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真の愛への理解

田中医師との面談から一週間が経った。未来は医師のアドバイスに従って、静かな環境で自分の気持ちと向き合う時間を作っていた。


水曜日の放課後、未来は一人で図書館に向かった。最近読み始めた恋愛小説を通して、愛について考えてみたかった。


図書館の奥の席に座り、本を開く。主人公が二人の男性の間で揺れ動く物語だった。偶然にも、自分の状況と似ている設定で、作者がどう描いているのかが気になった。


『愛とは、相手の幸せを自分の幸せよりも優先できることなのかもしれない。でも、それは自分を犠牲にすることとは違う。本当の愛は、お互いが自然体でいられる関係なのだ』


本の一節が、未来の心に深く響いた。


「自然体でいられる関係……」


田中医師が言っていた言葉と同じだった。


未来は、田村と過ごす時間を思い出した。一緒にいると確かに楽しく、自然体でいられる。でも、それは表面的な安らぎなのかもしれない。


一方、遥斗と一緒にいる時はどうだろう?


確かに特別な感情がある。懐かしさや、深い安心感。最初は9歳の自分と17歳の自分の間で揺れ動いていると思っていたが、よく考えてみると違った。遥斗の前では、過去の自分も現在の自分も、すべてが自然に統合される感覚があった。彼は、記憶を失った自分も、記憶を取り戻した自分も、すべてを受け入れて愛してくれている。


本を読み続けていると、別の一節が目に留まった。


『真の愛は時間によって深まるものであり、その深さこそが愛の本質なのだ。一瞬の感情も美しいが、長い時間をかけて育まれた愛には、何物にも代えがたい価値がある』


未来は、ペンを取り出してメモに書き留めた。


「愛の深さ……」


遥斗への感情は、確かに長い時間をかけて育まれたものだった。8年間という時間と、彼の一途な想い。そして、それは9歳の自分だけが感じていた愛情ではない。記憶を取り戻した今、17歳の自分も、彼への深い愛情を感じている。


田村への感情は、確かに自然で楽しいものだった。でも、それは恋愛の入り口のような、まだ浅い段階の感情なのかもしれない。


深さと軽やかさ。どちらも価値のある感情だが、確かに質が違っていた。


図書館を出る時、未来は少し答えが見えてきたような気がした。


翌日の昼休み、田村が未来の席にやってきた。


「桜井、最近ちょっと元気がないみたいだけど、大丈夫?」


「うん、大丈夫。ちょっと考え事をしてて」


「俺で良かったら、話を聞くよ」


田村の変わらない優しさに、未来は心が温かくなった。


「田村くん、質問があるの」


「何?」


「田村くんは、私のどんなところが好き?」


突然の質問に、田村は少し驚いたが、真剣に考えて答えた。


「そうだな……桜井の自然な笑顔が好きだ。それから、真面目で思いやりがあるところ。一緒にいると安心するし、君といると俺も素直になれる」


「素直になれる?」


「うん。変にかっこつけたり、無理したりしなくても、ありのままの俺でいられる。それって、すごく楽なんだ」


田村の言葉は、未来が感じていることと同じだった。


「私も、田村くんといると自然体でいられる」


「それって、大切なことだと思うんだ。恋愛関係って、お互いが無理しちゃうと長続きしないでしょ?」


田村の恋愛観は、とても健康的で現実的だった。


「田村くんは、恋愛について深く考えてるのね」


「まあ、バスケ部の先輩たちから色々聞いてるからね。長く続くカップルって、お互いが自然体でいられる関係なんだって」


その日の放課後、文芸部の活動があった。松本先生から文化祭の部誌について、詳しい説明があった。


「『選択』をテーマにした作品ですが、必ずしも恋愛である必要はありません。人生の中で迫られる様々な選択について書いてもらえればと思います」


「先生、締切はいつですか?」


美桜が聞いた。


「来月末までにお願いします。十分時間がありますので、じっくり考えて書いてください」


活動が終わって、未来が部室を出ようとした時、遥斗が声をかけた。


「桜井さん、少しお話しできませんか?」


「はい」


二人は、人のいない中庭のベンチに座った。


「未来ちゃん、最近悩んでるね」


遥斗が「未来ちゃん」と呼んでくれたことに、未来は少し驚いた。人前では「桜井さん」と呼んでいたが、二人きりになると昔のように呼んでくれる。


「うん……色々考えてる」


「田中先生に相談したって、お母さんから聞いた」


「お母さんが?」


「うちの母さんと連絡を取り合ってるから。心配してくれてるんだ」


未来は、両家の母親同士が今でも連絡を取り合っていることを知って、少し複雑な気持ちになった。


「遥斗くん、私に何か言いたいことがあるの?」


遥斗は、少し迷ってから口を開いた。


「正直に言うと……辛いんだ」


「え?」


「未来ちゃんが田村くんと一緒にいるのを見てると、胸が苦しくなる。8年間想い続けてきた人が、他の人を好きになってる。理屈では分かってても、感情がついていかない」


遥斗の率直な言葉に、未来は驚いた。いつも自分のことより未来を優先する彼が、初めて本音を漏らした。


「でも……」


「ごめん、弱音を吐いて。でも、未来ちゃんには嘘をつきたくない」


遥斗は空を見上げた。


「僕は9歳の時から未来ちゃんを愛してる。でも、未来ちゃんは変わった。当然だよね、8年も経ってるんだから」


「遥斗くん……」


「時々思うんだ。僕が愛してるのは、本当に今の未来ちゃんなのか、それとも9歳の時の未来ちゃんの思い出なのかって」


遥斗の複雑な心境に、未来は胸が締め付けられた。


「でも、今日未来ちゃんと話してて分かった。僕は今の未来ちゃんも愛してる。成長した未来ちゃんも、悩んでる未来ちゃんも、全部愛してる」


「遥斗くん……」


「だから、もし未来ちゃんが田村くんを選んでも、僕は諦められると思う。辛いけど、受け入れる。でも、もし僕を選んでくれるなら……今度こそ、絶対に離さない」


中庭を歩いて帰る途中、未来は遥斗の言葉について考えていた。


彼の愛は確かに深く、純粋だった。8年間という時間をかけて育まれた、揺るぎない想い。


そして、その深い愛に、未来は気づき始めていた。自分も同じように深く彼を愛していることに。記憶を失っていた間も、心のどこかで彼を求めていたから、初めて会った時にあれほど特別な感情を抱いたのかもしれない。


田村への気持ちは確かに楽しく、自然だった。でも、それは恋愛の始まりの感情で、遥斗への愛とは深さが違った。


家に帰ると、母の美津子がお茶の準備をしていた。


「お帰りなさい。今日はどうだった?」


「遥斗くんと話をしたの」


「そう……どんな話を?」


「彼の気持ちについて」


美津子は、娘の表情を見て何かを察したようだった。


「未来、あなたの中で何か見えてきた?」


「うん……少しずつだけど」


「無理しないで。答えを急ぐ必要はないのよ」


「でも、いつまでも迷ってるわけにはいかない」


「そうね……でも、間違った選択をするよりは、時間をかけて正しい選択をする方がいいと思うわ」


その夜、未来は自分の部屋で文化祭の作品について考えていた。


『選択』をテーマにした作品。まさに今の自分の状況そのものだった。


未来は、ノートを取り出して書き始めた。


『選択という名の岐路


人生には、多くの選択がある。

朝食に何を食べるかという些細なものから、

人生を左右する重大なものまで。


でも、恋愛における選択は特別だ。

なぜなら、自分だけでなく、

相手の人生にも大きな影響を与えるから。


私は今、二つの愛の間で迷っている。

一つは、過去から続く深い愛。

もう一つは、現在に生まれた自然な愛。


どちらも本物で、どちらも美しい。


でも、選択しなければならない。

なぜなら、中途半端な答えは、

結果的により多くの人を傷つけるから。


では、何を基準に選ぶべきか?

楽しさ?自然さ?


いや、きっと一番大切なのは、

愛の深さということ。


表面的な心地よさではなく、

心の奥底から湧き上がる、

真実の愛。


愛とは、相手を幸せにしたいと思うこと。

でも、同時に、相手からの深い愛を

受け取ることでもある。


だから、最も深く愛し合える相手を

選ぶことが、

一番大切なのかもしれない。』


文章を書き終えて、未来は少しすっきりした気持ちになった。


書くことで、自分の考えが整理されてきた気がする。


愛とは何か、選択とは何か。


答えは、まだ完全には見えないが、確実に近づいているような気がした。


翌日の朝、未来は軽やかな気持ちで学校に向かった。


「おはよう、桜井」


田村がいつものように手を振ってくれた。


「おはよう、田村くん」


田村の笑顔を見ていると、心が自然と明るくなる。この感覚は、偽物ではない。


授業中、未来は時々遥斗の方を見た。彼が真剣にノートを取っている姿、そっと自分を気遣ってくれる優しい視線。すべてが愛おしく、深い安らぎを感じられた。


昼休み、文芸部の美桜が未来の席にやってきた。


「未来先輩、作品の進み具合はいかがですか?」


「少しずつ書き始めてるよ」


「どんな内容なんですか?」


「選択について……特に、恋愛における選択について書いてるの」


美桜の目が輝いた。


「素敵ですね!私も恋愛の詩を書いてるんです」


「そうなの?」


「はい。でも、私の場合は片想いの詩なんですけど」


美桜の言葉に、未来は少し複雑な気持ちになった。美桜が遥斗に片想いしていることは、みんな知っていた。


「美桜ちゃん、恋愛って難しいね」


「そうですね……でも、好きな人がいるって、それだけで幸せな気持ちになれます」


美桜の純粋な言葉に、未来は自分の恵まれた状況を改めて感じた。


二人の素晴らしい男性から愛されて、自分はなんて贅沢な悩みを抱えているのだろう。


でも、だからこそ、誠実な選択をしなければいけない。


その日の放課後、未来は一人で帰宅した。


家までの道のりで、これまでのことを振り返ってみる。


記憶が戻ってから、確かに混乱した。でも、その混乱の中で、自分の本当の気持ちも見えてきた気がする。


田村といる時の楽しさ。

遥斗といる時の深い愛。


どちらも大切な感情だが、どちらがより「本当の自分」の気持ちなのか。


答えは、もうほとんど見えていた。


それは、心の奥底からの声だった。深く、静かで、でも確実な愛の声。


でも、それを実際に選択として示すには、もう少し勇気が必要だった。


家に着くと、父の誠が珍しく早く帰宅していた。


「お帰り、未来」


「お帰りなさい、お父さん」


「最近、色々と大変だったね」


誠が優しく声をかけてくれた。


「うん……でも、少しずつ答えが見えてきた気がする」


「そうか。焦る必要はないから、じっくり考えなさい」


「お父さん、一つ聞いてもいい?」


「何だ?」


「お父さんは、お母さんのどこに惹かれたの?」


誠は少し考えてから答えた。


「お母さんといると、肩の力が抜けるんだ。無理をしなくても、自然体でいられる」


「自然体で……」


「そうだ。それに、一緒にいて楽しいし、将来のことを一緒に考えたいと思えた」


父親の言葉は、田中医師や田村が言っていたことと同じだった。


その夜、未来は自分の気持ちと最後の対話をした。


過去の自分と現在の自分。

遥斗への愛と田村への愛。


すべてを受け入れた上で、自分は誰と歩んでいきたいのか。


ついに、答えが明確になった。


それは、理屈ではなく、心からの声だった。

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