#24「守りの石碑、祈りで現れし闇の眷属」
城門をくぐった瞬間、外の冷え切った空気とはまるで別世界だった。
吐く息はまだ白いのに、通りを埋め尽くす人ごみとざわめきが、凍えた身体を一気に押し返してくる。
大通りには露店が立ち並び、焼きたてのパンの香りや香辛料の匂いが鼻をくすぐった。
毛皮を広げている商人もいれば、鉄を打つ音を響かせている鍛冶屋もある。
さっきまで降っていた雪は路面に薄く積もり、そこを行き交う人と荷馬車が踏み固めていた。
白と灰のまだら模様になった石畳が、街の活気をより一層際立たせている。
「すごい……!こんなに人がいるんですね!」
フィーは目を輝かせ、あっちこっちを見回しては声を弾ませる。
俺はというと、地面に残った雪をちらりと見て、思わず口を尖らせた。
(……この人通りで雪かきが入ってないのに歩けるのは、踏み固めで自然に片づいてるからか。清掃の効率を人の流れに任せるとは、やるじゃないか)
「キョーマさん!」
思考に水を差すように、横からフィーが声を上げた。
「あれ見てください!おいしそうなパンが……!」
「はいはい、寄り道は後だ。まずは宿を押さえないと」
空腹で今にも駆け出しそうなフィーの腕を軽く引き、俺は街の中心へ向かう。
この手の大都市なら、冒険者や旅人向けの宿屋はいくらでもあるはずだ。
問題は――俺の財布の中身と、フィーがどれだけ“質素”で済ませられるか、だ。
宿を押さえ、荷を部屋に置いた俺たちは、一階の食堂に腰を落ち着けた。
大きな炉には薪が燃え、外の雪を忘れさせるほどの暖かさを放っている。
分厚い木のテーブルに腰掛けると、すぐに給仕の娘がやってきた。
「さて、腹ごしらえして今後の動きを決めるか」
そう言いかけたところで――
「すみません、この煮込みと、それからチーズと、えっと……このシチューも!あと焼きリンゴ!」
フィーが矢継ぎ早に指差す。
メニュー板を抱えている給仕娘は、ぱちぱちと目を瞬かせながら注文を復唱していった。
(おいおい……俺の財布、氷点下まで冷え込むぞ……)
やがてテーブルいっぱいに並んだ料理を前に、フィーは瞳をきらきらさせて両手を合わせた。
「いただきますっ!」
パンをちぎって煮込みに浸し、チーズを頬張り、甘い焼きリンゴを幸せそうに口に運ぶ。
次から次へと手を伸ばす姿は、まるで飢えた小動物のようだ。
「キョーマさん!これすごく美味しいです!ほら、どうぞ!」
フォークに刺した肉片を、当然のように俺の皿へ差し出してくる。
(……いや、俺はまず財布の中身と相談だろ……)
フィーは夢中で頬張りながら、ふいに顔を上げた。
「キョーマさん。……私たちが向かうのは、“守りの石碑”です」
「守りの石碑?」
「はい。北方に古くからある、光の女神の加護を示す石碑です。巡礼の途上で、必ず立ち寄らなければなりません」
「へえ……」
俺はパンをかじりながら相槌を打つ。
(どうせ長年の風雨で汚れまくってるんだろ。俺がウエスで磨いてやればピカピカになるに違いない)
「……磨くんですか?」
「決まってる。石碑が汚れてたら女神様だって落ち着かないだろ」
フィーは一瞬ぽかんとしてたが、すぐに微笑んで黙り込んだ。
(……なんだ?さっきまでの勢いはどこ行った)
そんなとき、隣の席の旅人がぼそりと呟いた。
「最近、守りの石碑の周りでよからぬ噂が立ってるらしい」
「噂?」
俺が聞き耳を立てると、旅人はさらに続けた。
「……瘴気だよ。あの石碑の近くで黒い靄を見たってやつがいる」
隣のフィーが小さく息をのむ気配がした。
俺はちらと彼女を見やったが、すぐにパンをちぎって口に運ぶ仕草に切り替えていた。
(――こういう話を自分の宿命と結びつけるんだろうな)
(――闇の瘴気を断ち切る者だの、封印を解く鍵を宿す者だの、古き契約を継ぐ最後の継承者だの……)
(――まあ、自分だけが選ばれし存在だと思いたくなる時期、あるよな)
旅人が残した噂話が、妙に場の空気を重くした。
俺は料理の残りをすくい上げ、口に放り込んでから言った。
「……よし。明日、その石碑を見に行くか」
フィーの肩が小さく震えた。
だがすぐに顔を上げ、真っ直ぐ俺を見て頷く。
青い瞳の奥に、不安と決意が入り混じっていた。
「……はい。行きましょう。あの石碑を確かめないと」
俺はパンをかじりながら心の中で苦笑する。
(……やっぱり“お年頃”だな。宿命とか契約とかに浸れる舞台装置が目の前にあれば、飛びつかないはずがない)
テーブルの下でルミナスがふさをふわりと揺らした。
まるで「また厄介ごとに首突っ込むんだね」とでも言いたげだ。
俺は軽く肩を竦める。
「……ま、石碑が汚れてるなら清掃するだけだ。俺の守備範囲だな」
雪の夜は静かに更けていき、俺たちの明日の目的地は決まった。
次の日、宿を出て街路を進む。
城塞都市ヴァルディアの内部は思っていた以上に広かった。
中央へ行くほど石造りの建物が密集しているが、俺たちが向かうのは城壁寄りの郊外区画。
そこは住居と畑がまだらに広がり、人の往来はあるものの、空気はどこか静まり返っている。
遠くからでも視線を引くのは、台座の上にそびえる巨大な石碑だった。
高さは十メートル近く、灰白色の石に古代の文字が刻まれている。
その表面は風雪を受けているはずなのに、不思議と傷一つなく、かすかに光を帯びて見えた。
「……あれが“守りの石碑”か」
フィーが息を呑む。
青い瞳に映るその姿は、祈りにも似た畏敬の色を宿している。
俺も足を止め、しげしげと見上げる。
(……汚れゼロ。ホコリすら積もってない……。いったいどんな清掃マニュアルがあるんだ?)
そんなことを考えていると、フィーは石碑の前に立ち、胸の前で静かに光輪十字を切った。
冷たい風の中、掲げられたペンダントが小さく揺れる。
その瞬間、石碑の刻印が淡く光を帯び、雪明かりよりも強い輝きを放ち始めた。
「……っ!?」
空気が震え、地面の石畳にまで古代の紋様が浮かび上がる。
周囲にいた人々が「地鳴りか?」とざわつき、慌てて後ずさった。
だが、中心に立つフィーだけは逃げなかった。
いや、逃げられなかった。
眩い光に包まれ、彼女の足元に幾重もの魔法陣が展開していく。
「な、なに……これ……!」
フィーの声は震えていた。
その姿に俺は思わず足を踏み出す。
(やばい……このままじゃ完全に呑まれる!)
考えるより先に体が動いていた。
俺はフィーの腕を掴み、引き寄せようとする。
「フィー、掴まれ!」
言葉を最後まで吐ききるより早く、光が爆ぜた。
視界を焼き尽くす白光の奔流に、俺とフィーの姿は同時に呑み込まれていった。
光が収まり、視界が闇に沈む。
冷たい石床に手をついた瞬間、鼻をつく鉄の匂いが全身を刺した。
血の祭壇――そう呼ぶしかない光景だった。
巨石の台座に乾ききらぬ赤黒い痕跡が刻まれ、壁面には歪んだ紋様が浮かんでいる。
その中心に、ひとりの影が立っていた。
漆黒のマントを肩に掛け、銀の飾りを留めたその姿は、まるで宮廷の貴族。
だが一歩踏み込んだだけで、空気が重く沈む。
闇そのものを纏ったような気配に、肺の奥まで冷え込んでいくのが分かった。
「……ようこそ、我が祭壇へ」
低く澄んだ声が石壁に反響する。
整った面差しの奥で、獣のように開いた瞳孔が暗赤の光を宿し、静かに俺たちを射抜いた。
男は胸に手を当て、ゆるやかに一礼する。
「我が名はヴァルネス。闇の神に仕えし眷属――その中でも“子爵”の位を預かる者だ」
その声音は、血に濡れた石壁さえも震わせた。




