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01.小さな姫と、世界のはじまり。

•リシェル

 王国の姫。深紅の髪を持つ。

•レオンハルト王

 リシェルの父であり現国王。白銀の髪と瞳を持つ元勇者。

•エリザベート王妃

 リシェルの母。優しく寄り添う。

•エミリア

 リシェル付きの侍女。実は宮廷魔導士で護衛も兼ねる。

 王宮の大理石の床は、朝の光を受けて淡く輝いていた。高い窓から差し込む光が白壁に反射し、広間を柔らかく染める。庭園からは花々の香りが届き、鳥のさえずりが天井の高みに反響していた。荘厳でありながら、どこか家庭のぬくもりを帯びた空気が漂っている。


 そんな静謐な空気の中で、ひときわ小さな声が響いた。


「……えっと……これは……おひさま?」


 深紅の髪を肩で揺らしながら、幼い少女が絵本を広げていた。まだ小さな指で文字を追い、緑の瞳が好奇心にきらめく。リシェル――王と妃のただひとりの娘であり、この国の姫であった。


「そうです、リシェル様。よく読めましたね」


 隣で微笑んでいたのは、金の髪をまとめた若い侍女、エミリアだ。彼女はただの侍女ではなく、宮廷魔導士としても優れた才を持ち、姫を護り導くことを任じられている。


「ほんとう?」

「ええ、本当に。リシェル様はとても賢い方になりますよ」


 エミリアは優しく頭を撫でた。その手の温もりに、リシェルの頬は嬉しそうに赤らんだ。


 その様子を、扉の陰から見守る人影があった。赤い髪が陽を受けて輝き、緑の瞳に慈しみが宿る。王妃エリザベートだ。母としての眼差しはやわらかく、娘の成長に胸を満たされていた。


「おかあさま!」


 リシェルが絵本を閉じて駆け寄る。王妃は両腕を広げ、小さな体を抱き上げた。まだ幼い身体は軽く、けれども確かな鼓動を宿している。


「今日はどんなことをしていたの?」

「えみりあと、えほんを……。ほめてくれた!」


 誇らしげに胸を張る娘の声に、王妃は頬に口づけを落とした。

「よくできましたね。あなたの声、とてもきれいでした」


 リシェルはくすぐったそうに笑い、母の首に抱きついた。その笑い声が部屋をさらに明るくする。


 その時、重厚な扉が開いた。白銀の髪を持つ男が姿を現す。王――レオンハルト。この国の頂点に立ち、かつて「勇者」と呼ばれた存在だ。


「リシェル。元気にしていたか?」


 低く響く声に、リシェルは母の腕から身を乗り出し、ぱっと笑顔を向けた。

「おとうさま!」


 駆け寄る娘を抱き上げ、王はその頭に大きな手を置いた。白銀の瞳が細められ、深い愛情がそこに滲んでいた。


 王の大きな手がリシェルの頭を撫でたあと、白銀の瞳がゆるやかに細められた。けれど、口からこぼれた言葉は思いがけないものだった。


「今日は大事な日だ。リシェル、おまえの魔力を測る日だぞ」


 その場の空気が一瞬止まったように感じられた。リシェルは緑の瞳をぱちぱちと瞬かせ、きょとんと父を見上げる。魔力測定――聞いたことのある言葉だが、それが何を意味するのか、幼い彼女にはまだはっきりとはわからない。


「ま、まりょく……?」


 唇からもれる小さな声。胸の奥がどくんと脈打ち、知らない世界へ踏み出すような緊張が広がる。


 王は娘の反応を見つめたまま、声の調子を少し落として続けた。

「怖がることはない。ただ、己を知るためのものだ」


 簡潔で揺るぎない響き。だがリシェルの幼い心には、「己を知る」という言葉がまだ重すぎて届かない。胸がざわつき、不安が波紋のように広がっていく。


「……こわいの?」


 おずおずと尋ねる声に、王妃がすぐに寄り添った。赤い髪が陽を受けて輝き、緑の瞳が娘を包み込むように覗き込む。


「大丈夫よ、リシェル。お父さまも、私も、ずっとそばにいるわ」


 やわらかな声と指先が、リシェルの髪を撫でる。安心と緊張がせめぎ合い、胸の奥がきゅっと縮まる。


 エミリアもまた、そっと一歩近づき、侍女としての立場を崩さぬまま言葉を添えた。

「姫様。水晶に手を置くだけです。痛いことも、苦しいこともありません。ですから、ご安心ください」


 金の髪をまとめた横顔は真剣で、それでいて優しい。リシェルはその表情に小さな勇気をもらい、こくんと頷いた。


 広間へ向かう準備が整ったのは、それからまもなくのことだった。重厚な扉が軋みを立てて開かれると、空気がひやりと変わった。王宮の奥、儀式のために整えられた大広間。


 リシェルは母の手を握り、もう片方の手をエミリアに軽く支えられて歩みを進める。高い天井には壮麗なシャンデリアが吊るされ、壁には歴代の王や英雄たちの肖像がずらりと並んでいる。その視線がどこか試すように彼女を見下ろしているようで、小さな足は自然と歩みを遅らせた。


「おかあさま……」


 緊張を隠せずに名を呼ぶと、王妃はすぐにしゃがみ込み、目線を合わせてくれた。

「大丈夫。これはね、リシェル、みんなが通る道なの。あなたも、今日がその日になっただけ」


 母の声は春風のようにやさしい。けれど、その奥にほんのわずかな緊張を感じ取ってしまい、リシェルは無意識に母の袖を握りしめた。


 王はすでに広間の中央に立っていた。白銀の髪が光を受けて神々しく輝き、その姿は揺るぎない象徴だった。父がいるだけで、部屋の空気が引き締まる。


 中央には、水晶玉が鎮座している。透明で澄んだ球体。光を浴びて虹色の反射を散らし、まるで呼吸しているかのように揺らめいていた。


「……これが」


 リシェルのつぶやきが広間に吸い込まれる。幼いながらに、この瞬間がとても大きな意味を持つことを感じ取っていた。


 王は振り返り、真剣な瞳を向けた。

「リシェル。ここに来なさい」


 その声に背を押されるようにして、リシェルは一歩、また一歩と前へ進む。母の手が背をそっと支え、エミリアが後ろから見守っていた。


 近づくたびに、水晶玉の光は強まっていく気がした。広間に集まる侍従たちも、息を呑んでその小さな姫を見守る。重い扉は閉ざされ、静寂の中にリシェルの足音だけが響いていた。


 そして彼女は、台座の前に立った。水晶玉が、そこにあるのにまるで自分を待っていたかのように輝いて見えた。


 広間の中央に据えられた水晶玉は、まるで深い湖のように澄みきっていた。高い天井の梁に吊られたシャンデリアの光を吸い込み、内側で微かに光を返している。侍従たちは両脇に整列し、近衛の兵は剣に手をかけたまま姿勢を崩さずにいた。幼い姫の一挙手一投足に、広間全体が固唾を呑んでいた。


「リシェル、この水晶に手を置きなさい」


 王の声が響く。低く重みのあるその声は、幼い娘にとっては少し怖く、けれど不思議と安心も与えてくれる響きだった。


「……はい」


 リシェルは小さく頷き、母の手を離れて台座の前に立った。目の前の水晶玉は無色透明でありながら、彼女が近づくごとにわずかに光を帯していくように見える。まるで「触れてごらん」と誘うかのようだった。


 小さな手を伸ばし、水晶に触れる。冷たい感触が掌を走り抜け、心臓が大きく跳ねる。


「……っ」


 その瞬間、水晶の内部に光が芽吹いた。最初は淡い白。だがすぐに赤へと変わり、青、緑、黄……次々に色が重なり合っていく。やがて七色が揃い、虹が水晶から溢れ出して広間を染め上げた。


「……にじ……」


 リシェルが小さく呟いた。


 侍従たちの間に低いざわめきが広がった。だが、それは驚愕ではない。王家の者が全属性を宿すことは当然であり、虹の光はむしろ誇りの象徴。

「やはり……王家の御血筋……」

「美しい……」

「姫様にふさわしい輝きだ」


 安堵と感嘆が混ざった吐息がもれ、兵の肩の力もわずかに抜けた。


 しかし――。


 虹の奥に、ふっと黒が滲んだ。


 一瞬だけ、墨を落としたような影が光に混じる。広間の空気が凍りつき、感嘆の吐息が途絶えた。


「……!」

「闇……?」


 押し殺した声が交わされ、恐れが波のように広がる。闇の魔法。それは魔王以外に記録がない禁忌の力。王家の姫がその気配を見せたことは、誰にとっても想像すらしたくない事実だった。


 近衛の兵の指が反射的に剣の柄に触れた。侍従は互いに視線を交わし、顔色を失っていた。


 リシェルは黒の影を見て、思わず水晶から手を離した。黒はすぐに消え、再び虹だけが広間を満たしたが、そこにいた全員の胸に恐れが焼き付いていた。


 母がすぐに抱き寄せる。

「大丈夫よ、リシェル。あなたの虹は美しいわ。怖がることなんてない」


「……でも、くろが……」


「それは心が揺れただけ。ほんの一瞬のこと」


 やさしい声に胸の震えが少し和らぐ。だが、父の白銀の瞳は鋭く光っていた。


「力は、見せびらかすものではない。制御してこそ力だ」


 その響きは厳しかったが、娘を見限る響きではなかった。むしろ「生き抜け」という願いがこもっていた。


 エミリアが片膝をついて、真剣な瞳で姫を見上げる。

「リシェル様。どんな力でも、ひとりで抱える必要はありません。私は必ず、お側におります」


 その言葉にリシェルの緑の瞳が潤み、小さな手を差し出した。エミリアはその手を包み込み、力強く握り返す。


 ――だが、その温もりの影で、侍従たちの囁きはまだ収まらなかった。


 王はその気配を感じ取り、広間に響き渡る声を放った。


「静まれ!」


 雷鳴のような一声が、恐れを断ち切った。


 白銀の瞳が広間を一巡し、命じる。

「この場で見たことを、誰ひとり口にしてはならぬ。王家の威信にかけて、我が命として守れ」


 箝口令。絶対の命令。兵も侍従も即座に膝をつき、口を閉ざした。恐れは残っても、言葉は外に漏れぬ。王が娘を守るための決断が、ここに下されたのだった。


 重苦しい空気を引きずりながら広間を後にすると、外の風が頬を撫でた。中庭には若草が芽吹き、中央には一本の若木が立っている。枝先の新芽が夕陽を透かして柔らかく輝いていた。


 王は花壇の前に立ち止まり、娘に視線を向けた。

「ここなら声が空へ抜ける。恐れるな。土に触れてみなさい」


 リシェルは母に背を押され、しゃがみ込んだ。小さな指で土を押すと、ひんやりとした感触が指先から胸に伝わり、不思議とざわめきが落ち着いていく。

「……あったかい」


 思わずもれた言葉に、王の口元がわずかに緩む。

「そうだ。心が揺れたときは、土や風や光を思い出せ。それがおまえを繋ぎとめる」


 エミリアがそっと懐から包みを取り出した。布を開けば、蜜で練られた小さな菓子が二つ。

「甘さも心を鎮める助けになります。どうぞ、リシェル様」


 恐る恐る口に含むと、やさしい甘みが舌に広がる。緑の瞳がわずかに和らぎ、肩の力が抜けていった。


「……すこし、だいじょうぶになった」


 その声に王妃が柔らかく微笑み、髪を梳いた。

「ええ、それで十分よ。リシェル、どんな力を持っていても、あなたは私の子。ずっと大好き。何があっても、それは変わらないわ」


 その言葉は難しい理屈ではなく、幼い心にすっと届いた。リシェルの頬が少し赤らみ、涙がこぼれそうになる。


 王もまた、低く言葉を重ねた。

「闇が滲んだとしても、それに呑まれるな。心を整え、立ち続けろ。それがおまえの道だ」


 エミリアもまた、リシェルの前に膝をつく。

「リシェル様。泣いても、笑っても、怖くなっても――私はずっと一緒です。お側を離れません」


 リシェルの小さな胸に温もりが広がった。恐れはまだ消えない。けれど、父の厳しさ、母のやさしさ、エミリアの誓い。その全部が心を包んでいた。


「……わたし、がんばる」


 小さな声が風に溶けたとき、若木の枝先にとまった小鳥がひと鳴きした。その声は澄み切っていて、まるで応えるように響いた。

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