第14話 家族入りは突然に
6年生の生活は、意外なほど穏やかだった。
騒がしかった三学期とは違い、最近の御珠は学校という場所にようやく馴染んできたらしく、突拍子もない神ムーブで教室をひっくり返すようなことも減った。
“普通の小学生みたいな日常”が、ゆっくりと形になっていく。
その穏やかな空気の中で、咲良はプリントを揃えていた。
休み時間のざわめきがゆるく揺れ、紙のこすれる小さな音だけが彼女のまわりに落ちている。
そのとき、机の端にそっと影が差した。
莉子が、袖をぎゅっとつまんだまま近づいてきていた。
声は今にも消え入りそうなほど小さい。
「あの……咲良ちゃん……ちょっと、いい……?」
咲良は顔を上げ、プリントをまとめる手を止める。
「え?う、うん……どうしたの?」
莉子は視線を泳がせ、足先で床をちょんと蹴りながら言葉を続ける。
「……その……聞きたいことがあって……
天野ファミリーって……私でも入れるのかなって……」
その瞬間、咲良の肩がびくっと跳ねた。
プリントの横で揃えた指がぴんと固まる。
「えっ!?あ、天野ファミリーに入りたいの!?」
胸の奥でざわっと不穏が動く。
(最近よく話しかけてくると思ったら……そういうこと……?)
莉子は小さくうなずいた。
「う、うん……なんか楽しそうで……
あの……私が入っても迷惑じゃないかなって……」
咲良の心がひやりと冷える。
(御珠ちゃん……嫉妬しちゃうんじゃ……
私の時あんなにバチバチだったのに……)
渋々といった調子で、咲良は小声で答えた。
「え、えっと……御珠ちゃんがOKすれば……かな……?」
それを聞いた瞬間、莉子の顔がぱぁっと明るくなる。
「ほんと!? よかった……!
ねぇ、咲良ちゃん、紹介してよ。
御珠ちゃん、なんか独特で……声かけるのちょっと勇気いる……」
その言葉に、咲良は深く深くうなずくしかなかった。
「……わかる」
(いやいや……私だっていまだに緊張するのに……!
なんで私が……橋渡し……)
ため息のように、咲良は提案を絞り出す。
「じゃ、じゃあ……放課後、時間あったら……ね」
(たぶん……ダメだろうけど……
御珠ちゃん、私の時はあんなに色々聞いてきたんだもの……)
莉子は満面の笑みで手を握りしめる。
「やった!さすがキューピッ……じゃなくて咲良ちゃん!」
「え!?キューピ?」
莉子は慌てて両手を振った。
「ち、違っ、なんでもないの!
これから“なる”って意味で……!」
(……???
なんか変なテンションなんだけど……)
咲良は胃のあたりをそっと押さえ、視線を落とした。
(ああああ……めんどうなことにならないといいんだけど……)
教室のざわめきが、二人のまわりだけほんの少し重く感じられた。
────
放課後の教室は、昼間のぬくもりがゆっくり冷えていく時間帯だった。
窓の外の光が斜めに差し込み、空いた席の影を長く伸ばしている。
その片隅で、御珠がひとり机に頬杖をついていた。
静かに揺れる髪が光を拾い、人間離れした存在感だけはどうしても隠しきれない。
咲良と莉子がそっと近づく。
咲良の足取りは“覚悟した人”のそれに近い。
「あ、あの……御珠ちゃん……」
咲良の呼び声に、御珠がゆっくり顔を上げた。
「ん?咲良よ。何か申したいのか?」
咲良は視線をそらしながら、言いにくそうに言葉を絞る。
「……紹介したい子がいるんだけど……」
「咲良の友か?」
「う、うん……その……莉子ちゃんっていうんだけど……
天野ファミリーに入りたいって……言ってて……」
御珠は小さく瞬きをしてから、静かに頷いた。
「ふむ。一度会うてみるかの」
「え!?女の子でもいいの!?」
咲良の声が裏返り、御珠は不思議そうに眉を寄せる。
「そなた。妾をなんだと思うておる」
(雪杜ラブラブ神……)
咲良は心の中で小さくつぶやき、表情がひきつる。
御珠はわざとらしく深い息を吐いた。
「とてつもなく失礼なことを考えた顔をしておるが……まあよい。
妾と咲良の仲じゃ。遠慮がなくなってきたのはむしろ良きことじゃ。
そなたの紹介とあらば、なお更会わぬ理由などない」
(くっ……この神様ほんとなんでもお見通し……!)
咲良は観念したように莉子へ視線を向けた。
「じゃぁ……莉子ちゃん。どうぞ」
莉子が緊張した面持ちで一歩前に進む。
頬は赤く、指先はきゅっと揃っていた。
「えっと……森川 莉子です……
よろしくお願いします……」
「そう、かしこまらずともよい。
そなたに問おう。
なぜ、家族になりたいのじゃ?」
御珠は莉子の瞳を真っ直ぐに覗き込む。
その目は、相手の心をまるごと透かすような静けさを帯びていた。
莉子はたどたどしさを抱えたまま、真剣に言葉を紡ぐ。
「えっと……なんか……楽しそうで……
その……みんな仲良しで……
私も……混ざりたいなって……」
御珠の表情がゆっくりと変わる。
無表情に見えて、その奥では“何か”を測っているようだった。
咲良は思わず息を止める。
「……ふむ。
そなたの心の色……なるほど、そういう理か」
低く落ちた声に、莉子は固まり、咲良の背筋がぞわっと粟立つ。
そして――
御珠の表情がふっと柔らいだ。
「よい。そなたを家族として迎えよう」
「え!?いいの!?
なんか……いろいろ……その……聞いたりしないの!?
私、けっこう質問されたよ!?」
「え!?咲良ちゃんそんなのしてたの!?
面接!?な、なにそれ……!」
「あわあわ……ち、違う違う!
そんな大げさなものじゃなくて!
ただ……ちょっとややこしいこと聞かれただけで……!」
咲良の慌てぶりを、御珠はどこか楽しそうに見ていた。
そのとき、廊下のほうから元気な声が響いてきた。
「おーい!何してんだよ二人ともー!
一緒に帰ろーぜー!」
颯太の声に、咲良はびくっと肩を揺らす。
「咲良、御珠……なに話してたの?」
雪杜がひょこっと顔をのぞかせる。
その柔らかい気配だけで、空気が少しほぐれた。
御珠は当然のように宣言した。
「今日から莉子が家族となった。
よしなに」
「えっ!?ファミリー増えんの!?やった!!」
颯太は全力で喜び、雪杜は絶句する。
「えっ……お、女の子……!?」
雪杜の肩が小さく震える。
「え?天野くんって……女の子苦手な感じ?
ちょっと意外……(御珠ちゃんとは、あんなに仲良さそうなのに……)」
莉子が首を傾げると、雪杜は困ったような笑みで返した。
「え、えっと……まあ……少し……」
その袖を、御珠がそっとつまむ。
「なに、雪杜。心配は要らぬ。
妾がついておる」
雪杜はほっと息を漏らした。
(……あれ……?
御珠ちゃん、私の時はあんなに刺々しかったのに……
莉子ちゃんには……ぜんぜん……)
咲良の胸にちくりと小さな違和感が走る。
しかし莉子の視線がふと動いたとき、咲良は気づいた。
莉子は、ちらちらと颯太の方を見ていた。
(……そういうことね。
“天野ファミリーに入りたい”って……颯太くんの近くにいたいってことか……
あー……なるほど……それでキューピット……)
胸の重さがすっと軽くなる。
咲良の表情も、ほんのり明るくなった。
「莉子ちゃん。……メンバーになれてよかったね」
「うん……!咲良ちゃんのおかげだよ。
よろしくお願いします……!」
莉子の照れた笑顔に、咲良の胸があたたかくふくらんだ。
教室を出て、五人で歩き出す。
颯太はいつも通り元気で、雪杜はそわそわ。
莉子はひそかに颯太を見つめ、咲良はその様子に複雑だけど満足げな表情を浮かべる。
そして御珠は、その全部を静かに見守っていた。
今日の帰り道は――五人で並んで歩く、ほんのり春色の下校だった。
――――
夜の空気は、雪杜の部屋の隅々にまでしんと染み込んでいた。
机の上には工場見学の資料が開いたまま置かれ、ページの白さだけが薄明かりを拾っている。
布団の中、二人は肩を寄せ合い、指先をそっと絡めながら仰向けに横になっていた。
眠りへ落ちる前の静かな時間――息遣いだけが互いの存在を確かめている。
雪杜が、少しためらってから声を落とす。
「ねぇ……御珠。
森川さん……あっさり家族にしちゃったけど……
本当に良かったの?」
繋いだ手のぬくもりが揺れる。
御珠はゆっくり顔を上げ、その瞳に灯った光は“見通す神”そのものだった。
「なに。心配はいらぬ。
あやつの心は、そなたへ向いてはおらぬ」
「そうなの……?」
雪杜がこちらへ向き、御珠も同じように身を寄せてくる。
距離はほんのわずか。声が触れあうほど近い。
「そなたの不安は分かる。
じゃが、うぬぼれるでないぞ。
呪いの影響が消えた今、“誰しもがそなたに惚れる”などという現象は起こらぬ。
ようやく、周囲にも普通の“いちゃいちゃ”が戻ってきただけのことじゃ」
「い、いちゃいちゃ……」
雪杜の顔が一瞬で赤くなる。
御珠はその反応にくすりと笑い、指先で絡めた手をそっと揺らした。
「そうじゃ。
これが人の世の本来の姿よ。
嗜好も関心も、そなたとは関わりなく揺れ動くものじゃ」
言葉の通り、雪杜の肩から緊張がゆるりと流れ落ちた。
御珠はそこで、少し声の色を変える。
「それにな……
これはそなたらにも利がある」
「利……?」
御珠は雪杜の手を指先でつつき、小さく弧を描くように撫でた。
「今は仲良し組として見られておるが……
それも長く見積もってあと一年じゃ。
そなたらはまもなく思春期を迎える。
男女が不自然に近くにおれば……世間は必ず噂を立てるようになる」
雪杜は驚いたように目を見開く。
御珠は表情ひとつ変えず、淡々と続けた。
「雪杜よ。
そなた気づいておるか?
世間では男一人に女子が二人以上群れる状況を何と呼ぶのか」
「え……は、ハーレム……」
「そう。ハレムよ。
このまま妾と咲良が常にそなたの傍におれば、世間は必ずそう呼ぶようになる。
そして妾が声高に『正妻じゃ』と名乗れば名乗るほど、咲良は好奇の目に晒されよう」
雪杜は息を吸い損ねたように固まる。
御珠の声は冷静――なのに、その奥にかすかな優しさが滲んでいた。
「妾とそなたが伴侶であるなら、『颯太と咲良もできておる』と囃す者も現れる。
世間とはまこと……男女のことには敏感なものじゃ。
ゆえに家族の人数が多ければ多いほど、我ら三人の“隠れ蓑”となる。
……それがどこまで通じるかは分からぬがの」
そこで御珠は、わずかに視線を落とす。
「咲良には、余計な噂で傷ついてほしくないのじゃ……
まして、その噂とて真実を外しておらぬゆえにな。
咲良が、自らの人生を選べるようになるまでは……
我らが保護せねばならぬのじゃ」
雪杜の胸に、温かくて苦しいものが広がった。
「御珠……
そんなふうに……そこまで考えてくれてたなんて……」
御珠はそっと雪杜の髪に触れ、優しく梳く。
「当然じゃ。
妾は……そなたの一生を預かっておる身よ」
「……ありがとう、御珠」
雪杜の微笑みに、御珠は一瞬だけ息を飲むように目を揺らし、それから照れ隠しのようにそっぽを向いた。
「礼などいらぬ。
妾はそなたのために動いておるだけじゃ」
静寂が落ちる。
手を繋いだままの温度が、布団の中にふわりと満ちていく。
その沈黙のあと――御珠がぽつりと言葉を落とした。
「のう雪杜よ。
妾がひと息で、世の価値観ごと“書き換えて”しまう方が早いとは思わぬか?」
「………」
返事はない。
御珠は、繋いだ手から伝わる温度に気づいて小さく笑った。
「なんじゃ。寝てしもうたか。
……ふふ。まぁよい。
この続きはいずれまた語ろう」
御珠は雪杜の頬にそっと触れ、指先で一度だけ撫でてから目を閉じる。
二人の手は離れず、そのまま静かに眠りへ落ちていった。
────
教室はざわざわと浮き立った空気に包まれていた。
黒板には大きく「遠足 班決め(6人1組)」と書かれ、その文字を見るだけでクラス中が色めき立つ。
石田がチョークを置きながら声を張る。
「来週の遠足の班を決めるぞー。
とりあえず好きなもの同士で組めー。
6人1組。男女3人ずつなー」
その瞬間、颯太が椅子を蹴る勢いで立ち上がった。
「おーし!ファミリーは当然一緒だよな!!
雪杜!御珠!咲良!莉子!来いよ!」
あまりに一直線な宣言に、咲良が目を丸くする。
「ちょっ、ちょっと颯太くん……ペース早……」
莉子はそわそわと手を胸の前で組み、声を縮めた。
「い、いいのかな……私も……天野ファミリーで……」
咲良は柔らかく笑ってうなずく。
「莉子ちゃんはもう正式メンバーでしょ?
御珠ちゃんも“いい”って言ったんだし……」
御珠はいつも通り堂々だ。
「うむ。家族は多いほど面白いのじゃ」
雪杜は、小さく目を伏せながら心でつぶやく。
(……家族増やすって言ってたけど本気なんだね……)
その横で咲良も密かに驚いていた。
(え……まだ増やそうとしてる?)
こうして五人は自然と一かたまりになり、あとは一人。
颯太が腕を組み、教室をぐるりと見渡す。
「よし!あと一人!六人で一班だからな!
誰にすっかなー……」
その時、教室の端。
机に肘をつき、静かに自分の世界に沈んでいる男子――佐藤 駆が目に留まる。
声をかけられても無表情で返しそうな、そのマイペースさ。
颯太が全力で手を振った。
「おっ、駆ーー!!おーい!!」
駆は顔だけ上げ、瞬きを一つ。
「……ん?」
「うちの班入らないか?あと一人枠あんだよ!」
駆は少し考える素振りを見せて、淡々と答えた。
「え……俺……?
あー……うん……別にいいけど……」
咲良の頭の中に衝撃が走る。
(え、颯太くん……コミュ力高っ!!
ためらいゼロで声かけるの!?
いやいや……普通あの距離で話しかけないでしょ……!)
雪杜は胸を撫で下ろすように小さくつぶやく。
「よかった……優しそうな人で……」
颯太はさっそく駆の袖をつまみ、ずるずると引っ張ってくる。
「はい駆ー!今日から天野ファミリーな!」
駆は表情をほとんど変えず、ぽつり。
「……ん。よろしく……」
「えっ、もう家族入り!?」
雪杜が声を上げる。
「早っ!」
咲良も同じテンションで返す。
御珠は腕を組み、なぜか誇らしげにうなずいた。
「咲良よ、名前を呼ばれた瞬間にもう家族じゃ」
(そんな即時加入システム聞いてない……!!
私一人だけ、めっちゃハードル高かったじゃん!!)
咲良は心の中で机を叩いた。
駆は周囲を見回し、淡々と受け入れる。
「まあ……居心地悪くなければいいや」
「駆くん、優しい……」
雪杜がほっと微笑む。
黒板前では石田が班の進行を確認していた。
「はい、班決め終わってるなー?
六人揃ってるとこから前に来てメンバー書いてけ」
颯太が誰より早く手を上げる。
「先生ーー!!天野ファミリー完成しましたーー!!」
「……お前らのその“ファミリー”ってなんなんだ……?
まあいい、六人揃ってるならそのまま班番号1な」
(石田先生つっこんで……!!
だれか一回止めて……!!)
咲良の心の悲鳴は誰にも届かない。
自然と並んだ班の並びはこうなった。
颯太 — 雪杜 — 御珠 — 咲良 — 莉子 — 駆
颯太が満足げに胸を張る。
「よし!完璧なラインナップ!!」
駆がぼそりとつぶやく。
「……なんか濃いなこの班……」
「わかる!!!」
咲良が即答する。
雪杜はおろおろと目を瞬かせた。
「え、濃い……?ぼ、僕そんな……?」
御珠が胸を張って言い切る。
「雪杜は可愛いからの。濃くて当然じゃ」
「か……かわ……
御珠……大きい声で言わないで……!」
雪杜の頬が真っ赤に染まる。
その横で莉子はそっと颯太へ視線を向け、咲良は小さく達成感をにじませ、駆は淡々とその空気を受け入れ、御珠は全体を眺めて満足げにうなずいた。
こうして――
天野ファミリー六人班が、完成した。
班番号を書き終え、紙を提出し終えた六人が席へ戻っていく。
教室はまだざわざわしていて、あちこちで「誰と組む?」「あと一人!」と声が上がっていた。
その喧騒の中で、雪杜はふと立ち止まる。
胸の奥で、じわっと温かいものが湧き上がってきた。
(……去年と違って、こんなにスムーズに班が決まるなんて……)
思い返せば、名前を呼ばれることもなく、誰の輪にも入れず、ただ静かに時間が過ぎるのを待っていた春。
あのときの“痛い静けさ”はここには無い。
今の雪杜の周りには、
颯太の大声、
咲良のあたふた、
御珠の堂々たる存在感、
莉子のそわそわ、
駆のゆるい相槌が、
当たり前のように重なっている。
(……なんか……すごいな……)
胸の奥がふわっと膨らむ。
期待とも不安とも違う“この先を見てみたい”と思える感覚だった。
(遠足……楽しみだな……)
雪杜は自然と口元を緩めた。
それに気づいた御珠が横目で小さく微笑み、咲良は気づかないふりをしながら嬉しそうにちらりと見て、颯太は「なにニヤついてんだよ!」と背中を叩いてきた。
教室の真ん中で、遠足前の小さな期待が、そっと芽を伸ばし始めていた。




