#23「急接近のシスターと雪の城塞都市」
フィーが自分の部屋に戻っていったあと、俺は宿の狭い一室で腰を下ろした。
薄暗いランプの灯りに照らされて、ようやく静けさが戻ってきた。
(――ふむ。お年頃だな)
妙に真剣な顔で「生贄の夢を見た」なんて言ってきたフィー。
俺からすれば、ただの“運命の舞台に立ちたいお年頃”だ。
あのくらいの年齢の子は得てして自分を特別視したがる。
――闇に選ばれし存在だの、宿命を背負った聖女だの、滅びの予言に抗う最後の希望だの、封印された力を秘めし救世主だの、右手に禁断の力を刻まれし継承者だの。
要はどれも、ラノベの帯に並んでそうなキャッチコピーだ。
しかも、たかが汚れた本を清掃しただけで、あんなに怖がるなんて思ってもみなかった。
確かに黒い煙みたいな汚れが立ちのぼったのは不気味だったが――結局はウエスでキレイにしただけの話だし…。
……まあ、“本が勝手にしゃべる仕掛け”までしてあったのには、さすがの俺も面食らったけどな。
本の内容も光を戴く一族だの、幾星霜の後に生贄を差し出すだの――まるで英雄譚か悲劇の神話。
本気で受け止めれば震えるのも無理はないけど、ただの脚色のひとつだろうに。
(……まあ、あの顔で怯えられたら放っておけないよな)
俺は枕に片腕を敷き、深く息を吐いた。
どうせ次の仕事場を探すために街へは出るつもりだった。
なら城塞都市まで付き合ってやるのも悪くない。
「……まったく、清掃員の守備範囲が広すぎる」
壁際のモップ――ルミナスが、ふさをふわっと膨らませて小さく一回転した。
まるで「うん、そうだね」と頷いたみたいで、俺は思わず肩を竦めた。
翌朝。
まだ薄い朝靄の残る街道を、俺とフィーは並んで歩き出していた。
……いや、正確には「並んで」どころじゃない。
昨日までは一歩後ろからちょこちょこ付いてきていたはずのフィーが、今日はやけに近い。
俺の左腕を両手でぎゅっと取って、まるで落ちそうな子どもみたいに歩いているのだ。
(おいおい……お年頃の“特別気分”が一晩で加速したのか?)
道行く旅人から妙に視線を感じるし、これじゃまるで恋人同士の旅路だ。
だが当の本人は澄ました顔で、青い瞳を朝日にきらめかせながら口を開いた。
「キョーマさん、今日はすごくいい天気ですね!」
俺は返事をしながら、ちらと腕に下げられたフィーの手を見る。
(……ま、怯えて歩けなくなるよりはマシか)
そう心の中で呟きつつ、城塞都市への道を進んでいった。
三日後。
山あいを縫うように伸びる街道を歩き続け、ようやく標高の高い台地の上にそびえる城塞都市の姿が見えてきた。
その瞬間、空からひとひらの雪が舞い落ちる。
冷たい柔らかな白色が、灰色の城壁を背景にひらりと落ちていった。
「わぁ……!」
フィーが感嘆の声を上げる。
目に飛び込んできたのは、山脈のようにそびえ立つ石の城壁。
朝日と雪を受けて淡く輝くその姿は、まさに人の営みを守護する巨大な盾だった。
「すごい……あんなにも高い壁が、街を守っているんですね」
フィーは胸の前で光輪十字を切り、雪を見上げながら瞳を潤ませている。
俺も足を止めて見上げる。
(おお……あの高さ、あの広さ……どうやって清掃してんだ?)
石壁の表面にはツタや苔ひとつ見えない。
降り始めた雪すら、まるで壁に触れる前に払われているかのようだ。
(……この壁何十メートルあるんだ?ブランコ足場みたいにロープで吊るされる作業じゃ危なくて話にならない。ビル掃除で使うゴンドラでもなきゃ清掃できないだろ、これ……)
鳥肌が立った。
人は戦のためにこんな巨壁を築いたはずなのに、俺は清掃員としてその維持管理にこそ畏怖を覚える
(しかも……あの規模を常に磨き続けるとか、どんだけ人員割いてんだよ……)
フィーが神聖さに震えている横で、俺は清掃員魂に震えていた。
しばらく進むと門が見えてくる。
巨大な門の前には、荷馬車や旅人が列を作っていた。
分厚い鉄の扉は半ば開かれ、武装した衛兵たちが一人ひとりを確認している。
「……すごい人ですね」
フィーが小声で呟き、俺の左腕をさらにぎゅっと握った。
(うわ、近い……!人目あるのに、完全に寄り添って歩いてるじゃないか)
順番が近づき、俺たちは衛兵に呼び止められた。
「身分を示せるものはあるか?」
フィーは慣れた所作で胸の前に光輪十字を描き、ペンダントを掲げる。
「私はルミナリア教のシスター、フィオリアーナ・エルネシアと申します。今は巡礼の途上にございます」
ペンダントを見た衛兵は一瞬たじろぎ、深く頭を下げた。
「おお、これは……光の女神の加護あらんことを。どうぞお通りください」
視線が俺に移る。
「で、そちらは?」
「……ただの清掃員だ」
衛兵は眉をひそめ、もう一度俺を見上から下まで値踏みした。
するとフィーが慌てて口を開く。
「この方は私の――」
「護衛か?」
衛兵が言葉を挟む。
俺は反射的に否定しかけて、ぐっと飲み込んだ。
「……まあ、そんなとこだ」
衛兵は納得したように頷き、俺たちを通した。
(……ったく、清掃員が護衛扱いって……)
白い雪片が舞い散る中、俺たちは北方の城塞都市ヴァルディアへと足を踏み入れた。




