#35「掃除が、母娘に小さな奇跡を見せる」
いざとなったらルミナスが――なんとかしてくれる。
そう思ってはいるが、怖いもんは怖い。
膝は笑い、背中は冷や汗でびっしょりだ。
「おい見ろよ、震えてんじゃねぇか」
「勇者様気取りか?こりゃ酒の肴だな」
笑い声に胃が縮む。膝も限界だ――そう思った瞬間だった。
影が音もなく現れ、二人のごろつきの首筋に冷たい刃が押し当てられる。
……チャピだ。
吐息が耳にかかるほどの距離で、静かに囁く。
「……命が惜しいなら、そのまま動かないで」
凍りつくような囁きに、二人の顔は真っ青に染まった。
呼吸すらままならず、額から大粒の汗が落ちる。
「ひっ……!」
「ま、待て! 俺たちは……!」
男たち声をふさぐように、刃がさらに首元に近づき――一筋の血が流れる。
チャピの瞳は一切揺れない。
数秒の沈黙ののち、彼女はすっと短剣を引いた。
「――行きなさい」
解放された二人は弾かれたように飛び退き、互いにぶつかりながら路地を駆け出す。
「ちっ……お、覚えてろ!」
「次は……ただじゃ済まさねえ!」
捨て台詞を吐きつつも声は裏返り、我先にと逃げ去っていった。
張り詰めた空気が途切れ、汗が伝うのを感じる。
チャピは短剣を納めながら、淡々と肩をすくめた。
「……なあチャピ。今の、もし逆らってたら……」
「その場で喉を裂いていたわ」
平然と答える彼女に、俺の膝はさらに震えを増した。
路地に静けさが戻る。
俺はまだ強張ったままの娘に歩み寄り、声をかけた。
「……大丈夫か?ケガはないか?」
娘は一瞬言葉を失ったように俺を見上げ、やがて胸の前でぎゅっと手を握りしめた。
「はい……助けてくださって、ありがとうございます」
震えながらも深く頭を下げる。その仕草に、幼さと必死さが混じっていた。
「私は…リーナといいます」
「リーナ、か。俺は白石恭真。ただの清掃員だ」
名乗り返すと、リーナはぱちくりと目を瞬かせた。
「……家は近いのか?」
「はい、あっちです。でも……」
リーナが言いかけたところで、俺は小さく笑って肩をすくめた。
「ここまで来たら送っていく。また奴らが来ないとも限らないしな…」
そう言いながら、俺は横目でチャピをちらりと見た。
……無言のまま、その目をじっと見つめる。
背筋がわずかに強張った。
チャピは眉をわずかに動かし、吐息をひとつ漏らす。
それだけで、俺の隣に来ると音もなく歩き出した。
リーナが先導で街中を進んで行く。
「……さっきの奴らは、なんなんだ?」
俺が尋ねるとリーナはうつむき、ためらうように声を落とした。
「この街のマフィア、ヴァルセロ・ファミリーの手下です」
「ヴァルセロ・ファミリー……?」
「はい。この辺りの商売や土地を牛耳っていて……逆らえない人も多いんです。
ある日突然、私の家がある土地を渡せって、しつこく迫られて……」
その声はかすかに震え、握った拳も小刻みに震えていた。
俺は眉をひそめ、背中のルミナスを無意識に握り直す。
ただの掃除屋に、裏社会の揉め事は荷が重い――そう分かっていても、耳を塞ぐ気にはなれなかった。
やがて、リーナが足を止めた。
指差した先にあったのは、石造りの建物が並ぶ大通りから外れた、一軒家。
「……ここが、私の家です。どうぞ上がって下さい。」
おずおずと扉を開けるリーナに続き、俺とチャピも中へ入る。
中は質素で、家具も最小限。
だが、掃除はされているのか、部屋の中は清潔さが残っていた。
奥の部屋から、か細い咳が聞こえる。
リーナが駆け寄り、布団に横たわる女性の手を握った。
「お母さん……ただいま」
布団の中の女性は、骨ばった腕を震わせて起き上がろうとした。
やせ細った頬は青白く、息も浅い。
それでも娘を見て、優しく目を細めた。
「おかえり……リーナ。……あら、この方たちは?」
声は弱々しく、今にも途切れそうなほどだった。
「……さっき、町のごろつきに絡まれて……この方たちが助けてくれたの」
リーナが説明すると、布団の中の女性は驚いたように目を見開き、次いでかすかな笑みを浮かべた。
やせ細った手を俺に差し出し、震える声で言う。
「……助けていただいて、本当にありがとうございます」
俺は慌てて頭をかきながら、首を振った。
「いや、たいしたことはしてない。」
口にした瞬間、横から刺さるような視線を感じる。
ちらりと見ると、チャピが半眼でこちらを見ていた。
「と、とにかく気にするな」
そう言って無理に話を打ち切ると、リーナの母はふっと安堵の息を漏らした。
「……体、悪いのか?」
思わず口にした俺の言葉に、リーナが体を強張らせ、場の空気が張り詰める。
布団の中の女性は、かすかに微笑んで首を振った。
「ふふ……ごめんなさいね。驚かせてしまったかしら。ええ、持病があってね……」
リーナは母の手を握りしめ、うつむいたまま肩を震わせる。
横から、チャピの氷のような視線が突き刺さった。
その視線に額から汗が噴き出す。
だが俺はあえてその視線を無視し、腕を組んだ。
「……そ、そうか」
リーナが母の手を握りしめてうつむいているのを見て、胸の奥がざわついた。
ただの掃除屋に過ぎない俺だけど――いや、違う。
(……俺が光の使途ってやつなら、なんとか出来るんじゃないか?)
心臓が早鐘を打つ。
背中のルミナスが微かに震え、光を帯びる。
俺は思わず立ち上がり、部屋をぐるりと見回した。
壁の隅の黒ずみ、湿った床板、窓枠に残った埃。
そして…リーナのおふくろさん。
「……任せろ。…俺がきれいにしてやる」
言葉と同時に腰袋からウエスを取り出し、窓枠に手を伸ばした。
木の隙間を丹念に拭うと、白い布はすぐに黒く汚れた。
だが拭き取った跡は清々しく輝き、外の風がするりと入り込む。
額に汗をにじませ、ウエス使い拭いて、絞って、また拭く。腕が軋んでもやめられない。
ルミナスを一閃すれば、床板の表面が光を映し、まるで張り替えたばかりのような艶を取り戻した。
気づけばあっという間に部屋は澄み切った光に包まれ、よどみは跡形もなく消えていた。
リーナのおふくろさんが驚いたように目を見開く。
呼吸が少しだけ楽になったのか、弱々しくも穏やかな笑みを浮かべた。
「……まあ……空気が……こんなに……」
その姿を見て、リーナの目が涙で揺れる。
チャピは何も言わず、ただこちらを見つめていた。
俺は密かに拳を握りしめる。
これならきっと――俺の力で――
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余裕がある日は追加更新することもあると思います。
無理なく長く続けたいので、よろしくお願いします!




