#28「聖流の暴圧で下水を清浄、そして金色の幻影」
フィーと別れてから数日が過ぎた。
気づけば財布の中身は、底が見えるほど軽い。
「……うわ、これはマジでヤバいな。稼がないと路頭に迷う」
異世界だろうが現実だろうが、金は裏切らないし減り続ける。
だから俺は今日も生きるために足を動かす。
背中に張り付いたモップ――ルミナスの重みを感じながら、城塞都市の冒険者ギルドへ向かった。
戦いで金を稼ぐ気は毛頭ない。俺は勇者でも剣士でもなく、ただの清掃員だ。
ならばやることは一つ――掃除で稼ぐ。
冒険者ギルドの扉を押し開けると、相変わらずの熱気がぶつかってきた。
血気盛んな若造たちが武勇伝を競い合い、受付嬢は書類の山と格闘している。
「……相変わらず戦闘狂ばっかりだな」
俺の目的は武器でも名声でもない。掲示板に貼られた清掃依頼、それだけだ。
壁一面に並んだ羊皮紙をざっと目で追う。
討伐、護衛、探索――命がけばかりで論外。
だが端の方に、地味な紙が数枚。
『雪かきの人手募集』
『下水清掃 悪臭がひどく詰まりあり』
『路地裏の汚物処理』
「……あったな。こういうのだ」
俺の手は迷わず“下水清掃”の紙を剥がしていた。
城塞都市に住む以上、下水は命綱。掃除のプロなら外す理由はない。
背中に張り付いたルミナスに手をやり、柄を軽く叩くと――かすかに震えが返ってきた。
まるで「行こう」と言わんばかりに。
「よし、今日の現場は決まったな」
受付で依頼書を渡すと、事務的な確認が終わり、あっさりと許可が下りた。
「下水の流れが悪く、逆流しているようです。臭気がひどく、誰もやりたがらなくて……」
受付嬢が眉をひそめる。
「……下水か。なるほどな」
俺は短く返し、ギルドを後にした。
住民の案内で辿り着いたのは、大通りの脇にひっそりと埋め込まれた鉄扉だった。
鍵を開け、錆びついた取っ手に手をかけると、ギギィと鈍い音を立てて扉が開く。
途端に、鼻を突く臭気が地上へ噴き上がってきた。
腐敗と湿気が混ざり合ったような、胃の奥をえぐる匂いだ。
「……これは強烈だな。そりゃ誰もやりたがらないわけだ」
俺は顔をしかめ、背中のルミナスに手をやる。
柄がかすかに震え、淡い光を放って周囲を照らした。
鉄扉の下には、石造りの階段が闇の中へと続いている。
水滴の落ちる音が反響し、下からは湿った空気が這い上がってくる。
「……よし、行くか」
ため息をひとつつき、俺は階段を下り始めた。
一段進むごとに光は弱まり、臭気は濃くなる。
やがて、暗黒の下水道が口を開けて待っていた。
石造りの階段を降り切ると、そこは暗く湿った通路だった。
両側の壁には苔がこびりつき、どろりとした水が足元を流れている。
水路の流れは鈍く、ところどころで逆流した汚水が小さな渦を巻いていた。
「……こりゃひどい。掃除っていうより罰ゲームだな」
悪臭はさらに濃く、喉の奥を焼くようにまとわりつく。
普通の冒険者なら一歩で引き返すだろう。
だが俺にとっては、これ以上なく“現場”だ。
背中のルミナスを引き抜くと、光が狭い通路を淡く照らした。
石壁の苔がぎらりと緑に反射し、通路の奥で――ずるり、と何かが蠢く気配がした。
「……なっ、なんだ!? 動いたぞ!?」
暗闇から現れたのは、ヘドロのように形を変えるスライムだった。
ぷくりと泡を吐き、汚泥を撒き散らしながら通路をふさぐ。
心臓が跳ねる。思わず一歩後ずさる。
「……おいおい、マジでモンスターかよ……」
だがすぐに深呼吸して足を踏みとどめた。
牙も爪もない。ただの汚れが動いているだけだ。
「……掃除範囲内だな」
ルミナスの光が強まり、柄が脈動する。
まるで「始めろ」と告げるように。
俺は一歩前に出て、スライムを睨んだ。
「穢れし泥よ、浄化の光に散れ――“清浄の槍”!」
モップの先を突き出すと、閃光が通路を走り、スライムが弾け飛んだ。
汚泥が蒸発するように消え、水路にわずかな透明さが戻る。
消えたスライムの残滓を見下ろし、俺は鼻を鳴らした。
だが通路を見渡せば、石壁にはまだ苔や汚泥がべったりと張りついている。
水路の流れも鈍く、濁りは完全には消えていない。
「……通路ごと洗い流してやらないと意味がないな」
ルミナスがかすかに脈打ち、光が強まった。
まるで「次の掃除をしろ」と促すように。
「――いいだろう。ならば徹底的に磨き上げてやる」
俺はモップを石壁へ向けて構える。
光が一点に収束し、ルミナスが轟音を立てた。
「清浄なる水よ、暴威となりて解き放たれろ――“聖流の暴圧”!」
次の瞬間、凄まじい水流が噴き出した。
圧倒的な勢いで石壁に叩きつけられ、こびりついた苔や汚泥が一気に剥ぎ落とされていく。
轟音と水飛沫が通路を満たし、空気が震える。
「……フッ、これぞ清浄の奔流」
壁面が白さを取り戻していく様に、思わず口元が緩む。
だがまだ終わりじゃない。
足元には削ぎ落とされた汚れや濁流が残り、通路の水を再び濁していた。
「仕上げといこう――」
ルミナスが低く唸り、先端が吸い込み口のように変形していく。
空気が震え、ズゴォォと低い吸引音が響いた。
「――“終焉の吸塵”!」
猛烈な吸引力が発生し、散らばった汚泥や濁水が次々と吸い込まれていく。
臭気すらも飲み込み、通路は一気に澄み渡った。
残ったのは、澄んだ水の流れと光を反射する石壁。
俺はルミナスを肩に立てかけ、深く息を吐いた。
そして静かに足を開き、腰をひねって片腕を天へ突き上げる。
濡れた石畳に映る自分の影すら、堂々としたシルエットに見えた。
「……ああ、今の一撃。博物館に展示されるレベルだ」
ポーズは完璧だった。
まるで英雄譚の一場面を切り取ったように――そう、俺自身がそう確信していた。
下水道を出たとき、地上の冷気がやけに澄んで感じられた。
あの悪臭の後だ、冬の空気がご馳走みたいに肺に染みる。
「……ふぅ、ようやく人間の世界に戻ったな」
俺はルミナスを背に戻し、ギルドへ足を向けた。
受付嬢に依頼書を差し出すと、彼女は驚いた顔をした。
「えっ、もう終わったんですか? あの下水掃除、誰も手をつけたがらなくて……」
「終わったよ。水の流れも臭気も片づけた。……まぁ、ちょっと派手にやったがな」
書類を確認した受付嬢は目を瞬かせ、それから安堵の笑みを浮かべた。
「これで市民も安心です。本当に助かりました」
俺は軽くうなずき、報酬の袋を受け取った。
中身の重みを確かめて、口元にわずかな笑みが浮かぶ。
「……掃除完了。さて、次の現場だな」
その後も、依頼をいくつか片づけて回った。
路地裏の汚物掃除、倉庫の埃払い、凍りついた地面の雪かき清掃。
どれも地味で誰もやりたがらない作業ばかりだが――それが俺の領分だ
気づけば西の空が赤く染まり、城塞都市も橙色に照らされていた。
吐く息が白く揺れ、腹の虫がぐぅと鳴る。
「……ようやく終わった……そろそろ飯でも食うか」
雑踏の中、夕陽を浴びてきらめく金髪がふと視界をかすめた。
揺れた髪の合間に、一瞬――長い耳の影が見えた気がした。
心臓がドクンと跳ねる。
「……まさか……エルフ!?」
全身の毛穴が総立ちになる。
背筋に氷を突っ込まれたみたいな悪寒が走り、額から冷や汗がつうっと流れ落ちる。
俺の足は地面に縫いつけられたみたいに動かなくなっていた。




