実里
改札を出たわたしは地図を片手に目的地を確かめた。
地元から遠くはないがやや行きにくく、数駅ずつだが二度の乗り継ぎが必要な駅だ。通り過ぎることはあっても降りたのははじめてだった。
普段意識することのなかったローカル線の駅周辺は何の変哲もなく、駅前にはいくつかの店舗はあるがほぼシャッターが下ろされていた。それでもそもそも店舗数が多くないため、寂れているという印象も持たない。
方向を確かめたわたしは目的地へと向かう。歩いて十分ほどのはずだ。
「ここ、かな?」
決して新しくはなく、今風でもないが古過ぎると言うほどでもない、所謂普通のアパートだ。
二階建てで階段は道路側に面した建物の側面にある。
階段の上に目をやると、同じ壁面にアパート名が表記されていた。『レンブランサ齋藤』。地図に書いたメモに書かれた名前に間違いはない。
なんでアパートって外国語に日本の苗字つけるのだろうななどと思いながら階段を登る。
目的の部屋番号を見つけた。表札は出ていない。
メモが間違えていたらどうしようと緊張しながらチャイムを鳴らす。
室内のチャイム音が聞こえる。一度押しただけだが三回聞こえた。インターフォンのあるタイプではない。
ややあって中の人の気配を感じた。バタバタしている様子はないが、音が大きく聞こえるのは、アパートの壁や扉が薄いのか、わたしの神経が敏感になっているのか。
「はーい」と開けられた扉から覗いた顔は見知った笑顔だった。ようやく少しホッとできた。
通された小さな部屋は、ラグや壁面を飾る小物で、ブラジルのテイストでコーディネートされていた。
一際目を引いたのは壁面に貼られた大きなコルクボードで、ブラジル国旗がデザインされた縦位置のフライヤーが貼られていた。
他にも白と黒のタイルでコパカバーナ海岸の石畳を模したパネルや、サッカーのだろうか? チケットの半券などが貼られている。
その周囲にいくつかの写真がピンで留められていた。
おそらくブラジルであろう背景の中でポーズを作り笑顔で写っている日本人。
写真なのに躍動感まで感じる沿道で踊る国籍不明のパシスタ。
「そのボード、良くない? 全部百均の材料で創ったんだー」
ラグの上に座って壁を眺めていたわたしに、家主の女性は麦茶の入ったグラスを渡した。
家主の女性は、写真に写っていた日本人だ。別の写真に写っていた国籍のわからないパシスタでもある。
メイクでこんなにも変わるのかと女性の顔を繁々と見つめてしまい、女性は笑顔のまま不思議そうな顔を向けたので、慌ててグラスに目線を落として麦茶を一口飲んだ。
彼女は早川実里という名の生粋の日本人だ。
かつては日本国内の有力なエスコーラに所属していたが、今ではフリーで、ブラジルに渡って踊ったり、懇意にしているエスコーラからゲストで呼ばれてイベントなどで踊ったりしている。
国内では実績、実力共に高いレベルのパシスタで、ワークショップも活発に開催していた。
さらに最近は、手先の器用さを活かしサンバ衣装の製作も行なっている。
実里とはいくつかのエスコーラやブロコ、フリーのダンサーや奏者が集まるイベントで知り合った。
子どもながら卓越した技術を披露していたわたしに、実里の方から声をかけてくれたのだ。本場ブラジルでも活躍しているトップパシスタに見出されるなんて、伝説の始まりに相応しい。
そのイベントは、自分のパフォーマンス以外の時間は、他の演者のパフォーマンスを見ながらブラジルの軽食やブラジルのドリンク(ソフトならガラナドリンク、お酒ならカイピリーニャなど)を楽しむ主旨だった。
もちろん、盛り上がってくればステージ外でもそこここでダンスが始まる。
声を掛けてくれた実里とサンバの話をし、大好きなリングイッサを一緒に食べ、全参加者が歌って踊って楽器を鳴らすラストは一緒に踊った。
その日以降仲良くさせてもらっていた。
させてもらっていると言うのは謙遜ではない。
菜の花色の彼女は人々に歓喜を与える行動派だ。
実力だけではなく、その生き方込みで憧れたし尊敬できた。
仲良くなった過程で、実里が使っていたコステイロを作り直し、わたし用の衣装を作ってくれることになったのだ。
コステイロやカベッサにはオーストリッチやキジの羽根が使われる。特にキジの羽根は高価で、一本で一万円弱は掛かる。
衣装は手造りが基本なので、まともにオーダーをすると衣装を一式揃えるだけで数十万円に及ぶ。はっきり言って気軽に用立てられるものではない。
そこで、多くのダンサーは中古品を知り合いのダンサーや引退したダンサーから売ってもらい、手直ししたりカスタマイズしたりして衣装を作っていた。
『ソルエス』の先輩ダンサーから、譲ってくれると言う話はあった。
子どもの頃から可愛がってくれていた先輩で、大好きだった。姉のように慕っていた。
先輩はポジションが変わり、パシスタの衣装を着ることは無くなったから、好きなものを持っていって良いと言ってくれていた。
当然嬉しいのだが、それ以上に、衣装を譲られてしまったらその先輩がパシスタに戻ってこなくなりそうで躊躇われていた。
わたしはその先輩にハイーニャになってもらいたかったし、同じパシスタとして舞台に立ちたかったのだ。