


ようやく息を整えた御珠は、雪杜の手だけを握り咲良へ視線を向けた。


「咲良……そなたも……無事でよかった……

 そなたまで失うなど……妾……耐えられぬ」


「……うん……ありがとう、御珠ちゃん……」


咲良の返事はあたたかく、そして少しだけ心細い。


御珠はそこで、ふと何かに気づく。


「ん?咲良……そなた、ちと雪杜との距離が近くないかの?」


咲良は肩を跳ねさせた。


「そ!そんなことないよ!」


声が妙に高くなったせいで、逆に怪しい。

御珠は小さく目を細めた。


「まぁよい……

 咲良は家族ゆえ特別と言ったのは妾じゃ。

 じゃが――あまり調子にのらぬようにな?」


釘を刺す声音は柔らかいのに、芯が鋭い。

咲良は「は、はい」としか言えない。


少し離れたところでやり取りを見ていた石田は、遠い目になった。


(……やっぱりこいつら……

 いや、邪魔しねぇって言ったんだった……見なかったことにしよう)


深いため息を一つだけ落とし、声を張る。


「お前ら、早く皆に追いつくぞ。

 レンタカー借りたから乗れ」


雪杜、咲良、御珠の三人は自然に寄り添って歩き出す。

互いの距離が、もう元の位置に戻るように。


ホームを吹き抜ける初夏の風が、三人の背中をそっと押した。


――修学旅行、ここから本番。

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