転校生との出会い
授業中も、時々横目で時田の様子を見てしまう。真面目にノートを取っている姿は、どこか懐かしい感じがした。
なぜだろう。本当に初めて会う人なのに。
昼休みになると、えみが振り返って話しかけてきた。
「転校生、なかなかいい感じじゃない?」
「え?」
「だって、文学青年って感じで素敵よ。未来ちゃんのタイプじゃない?」
「そんなこと……」
でも、否定する言葉が続かなかった。確かに、時田には何か惹かれるものがあった。それが恋愛感情なのかは分からないけれど、特別な何かを感じているのは確かだった。
「文芸部の説明会、行ってみる?」
えみの提案に、未来は頷いていた。
「そうね、ちょっと興味があるかも」
本当は、文芸部よりも時田という人に興味があった。でも、それをえみに話すのは何となく恥ずかしかった。
放課後、未来は文芸部の部室に向かった。校舎の3階、図書館の隣にある小さな部屋だった。扉の前で少し躊躇していると、中から声が聞こえてきた。
「……というわけで、文芸部では小説や詩、エッセイなど、様々な文章を書いています」
松本先生の声だった。説明会が始まっているようだ。
未来は静かにドアをノックした。
「失礼します」
「あ、桜井さん。いらっしゃい」
松本先生が笑顔で迎えてくれた。部屋の中には、時田の他に2年生らしい女子生徒が一人いた。ショートカットで小柄な、可愛らしい子だった。
「文芸部に興味があるの?」
「はい、少し……」
未来が答えると、2年生の女子が明るく立ち上がった。
「こんにちは!私、小野寺美桜です。文芸部の2年生で、詩を書くのが好きなんです。今日は新しく入部を考えている方のご案内をさせていただいてます」
「桜井未来です。よろしくお願いします」
美桜は人懐っこい笑顔で、すぐに未来との距離を縮めてきた。
「未来先輩って呼んでもいいですか?素敵なお名前ですね!」
「ありがとう。美桜ちゃんって呼んでもいい?」
「はい!嬉しいです」
美桜との会話を聞きながら、時田は少し複雑な表情をしていた。未来が他の人と話しているのを見て、何かを考えているようだった。
「それでは、時田くんからも自己紹介をお願いします」
松本先生に促されて、時田が立ち上がった。
「時田遥斗です。湘南校から編入してきました。小説を書くのが好きで、特に人の心の動きを描くような作品に興味があります」
その声は、なぜか未来にとって心地よく響いた。落ち着いていて、でも温かみがある声だった。
「時田先輩は湘南校でも文芸部だったんですか?」
美桜の質問に、時田は頷いた。
「はい。部長をしていました」
「わあ、すごいですね!それじゃあ、こっちでも部長になっちゃうかもしれませんね」
美桜の屈託のない笑顔に、時田は少し困ったような表情を見せた。
「いえ、まだ編入したばかりですし……」
「でも、経験者がいてくれると心強いです」
松本先生が口を挟んだ。
「文芸部は現在、部員が少なくて困っているんです。君たちが入ってくれると、とても助かります」
未来は部室を見回した。本棚にはたくさんの文学作品が並んでいて、机の上には原稿用紙や文芸雑誌が置かれている。静かで落ち着いた雰囲気が、確かに居心地よく感じられた。
「普段はどんな活動をしているんですか?」
未来の質問に、松本先生が答えた。
「週に2回、火曜日と金曜日に集まって、各自の作品を読み合ったり、文学について語り合ったりしています。年に一度、文化祭で部誌を発行するのが大きな目標ですね」
「文化祭の部誌、素敵ですね」
美桜が目を輝かせた。
「私、今年は絶対に詩を載せたいんです!」
その時、時田が静かに口を開いた。
「桜井さんは、どんな文章を書いてみたいですか?」
突然名前を呼ばれて、未来は少しどきりとした。
「えーと……実は、まだよく分からないんです。でも、何か書いてみたいという気持ちはあります」
「どんなことでも構いません。日記でも、思い出でも、将来の夢でも」
時田の優しい口調に、未来は心が温かくなった。
「思い出……ですか」
ふと、昨夜見た写真のことが頭に浮かんだ。失くしてしまった記憶のこと、写真の中の男の子のこと。
「私、小さい頃の記憶がほとんどないんです。でも、時々何かを思い出しそうになることがあって……そういうことを書いてみるのも面白いかもしれませんね」
その言葉を聞いた時、時田は静かに頷いた。
「それは……大変でしたね」
時田の声には、深い優しさが込められていた。まるで、未来の気持ちを理解しているような、そんな温かさがあった。
「記憶がなくても、新しい体験から生まれる文章もきっと素敵だと思います」
「それじゃあ、過去にとらわれずに、新しい思い出をたくさん作れますね!文芸部で一緒に活動したら、きっと素敵な思い出ができますよ」
「美桜ちゃん、ありがとう」
未来は美桜の優しさに感謝した。
説明会が終わって部室を出る時、時田が未来に声をかけた。
「桜井さん」
「はい?」
「もしよろしければ、今度一緒に図書館で本を読みませんか?」
突然の提案に、未来は心臓の鼓動が早くなった。
「図書館で……ですか?」
「はい。僕は本を読むのが好きなので、よく図書館にいるんです。桜井さんも文章を書くなら、色々な本を読んだ方がいいと思いますし」
それは確かに理にかなった提案だった。でも、なぜか特別な意味があるような気がした。
「はい、ぜひお願いします」
未来が答えると、時田は安堵したような表情を見せた。
「ありがとうございます。それでは、明日の放課後はいかがですか?」
「大丈夫です」
約束を交わして別れた後、未来は一人で校舎を歩いていた。
時田という人は、やはり不思議だった。初対面のはずなのに、なぜかずっと前から知っているような感覚がある。そして、彼と話していると、心が落ち着くのだ。
明日の図書館での約束を思うと、胸が少しどきどきした。
それは恋愛感情なのか、それとも別の何かなのか、まだ自分でもよく分からなかった。でも、彼ともっと話してみたいと思う気持ちは確かだった。
家に帰って夕食の時、母に文芸部のことを話した。
「文芸部に入ろうと思うの」
「そう、文章を書くのね。いいじゃない」
美津子は嬉しそうに言った。
「今日、転校生の人と話したんだけど、とても感じのいい人だった」
その時、美津子の表情が少し曇った。
「転校生の方と?」
「時田遥斗くんって人。湘南校から編入してきたの」
美津子は少し複雑そうな表情を見せた。
「そう……時田くん。どんな感じの方だった?」
「とても優しくて、文学好きな人みたい。お母さん、どうかした?なんだか心配そうな顔してるけど」
「いえ、なんでもないの。ただ……」
美津子は少し迷ったような表情を見せてから、口を開いた。
「文芸部、楽しそうね。頑張って」
話題を変えられてしまったが、未来は母の反応が気になった。
時田遥斗という名前に、なぜ母は反応したのだろう?
その夜、未来は再び写真を取り出した。昨夜見た男の子の顔を、改めてじっくりと見つめる。
やはり、時田にとてもよく似ていた。
同じ人なのだろうか?でも、そんなことがあり得るのだろうか?
写真の中の男の子は確かに自分の隣にいて、きっと大切な友達だったはずなのに、今の自分には全く記憶がない。
もし時田が写真の男の子と同一人物だとしたら、彼は自分のことを覚えているのだろうか?
でも、彼の反応を見る限り、初対面として接してきている。きっと、偶然似ているだけの別人なのだろう。
それとも……
未来は首を振った。考えすぎはよくない。明日、図書館で時田と話してみれば、何かが分かるかもしれない。
でも、なぜか胸の奥が少しざわめいていた。まるで、大切な何かが動き始めているような予感がしていた。