表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

「赤い箱」

作者: 羽里 璃砂

初投稿です。

明るく元気な小説を目指して作りました。









「ねえ、「赤い箱」って噂知ってる?」

「何それー?」

「なんかさ、今SNSで有名らしいんだけど、ある日家族が行方不明になったら、部屋に「赤い箱」が置いてあるんだって!」

「その「赤い箱」って何か入ってたりするの?っていうか誰が置いてるのそれ?」

「なんかね、ある日家族がいなくなった部屋に、突然現れる事しか分からなくて、誰も真相を知らないんだって。」

「意味わからなすぎでしょ〜。何でそんなのが流行ってるの?」

「それがさ〜……。」


放課後の教室の隅の席で座る私は、同じクラスの女の子2人が大きな声で会話している内容に、静かに耳を傾けていた。

私には友達がおらず、放課後になっても1人で帰るだけなので、誰も私の姿を目に留めるものはいない。


「赤い箱」


今SNSで流行っている、家族が行方不明になったら突如部屋に現れるという「赤い箱」。

その詳細はわかっておらず、なぜその「赤い箱」があるのか、誰が置いたのか、その中身は何なのか。

そもそも、誰がそんな話をし始めたのかすらわからなかった。


そんな話が何故ここまで広がったのかは、私の様な1人で過ごしている人間ですらわかる。

私も含め、老若男女問わず見られている有名動画投稿サイトで、色んな怖い話や都市伝説の話を投稿する人達が、一斉にその「赤い箱」の話をし始めたからだ。

一躍SNSではその話で持ちきりになり


「もしかしたら流行語大賞になるんじゃないか。」


とまで言われ始めている。




私は最初にその話を聞いた時、本当に馬鹿馬鹿しいなと思った。

家族が行方不明になることなんて、私の周りでは1度も起こった事がないし、その「赤い箱」という物が突然現れるという物語のような事なんてありえないと思う。


ありえないと思っていた。


私は彼女達の話を盗み聞きするのをやめると、鞄を肩にかけ帰宅する事にした。


私は生まれてすぐに父が亡くなった。

電車へ飛び込んだそうだ。

父は精神疾患を抱えていたそうだが、娘である私が生まれ、もっと仕事を頑張らないといけないと周りに言っていたらしい。

しかしそのタイミングで病状が悪化し、母が気が付いた時には、真夏の電車のホームへ飛び込んでいた、という。

どこの駅のホームで飛び込んで、父がどんな人生、どんな事を考えていて、どんな人だったかも母はいつも寂し気な顔をしながらも、嬉しそうに語ってくれた。

父と母は結婚をお互いの両親に反対をされて、知り合いも誰もいないこの土地に、2人で逃げる様に来たらしい。

たくさん苦労をしたであろう、そんな母の事を私は愛していた。

父が亡くなってすぐ、アフィリエイトでお金を稼げるネットサイトを運営し始めて、出来る限り家にいて私の面倒を見てくれていた母。

もちろん喧嘩だってした事もあるけれど、そんなのお互いにすぐ忘れてしまう性格だと言うのも良かったのかも知れない。


しかし、私にはそんな愛している母に対しての不満があった。

それはここ最近、母に出来たという彼氏の存在だ。

彼は母と同じ40歳で、母の友人のうちの1人だったらしい。

たまに家に遊びに来ては、私と母と彼の3人で食事をしたり一緒にゲームをしたりする。

ここまで見ると仲睦まじく感じるかもしれないが、私はそこからが嫌なのだ。

彼は遊びに来ると絶対に泊まっていって、母の部屋で母と2人きりで一夜を過ごす。

私はどうしてもそれが許せなかった。

彼の事は嫌いではないし、40代にしては若く見えてイケメンと言われる部類ではあると思う。

性格も優しく、遊びに来る時にはいつも私を気遣ってか、ケーキや流行りのお菓子を買って来てくれる。

しかしそれでも、私と母が暮らす家をラブホテルの代わりに使う事が、私にはどうしても許せなかった。

気持ちが悪い。

そして私の愛する母が、あの訳の分からない男に取られてしまう。

考えただけで発狂しそうだった。

愛しているはずの母が、気持ち悪い存在に見えて来てしまっているのも本当に嫌だった。

そんな事を考えながら日々を過ごしていた時だった


あの「赤い箱」と


「私が死んだら、この箱を開けてね。」


と書かれた「書き置き」がリビングのテーブルに置かれていたのは。




学校から帰って来て、リビングへの扉を開けると一昨日と変わらず「赤い箱」と「書き置き」が置いてある。

初めて見た時は、SNSで噂になっていた事は本当なのだと震えた。

けれど、この「書き置き」はなんだろう?

噂ではこんな物があるなんて、誰も書いてはいなかった。

恐らく母が書いた物だと思うが、それでも何のために?

どうしてこんな事を書いたのか、そしてどうやってこの「赤い箱」を手に入れたのか。

母はどこにいったのだろう?

私には疑問がたくさん浮かんだ。

いつも私が学校から帰った時には、必ず出迎えてくれていた母が家におらず、スマートフォンへまず連絡して、母のスマホのGPSでどこにいるかも確認した。

しかし、連絡は帰って来ず、GPSで居場所を特定することもできず、母は本当に行方不明になってしまったのだと確信した。


こんな時に、頼れる大人がいれば良いのだけれど、生憎祖父母という存在は私にはいなかった。

母の彼氏に頼っても良いかとも思ったけれど、連絡先は母しか知らないし、出来れば頼りたくはない。

私は天涯孤独となってしまったのだ。

けれどそんな状況でも、私は悪い気はしなかった。

ここ最近は母もその彼氏も気に入らなかったし、1人になりたい気分だった。

ちょうど良かった。

自分に言い聞かせる、1人でも大丈夫。

母も実家を飛び出して平気だった。

その娘である私なら、何も問題はない。

けれど、あの「赤い箱」とその「書き置き」は気になってしょうがない。


「私が死んだら、この箱を開けてね。」


母はもう、この世にはいないのだろうか。

そう考えた瞬間に、胸を締め付けられるような感覚があった。

胸が苦しい、母がいないのは怖い。

一昨日まではこんな事を思わなかったのに。

私には友達もいないし、大人の知り合いもいない。

どうすれば良いんだろう。

お金は母が前から

「私に何かあった時、貴女が困るだろうからここのお金は使って良いからね。」

と通帳を置いておいてくれた。

そのお金で確かにしばらくは持つかもしれない。

でも私の心はあの「赤い箱」を見つけた瞬間からずっと不安な気持ちだ。

今までの私は、例え1人だとしても病んだりしてしまう事はなかった。


大丈夫、大丈夫、大丈夫、大丈夫、大丈夫。


とりあえずご飯にしよう。

あの「赤い箱」があるテーブルでは気持ちが悪くて、食欲も湧かないから自分の部屋で食べることにしようと思う。

そうすれば母がいないという気持ちも少しは紛れるかもしれない。


そう思うと私は冷蔵庫へ向かい、お茶が入ったペットボトルを手に取り、冷凍庫から袋のままレンジで温めればすぐに食べられるパスタを取り出した。

そのパスタ入りの袋をレンジに入れて、温め終わるのを待っている間に、使い捨てのフォークをキッチンの引き出しから取り、温め終わったパスタを入れる為の皿を「赤い箱」の横に置いた。


お茶を飲みながら出来上がるのを待っていたが、気付けば私はテーブルの上にある「書き置き」をまた読んでいた。


「私が死んだら、この箱を開けてね。」


読めば読むほど不思議だった。

母と連絡が取れない今、どうやってその死を伝えてくると言うのか。

まさか警察とか?

昔から私は


人に迷惑をかけたらいけない。


という母の教えに従って生きてきた。

きっと父が電車に飛び込んでしまい、沢山の人に迷惑をかけたという思いもあったのだろう。

そんな母が人に迷惑をかけるなんて考えられなかった。

それじゃあどうやって……。

考え事をしていた時、レンジから温め終わった合図の音が鳴り響いた。


私は温め終わったパスタが入った袋を、レンジから取り出し「赤い箱」の横に置いておいた皿へ袋の中身移した。

そして用意しておいたフォークを口に加え、パスタを入れた皿とお茶のペットボトルをそれぞれ片手ずつに持ち、自分の部屋へ向かう。


私の部屋は広くはないけれど、掃除が大変になるのが嫌だからと出来るだけ物を減らしてある。

ピンク色のテーブルにクッション、ベッドにノートパソコン、小さめの本棚があるくらい。

ぬいぐるみも可愛いけれど、ダニの心配を思うとなかなか部屋に置く事ができなかった。


部屋に入りテーブルの上に、パスタとフォークとペットボトルのお茶を置き、スマートフォンで動画を見ながら食事を始めた。

私はパスタをフォークに巻き付けながら思った。

1人で夕飯を食べるのなんて初めてかもしれない。

いつも母は夕飯の時だけは、友達と出かけた時も帰って来てくれていた。

それほど母は私の事を気にかけてくれていたのだ。


そう思うと私は自然と涙がこぼれ始めた。

寂しい、悲しい、お母さんはどこに行ったのだろう?

本当にあの書き置きの通り、もう死んでしまうのだろうか?

どうして私を置いていったの?

もしかして私を捨てたの?

昨日までは母がいなくなってくれてすごく嬉しかったのに、今日はとても気持ちが不安定だ。

今日は早く寝よう。

母がいなくなっても、私は学校へ行かなければならない。

なぜなら私はこれから1人で生きていかないといけないから。


私は立ち上がり、食べかけのパスタをキッチンのゴミ箱へ捨てると、シャワーを浴びて髪を乾かし、自室のベッドへ横になった後に私は言い忘れていた言葉を言った。


「おやすみ、お母さん。」




翌日、私は学校で朝から眠くて仕方がなかった。

いつも通りの時間に寝たのに、なぜかとてつもない睡魔に襲われ、私は気が付いたら夢の中へと落ちていた。

夢の中で私は真っ白な空間にいて、目の前にはあの「赤い箱」を持ちながらこちらを見ている母がいた。


母は以前、私に


「この服可愛いよね!」


とよく言っていた、母には少し若いグレーのチェック柄のワンピースを着ていたが、素足で、化粧もヘアセットも何もしていない姿だった。


夢の中での母は私に言う。


「私が死んだら、この箱を開けてね。」


私は母に言いたい事があるのに声が出なかった。

今どこにいるの?何か事件に巻き込まれたの?どうして家へ帰って来ないの?

言いたいことは沢山あったのに、体は言うことを聞いてはくれなかった。

母はまた私に繰り返す。


「私が死んだら、この箱を開けてね。」


母はそこから壊れてしまったように繰り返した。


「私が死んだら、この箱を開けてね。私が死んだら、この箱を開けてね。私が死んだら、この箱を開けてね。私が死んだら、この箱を開けてね。私が死んだら、この箱を開けてね。私が死んだら、この箱を開けてね。私が死んだら、この箱を開けてね。私が死んだら、この箱を開けてね。私が死んだら……。」


私は教室にある自分の机でたくさんの汗をかきながら目を覚ました。

気付けばもう帰りの時刻らしく、教室にいる生徒の数もまばらだった。

登校した直後の朝からこんな時間まで寝てしまっていたなんて。

しかしそれより私には気になることがある。

母がおかしくなってしまった。

私には言葉にできない確信があった。

私は母を助けなければいけない。

でもどうすれば良いんだろう。


そう考えていたら、昨日「赤い箱」の話をしていた2人のクラスメイトが、また「赤い箱」について話をしている事に気が付いた。


「そういえば、この前話した「赤い箱」が家にあるって言ってる子がこの間いてさ〜。」

「えっ、本当に!?」

「本当本当!それで皆で見に行ったんだよー。」

「うんうん。」

「そしたらどこにもないの!本人はここにあるじゃん!ってテーブルを指差すんだけど、何も無いんだよね。あまりにも必死そうだったから言えなかったけどさ、あれ絶対目立ちたいだけだよね〜。」

「絶対そうじゃん。だって最近あの子ちょっと浮いてるもんねー。」


私はそこまで聞こえたあたりで、その2人に話しかけていた。


「急にごめんね、その「赤い箱」が家にあったって言ってる人ってこの学校の人?」


2人は普段、このクラスで浮いている私から話しかけられた事に、驚いた顔をしながらも答えてくれた。


「あっ……。うん、隣のクラスの子だよ。」

「でもあの子最近、学校でずっと寝ていたり、起きたと思ったら授業中でも急に泣き出したりして、おかしくなっちゃったんじゃないかって言われているんだよ。あまり関わらない方が良いと思うよ。」

「それにいくらSNSで流行っているからって「赤い箱」が家にあるなんて言わないでしょ!」

「そうそう、普通は言わないよね。貴女も「赤い箱」に興味あるの?」


私は2人から珍しい物を見るような目で見られながら答えた。


「うん、実は都市伝説とか結構好きでさ。もしあるんだったら、見てみたいなと思って。」


2人は顔を見合わせると


「えっ、意外だね!私達もそういうの好きだから見に行ったんだけどさ、何も無いんだよ。あの子は、そこにあるじゃん!って言ってるんだけどさ。」

「そうそう、無駄足ってこういう時に使う言葉なんだなーって思ったよ。まあ、試しに一度見に行ってもいいんじゃない?そういう話し相手欲しそうだったし。」

「暇潰しには良いと思うよ!まだ帰ってないかもしれないし、どの子か教えてあげるよ。」


そう言って、2人は親切にもその子の元まで連れて行ってくれる事になった。

3人で鞄を持ち、教室を出て隣のクラスのドアの窓を覗き込んだら、誰もいない教室に1人で座っている女の子がいた。


「ほら、あそこの髪がボサボサの子だよ。」


2人のうちの1人が小声で言う。


「見た目もどんどんやばくなって来たね〜。本人がもうお化けみたいな物じゃん。まあ、とりあえずあの子だから。関わるのは程々にしておきなね。」


2人は小声で私に色々忠告をしてくれると、先に帰ると言い去り際に


「今度3人で都市伝説とか怖い話しようよ!まずは明日、家を見に行った結果を教えてね〜。」

と手を振りながら歩いていった。


良い子達だったなと思いながら、私はその「赤い箱」が家にあると言う子がいる教室の扉を開けた。


廊下側の扉の窓からは分からなかったが、その子はずっと前を見ながら、何かを話しているように口を動かしていた。

しかし実際には何も言ってはいない。

あの2人が言っていた言葉を思い出す。


おかしくなっちゃったんじゃないか。


確かにこれは常人では無いと思う。

肩の辺りまである髪はボサボサで、制服のリボンは妙に曲がっており、ワイシャツも所々スカートから飛び出ていて、何日もお風呂に入って無さそうな雰囲気もある。

怖いけれど、私は勇気を振り絞り話しかけた。


「貴女、「赤い箱」が家にあるの?」


そう聞いた瞬間に彼女はゆっくり私の方を見た。


「あるって言ったらどうするの?あいつらみたいに私の事を馬鹿にする?お父さんは何週間も帰って来てくれないのに疑うの?たった1人の家族なのに、私の事を放ってずっと帰って来てくれない。私の事なんてもうどうでも良いんだ。どうせ適当な女を見つけたから、子供なんていらなくなったんだ。どうせ私なんてもういらないんだ。全部あの「赤い箱」のせいだ。なのにどうして誰も信じてくれないの。あそこに本当にあるのに。どうして誰も……。」


私が話しかけたら、洪水のようにたくさんの言葉が、彼女から溢れ出た。

そして今もそれは溢れ続けていて、他の人には止められ無さそうだ。

しかし、私には止められる自信がある、

聞きたいことがあったからだ。


「ねえ、「書き置き」も一緒にあったでしょ?なんて書いてあった?」


私がその事を聞いたら、彼女は驚いた様な顔をして話すのを止めた。


「もしかして……貴女の家にも「赤い箱」があるの……?」


今にも泣き出しそうな声で、私に問いかけて来た。

私は何も言わず、ただ首を縦に振った。

私のその動きを見た彼女は立ち上がり、鞄を手に持つと私に


「うちに来て「赤い箱」を見て欲しい。」


と言い一緒に学校の玄関へと向かった。




彼女の家は学校から徒歩15分ほどの所にある一軒家だった。

一緒に彼女の家へ向かう途中、彼女は家族の事を私に話してくれた。

お母さんは数年前に病気で亡くなってしまい、そこからお父さんと2人暮らしだったようだ。

両親のそのまた両親…つまり彼女にとっての祖父母は、あまり関係が良く無いらしく、連絡先は知ってはいるが関わりたく無いと言う。

私と似ている……と少し心の中で思った。


彼女の家はちょっとした庭がある2階建ての一軒家だった。

外から見たら特に何もおかしい様な点は無かったが、彼女が家の玄関を開けると人が住んでいる様な気配は無かった。

電気を付けていないとしても妙な薄暗さ。

外に比べると少し肌寒いような感覚もあった。

それに玄関周りから部屋へ続く廊下へ至るまで、食べ終わったコンビニ弁当の容器や、食べかけのポテトチップスの袋が何故か置かれており、色々な匂いが混ざっていた。

クラスメイトの子が来た時には既にゴミがあったのだろうか?

もしあったとしたら余計に不気味さが増して、彼女の言うことなんて信じたく無くなるはずだ。


私達は靴を脱ぐのは少し躊躇ったが、彼女があまりにも普通に靴を脱いでいるので、私も靴を脱いで家へ上がると、彼女は「赤い箱」があるというリビングへ案内してくれた。


リビングは、玄関と比べ物がならないくらいの量の荷物と、ゴミが床に散乱していた。

まず目に入ったのは扉の近くにあった服の山だった。

恐らく着終わったであろうその服達は、そのまま床に置かれていき、少し嫌な匂いを放つ山となっている。

それ以外の床には、さっき玄関で見かけた様な食べかけのお菓子や、食べ終わったお弁当の容器に加えて、飲みかけのペットボトルがキャップが空いたまま置かれている状態で異臭もしていた。

彼女はそんな光景を見られても気にならないようだ。


「ほら、これ。貴女には見えるでしょう?これが私の家のリビングに急に現れた「赤い箱」と「書き置き」だよ。」


彼女はテーブルの上を指差しながら私に言った。


私はその瞬間に動揺をしてしまった。

見えないのだ。

彼女が指差す部分には何もなく、ゴミだらけのリビングには似つかわしくないほど綺麗なテーブルがあるだけだった。

しかし彼女の様子からして、嘘をついているようには私には見えなかった。

そして私は言おうか悩んだが彼女に言った。


「ごめん……。私にも何も見えないや。」


彼女はその言葉を聞くと、目を見開いて私を見つめている。

しかし私は続けて


「私の家にある「赤い箱」と「書き置き」もね、この家と同じように、リビングのテーブルの上にあるの。もしかしたら、貴女にも見えないかもしれないから、この後私の家に来て欲しい。でもその前に教えて?そこにあると言う「書き置き」にはなんで書いてあるの?」


彼女は私の言葉を聞き、言いたく無さそうにしながらも、その「書き置き」の内容を読んでくれた。


「私が死んだら、この箱を開けてね。」




私は彼女を連れて自宅へ向かった。

彼女の家は私の家からさほど遠くなく、10分ほどで着くことができた。

私は彼女を自宅のリビングへ案内したが、私の思った通り、彼女に私の家にある「赤い箱」と「書き置き」を見ることはできなかった。

彼女は言いにくそうに私に聞いて来た。


「貴女も、誰か家族がいなくなったの……?」


私は人に改めて説明をするとなると、母がいなくなってしまった事を実感し、泣きそうになってしまったが彼女に話をした。


「お母さん……。私、お父さんを生まれてすぐに亡くしてて、全然覚えていないんだ。そこからお母さんと2人きりで住んでたの。うちの両親は色々あって祖父母とは連絡が取れないから、実質もう1人ぼっちなんだ。」


我慢していた涙が溢れる。

お母さんに会いたい。

どうして自分がこんな目に遭わないといけないのか。

胸がとても苦しかった。


その瞬間、彼女に抱きしめられた。


「大丈夫、私達きっとなんとかなるよ。私のお父さんも、貴女のお母さんもしばらくしたら帰ってくるよ。大丈夫、大丈夫だよ。大丈夫……。」


私達は抱きしめ合いながら泣き続けた。

私達が一体何をしたというのだろうか。

今まで通り平凡な日常を過ごしていただけだ。

誰かに特別恨みを買う様なことなんてしていない。


しばらく泣いて少し落ち着いた頃、私は言った。


「ねえ、臭いんだけど。お風呂使って良いから入って来て?服は私の貸すから。」


それを言われた彼女は私から体を離して


「ごめん、もうお父さんがいなくなってから、全然入らなくなっちゃって。お風呂は有り難く使わせてもらうね。」


と気まずそうな顔をしながら言った。

私はその、気まずそうな顔に我慢ができず笑ってしまい、彼女も笑い始めた。

こんなに笑ったのはいつぶりだろう?

誰かと家に一緒にいるのはどれくらいぶりだろう。

もう遥か昔のことのように思えてしまい、寂しくなったが口には出さなかった。

だって今はこんなにも笑えているんだから。


私は彼女をお風呂場へ案内した後、自室に彼女へ貸す服を取りに行った。

今日はもう、うちに泊まってもらおう。

あの子とは仲良くなれる気がする。

こんな目に遭っている私達にも、今だけは楽しい時間があったって良いじゃないか。

あの子の事を色々知りたい。

そもそも名前だってまだ知らないじゃないか。

明日の朝までたくさんの話をして過ごしたい。


私は脱衣所に貸す服を置いて、今日のこの後の事を想像しただけで楽しみだった。

彼女がお風呂場から上がり、髪を乾かし、私の服を着て出て来た時に彼女は言った。


「ねえ、もしかしたらお父さん今日帰ってくるかもしれない!何か確信があるわけでも無いし、連絡が来たわけでもないけれど帰ってくる気がするんだ。だから今日はこのまま帰っても良い?服はまた後日学校で返すから。あと一応連絡先教えて!」


彼女はそれだけ言うと私と連絡先を交換し、自分の着ていた服を鞄に入れて、急いで自宅へと帰っていった。

1人取り残された私は、今起きたことは夢なのではないかと思ってしまうくらいの勢いだった。


「せっかくお泊まりできると思ったのにな……。」


私は不貞腐れてベッドへ横になり、そのまま朝いつも起きる時間まで眠ってしまった。


次の日、学校で自分の教室に入ると、昨日の2人組に話しかけられた。


「おはよう!昨日はあの後どうだった?あの子の家に行けた?」

「やっぱ見えなかったでしょ?嘘ついているんだよあの子!」


2人は楽しそうに私の感想を聞いて来た。

私はあの子と仲良くなりたいから、余計な事は言わないほうが良いなと思い


「あの後、話しかけたけど機嫌が悪かったみたいでさ、全然話せなかったんだよー。また今度話してみようかなって。」


私がそう答えると2人はつまらなそうな顔をして


「なんだー。あの人いつも必死に「赤い箱」の話を聞いてくれそうな人を探してたからさ。貴女も少し変わってるから見えるんじゃないかと期待していたのに。」

「こらっ!そんな事言わないの!ごめんね、こいつの言う事なんか気にしないでね。」


そう言った後、2人はまた静かに自分達にしか聞こえない声で話し始めた。

そうか、この2人にとって所謂「変わっている人」と言われる私とあの子は、娯楽でしかないのか。

私もあの子も唯一の家族がいなくなったのに、他人にとっては面白い物の1つでしかないのか。

こいつらは何なんだろう。

私は怒りで表情が変わりそうなのを我慢しつつ、自分の席へ座った。

やっぱり無闇に人と関わる物ではない。

こんなに嫌な思いをするのなら、1人きりの方がマシだな、と改めて思い知らされた。


とりあえず今は早くあの子と話をしたい。

私は気が付いたら、あの子の事ばかりを考えていた。

早く会いたい、早く話したい。

しかし、暫くするとまた酷い眠気が私を襲い、座りながら机に向かってうつ伏せになった。




夢の中では、昨日と同じ真っ白な空間で、手には「赤い箱」を持った母に会った。

母はいつも通りの言葉を繰り返す。


「私が死んだら、この箱を開けてね。」


もう何度も聞いたセリフ。

私にはここは夢の中で、話すこともできないし夢から覚めることもできない、と気付いていた。

夢の外では何時間経っているのだろう?

そしていつまで同じ言葉を聞かされ続けるのだろうか?


「私が死んだら、この箱を開けてね。」

「私が死んだら、この箱を開けてね。」

「私が死んだら、この箱を開けてね。」

「私が死んだら、この箱を開けてね。」

「私が死んだら、この箱を開けてね。」


もう聞き飽きていた。

最初は恐ろしくて仕方がなかったけれど、昨日あれだけ聞かされ続けたら流石に慣れる。

早く終わらないかな……あの子に早く会いたいのに。

私はここから解き放たれて、あの子と一緒に学校から帰る事を考えていた。

そんな時、母が言い続ける言葉が少しおかしいことに気が付いた。


……誰かもう1人、違う声が混じっている。


母がずっと言い続ける言葉の合間に、同じセリフではあるが、若い女の子の声が聞こえていた。

どこかで聞いたことがある声。

しかし、目の前にいる母以外に姿は見えない。

どこから聞こえてるかも不鮮明だ。

自然と瞬きの回数が増えていた。

明らかに私は動揺をしている。

聞き間違いだとは思うが、その声の発生源を探さなければいけない。

生憎、目だけは自由に動かすことが出来た為、この白い空間を隅々まで舐める様に見ていった。

白い空間はよく見ると四隅の部分があり、そんなに広い空間ではないことが分かった。

汚れている場所も無く、異様に綺麗な白さで統一されており、それもまた逆に不気味さを出している事に私は呑気にも感心をしてしまった。


部屋の中を一体どれほど見回しただろうか?


この空間では相変わらず体を動かす事は出来ないので、自分の後ろからこの若い女性の声がしているとするならば、私に見つける事は不可能だ。

ダメ元で、また部屋の四隅へ何かおかしいところは無いかと視線を向ける。

しかし、何度も見た場所だ。

おかしな所など見つける事は出来る訳がない。


しかし、母の足元を見た時に後ろにもう1人分の足が見えた。

……さっき見た時は、何も無かったはずなのに。

その足も母と同じく何も履いておらず、真っ直ぐとこちらを向いて立っている様だ。

私はその足を見つめながら自然と体が恐怖で震えるのを覚えた。

何故なら、その足を見た瞬間に、そちらの方から声が聞こえている事に気が付いたから。

私は恐ろしくなりながらも、どうしても確認をしたかった。

その声の主を、知らない人だと思いたかったからだ。

覚悟を決めて、目線を母の顔の後ろに合わせる。

そして私は体が動かせないにも関わらず、膝から崩れ落ちそうな感覚に襲われた。


あの子だ。


昨日、私が貸した服を着ているあの子が母の後ろに立っている。

そして母と同じ言葉を、私に向かって言っていた。


「私が死んだら、この箱を開けてね。」


私は直感で思った。

もしかして、あの子はもう、あの「赤い箱」を開けてしまったのかもしれない。

でもどうして?私のお母さんと同じなら、お父さんからどうやって連絡があったのだろう?

連絡が来ないなら、開ける理由なんて無いのに。

しかし、それでも私は嫌な感じがした。

信じたくないけれど、あの子があそこにいるという事は、そういう事なのかもしれない。

あの「赤い箱」を彼女は開けたのだろう。

そこで、2人が繰り返している言葉をもう一度聞き、その合間に思った言葉を発した。


「お父さん、死んだの?」


今までこの夢の中では話すことができなかったのに、その言葉だけは声に出すことが出来た。

その瞬間、2人の声は止まり、目の前にいる母は満面の笑みで、後ろにいるあの子は真顔で私の事を見つめていた。




目が覚めると、私は体に怠さを感じていた。

窓の外を見ると校庭では、サッカー部が大きな声を出しながら練習をしている。

教室にある壁掛け時計を見ると、時刻は16時を指していた。

朝学校に来てから、私は今日もずっと眠ってしまっていたらしい。

もう教室には私以外、誰もいなかった。

隣のクラスに、あの子が来てないかを確認したかったけれど、来ていないだろうという確信があった。

それか来ていたとしても、もう時間的に帰っているはずだ。

私はそちらの方を信じたい。

信じたいけれど、私が見た夢の中のあの子は、きっとあの子本人だ。

「赤い箱」を開けてしまい、私の母と同じ場所に行ってしまったあの子。

もしかして、母もあの箱を開けてしまったのだろうか?

母は誰を亡くしたのだろう。

そういえば、母の彼氏をここ最近は見ていなかった。

定期的にうちにやって来ていたけれど、思えばここ2ヶ月ほど会っていない。

もしかして……。


想像をしない様にしても、どうしても考えてしまう。

きっと、みんな「赤い箱」を開けてしまった。

やっと友達ができると思ったのに、また1人きりになってしまった感覚がして、涙すらもう流れなかった。

心が完全に折れてしまった。

私もあの「赤い箱」を開けて、皆と一緒のところへ行きたい。

そうすればお母さんにも、あの子にも、会いたくないけれど、お母さんの彼氏にも。

私の事を知ってくれている人たちに会える。


だけど、もし私があっち側に行ったとしたら……。

私も誰かをあっち側に、引きずり込もうとするのだろうか?

例えば、今朝も話したあの2人組。

人を馬鹿にした様な遊び方をするのは確かに気に入らないけれど、かと言って私と同じ様な思いをして欲しいか?

自分に問いかけてみた。

あの2人は私と同じ地獄を


味わった方が良い。


あの2人の事を私は気に入らなかった。

私とあの子を馬鹿にした様な発言も。

自分達より弱そうな人間をおもちゃの様に見てるあの目線も。

全て全て全て全て気に入らなかった。

私はそう結論付けると、椅子から立ち上がり、鞄を持って鼻歌を歌いながら自宅へと歩き始めた。


きっとあの「赤い箱」を開けると良いことがある。

何が起こるかは分からないけれど、私は愛しているお母さんと、あの子に会える。

それ以上の幸福が自分にはもう見つからなかった。

ついでにあの2人も、私とあの子と同じ様な苦しみを味合わせられるなんて、最高の気分だ。

気分が良すぎて、鼻歌と一緒にスキップまでし始めていた。


「早く帰ってあの「赤い箱」を開けたい。もうどうせこの世に未練なんて無いんだ。愛する人はもうこの世にいないんだから、私も早くそっちへ行きたい。愛している2人に会えるのなら、私はどうなったって構わない。早く家に帰らないと!」


大声で独り言を叫んでいた。

周りにいた人々が、おかしい人を見る目で私の事を見つめていた。

もう、どうだって良い。

どんな目で見られても構わない。

早く家に帰ろう、早くお母さん達の元へ行こう。


私は家に着き、玄関の扉を開けると、靴を脱ぐことすら忘れてリビングへと向かった。

リビングのテーブルにはいつもと変わらず「赤い箱」と「書き置き」が置いてあった。

私は「赤い箱」をそこで初めてちゃんと見た気がした。

「赤い箱」には蝶つがいがついており、その反対側に、よく見るとハートマークが書いてある場所があった。

おそらくハートマークを正面にして開けろと言う事らしい。


胸が昂っているのが分かった。

やっと開ける日が来たのだ。

これで全てから解放される。

私は目の前にある「赤い箱」を手に取り、箱の上の部分に力を込めた。


……開かない。


どうして?

そっちが開けろって言ったじゃないか。

私をここまで追い込んで、何がしたいんだ。

おかしいじゃないか。

あまりにも、そんなことあまりにも、酷すぎるじゃないか。


おかしい、おかしい、おかしい、おかしい、おかしい、おかしい


私は全力でその箱を食器棚へ叩きつけた。

食器棚の扉のガラスが割れ、散乱した。

「赤い箱」をもう一度手に取り、また開かないか試したが、少しでも動く様子はなかった。

それどころか、ガラスを破る様な衝撃があったにも関わらず、かすり傷すら付いていなかった。


「なんなんだ、なんなんだこの箱は!」


思った事を全てを声に出して叫んでいた。


「お前が全て悪いんだ!お前が私からお母さんと、あの子を奪ったんだ!全部お前が悪いんだ!責任を取れ!お前が!お前が!」


獣の鳴き声の様に絶叫しながら、私はその「赤い箱」を部屋の色々な所へ投げつけていた。

「赤い箱」がぶつかった所は、ぶつかられた方がへこんだり、壊れたりしていく。

ベランダへ出る窓ガラスに当たって、ガラスが割れた時に思い出した。


「私が死んだら、この箱を開けてね。」


急に体が強張るのを感じる。

もしかしてお母さんは、まだ生きているから開けられないの?

ひょっとしたらこれは全ていたずらで、ドッキリの様な事なのかもしれない。

周りの人々が私を騙す為に、皆で話を合わせているだけ?

そうなると、これからお母さんが帰ってくる可能性があるのかもしれない。

でもどうしよう。

部屋をこんなに荒らしてしまった。

お母さんが帰って来たら、こんな私には呆れてお母さんは、彼氏と2人きりで住み始めてしまうかもしれない。


考えれば考えるほど、さっきまでの怒りや喜びは消え去り、その分の不安が襲って来た。

どうしよう。

私はベランダに出てしまった「赤い箱」を手に取り、部屋に戻るとテーブルの上へと置いた。

ベランダに出た時に、洗濯物を干していた女性に見られていた様な気がするが、そんなことはもうどうでも良かった。


一気に襲いかかる不安に耐えきれなくなり、私は制服から着替えぬまま、靴すら脱がずに自室へと向かい、ベッドへ潜り込んだ。

ベッドの中で誰に言うわけでもなく、呟き続けた。


ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。




気が付いたら眠ってしまい、目が覚めた時には夜中の3時だった。

もう私には何もする気力は残ってはいない。

お腹が空いている感じも無いし、シャワーにだって行けない。

このまま餓死をするのも悪くないのかもしれない。

でもそしたら、母と同じ場所へは行けないの?

しかし「書き置き」の内容と同じなら、母はまだ生きているはずだ。

私は頭の中で考えている事がぐちゃぐちゃになって来ていた。

同じ事を何度でも考えてしまう。


仮にもし、眠る前に考えていた事が本当ならば。

母が自分から私の事を見放したとするならば。

仮にもし、彼氏と2人きりで新しい家族を作りたくて、私のことがもう邪魔だと思うのなら。

私は本当に捨てられたことになる。


そう思った瞬間に、私にはもう何をすれば良いか分からず、雄叫びの様な声をあげて泣いた。

どうすれば前の様な幸せが返ってくるのか。

もうわがままなんて言わない。

母の彼氏が家へ来た時、トイレに行こうとすると母の部屋から喘ぎ声が聞こえても。

彼氏がいつも私と話す時に、胸をちらちらと見ながら話しているのが気持ち悪くても。

全て我慢します、全て我慢します。

私が悪かったんです、私が悪かったんです。

どうか私のお母さんを返してください、お願いします。

私は泣きながら小さい声で言った。

しかしその声は誰にも届かず、虚しく消えていった。




あれから何日が過ぎたのだろう。

私は泣きながら「赤い箱」を用意した存在に、謝罪やお願いをした後にまた眠るという事を繰り返していた。

大体起きた時には日が昇っていたけれど、学校に行く事なんてもう出来ないし、トイレ以外はベッドから動けなかった。

今はもう何を考える訳でも無く、とにかく頭が働かなかった。

水はかろうじて飲んではいたが、食事なんて摂る気持ちはなかった。

しかし、私は急に思った。

もしかしたら母が今にも帰って来るかもしれない。

そんな時にこんなにやつれていたら、きっと母は心配するだろう。

私はそう思うとベッドから起き上がり、冷蔵庫へ向かった。


冷蔵庫の中には腐りかけのトマトと、母がいなくなる前に、いつも作り置いてくれた肉じゃがを入れてある小さい鍋があった。

トマトは腐りかけているが、まだ食べられそうな所はある。

肉じゃがも母が作ってくれた物だから、もう随分前のものになる。

とりあえず、お腹に入れれば大丈夫だから。

私は自分にそう言い聞かせ、肉じゃがが入った小さい鍋と、腐りかけのトマトをベッドへ持って行った。

2つ共、本来の色とはかなりかけ離れていたけれど大丈夫。

大丈夫なんだ、大丈夫だから。


トマトをまず食べてみよう。

私は腐りかけのトマトを手に持つと、そのまま齧ってみた。

その瞬間に、口の中に広がる異様な酸味と苦味。

最初は我慢をして咀嚼をしていたけれど、耐えきれなくなってしまい、肉じゃがが入っている鍋へ

吐き出してしまった。

しかし味は口の中に残っており、吐き気が襲って来て、私はそのまま嘔吐してしまった。

何も食べていないから、吐くものなんてないと思ったが、唯一飲んでいた水を吐いていた。


吐き気も治まり私は冷静になると、ベッドは大変なことになっていた。

肉じゃがを入れていた鍋は気付けばひっくり返り、まだ食べていなかった部分の腐りかけのトマトはベッドの上で潰れて、吐瀉物はシーツと敷布団へ広がっていた。

しばらくの間、ベッドでも靴を脱いでいなかったのもあって、シーツには土の様な汚れも付いていた。


もうなんでも良いや。

お母さんが帰って来て各部屋の惨状を見て、どう思ったとしても。

もうなんでも良い。

どれだけ怒られたって、家を何も言わずに出て行った方が悪いんだ。

私はそう思うと、吐いた際に汚れた服を変えるためにベッドから降りた。

服自体いつから変えてないかなんて覚えていないけど、流石に吐瀉物が付いた服は嫌だった。


クローゼットから真っ白な無地のTシャツを取り、私はその場で着替えた。

着替えが終わったらなんだか気持ちが少し前向きになれた気がする。

シャワーも久々に浴びようかな。

そう思った時だった。


ドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドン


玄関のドアを誰かが殴っている。

ノックなんて優しい物じゃない。

早く出てこいと、誰かが手に拳を作り、殴り続けている音だ。

うちを訪ねる人なんて配送のおじさんか、宗教の勧誘くらいだったが、普通はチャイムを鳴らすだろう。

怒りが籠った様なその音に怯えてしまったが、私はもうどうなったって良い。

覗き穴なんて見ずに開けよう。

でも、やっぱりまた少し怖くなり、ロックを掛けて鍵を開けることにした。

鍵を開けた瞬間に、ドアを力一杯引っ張られた。


「おい!お前の母親はどこだ!それにお前はどうしたんだその見た目、ボロボロじゃないか!何があった!」


聞き覚えのある声に、私は驚いた。

ドアを殴り続けていたのは母の彼氏だった。

嫌なはずだったのに、久しぶりに自分の事を知っている相手と会えた事で涙が出てしまった。

急に泣いてしまって母の彼氏は動揺しており、明らかに困らせてしまった。

その間も彼は、私の事をロックが掛かったドアの隙間越しに声をかけてくれており、とりあえずロックを外そうとしたが私はその瞬間に思い出した。

この部屋の惨状をどう説明すれば良いのだろう。

何をどう説明した所で許される様な状況では無い。


でも、私は頼っても良いのかもしれない。

ドアのロックに手を伸ばそうと、泣いている顔を抑えている手を外そうとした。


外れない。


体が動かないのだ。

急に自分の体では無くなってしまったかの様に、動けなくなってしまった。

ドアの外では彼が何かを言い続けている。

もう声を聞く事も出来なくなってしまった様だ。


そう思っていた次の瞬間に、私は何かを彼に向かって叫んでいた。

何を叫んでいたのかは分からない。

分からないけれど、彼はその言葉を聞いた瞬間に真顔になり、玄関を背にして歩いて行ってしまった。


私は何を言ったのだろう。

なぜ自分で言った事も分からないのだろう。

自分を助けてくれようとした人を、どうしてあんな表情にさせてしまったのか。

もう私を救ってくれる人はいないの?


動かずにその場で項垂れていると、再びドアをノックする音が聞こえた。

今度は力強くでは無く、優しく叩く音。

彼が帰って来てくれたのだ。

どんなに酷い事を言われても、やはり愛した女の娘である私の事を見捨てないでいてくれた、

私は扉のロックを外し、勢い良くドアを開いた。

そして開口一番に


「さっきはごめんない。来てくれて……。」


と言った瞬間に目の前には彼では無い男性が立っている事を認識した。

郵便局員だ。

郵便局員は酷い姿をした私の事を見ても、何も思っていない様で


「郵便です。サインは無しで大丈夫です。」


と1つの封筒を渡して去って行った。

何故このタイミングで違う人が来るのか。

そしてこんな姿を見られたのが、急に恥ずかしくなってしまった。

封筒を受け取った私は扉を閉めて鍵を掛け、リビングへと戻った。


リビングにある椅子へと腰を下ろしながら、ある事に気が付いた。

何かおかしい。

郵便ぐらいポストがあるのだから、そこに入れて置いてくれれば良いのに。

そしてあの郵便局員……。

今さっき顔をしっかり見たはずなのに、もう顔も格好も思い出せない。

何故あの人を見た瞬間に、郵便局員だと思ったのだろう。


そしてこの手渡された封筒。

切手も無ければ送って来た住所も無い。

もしかして、あの人がうちに何かを届けたくて直接持って来たのか?

色々な疑問はあったが、とりあえずその封筒を開ける事にした。

おそらく母宛てだろうが、今は母はいないので、代わりに私が見ても問題はないだろう。


封筒の中には1枚の紙切れが入っていた。

そこには簡潔にこう書かれていた。


「死にました。箱を開けてください。」


胸が張り裂けそうなほど鼓動が早くなるのが分かった。

死んだ?誰が?もしかして母が?何で?どこで?どうして?

でも、死んだと書いてある。

不思議な事にそれを読んだ瞬間に、自分は抵抗も無く理解していた。

母はもう既にこの世にはいないのであろう。

うっすらと覚悟をしていた為、もう涙は出なかった。


私は少し椅子で落ち着いた後に、母の彼氏の事を考えていた。

もしかしたら、もう少し待っていれば彼はまた来てくれるかも知れないかと思い、玄関の鍵を開けに行った。

今度はロックを掛けてはいない。

鍵を開けてからリビングに戻ると、テーブルの上にある「赤い箱」が目に入った。

前開けようとしたけれど開かなかったし、どうせまた開かないだろう。

それならやるだけ無駄だし、もう今日は疲れてしまった。

トイレに行って、何か飲んだら今日は母の部屋で寝よう。

母がいなくなってから、私は一度だけ部屋の中を見ただけで使ってはいない。

それならベッドも綺麗だと思ったから。


トイレへ行こうと「赤い箱」へ背中を向けた瞬間に、私の体は動かなくなってしまった。


どうして……?


私はそう思うだけで精一杯だった。

そこから私の意思とは関係なく「赤い箱」の方へ体が向き、一歩ずつ歩き始めた。

嫌だ、嫌だ、嫌だ

もう私はパニックになっていた。

そしてその「赤い箱」を手に取ると、ハートマークを正面にして手を開く様に添える。

助けて、お母さん。

もう声を出す事も、考える事も出来なくなっていた。

箱が開いた。





















箱の中から鋭利な細長い突起物が私の顔へ向かって来て、その瞬間に私は……。


















ここ数週間の間、付き合っている彼女と連絡が取れない。

彼女のスマートフォンに何度も連絡をしたが、1度も返事が返ってくることは無かった。

こんなことなら娘の連絡先も交換しておけば、困らなくて済むのになと今となっては思う。


彼女には高校生の娘がおり、彼女の家に泊まる際には、デザートやお菓子を差し入れする様にしているがあまり好かれていないらしい。

年頃の女の子だから仕方がないけれど、母親と話す時の顔付きと、俺と話す時の顔付きが極端に違うから、まだまだ壁があるなと日々感じている。

もう少し仲良くなれたら嬉しいのだが……まだまだ難しそうだ。

今度あの親子2人が楽しめそうな場所にでも連れて行ってやるか。

そしたら少しでも俺と彼女の娘の距離は近くなれると思う。

将来的に俺は彼女と結婚したいと思っているし、彼女の娘の進路に掛かる金だって出したいと思っている。

愛する女の娘だ。それくらい構わない。

ただその為には、まず彼女と連絡を取れる様になる事が先だ。


俺は仕事が休みの日に、彼女の家に向かってみる事にした。

彼女の家は3階建てマンションの2階にある。

マンションのエントラスに入る前に、彼女の部屋を見上げると窓ガラスが割れていた。

その瞬間に俺は走って彼女の部屋まで走った。


何故窓ガラスが割れている?何か事件に巻き込まれたのか?あの2人は大丈夫なのか?

もしかして強盗か?いやひょっとすると……。

最悪の事態を頭の中では想定しつつ全速力で走った。


彼女の部屋に着き、俺はチャイムを鳴らした。

しかしチャイムが部屋の中で鳴っている様子は無い。

俺は力の限り玄関の扉を叩いた。

お願いだ、何も起こっていないでくれ。

せめて少し激しいくらいの親子喧嘩であってくれ。

俺だってガキの頃は親父との喧嘩で窓ガラスくらい割ったりした。

女の子なら少し激しすぎるかも知れないけれど、せめて事件に巻き込まれていないでくれ。

ドアを叩き続けていると、鍵の開く音がした。

俺は急いで扉を引くと、扉にはロックが掛かっていた様で、途中で止まってしまった。


ロックが掛かり、少ししか開いていない扉から見えたのは、おそらく彼女の娘の様だった。

俺の知っている彼女の娘は、スタイルが良く肩までくらいの綺麗な黒髪で、顔は母親に似て美人で、清潔感がある女の子だった。

しかし、俺が見た今の彼女の娘は全てが違った。

体は病人の様にガリガリに痩せており、髪の毛はボサボサで、口は開きっぱなし、目は左右で違う方向を向いており、着ていたTシャツには涎が垂れて、制服のスカートの上から足にかけては血の様な物が垂れていた。

俺は目の前の彼女の娘であろう人物に声を掛けた


「おい!お前の母親はどこだ!それにお前はどうしたんだその見た目、ボロボロじゃないか!何があった!」


しかしその声を掛けた相手は、何を言われたのか理解を出来ていない様子だった。

下を向き項垂れていた。

きっと大変な事があったに違いない。

今は大きな声で聞くのは違うと思った。


「大丈夫か?なあ、何があったんだ?話はいくらでも聞くし、俺に手伝える事があるなら何でも言ってくれよ。とりあえず、ここのロックを外してくれないか?」


俺はできる限りの優しい声でそう語りかける。

俺が出来ることなら何でもする。

いや、今傷付いている目の前のこの子のためなら、全てを捧げたって良い。

もう俺にとっては家族も同然だ。

そう思っていた瞬間に彼女の娘であろう人物から、悲鳴とも聞こえる様な大きさの声で叫ばれた。


「お前のせいだ!早く殺してやればよかった!お前のせいだ!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!」


俺はもう何て返事をして良いのか分からなくなってしまった。

それと同時にとてつもない怒りを覚えた。

こんなに心配をしたのに、恨まれる様な事を俺はしたか?

彼女の母親は世界で1番大事だ。

しかし、久しぶりに会った娘に何もしていないのに、そんな事を言われる筋合いなど無かった。

何が起こったかは分からない。

けれど、今の俺はそんな事より怒りの方が勝っていた。


このガキふざけやがって。母親に似て顔が良いから、今まで腹が立つ態度をして来ても触れないでいてやったのに、舐めてやがる。

タイミングを見て、男を教えてやろうと思っていたが、あんな見た目になったならサンドバッグの代わりぐらいにしかならねえじゃねえか。

しかし、俺はそこまで思って考え直す。

何かあった事には違いは無いはずだ。

この娘は態度には出るタイプだが、実際に行動を起こせる様な奴では無かった。

それがあんなに暴言を吐くようになったんだから、きっと尋常では無い事が起きてるに違いない。

それもこの数週間という短い時間で、人の性格を変えてしまうくらいに。


一度出直そう。明日までに頭を冷やすんだ。

そう思うと玄関を背に向け階段へと向かった。

背中には彼女の娘であろう人物からの視線を感じながら、俺はマンションを後にした。




翌日、俺は再び彼女達が住んでいるマンションへと着いた。

今日は心構えはできている。

昨日は異様な雰囲気でいきなり怒鳴られて、思わずカッと怒りを覚えてしまったが、今日は冷静に行こう。

俺が大人として、あの子の為に話を聞いてあげるんだ。

そして彼女は今どうしているのかを聞こう。


俺は一度深呼吸をすると、彼女達の部屋へと向かった。

玄関の前に着き、昨日とは違い優しくノックする。

しかし反応は無い。

今度は声を掛けながらノックした。


「おーい、昨日は急に来てごめんな。お母さんと連絡が取れなくて心配でさ。もし良かったら話をしないか。」


反応は無い。

これで玄関が開いたら、ホラー映画の様に襲われて終わるよな。

そんな事を思いながら、ドアノブを試しに回して扉を引いてみた。

扉は開いた。

部屋の中は突き当たりの扉まで空のペットボトルだらけの廊下が見えた。


俺は考える。

これは勝手に入って良い物なのか?

今まで何度も来た様子とは明らかに違い、何かあったのは確定している。

しかし、昨日はドアにロックまで掛けて警戒するような女の子がいたのだ。

悪戯に部屋に入るのは良く無いかもしれない。

色々考えたが、俺は彼女への心配が勝ってしまい、部屋に入る事を決めた。


空のペットボトルだらけの廊下を靴下で歩くには抵抗があり、後で床は拭けば良いかと思い靴のまま上がった。

リビングへと続く扉を開けると俺は呆気に取られてしまった。


部屋の中は異様な雰囲気だった。

部屋中の家具が何かに殴られた様にへこんでいる。

ベランダに出る為の窓ガラスは割れており、食器棚は扉のガラスも食器も壊され床に落ちていた。

冷蔵庫の扉は開けっぱなしで、いつからあるか分からない生物が入っていたのか、異臭がしている。

しかし、テーブルだけは前来た時と同じ位置にあり、何も置いておらず、今さっき拭かれたのでは無いかと思うくらい異様に綺麗だった。

テーブルだけを避けて壊したのか?

そんな器用な真似が出来るのか?


そう思いながら、俺は彼女の部屋へと足を進める。

彼女の部屋の扉は閉められており、何が起こっても良いように心の準備だけはしておいた。

扉を勢い良く開けて、その瞬間に彼女の名前を呼んだ。

しかし、彼女はそこには居なかった。

さっきのリビングとは違い、綺麗に整頓されており、前来た時と何も変わらなかった。

ここだけこんなに綺麗だなんて、逆に異様だなと思わず苦笑した。

念の為か……。

俺は彼女の娘の部屋へと足を進める。


もしかしなくても、いるよな、あいつ。

顔を合わせたら何て説明すれば良いのだろう。

嫌、もう説明なんてしなくて良いのか。

保護をして救急車を呼べば良い。

まずはあの子に元気になってもらわないと。

そしたら俺の株も上がって、将来的には……。

俺は昨日見た彼女の娘の姿もとっくに忘れて、妄想をしていた。


しかしあの子の部屋に近付くに連れ、変な匂いがして来ていた。

さっきの冷蔵庫の中身が腐った匂いより酷い匂い。

言葉通り、鼻が取れるかと思うほどだ。


あの子の部屋のドアは開いていた。

俺はもう一度深呼吸をして覚悟を決め、その部屋の中に入った。


結果的にあの子はいなかった。

しかし、その部屋のベッドは酷い物だった。

枕元には通学用のローファーが置かれており、ベッドの真ん中に腐ったトマトと、何が入っているのか分からない鍋があった。

嘔吐をした様な後があり、部屋中に胃液の匂いがしている。

それ以外は特に汚いところが無く、ただベッドだけがおかしかった。

俺は恐ろしかった。

あの2人に何が起こったのか。

何故あの子はあんな風に変わってしまったのか。

俺の彼女はどこに行ったのか。

何も分からなかった。


嫌、もう分かりたくなんて無い。

関わるのをやめよう。

あの2人とは関係がないんだ。

関わっても何も良い事がない。

関わったら、俺にも何かが起こるかも知れない。


俺はそう思い、あの子の部屋を出て玄関へ向かう。

その時後ろから


「お母さん。」


と聞き覚えがある声が聞こえて後ろを振り返る。

しかし後ろには誰もいなかった。

こんな所に来てしまったせいで、俺までおかしくなってしまったのか?

早く帰って、酒でも飲みながら先週知り合った女に連絡をしよう。

今日あったことを酒のつまみにでも語らせて貰って、全て無かったことにしよう。


俺は部屋の玄関から出ると、後ろも振り返らずに扉を閉めた。


俺にはもう、関係ないことだ。




















ハッピーエンドで良かった!!!!

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ