相模原への旅
日曜日の朝、未来は緊張と期待で早く目が覚めた。今日、時田と一緒に相模原に行く日だ。タイムカプセルを探しに行く日でもある。
8時に成城学園前駅で待ち合わせることになっていた。未来は、動きやすい服装を選んで家を出た。
「行ってきます」
「気をつけて行ってらっしゃい」
美津子は、娘を心配そうに見送った。過去を取り戻す旅になるかもしれない今日のことを、複雑な気持ちで見守っていた。
成城学園駅の改札前で、時田が既に待っていた。リュックサックを背負い、どこか遠足に行く時のような緊張した表情をしている。
「おはようございます、桜井さん」
「おはようございます、時田くん」
二人は小田急線に乗って、相模原に向かった。電車の中では、最初は緊張していたが、徐々に会話が弾むようになった。
「相模原まで、どのくらいかかるんですか?」
「1時間弱くらいです。町田で乗り換えて、相模原駅まで行きます」
時田は、路線図を見せながら説明してくれた。
「時田くんは、相模原のこと、詳しいんですね」
「はい。実家が相模原なので、月に1、2回は帰っているんです」
電車が都心を離れ、郊外の風景が広がってくると、未来は不思議な感覚を覚えた。見覚えのないはずの風景なのに、どこか懐かしいような気がするのだ。
「桜井さん、何か感じることはありますか?」
「なんだか……懐かしいような気がします」
「そうですか」
時田は、未来の反応に希望を感じた。
町田駅で乗り換えて、横浜線に乗った。車窓から見える住宅街や商店街の風景に、未来はより強い既視感を覚えるようになった。
「あの商店街……」
「どうかしましたか?」
「何となく、見たことがあるような気がします」
「きっと、お母さんと一緒に買い物に行った場所だと思います」
相模原駅に着くと、時田は迷うことなく改札を出て、バス停に向かった。
「相模台小学校までは、バスで15分くらいです」
バスに乗りながら、未来は窓の外の風景を真剣に見つめていた。通り過ぎる住宅街、公園、商店……すべてが微かに記憶の糸を刺激するような気がした。
「この道……」
「桜井さんが毎日通学していた道です」
「毎日……」
バスが住宅街を抜けて、少し開けた場所に出ると、前方に小学校の建物が見えてきた。
「あ……」
未来は、小学校の校舎を見た瞬間、胸がドキドキした。
「相模台小学校です」
「なんだか……」
未来は言葉にならない感情に襲われた。懐かしさ、寂しさ、そして言いようのない切なさが混じり合った複雑な気持ちだった。
バスを降りて、二人は小学校の正門に向かった。日曜日なので学校は休みだが、校庭では地域のサッカークラブの子供たちが練習していた。
「ここが……私が通っていた学校」
「はい。4年間、毎日通った学校です」
校門の前に立つと、未来の頭の中に断片的な映像が浮かんだ。
ランドセルを背負って走っている自分。友達と笑いながら帰っている様子。
「時田くん……」
「はい?」
「私たちは、いつも一緒に登下校していたんですか?」
「はい。僕の家と桜井さんの家は近所だったので、1年生の時からずっと一緒でした」
「そうだったんですね……」
未来は、自分でも驚くほど自然に、校内への道を歩き始めた。まるで体が覚えているように、迷うことなく校舎に向かっていく。
「桜井さん、道を覚えているんですね」
「え?」
自分が迷わずに歩いていることに、未来は気づいた。
「確かに……なぜか、どこに行けばいいか分かるような気がします」
「それは素晴らしいことです」
校舎の前まで来ると、未来は立ち止まった。
「この建物……」
古い鉄筋コンクリート造りの校舎は、昭和の香りを残した懐かしい雰囲気だった。3階建ての建物に、たくさんの教室が並んでいる。
「私たちの教室は、どこだったんですか?」
「2階の一番奥です。4年2組の教室でした」
時田が指差した教室を見上げると、未来は胸が熱くなった。
「あの教室で……」
「はい。毎日一緒に勉強して、一緒に給食を食べて、一緒に掃除をしました」
時田の言葉に、未来は目頭が熱くなった。記憶ははっきりしないけれど、確かにそこに自分の青春があったのだと感じられた。
「時田くん、裏山はどこですか?」
「校舎の裏側です。行ってみましょうか」
二人は校舎の周りを歩いて、裏手に回った。そこには小さな丘があり、たくさんの木々が生い茂っていた。
「あの桜の木が……」
未来は、丘の中腹にある大きな桜の木を見つけた。今は葉桜の季節だが、立派な幹と美しい枝ぶりで、春には見事な花を咲かせることが想像できた。
「はい。僕たちのお気に入りの場所でした」
「お気に入りの……」
未来は、桜の木に向かって歩き始めた。足取りは確実で、まるで何度も通った道を歩いているようだった。
桜の木の下まで来ると、未来は立ち止まった。
「ここで……」
「はい。よく二人で本を読んだり、話をしたりしました」
時田は、未来の反応を見守った。
「春には、桜の花びらが舞って、とても綺麗でした」
その時、未来の頭の中に鮮明な映像が浮かんだ。
桜の花びらが舞い散る中、男の子と一緒に笑っている自分。二人で本を読んでいる様子。そして……
「タイムカプセル……」
「そうです。この木の下に、僕たちはタイムカプセルを埋めました」
時田は、桜の木の根元の方を指差した。
「あの大きな石の下です」
未来は、時田が指差した方向を見た。確かに、桜の木の根元に大きな石があった。
「あの石……見覚えがあります」
「本当ですか?」
「はい。なぜか、あの石のことを覚えているような気がします」
二人は、石の近くまで行った。
「ここです」
時田は、石の隣の地面を指差した。
「この下に、僕たちの思い出が埋まっています」
未来は、その場所を見つめながら、記憶の断片を必死に繋ぎ合わせようとした。
「何を入れたんですか?」
「手紙と、写真と、それから……」
時田は少し言いにくそうに続けた。
「僕たちの大切な物を入れました」
「大切な物?」
「桜井さんが僕にくれるはずだったミサンガと、僕が桜井さんにあげるつもりだった鉛筆です」
その時、未来の胸に強い感情が込み上げてきた。
「ミサンガ……」
「はい。桜井さんが、僕のために一生懸命作ってくれたミサンガです」
「私が……作った?」
「とても器用に、綺麗な模様を編んでくれました」
未来は、自分でも驚くほど鮮明に、ミサンガを編んでいる自分の姿を思い出した。
「青と白の糸で……」
「そうです!よく覚えていますね」
「時田くんの好きな色だったから……」
「はい。僕が青が好きだと言ったら、青と白で綺麗なミサンガを作ってくれました」
未来は、涙が出そうになった。記憶が少しずつ蘇ってきている。
「でも、結局渡せなかったんですね」
「転校前日に、お別れが辛くて……直接渡すよりも、10年後の約束と一緒にタイムカプセルに入れようって思ったんです」
「それで、タイムカプセルに入れたんですか」
未来が聞くと、時田は頷いた。
「はい。10年後に会った時に、改めて渡そうと思って」
時田の言葉に、未来は胸が熱くなった。
「10年後……」
「僕は、本当に10年後に桜井さんと再会できると信じていました」
時田の一途な想いを聞いて、未来は感動した。
「それで、陽光学園に編入したんですね」
「はい。桜井さんに再び会うために、ずっと努力してきました」
未来は、時田の一途な想いに胸が締め付けられた。
「掘ってみませんか?」
時田の提案に、未来は頷いた。
「はい」
時田は、持参した小さなスコップを取り出した。
「少し掘ってみます」
大きな石をどかして、その下の土を慎重に掘り始めた。
「ありました」
しばらくすると、小さな金属の缶が出てきた。お菓子の空き缶を使ったタイムカプセルだった。
「これが……」
未来は、缶を見た瞬間、強烈な記憶が蘇った。
転校が決まった夜、泣きながらこの缶に手紙を入れた自分。遥斗と一緒に、この場所に埋めた時の気持ち。
「思い出しました……」
「本当ですか?」
「この缶……確かに私たちで埋めました」
未来の言葉に、遥斗は感動した。
「開けてみませんか?」
「はい」
遥斗は、缶の蓋を慎重に開けた。8年間の時を経て、ついにタイムカプセルが開かれる瞬間だった。
缶の中には、封筒に入った手紙、写真、そして小さな袋に包まれた物が入っていた。
「これが……」
未来は、自分の手紙を取り出した。封筒には、「10年後の遥斗くんへ」と書かれていた。
「私の字……」
9歳の時の、一生懸命書いた文字だった。
遥斗も、自分の手紙を取り出した。「10年後の未来ちゃんへ」と書かれている。
「読んでみませんか?」
「はい」
未来は、震える手で封筒を開けた。
中には、便箋に書かれた手紙が入っていた。
『10年後の遥斗くんへ
遥斗くん、元気ですか?
私は、遥斗くんとお別れするのがとても悲しいです。
でも、遥斗くんが言ってくれたように、10年後にまた会えると信じています。
遥斗くんは、私の一番大切な友達です。
一緒に本を読んだり、桜の木の下で話をしたり、毎日がとても楽しかったです。
私は、遥斗くんがいない学校がどんなところか想像できません。
でも、私は東京で頑張ります。
そして、10年後に大人になった遥斗くんに会えることを楽しみにしています。
遥斗くん、ありがとう。
大好きです。
未来より』
手紙を読み終えた未来は、涙が止まらなくなった。
「私……遥斗くんのことを……」
「はい」
遥斗も、目に涙を浮かべていた。
「僕の手紙も読んでもらえますか?」
「はい」
遥斗の手紙には、こう書かれていた。
『10年後の未来ちゃんへ
未来ちゃん、元気ですか?
僕は、未来ちゃんとお別れするのがとても辛いです。
でも、絶対にまた会えると信じています。
未来ちゃんは、僕の一番大切な人です。
未来ちゃんの笑顔を見ていると、僕も嬉しくなります。
一緒にいると、とても幸せです。
10年後、僕たちは大人になっているでしょう。
どんな大人になっても、未来ちゃんのことを忘れません。
未来ちゃんが幸せでいることを、いつも願っています。
そして、また一緒に桜の木の下で話ができる日を楽しみにしています。
未来ちゃん、大好きです。
絶対に忘れません。
遥斗より』
二つの手紙を読んで、未来の記憶が一気に蘇った。
幼い頃の遥斗との思い出、一緒に過ごした楽しい時間、そして別れの時の悲しさ。
「思い出した……全部思い出した」
「本当?」
「うん。遥斗くんとの思い出、全部蘇った」
未来は、遥斗を見つめた。
「あなたは、私の一番大切な人でした」
「未来ちゃん……」
8年ぶりに、遥斗は未来の本当の名前を呼んだ。
「遥斗くん……」
未来も、自然に遥斗の名前を呼んだ。
二人は、桜の木の下で、8年間の時を超えて再会を果たした。
でも、未来の心の中では、新たな混乱が始まっていた。
過去の遥斗への愛情と、現在の田村への想い。
どちらも本物の感情だった。
記憶を取り戻した今、未来はどちらを選ぶべきなのか……。
夕日が桜の木を照らす中、未来は人生最大の選択を迫られることになった。