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関東軍着任①~井置中佐との出会い~

昭和14年3月伊坂は陸大を卒業後、大尉へ昇進した後、関東軍第23師団参謀へと補された。

陸大を卒業した者の多くは軍(日本陸軍が組織する部隊の最大単位であり、隷下には師団が2~4つ配置され、司令官は中将~大将が勤める)や師団の司令部や、中隊長などに補される者がほとんどである。更に優秀な成績者であれば参謀本部(陸軍の中央機関の一つ)などに配置される。伊坂の場合は師団司令部とはいえ、近年最もキナ臭い満州というのは陸大教官の手が入ったのであろうか。しかしながら、成績が平凡もしくはそれ以下の者は大隊付などに配置されるなど陸大出でも扱いに困る者もいるなか、伊坂の場合、上位成績を、収めているため陸大もそれを無視することは出来ず、師団の、それも参謀という役職で配置されたのはまた主任教官の計らいだろう。「現実はそうも行かない。」「お前はまず現場へ行ったらその事をしっかり学べ」主任教官の言葉を思い出す。これもまた愛情なのかと伊坂は思うことにした。


 伊坂は第23師団司令部着任後、先任参謀(参謀長を除き参謀の中で1番序列の高い者)に周辺の現状説明を受けた。

 第23師団は満州北西部の守備を主任務としている。正面にはモンゴルとの国境沿いを流れるハルハ河があり、それを挟み対岸にモンゴル軍の国境警備隊も常にこちらへ睨みを効かせていた。

この地ではここ2年ばかりで満州軍とモンゴル軍が大小200回ほどの武力衝突が起こっている。しかし、日本軍にとって最もやっかいなのはその背後にソビエト連邦(通称ソ連)の陰がちらついていたことだった。最近ではモンゴル軍に対してソ連の武器供与がされており、モンゴル軍も徐々に強化されつつあるという。

現況について一通り説明を受けた、内容はまだしも地図が簡素で信用してよいものか疑問に思う。そんなことを上官に直接言おうものならどんな叱責をくらうかわからない。そんなことは伊坂ですら察しがつく。そこで自ら現地を見たいと申し出た。これに先任参謀は「今はまだそんなことせんでいい。自分の仕事を早く覚えるように」と促したが、たまたまこれを見ていた師団参謀長が「殊勝なことだ、いいではないか、伊坂大尉行ってきなさい、一緒に小隊を一つ同行させてしっかりみてくるといい」とはっはっはと笑い上機嫌で送り出してくれた。先任参謀もこれには呆れたがやむなく送り出すことになる。

 伊坂は一個小隊約30名に同行してもらいハルハ河沿岸を南から向かった。小隊長である鈴木少尉は着任してまだ1年ほどというが移動しながらもよく周辺の情勢などを説明してくれた。鈴木少尉は師団予備隊に所属しているが、情勢に詳しいのは、ついこの前まで師団司令部に在籍して小間使いとしてよく各部隊に出向いていたそうで、最近になり小隊を1つ持たせてもらえたとのことだ。それでも、新任参謀のお守りを申し付けられ道案内までさせられているのは大して彼の扱い自体に変わりはなく、伊坂は自分が事の発端ではあるが何となく申し訳なく思った。

23師団の担任配置を南のノロ高地からバルシャガル高地と視察させてもらい、最後にフイ高地に辿り着いた。そこで駐屯している第23師団捜索大隊を訪ねる。大隊の駐屯地へ到着し、伊坂は小隊に休息を取らせ                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    大隊副官に案内され大隊長を表敬する。「大隊長、司令部より新しく着任された参謀がみえました」案内された先に男が1人こちらに背向けて立っていた。第23師団捜索大隊長の井置中佐だ。井置中佐はハルハ河の方、草原の先を双眼鏡で眺めている。井置中佐の前には簡易な机とその上には周辺のものであろう地図が見える。

「失礼します第23師団参謀へ着任しました伊坂大尉であります。」形式に則り背中であれど敬礼をする。井置中佐はゆっくり伊坂の方に振り向く。「若いな天保銭組か。」振り向きながら井置中佐は軽く敬礼を返し語りかける。天保銭組とは陸大を出たエリート軍人のことがよく言われる呼び名で陸大出でない者は無天組と呼ばれる。「こんな所までご苦労だな、先任参謀の怒りでも買ったか?」敬礼を返され、伊坂も敬礼を降ろす。「いえ、自分の目で現地を見たいと申し出ました。」 それを聞き井置中佐はフッと笑った。その表情にはまるで活力が無かった。「好きに見て行くといい、君にどれ程の力があるか知らないが、しっかり見て上へ伝えてくれ。」そう言って再び井置中佐はハルハ河の方へ向き直り双眼鏡を前方に向け元の姿勢に戻った。ふと、伊坂は思った。(そうか、この人は私を信用していないのか。)人によっては上級司令部を信用していない人もいる。兵力の面、補給の面、現場からいくら声を上げても取り入れられないというのはよくあることだ。ましてや、参謀とはいえど、こんな若造に何が出来る者かと思われたとて仕方のないことなのであろう。しかし、伊坂は事前に、周囲の情勢を聞いてきている、近年武力衝突が頻繁に起こり、死傷者も出ていることは見過ごすことはできない。

「中佐殿、その地図を見せていただいてもよろしいでしょうか。」井置中佐の対応は自分を信用していない。しかし、それでは事は進まない。井置中佐の指示したとおり「しっかり見て上へ伝える」為に、伊坂にとっては何もしない訳にはいかない。

「構わない、好きにしなさい」伊坂の申し出に特に反応するでもなく井置中佐は受け入れた。許可を受け、机上の地図を拝見する。(これは、凄い)地図上にはおよその大隊の位置から正面、ハルハ河の対岸のその少し先まで記してある。所々注意点や、部隊の配置点などが事細かに記されている。その正確さに伊坂は驚き、師団司令部で見た地図がいかに粗末なものであるか実感した。それは、司令部へいかに情報が届いていない、または受け入れていない。その地図は見ただけで伊坂には敵の襲撃予想地点まで把握出来た。「中佐、こことここに迫撃砲用のトーチカを作るのはいかがでしょう?」伊坂が唐突に提案する。井置中佐は少し考えた後理由を尋ねた。「ドイツ軍の陣地構築における資料を以前に拝見したことがあります。」伊坂は井置中佐に少しでも聞いてもらうため根拠を一つ一つ話す。説明をしながら、伊坂を驚かせたのは井置中佐が伊坂の話を一つ一つ丁寧に聞いていたことだ。その他、伊坂は捜索大隊の現状に対し2つの問題点を見た。一つは捜索大隊の兵員は約800名、歩兵中隊の他にも砲兵、工兵の部隊を持っているが、もし敵が襲撃して来た場合、この部隊の規模からして攻勢に出ることは困難であること。2つ目は師団司令部はこの隊に対し兵力の増強をするとは思えないこと。残念ながら以上のことのうち2つ目は伊坂には直接口に出すことが出来ない。それは自分の実力不足を自覚していることと、その為に大隊に対し淡い希望を持たせられないからであった。しかし、それは井置中佐自身も理解しているかのように追求はせず、伊坂の話す戦術をよく聞き議論を交わした。上級司令部の対応についても井置は理解している。だからこそ現状で出来ることを一つ一つ模索し、最善を尽くす。しかし、その井置の心情を伊坂が理解できるのはまだ大分先のことである。

伊坂はその他にも周辺の情勢や大隊の兵力のことなどをよく質問した。質問の答えに対しまた質問をし、それは時に議論に変わる。悲しいかな議論を交わす毎に伊坂の確信が強くなる。もしモンゴル、ソ連と戦闘になり、この地にも敵が攻め込んだ際、この部隊に対する師団からの優先度は低い。関東軍はモンゴル、ソ連からすればバルシャガル高地の正面に戦力を集めやすいと見ている。しかし、フイ高地はモンゴルの最も最北東に位置している。伊坂の考えは違った。ここを占領すれば、もし戦闘が長期化した際に敵は前線部隊への補給経路を複数設置でき、更に北方から満州へ更に圧力をかけることができる。そんな地を敵は見逃しはしない。それは井置隊長自身がよく予測していた。

しかし、伊坂には何もできない。右肩に参謀モールを与えられ、師団司令部という2万人以上を動かす事のできる組織にいながら彼の発言力はまだ無いに等しい。

その日は日が暮れるまで井置隊長と話した。ある程度質問が落ち着くと井置中佐から野営地にて休むよう促された。

引率してくれた小隊の野営地に戻り、休むことにする。しかし日中に井置中佐と話した事が頭を離れず、よく眠れなかった。

翌日、井置中佐に簡単な挨拶を済まし、すぐに陣地を離れた。長居ができればこの戦線に戦術をさらに極めることもできただろうか。しかし、軍人としてそんな淡い期待は持ってはいけない。自分に出来ることは本来の持ち場へ帰り全ての部隊が最高の動きを出来るよう考え、意見することだ。

腹に煮え切らない思いを抱えながら伊坂はフイ高地を後にした。その僅か2カ月後にこの地は壮絶な戦闘を繰り広げる地となる。

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