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文芸部での交流

翌日の放課後、未来は約束通り図書館に向かった。胸が少しどきどきしているのを感じながら、重い扉を押し開ける。


陽光学園の図書館は、創立以来の伝統を感じさせる立派な造りだった。高い天井に並ぶ本棚、大きな窓から差し込む夕日が、静寂な空間を温かく照らしている。


奥の方を見回すと、時田が一人で本を読んでいるのが見えた。文学書のコーナーで、何やら分厚い本に集中している。


「こんにちは」


未来が声をかけると、時田は顔を上げて微笑んだ。


「桜井さん、来てくださったんですね。ありがとうございます」


「こちらこそ、お誘いいただいて。何を読んでいるんですか?」


時田が手にしていたのは、夏目漱石の『こころ』だった。


「好きな作品なんです。人の心の複雑さを、とても繊細に描いている」


「私も国語の授業で読みました。でも、正直あまりよく分からなくて……」


「そうですね、確かに難しい作品かもしれません。でも、人と人との関係や、心の中に秘めた思いについて考えさせられます」


時田はそう言いながら、隣の椅子を引いてくれた。


「よろしければ、一緒にお話ししながら読んでみませんか?」


未来は隣に座り、時田が開いているページを覗き込んだ。すると、なぜか安心するような感覚があった。まるで、昔から一緒に本を読んでいたような、そんな自然さがあった。


「この場面なんですが……」


時田が指差した部分を読みながら、二人は小声で話し始めた。文学の話から始まって、いつの間にか他の話題にも移っていく。


「桜井さんは、将来何になりたいですか?」


「それが……まだよく分からないんです。昨日も進路調査票で悩んでしまって」


「僕も、実はまだはっきりとは決まっていません。でも、人の心を描くような仕事ができたらいいなと思っています」


「人の心を描く……」


「小説家とか、もしくは心理学を学んで、人の気持ちを理解する仕事とか」


時田の話を聞いていると、未来は不思議な感覚に襲われた。この人と話していると、とても落ち着くのだ。まるで、長い間知っている人と話しているような安心感がある。


「時田くんは、どうして人の心に興味を持ったんですか?」


時田は少し考えてから答えた。


「昔から、人の気持ちを理解したいと思っていました。特に……大切な人の心が分からなくて悩んだことがあって」


「大切な人?」


「ええ、とても大切な人でした。でも、その人がどんな気持ちでいるのか、どうすれば笑顔になってくれるのか、ずっと分からなくて」


時田の声には、深い想いが込められていた。


「今でも、その人のことを……?」


「はい。今でも、その人が幸せでいてくれることを願っています」


何か特別な人がいるのだろうか。未来は少し胸が締め付けられるような感覚を覚えた。それが嫉妬なのかは分からないが、複雑な気持ちになった。


でも同時に、時田の優しさや真剣さが、より深く伝わってきた。


「素敵ですね。その人は幸せですね、時田くんのような人に想われて」


「そう言っていただけると……ありがとうございます」


時田は少し悲しそうな表情を見せた。


「でも、その人は僕のことを覚えていないんです」


「覚えていない?」


「昔のことを、すっかり忘れてしまって。だから今は、新しい関係を築いていくしかないんです」


未来は、なぜかその話に強く引かれた。記憶を失くした人の話……それは、まるで自分のことのようだった。


「その人も、記憶の問題があるんですか?」


「はい。でも、それは仕方のないことです。大切なのは、今からどんな関係を築いていけるかだと思っています」


時田の言葉には、深い理解と優しさがあった。まるで、記憶を失くすことの辛さを、誰よりも理解しているような口調だった。


その時、図書館の入り口から声が聞こえた。


「あ、未来先輩!時田先輩も!」


振り返ると、美桜が手を振りながら近づいてきた。


「美桜ちゃん、こんにちは」


「お二人で勉強中ですか?私、図書館で新しい詩集を探していたんです」


美桜は明るく話しかけてきたが、時田と未来が隣同士で座っているのを見て、少し複雑な表情を見せた。


「文学について話していたんです」


時田が説明すると、美桜は少し強引に割って入ってきた。


「私も混ぜてください!文学大好きなんです」


「もちろん、どうぞ」


美桜は近くから椅子を持ってきて、時田の左隣に座った。美桜、時田、未来という並びになり、未来は時田との距離が変わらないことに少しほっとしたが、同時に残念な気持ちもあった。時田と二人きりの時間が、もう少し続いてほしかったのだ。


「時田先輩は、どんな本がお好きなんですか?」


美桜は文芸部の先輩として、積極的に時田に話しかけた。


「色々読みますが、人間の心理を描いた作品が好きですね」


「私は詩が好きなんです!特に恋愛の詩。時田先輩は詩も書かれるんですか?」


「少しは書きますが、あまり上手ではありません」


「そんなことないと思います。今度、文芸部の活動で読ませてください!」


美桜の積極的なアプローチに、時田は少し困ったような表情を見せていた。でも、優しい性格なので、冷たくあしらうこともできないようだった。


未来は二人のやり取りを見ながら、なぜか胸の奥がもやもやした。美桜は可愛くて明るくて、時田のような人にはお似合いかもしれない。


それに比べて自分は……記憶もない、将来の夢もはっきりしない、中途半端な人間だ。


「未来先輩、どうかしました?なんだか元気がないみたいですが」


美桜の声で、未来は我に返った。


「あ、ごめんなさい。ちょっとぼーっとしてしまって」


「もしかして、お疲れですか?」


時田が心配そうに声をかけてくれた。


「大丈夫です。少し考え事をしていただけで」


「そうですか……」


時田は未来の顔をじっと見つめていた。まるで、彼女の心の中を見透かそうとするような、そんな真剣な眼差しだった。


「桜井さん、もしよろしければ、今度文芸部の活動に正式に参加してみませんか?来週の火曜日に集まりがあるんです」


「文芸部の集まりですか?」


「はい。みんなで作品を読み合ったり、感想を話し合ったりします。きっと楽しいと思いますよ」


「未来先輩にもぜひ参加していただきたいです!」


美桜が元気よく賛成した。


「それなら……私も参加してみたいです」


未来がそう答えると、時田は嬉しそうな表情を見せた。


「ありがとうございます。楽しみにしています」


図書館を出る時、三人は一緒に歩いていた。美桜は相変わらず明るくおしゃべりしていたが、未来と時田は少し静かだった。


校門の前で、それぞれ別の方向に帰ることになった。


「それでは、また火曜日に」


時田が手を振って去っていく。未来は、その後ろ姿をしばらく見つめていた。


「未来先輩、時田先輩のこと好きになっちゃったんですか?」


突然の美桜の質問に、未来は慌てた。


「え?そんな、まだ知り合ったばかりですし……」


「でも、さっきずっと時田先輩のこと見てましたよ」


美桜の指摘に、未来は顔が赤くなった。


「そんなつもりじゃ……」


「大丈夫です、秘密にしますから。でも、私も時田先輩、とても素敵な方だと思ってるんです。文芸部の先輩として、すごく頼りになりそうですし」


美桜は屈託なく、そんなことを言った。


「そう……なんですね」


「はい!だから、お互い頑張りましょうね」


美桜は笑顔でそう言って、手を振りながら去っていった。


一人になった未来は、複雑な気持ちで家路についた。


時田のことが気になる。それは確かだった。でも、それが恋愛感情なのか、それとも別の何かなのか、まだよく分からない。


ただ、彼と話していると心が落ち着くし、もっと色々な話をしてみたいと思う。


でも、美桜も時田に興味があるようだ。明るくて積極的な美桜の方が、時田には合っているのかもしれない。


そんなことを考えながら歩いていると、ふと時田が話していた「大切な人」のことを思い出した。


記憶をなくしてしまった、大切な人。


それは、もしかして……


でも、そんなことがあるはずがない。きっと考えすぎなのだろう。


未来は首を振って、そんな考えを打ち消そうとした。でも、心の奥で何かがざわめいているのを感じていた。

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