表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/101

気づいたこと

 気づいたらわたしはこの世界にいた。

 それが当たり前だった。

 おそらく多くの日本人にとって非日常である文化は、わたしにとっては日常だった。


 サンバは、わたしが共に歩んできた人生そのものだ。



 サンバチーム『ソール・エ・エストレーラ』は、わたしのおじいちゃんの文樹利一(あやきりいち)を含めた、七人のメンバーが立ち上げたサークルだ。

『ソルエス』の略称で呼ばれている。

 サンバチームは『エスコーラ』や『ブロコ』と呼ばれる。



 おじいちゃんは駅の南に伸びる商店街『サンロード商店街』でお茶屋さんをやっている。

 喫茶店ではなく、茶葉や茶器を売るお店だ。お茶請け用の和菓子も扱っていた。

 和菓子やお茶を楽しむちょっとした飲食コーナーもあるが商品を試す程度の機能で、長居してお茶を楽しむような体裁ではない。あくまでも物販のお店だ。


 商店街ではかなりの老舗に入る店舗だった。それなりに顔も利いて、発言力もあったおじいちゃんは、駅から北に伸びる『スターロード商店街』との関係が悪化した時に、『サンロード商店街』側の代表のひとりとして、関係改善と、関係悪化のきっかけとなった両商店街の衰退を防ぐ目的のプロジェクトに携わった。


 プロジェクトは、南北の代表七人で取り仕切られ、目玉のイベントとして両商店街主催の『サンスターまつり』を開催するというものだった。

 そのお祭りを盛り上げるために、賑やかしやパフォーマンスをするサンバチーム『ソルエス』も、その七人の手で立ち上げられたのだった。


 立ち上げメンバーのひとりであるおじいちゃんは当然、娘だった文樹茉瑠(あやきまる)、わたしのママもメンバーになった。

 だから当たり前のようにわたしも生まれた時からチームに出入りしていた。(記憶にはないが、二歳の頃にダンサーとして正式に所属したらしい)



 サンバと聞くと、ビキニのような衣装に羽根のついた露出度の高い女性ダンサーのイメージを持つ人が多いと思う。それは間違いではない。が、サンバはダンサーだけではない。

 ダンサーと同じくらい打楽器隊も重要だ。打楽器隊は『バテリア』という。おじいちゃんはバテリアで、軽やかな金属音を鳴らす『ショカーリョ』という楽器を担当していた。


 ビキニのような衣装は『タンガ』と言い、羽根の付いた背負子を『コステイロ』、頭の飾りは『カベッサ』と言う。

 それらを身につけたサンバダンサーの中で、特に技巧派のダンサーを『パシスタ』と言うのだ。技巧派の定義は難しいが、サンバの基本ステップである『サンバ・ノ・ペ』(単に『ノペ』ということもある)をマスターし、表情や身体全体を使って曲を表現できるダンサーは、パシスタと言えるだろう。

 ママはパシスタだ。二十歳でわたしを産んだママはまだ若く、今も現役である。


 わたしはダンサーとしてソルエスに参加していた。子どものダンサーは『クリアンサス』と呼ばれている。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ