表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
30/52

#30「泣きじゃくるエルフと、光の女神の使徒」

「ねえ……どうして? ……どうして逃げるの?」


チャピが微笑んでいる。

口元はやさしげに上がっているのに――その瞳には一片の光もなかった。

空っぽの闇に吸い込まれるようで、背筋が凍る。


(……これは、やばい目だ……こっ殺される!)


チャピの影がゆっくりと近づいてくる。

その足音がやけに大きく響いて聞こえた。


(く、来る……! やばい、マジで詰んだ……!)


心臓が暴れ馬みたいに跳ねる。喉が鳴るのに声は出ない。

息を吸うたび、肺の奥が焼けるみたいに痛かった。 そのとき――。


「どうして……そんなに怖がるの……?」

「ねえ…どうして?」


小さな呟き。


そして、頬を伝う一筋の雫。


俺の思考は、一瞬で止まった。

頭が真っ白になって、何も言葉が浮かばない。


(……な、なんだこれ……? なんで泣いているんだ……?)


その瞬間――チャピの顔が大きく歪んだ。

唇が震え、堪えていたものが弾け飛ぶ。


「……っ、ひぐ……う、うわぁぁぁぁぁん!!」


嗚咽が石壁に反響し、路地いっぱいに広がった。

さっきまであんなに落ち着いていたのに、今は子どものように叫び散らしていた。

その落差に思考がついていかない。


俺はただ呆然と立ち尽くしていた――が、その声に思わずはっとした。


(これ…俺が泣かせたのか……!?)


やっとのことで体が動いた。重たい足を一歩前に出し、チャピの前に立つ。


「……お、おい……泣くなって……」


声が裏返る。自分でも情けないと思う。


「ほ、ほら、俺はただの清掃員だから……その、危ないやつじゃ……」


言葉を探すたび、チャピの声はますます大きくなる。


「ちょっ、待て!違う違う!泣かせたいんじゃなくて……えっと……そうだ、モップの話でもするか? モップの良さとか……!」


俺の必死の言葉と、チャピのしゃくり声が、不協和音みたいに響き渡っている。

この状況をどう収拾すればいいのか――俺には見当もつかない。


それでも時間が経つにつれ、荒れ狂うようだった泣き声は次第に力を失っていった。

激しい嗚咽はしゃっくり混じりに変わり、やがて途切れ途切れのすすり声に落ち着いていく。


まだ鼻をすする音は残っていたが、さっきまでの嵐のような勢いはなくなった。

耳に刺さるのは、余韻のように響く小さな呼吸だけ。


(……止まった?いや、泣き疲れただけか……?)


恐る恐る顔を覗き込むと、赤く腫れた目がこちらを見返してきた。

その瞳には、もうさっきまでの空っぽの闇はなかった。


「……どうして……逃げるの……」


弱々しい声。それでも、さっきまでの嗚咽とは違う。

まっすぐで、俺を突き刺すように真剣だった。


(……くっ、怖かったなんて言えない……!言ったらたぶん泣かれる!)


口を開きかけて、言葉が喉で詰まる。


「お、俺は……その、えっと……」


苦し紛れに出た動きは――自分でも驚くほど唐突だった。

俺はチャピの肩をそっと掴み、そのままぎこちなく引き寄せる。


「……な、泣くな!」


ためらいがちに頭に手を置き、子どもをあやすみたいにぽんぽんと撫でる。

チャピの体がぴたりと固まった。

赤く腫れた目が大きく見開かれ、俺の胸元で小さく瞬く。


(なに抱きしめてんだ俺!!)


それでも、チャピの震えは少しずつ収まっていった。

しゃくり上げる声もやがて途切れ、代わりに不規則な呼吸音だけが聞こえる。


時間が止まったみたいに、静かな間が落ちた。

彼女の体温と微かな息づかいが、じわりと俺に伝わってくる。


(……よかった。泣き止んだ……?いや、また泣かれたら俺、どうすればいいんだ……)


そんな俺の混乱をよそに、チャピが小さく口を開いた。


「……あなたに、会いに来たの」


その声はかすれていたが、もう震えてはいなかった。

俺は反射的に抱きしめる腕を緩めかけ――すぐ思い直して、そのままにした。


(……ここで離したら、また泣かれるかもしれない……!)


「……そ、そうか」


ぎこちなく返すしかなかった。

チャピは胸元で小さく笑ったように見えた。


「ずっと……キョーくんに会いたかった」


あだ名を呼ばれ鼓動が一瞬止まる。

だが彼女はすぐに言葉を重ねた。


「……でも、それだけじゃないの。大切な話があるの」


その言葉に、背筋をぞくりと冷たいものが走った。


「……キョーくん」


赤く腫れた目が、まっすぐに俺を見上げていた。


「話したいことがあるの。キョーくんの……浄化の力について」


(……き、来た……! なんか嫌な予感しかしないんだけど!?)


チャピは胸に手を当て、静かに言葉を紡ぐ。


「キョーくんの浄化は……光の女神ルミナリア様の“光の浄化”と同じもの。だから――」


息を呑む暇すら与えず、宣告のような一言が続いた。


「キョーくんは、ルミナリア様の使徒なの」


俺の思考は真っ白になった。


(……は? 今、なんて……?)


理解が追いつかず、ただ立ち尽くすしかなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ