#12「月夜の逃亡劇、最後は胸タッチ」
背後に落ちた影に、思わずルミナスを握りしめる。
視線だけを巡らせ、ゆっくりと振り返った――
「……追加注文はありますか?」
立っていたのは宿の大衆酒場の店員だった。
トレーを胸に抱え、申し訳なさそうに俺を見ている。
「……なんだよ、ビビらせんなよ」
胸を撫で下ろしながら、肩の力を抜く。
「す、すみません。後ろから声をかけるタイミングを逃してしまって……」
店員が頭をかく。
「いや、もう腹いっぱいだ。会計を頼む」
「かしこまりました」
店員は小さく会釈し、静かに厨房の方へと戻っていった。
張り詰めていた空気が一気にほどけ、俺は思わず苦笑する。
店を出て、夜の路地を急ぎ足で歩く。
響く靴音がやけに大きく感じられる。
さっきまでの安堵は消え、胸の奥に再び冷たい汗が滲んだ。
――影。
路地の先、建物の角に寄り添うように立っている。
揺らめく灯火に照らされ、淡い金色の髪らしき輝きがのぞいた。
「……嘘だろ……」
喉がひきつり、声が掠れる。
まさか――まさか、あのエルフじゃないだろうな。
俺は無意識に後ずさった。
頭の中で、最悪の未来が走馬灯みたいに流れる。
胸を触ったことを告げ口されれば……何をされるか分からない。
異世界の規律なんて知らない。だが罰が軽いはずがない――
俺の異世界的信用は終わる。
冒険者、即クビ。いや、冒険者どころか街から追放……。
……いや、追放どころじゃ済まないかもしれない。
広場の真ん中で「すけべ石打ちの刑」とか言われて、住民総出で石を投げてくるんじゃないか?
衛兵はにやにや笑いながら「もう一発いっとく?」とか言ってくる未来が見える。
最悪、晒し台に縛り付けられて「おっぱいタッチ魔」とか書かれた札を首からぶら下げられるんじゃ……。
通りがかりの子どもに指差され、パン屋の娘に笑われ、知らんおっさんにトマト投げられる。
いや、最後は王様の前に引きずり出されて「国を追放する!二度と戻ってくるな!」って宣告されるかも……。
……俺の異世界ライフ、開幕からゲームオーバーじゃねぇか。
「……やめてくれ……」
ルミナスが背中で不思議そうに震える。
一歩、こちらへ踏み出す気配。
揺らめく灯火に照らされ、淡い金色の髪がきらりと反射した。
「……その…久しぶりね……」
おずおずと姿を現したのは、やっぱりあのエルフだった。
耳まで赤くしながら、視線を泳がせている。
「ひっ……!?で、出たぁぁぁ!!!」
まるで夜道で幽霊に遭遇したかのような叫び声をあげ、反射的に踵を返した。
「ま、待って!」
「いやだぁぁぁ!!」
俺は反射的に叫び、全力で駆け出した。
石畳を蹴る靴音が、夜の路地裏にやけに大きく響き渡る。
「ちょ、ちょっと! 止まってッ!!」
「絶対やだ!!俺は「すけべ石打ちの刑」なんて受けたくない!!」
振り返れば、金髪を揺らしながらエルフが追いかけてきていた。
軽やかな足取り、狩人みたいな走り方――なんでこんな俊足なんだ!?
「ちょっ……速い!やめろ、チーターかお前は!!」
「わ、私はただ話を――!」
「話は署で聞くとかそういう流れだろ!?やだぁ!!」
路地を右に曲がり、階段を駆け降り、屋台の間をすり抜ける。
俺の心臓はもう爆発寸前だ。
「待って!違うってば!」
「違うのはそっちの体型だろ!スタイルよすぎて空気抵抗ゼロかよ!!」
「補正で俊足ボーナス乗ってんだろ、課金キャラか!?」
「こっちは無課金で、せいいっぱい生きてるんだよ!!」
頭がもう半分パニックで、口から出るのは意味不明な罵声。
それでも足は止まらない。
――だが、道はやがて途切れた。
石畳の先に広がるのは、月明かりに照らされた海辺だった。
「……マジかよ!?ここからどうやって逃げればいいんだ……くそっ!」
波の音がざざんと響く。俺は砂浜に逃げ込むが、足が砂に取られて一気にスピードダウン。
「つ、捕まえた!」
背後から伸びる手。
エルフの細い腕が、俺の肩をがっしり掴んだ。
「うわっ、ちょっ、やめ――」
必死に振り払おうとした瞬間、身体がもつれ、そのまま砂浜に倒れ込む。
――ドサッ。
……俺の右手は、見事にエルフの胸元へとダイブしていた。
エルフの顔が真っ赤に染まる。俺の視界は月明かりと絶望でいっぱいになる。
「……この世界は残酷だ。望まぬ罪を背負わせ、逃げ道すら与えない……」
月を見上げ、一筋の涙がこぼれ落ちた。
それは月明かりを映し、静かに砂へとこぼれ落ち消えていった。




