全てなかったことにするというのは、こういうことです
最近ネットで話題になったセリフを題材にざまあものに挑戦してみました!
よくあるお話です。
「全てなかったことにしてくれ」
バイオレット男爵令嬢マリエルは婚約者のカールと九年の交際を経て、結婚式を二ヶ月後に控えている。しかし式の準備に全く乗り気でないカールにだんだんと不安を覚えていた今日この頃、珍しく彼から呼び出しがあったかと思いきや冒頭の言葉である。しかも二人がデートでよく通っていた喫茶店でだ。
長い付き合いなんだし、もっと他に言い方があったはずだろうに。マリエルの九年間育んできた彼との愛情は砂塵となって消えた。
「……わかった。あなたと過ごした日々はとても楽しかったわ。今までありがとう」
「すまない」
最後は綺麗に別れようとマリエルが偽りのない感謝の気持ちを伝えるも、カールは早口に謝罪すると立ち上がり、後ろの座席へ移動した。
「これで障害はなくなった。チェルシー結婚しよう!」
「カール!わたし嬉しい!」
あまりにも早過ぎる元婚約者の乗り換えにマリエルは目眩を覚えた。そもそも別れの場に次の女を待機させるなんて正気の沙汰ではない。
相手には嫌というほど見覚えがある。一年前、カールが勤め先に斡旋した彼の幼馴染の女だ。紹介されて以来、何度か食事や催しなどで顔を合わせることがあったが、ふたり仲良くただの幼馴染とは思えない距離感で、マリエルをおざなりにしていたのだ。
当初は焦りを感じてマリエルが苦言を呈しても、カールは「妹みたいなもの」だとそちらの都合のいい言葉で誤魔化した。それでも結婚の話も乗り気ではないものの、ストップをかけることはなかったので、信じることにしたのだが……マリエルは顔を俯かせだんだんと気分を沈ませた。
「あの…お客様」
ふと声をかけられて顔を上げると、伝票を手にした店員が申し訳なさそうな顔でこちらを窺っていた。我に返ったマリエルは店員と向き合う。
「あちらの席にいたお客様が会計はご一緒にとのことで出ていかれましたが……お支払い頂けますか?」
店員の言葉にマリエルはカールとチェルシーのいた席を見遣るが、既にふたりの姿は消えていた。素直に婚約破棄に応じてやったのになんという仕打ちか。
「お望み通り、全てなかったことにしてあげるわ!」
会計を終え、店を出たマリエルは領収書を握り潰し、人生最大の屈辱に耐えるように歯を食いしばり、迎えの馬車に乗り込んだ。
***
後日、有頂天に鼻歌混じりで勤務先の魔道具販売店に出社したカールとチェルシーに告げられたのは突然の解雇だった。
「なぜですか?店長は僕を評価してくれていたし、チェルシーを可愛がってくれていたじゃないですか⁉︎」
「オーナーであるバイオレット男爵からの指示だ。マリエルお嬢様と婚約破棄したのだから、解雇するのが妥当だろう」
店長の言う通りカールは男爵家に婿入りした後、跡継ぎとしての修行に好待遇で雇われていた。しかし長い年月と驕りが彼にそれを忘れさせたようだ。
「でもわたしは関係ないじゃないですかぁ!ちゃんと働いてたし!」
「本来ならば君は即日クビになるはずだったが、未来の男爵の斡旋だったからと目を瞑っていたんだ。まったく、息をするように商品を壊したりサボっておきながら、ちゃんと働いてたとかよく言えたもんだ」
そういうことだからと、私物が詰め込まれた箱を押し付けられて、カールとチェルシーは店から追い出されてしまった。
「まあ僕とチェルシーには実力があるのだから、他店で雇ってもらえるさ。魔道具技師の伝手もあるし!なんだったら僕たちで店を始めるのもいいかもしれない」
「そうね、わたしらなら王都一のお店になるわ!」
「早速開業の準備をしよう」
「でもその前にちゃんと結婚式を挙げたいわ。開業したあとじゃ忙しくなるし…」
「だったら、早速式場に打合せに行こう!マリエルと挙げる予定だったのがまだキャンセルされていないだろうから、花嫁をチェルシーに代えてもらって準備をすれば直ぐ結婚できる!男爵が前金を払っているからお金も少しで済む!」
「えー、マリエルさんのお古なのは癪だけど……まあいっか」
行き先を決めたカールとチェルシーはすっかり新婚気分で手に手を取り合い、結婚式場へと向かったが、予想通りにはいかなかった。
「既にキャンセルされているだと⁉︎」
「はい、バイオレット家から正式に手続きがなされて受理されています。契約書通りカール様もキャンセル料をお支払い下さい」
「僕はキャンセルした覚えはない!花嫁を…花嫁をチェルシーに代えて挙げるからキャンセルはなしだ!金も払わない!」
職を失った今、キャンセル料を払ってしまったら開業も結婚式も出来ない。焦るカールに担当のウェディングプランナーは冷ややかに笑った。
「両家いずれかがキャンセルを申し出たら成立いたします。キャンセル料につきましては新婦側が用意した前金五十万と、挙式から二ヶ月前ですので前金を引いた費用の七十パーセントである三百万をそちらから頂くことになっております」
「ならば残りはバイオレット家が出す!僕は払わない!」
「いいえ、この場合は新郎側が払うことになっていますから」
そういってウェディングプランナーは契約書の写しを取り出し該当箇所に線を引いた。確かに残りのキャンセル料は新郎側が払うよう認められている。おまけに契約書にはカールの直筆のサインが記されていた。
「改めて結婚式を挙げられるなら、キャンセル料を払って出直して下さい」
ぴしゃりと結婚式場から追い出されたカールとチェルシーは背中を丸め、一先ず家に帰り作戦を立て直すことにした。しかしそこでも思い通りには行かなかった。
「強制退去だと⁉︎」
「ああ、契約者であるバイオレット男爵によって解約手続きが行われたからね」
大家からの通告でカールはバイオレット男爵の支援で住まいを借りていたことを今更思い出した。ここにタダで住んでいたのはマリエルの婚約者だったからなのだ。
「だったら!これからは僕が契約して家賃を払う!」
「お断りだね。このアパートは女人禁制の単身者用アパートなんだが、あんた長いこと女を住まわせていただろ?バイオレット男爵が契約していたから大目に見ていたが、そうじゃなくなったんだ。今すぐ出ていけ!」
大家の恫喝に恐れをなしたふたりは慌てて荷物をまとめ、住処を追われた。
「あーあ、あのベッド気に入っていたのにー」
「家具はバイオレット家からのプレゼントだったから回収したんだろう」
いつの間にやらカールの部屋の家具や食器といった生活用品は跡形もなく消えていた。それらは全てバイオレット男爵とマリエルに買ってもらったものだった。
「ま、処分する費用が浮いたし良かったかー!それに新婚ならやっぱ新しい家具がいいし!」
仕事と住まいをなくしても楽天的なチェルシーに元気をもらったカールは次の手を打つことにする。
「とりあえず生活が落ち着くまで実家に身を寄せて態勢を立て直そう」
「でも実家にはお義母さんがいるでしょー?姑がいる新婚生活とか最悪ー」
「背に腹は代えられないさ。それに母さんならきっと僕たちの結婚を祝福してくれるさ」
「そうだね、なんなら将来子供が生まれたら世話もしてもらってもいいしー」
実家へと狙いを定めたカールとチェルシーが向かったのは王都のはずれにある簡素な家だった。久々の息子の帰省に母は歓迎するはずだ。カールは意気揚々と戸を叩いた。
「まあ、カールどうしたの?」
「ただいま母さん。とりあえず中に入れてよ」
「そうね、立ち話もなんだものね」
予想通り嬉しそうな母親に災難続きのカールもほっと胸を撫で下ろして、案内されるままに居間のソファに腰を下ろした。
「元気にしていた?結婚式の準備は進んでいるのかしら?」
「そのことなんだけど、マリエルとは婚約を解消したんだ。代わりに彼女と…チェルシーと結婚して母さんと同居するつもりだ」
「なんですって!?」
カールの報告に母親は雷に打たれたかのように硬直して、手にしていたティーカップを床に落としてしまった。
「大丈夫かい母さん?」
動かない母親の代わりにカールは慣れない手つきで床に落ちて割れたティーカップを片付ける。
「……私は反対です」
そしてようやく出た母親の言葉は拒絶だった。予想だにしていなかった言葉にカールは焦りを覚えた。
「バイオレット家のお陰で今の私たちがあるというのに、あなたは恩を仇で返してブループラント男爵家としての誇りはないの⁉︎」
「ブループラント男爵家は没落した。僕らはもう平民なんだし、自由恋愛でもいいじゃないか」
「今までも自由恋愛だったでしょうに!確かにきっかけは縁談だけど、あなたとマリエルさんが相思相愛だったから私たちが平民落ちしても婚約は続いていたのよ⁉︎」
かつてカールはブループラント男爵家の嫡男として生活していたが、父が病に倒れこの世を去り、領地運営が回らず泣く泣く領地を手放し爵位を返上した経緯があった。本来ならその時点でマリエルとの婚約は解消されてもおかしくなかったが、マリエルとカールが想い合っていたため、バイオレット男爵の厚意で婚約は継続され、平民となったカールと母親に手厚い支援をしてくれていたのだった。
「大体マリエルさんの何が不満だったの?あんな素敵なお嬢さん他にいないわ!」
「彼女に不満はなかったけれど、僕はチェルシーが好きになってしまったんだ!この気持ちは誰にも止められない!」
「カール!わたしもあなたが好き!」
完全に母親を蚊帳の外に追いやりカールはチェルシーとふたりだけの世界に浸った。障害があればある程燃え上がる質のようだ。
「とにかく私は反対です!大体同居なんて言うけれど、この屋敷はバイオレット男爵家所有の物件。早々に退去するのが筋だわ」
「え!そうだったの?この家、てっきり父さんの遺産で買った物だと思ってた」
「ブループラント家に借金はあれど遺産なんて一つもなかったわよ!どうしてそんなことも分からないのよ……この馬鹿息子!勘当よ!今からあなたは他人なんだから!」
鬼気迫る母親の拒絶にカールとチェルシーは尻尾を巻いて逃げることしか出来なかった。
***
「マリエル!」
婚約破棄から半年後、マリエルが友人から招待されたお茶会に向かおうと馬車に乗ろうとした所で、衛兵に捕らわれた男が不躾に名前を呼んできた。よくよく見るとその男はカールだった。以前と比べて痩せ細り見窄らしくなったその姿にマリエルは扇子で顔を隠す。
「お願いだ!もうこれ以上僕たちを苦しめないでくれ!」
ぎらついた目つきで懇願するカールにマリエルは眉間に皺が寄りそうになるのを堪える。返事をしないのをいいことにカールは話を続ける。
「チェルシーと入籍してから借金をして物件を借りて、魔道具屋を開業したんだ。だけど顔馴染みの魔道具技師たちに僕たちの店に商品を卸さないって拒否されて……それで新しい取引先を探して奔走しているんだけど、見つからなくて開店休業状態なんだ。お願いだ!魔道具技師たちに僕たちの店に商品を卸すように頼んで欲しい!」
調子のいいカールのお願いにマリエルはこれまで我慢していた怒りが腹の底からふつふつと沸き上がってくるのを感じた。
「お断りいたします。そもそも私はあなたにとってなかったことになっている存在です」
毅然とした態度で断るマリエルにカールは目を見張り、かつて彼女に告げた別れの言葉を思い出した。
「まさか!僕が『全てなかったことにしてほしい』と言ったから、仕事も家も母の家も全て奪ったというのかい⁉︎」
「奪ったとは聞き捨てなりませんわ。私はただ長年青春を捧げたあなたの最後の願いを叶えただけに過ぎませんわ」
マリエルとの婚約で得たもの……それを全てなかったことにした。ここでようやくカールは己の発言を後悔し、今まで自分の力で得たと思ったものは全てバイオレット家のお陰であって、後ろ盾が無い今の自分は空っぽの人間なのだとようやく気がついた。
「すまなかったマリエル許してくれ!」
「許すも何もありません。私にとってもあなたは全てなかったことになった人間です。衛兵、その者を警備隊に連行なさい」
「マリエルー!」
叫びながら衛兵に連行されたカールに背を向けて、マリエルは馬車に乗り込むと脱力して大きなため息を吐いた。
「ようやくこれで区切りはついたわね。もう恋なんてこりごりだわ……」
これからは女男爵として仕事に生きて行くのもありかもしれない。そんな将来の設計図を描いていたマリエルだが、この後のお茶会にて運命的な出会いをし、予想だにしない幸せな恋に溺れてゆくのだった。