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02. おずおずの姫と、扉の向こうの朝

•リシェル

 王国の姫。深紅の髪を持つ。

•レオンハルト王

 リシェルの父であり現国王。白銀の髪と瞳を持つ元勇者。

•エリザベート王妃

 リシェルの母。優しく寄り添う。

•エミリア

 リシェル付きの侍女。実は宮廷魔導士で護衛も兼ねる。

 王都の空は、夜明けの色を残したまま淡い青に染まりはじめていた。窓の外に広がる街並みは、塔の影を長く落とし、石畳にはまだ夜露が残っている。陽が昇るにつれて、それは宝石のようにきらめきを放った。


 揺れる馬車の座席に腰掛け、リシェルはその光景をじっと見つめていた。深紅の髪が肩に落ち、窓から差す朝の光を受けて淡く揺れる。指先でその一束をくるくると弄びながら、緑の瞳はどこか落ち着かず、窓の外を泳いでいた。


「……本当に、わたしが学院に行くんだね」


 声に出すと、不思議と胸の奥で波紋が広がる。言葉にしてしまったからこそ、逃げ場がなくなるような気がした。


 向かいの席に座るエミリアは、相変わらず落ち着いた表情で、金の髪を後ろにまとめている。侍女としての衣装は端正だが、瞳には侍女以上の強さが宿っていた。


「はい。今日からリシェル様も学院の一員です」


 その言葉はあまりにも自然で、まるで季節の移ろいを告げるかのようだった。だが、リシェルの胸には重く響いた。


 幼い頃から王宮の中で守られ、学問も魔法も家庭教師や王妃から与えられてきた。護られた日々の終わりを告げる鐘が、今まさに鳴ろうとしているのだ。


 ふと、数か月前の記憶が鮮やかに蘇る。


 ――王宮の執務室。大理石の床に敷かれた深紅の絨毯。重厚な机の向こうで、父と母が並んで座っていた。


「リシェル。学院に通う時が来た」


 父、レオンハルト王の低い声は、石壁に反響してさらに重みを増した。白銀の髪が光を受けてきらめき、白銀の瞳が真っすぐにこちらを見つめていた。


 その視線に、リシェルの背筋は凍りついた。


「……でも、もし……もし闇が出てしまったら」


 言葉は震え、途中で途切れた。虹色に輝く魔力の奥に、あの黒がにじむのではないか。魔王と同じ力だと囁かれるあの色が。恐怖と羞恥が絡まり、喉を締めつけた。


 けれど、父は容赦なく言葉を投げた。


「それでも行け。おまえを見限る者がいたとしても、我らは決して見限らぬ」


 厳しく響いた声。その奥に、確かな温もりが隠されていた。強さと優しさが同居したその響きは、リシェルの胸の奥に深く刻まれた。


 母、エリザベート王妃は赤い髪を揺らし、緑の瞳で穏やかに続けた。


「学院での日々は、きっとあなたを強くします。友と学び合うことは、宮廷の学問とは違う宝になりますよ」


 その声は、春の陽射しのように柔らかかった。


 父の厳しさと母の温かさ。その二つが重なり合って、リシェルを学院へと送り出す力になったのだ。


 ――そして、今。


 馬車の揺れとともに現実に戻ったリシェルは、小さく拳を握りしめた。


 窓の外、塔の影の向こうに学院の寮棟が見えてきた。石と煉瓦で造られた建物は陽を浴びて温かな色を帯び、窓辺の花台には小さな花々が風に揺れている。


 心臓が高鳴り、胸の奥で波が荒れる。


「ここから……始まるんだ」


 小さく呟くと、エミリアが静かに微笑み、手を重ねてくれた。


「はい。リシェル様の学院生活が、ここから始まります」


 その言葉に、リシェルは深呼吸をした。揺れる胸の奥に、虹の色を思い浮かべる。――虹。合言葉が心の中に灯り、小さな足を前へと押し出した。


 馬車から降り立つと、目の前にそびえる寮棟が改めて大きく見えた。王宮の壮麗さとは違う、石と煉瓦で積み上げられた温かな建物。塔ほどの高さはないが、窓枠ごとに花台が設けられ、青や黄色の花が風に揺れている。


 玄関前には、新入生らしき子どもたちが集まり、親に手を振ったり荷物を抱えたりしていた。貴族の馬車が立ち去る音もすれば、平民の子らが革袋を背負って駆け込む姿もある。リシェルは思わず足を止め、その賑やかさに胸を圧された。


 すぐ後ろでエミリアが静かに囁く。


「大丈夫です。皆さん同じ、新しい一歩を踏み出す者たちです」


 その声に背を押されるようにして、寮の中へ進んだ。


 大きなホールの奥では、寮母が笑顔で迎えていた。年配の女性で、腰に下げた鍵束がじゃらりと鳴る。その一つを選び、リシェルへと差し出した。


「こちらがあなたのお部屋の鍵ですよ」


 小さな金属片を両手で受け取った瞬間、ずしりと重みを感じた。母から渡された宝石箱よりも重く、王宮の冠よりも責任を思わせる。


「……これが」


「はい。ここからはリシェル様ご自身の暮らしです」


 エミリアの声に頷き、寮母の案内で階段を上がった。


 木の階段はきしり、廊下には先輩たちの寄せ書きが額に飾られている。「楽しい学院生活を!」と大きく書かれた文字に、仲間同士の笑顔の絵。リシェルは思わず立ち止まり、その無邪気な笑みに見入った。


「にぎやかそう……」


 ぽつりと漏らすと、エミリアが穏やかに答えた。


「ええ。リシェル様にも、きっと笑顔が増えていきますよ」


 三階の角部屋の前で止まる。寮母が「ここですよ」と指差した。リシェルは鍵を見つめ、唇を引き結んだ。


 胸の中で小さな嵐が渦を巻く。王女としての立場、学院生としての新しい日々、そして“虹の奥に黒がにじむ”という秘密。全部が重なって、鍵穴を覗く目が揺れた。


「リシェル様」


 エミリアの声に顔を上げる。


「ここは“わたしたちの部屋”です。どうぞ、開けて」


 深呼吸をして、鍵を差し込む。かちゃり、と音を立てて回る手が震えた。


 扉を押し開けると、陽の匂いがふわりと広がった。並んだ二つの寝台、木の机と椅子。窓際には小さな丸テーブル。白いカーテンが風に揺れ、床には光の帯がいくつも描かれている。


「思ったより……普通」


 リシェルが呟くと、エミリアは小さく笑った。


「普通こそ、大切なのです」


 荷物を解きながら、リシェルは母から渡された小箱を取り出した。蓋には押し花が貼られていて、指先で撫でると柔らかい感触が返ってきた。


「……おかあさま」


 胸がきゅうと締め付けられる。緑の瞳が潤んだのを見て、エミリアはそっと水差しを満たし、杯を差し出した。


「お水をどうぞ」


 一口飲むと冷たさが喉をすべり落ち、嵐の中心に少しだけ隙間が生まれる。


「ありがとう、エミリア。わたし、大丈夫」


「はい。いつでも、ここにおります」


 その言葉に、リシェルは小さく頷いた。窓の外では芝が風に揺れ、鐘楼が光を受けて静かにきらめいていた。


 緑の瞳がその光を映し、少しだけ強く輝いた。


 昼の鐘が鳴ると、学院の食堂は一気に賑わいを増した。広い空間には長い木のテーブルがいくつも並び、窓から差す陽が床の上に明るい模様を描く。新入生たちは一斉に列をつくり、盆を抱えて料理を受け取っていった。


 リシェルもエミリアに付き添われて列に並んだ。背後から押し寄せるざわめきに胸が縮む。王宮の晩餐では整然と料理が並び、声を潜めて会話が交わされる。それに比べて、ここはあまりにも自由で騒がしい。


「……たくさん」


 盆を受け取りながら小さく呟く。並んでいるのは大鍋からよそわれる野菜スープ、籠に山と積まれたパン、果物を切った皿。香ばしい匂いが漂い、腹の底を刺激した。


「リシェル様、蜂蜜のパンはいかがです?」


 エミリアが勧め、リシェルはうなずいた。丸いパンの表面に黄金色の蜜がつやめき、ふんわりと甘い香りが立つ。それだけで、少し心がほどけた。


 窓際の隅の席に腰を下ろす。人の気配から少し離れることで、呼吸がしやすくなる。盆の上のパンを齧ると、やわらかな甘みが舌に広がり、心の中の緊張がほんの少し薄れた。


 そのとき、向こうのテーブルでちょっとした騒ぎが起きた。


「うわっ!」


 山ほどパンを積んでいた少年が、手を滑らせて崩れそうになったのだ。


 すぐ横から光を受けて淡く揺れる白銀の髪を、無造作に束ねた少年が手を伸ばし、器用に支えた。肩にかからぬ程度の長さの髪が光をまとい、静かな存在感を放っている。


「欲張りすぎだ」


 低く抑えた声。けれど冷たくはなく、澄んだ水面のように静かだった。


「はは、悪い悪い!」


 パンを崩しかけた茶髪の少年が照れ笑いを浮かべ、パンを齧った。快活そうな顔立ちが、場を明るく変える。周囲の笑い声に、食堂の空気が和らいだ。


 リシェルは蜂蜜パンを持ったまま、白銀の少年の横顔を凝視していた。父と同じ色を持つその姿。だが父王のような威圧感ではなく、自由に風を纏ったような気配を漂わせていた。


「リシェル様?」


 エミリアの声に、はっとして視線を戻した。頬が熱くなるのを隠すようにスープをすくう。琥珀色の液体が木匙に揺れ、野菜の柔らかな匂いが漂った。


 視線をそっと周囲へ移すと、別の席に淡い栗色の髪を持つ少女が座っていた。背筋をすっと伸ばし、品のある仕草でパンをちぎる。言葉を交わすわけではないのに、貴族らしい育ちの良さがにじみ出ていた。


 さらに視線を巡らせれば、青とも黒ともつかない髪の少年が寡黙にスープを口に運んでいた。余計な言葉を挟まず、ただ周囲を観察する瞳は鋭い。


 王宮の食卓では見たことのない顔ぶれ。だが、いずれ同じ教室で机を並べるのだろう。そう思うと、緊張と期待が同時に胸を揺さぶった。


 蜂蜜パンをもう一口齧りながら、リシェルは心の中で合言葉を呼んだ。――虹。


 胸の奥に七色の光が灯り、ざわめきが少し遠のいた気がした。


 昼食を終えると、教師たちが新入生を呼び集めた。食堂のざわめきが少しずつ遠のき、緊張した空気が流れる。リシェルも盆を返し、エミリアとともに列の中へ加わった。


 教師の先導で一行は広い回廊へと進む。石壁に並ぶ古の英雄たちのレリーフは、どれも勇ましい姿を刻んでいた。剣を掲げる者、魔法陣を描く者。リシェルは緑の瞳でそれらをじっと追いながら歩いた。


「学院は知識と技を学ぶ場所です。迷うことを恐れぬように」


 年配の教師がそう言い、笑顔を見せた。声は穏やかでありながら、奥に鋼の響きがあった。


 中庭に出ると、風が芝を渡り、花壇の花々がそよいだ。噴水の水音が涼やかに響き、石畳を踏む足音に混ざって心を落ち着かせる。リシェルはそっと掌を胸に当て、虹の合言葉を思った。緊張が波のように寄せては返す中、その言葉が心を繋ぎ止めてくれる。


 再び回廊へ入ると、今度は錬成棟の前に出た。色鮮やかな扉がいくつも並び、赤、青、緑、黄と属性を象徴する色で彩られている。


「ここでは属性ごとの練習を行います。扉の色を間違えぬよう、よく覚えておきなさい」


 教師の声に、新入生たちは頷いた。リシェルは赤い扉を見つめ、ほんの少し心がざわめく。深紅の髪に呼応するように、扉の色が胸をざわつかせる。それを見透かしたかのように、エミリアが小さく囁いた。


「大丈夫です。色はただの色。リシェル様は虹を持つ方なのですから」


 その声に、緑の瞳がわずかに和らぐ。


 一行はさらに進み、図書棟へと向かった。高い窓から差す光が積まれた本の背を照らし、紙の匂いが風に混じって漂ってくる。


「ここは迷ってもいい場所です。迷った道の数だけ知識を得られるのです」


 案内の教師の言葉に、笑いが漏れた。リシェルもつられて唇をほころばせる。本に囲まれた空間は、どこか安心を覚えた。


 再び列が動き、石造りの広間を抜けると、正面に重厚な扉が現れた。大広間へと通じるその扉は、他とは違う存在感を放っている。装飾された金具が陽を受けて鈍く光り、厚い木材は数え切れぬほどの生徒たちの歴史を抱えてきたのだろう。


 自然と足が止まる。周囲の新入生たちも息を呑み、誰もが扉を見上げた。


「ここで学院は始まります」


 教師の言葉が静かに響き、列に緊張が走った。


 夕暮れの光が差し込み、塔の影が長く伸びる。窓辺に映る光が扉の装飾を淡く照らし、黄金にも似た輝きを添えた。


 リシェルは緑の瞳を瞬かせ、心の中で合言葉を唱えた。――虹。


 大広間の向こうに待つ未来を思いながら、その扉を見つめ続けた。

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