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夢の意味するもの

 うちに部屋を取った割には着てるものが質素だし、御伴も少なくて顔ぶれがおかしい、って受附の従業員の目が言ってる。それも納得、客室ゴーレムに案内された超豪華な部屋に私達姉妹は狼狽えた。

「いらっしゃいませ。お初にお目に掛かります。当フロアの執事レンツでございます」

 この階は一部屋づつ貸すんじゃなくて、丸ッとこの階全体を貸す仕組みで、御伴をぞろぞろ引き連れた貴人用のなんだ。グリットの部屋を中央に両隣に近従の部屋が幾つかあって、ガブリエラとパッシェンさん、ヴァルターさんとコルネリウスさん、スヴェンとハーロルトに別れた。

 一番の貴人であるグリットの部屋には主寝室の他に複数の従者用寝室があって、そこにグートルーンと共に私の寝室も貰った。独立した部屋を貰ってもいいんだけど、豪華な部屋に独りは身の置き場に困る。従者用だって十分広くて、貴人の従者の貴人の部屋、なんだなこれが。

 昨夜の雑魚寝とは雲泥の差だよ。

「ガブリエラ、私達友達でしょ、身分なんて気にしないんじゃなかった?しかも気軽な学生旅行のはずでしょ。こんな豪勢にしないで、従者の部屋を与えるなんてネーナやグートルーンに申し訳ないわ」

 姉ちゃんも私も大口開けて一生縁のないであろう貴人の部屋を眺めてた。きりっとした執事がいて、複数の客室ゴーレムがいつでも要望に応えようと控えてて、家具調度は一級品だって横丁の庶民にも分かる代物だったりする。

「けれどグリット、ヴァルター卿が警護し易いとなるとこうなるのですわ。わたくしは硬い寝床に慣れておりませんし。おもてなしする気も起こらないお客様は執事が断ってくれますのよ」

 そ、それは大事だね。昨日からそういう人に悩まされてるもんね私達。

「私は気にしないで、身分で別け隔てしないったってグリットは皇女なんだから、気軽にしたくても限度があるのは分かるよ」

 そこでもう一人来客を告げられる。名前を聞いてグリットは直ぐに了承した。

「ハーロルト!」

「何故ここに居るんだ母さん!」

 既視感のある光景が展開されてます。

「何故ってあんたが近くに来るっていうのに、絶対会いに来てくれないだろうって解かってたから、自分から押しかけたからよ」

 強く抱きしめて「こんなに骸骨みたいに痩せこけちゃって」と嘆いた。そりゃ親なら嘆くよね。

「会えただろう。満足したら帰ってくれ。一体何処から俺の情報を得たんだか」

 それは親につれなく過ぎないかい?

「オルソリャからよ」

「姉さん…」

 天を仰いだがすぐに立ち直って母を追い返そうとする。

「まあ待ってハーロルト。折角お母さんが訪ねて下さったんだ。僕はグリットの部屋で話してるから、ゆっくりしてもらえばいいじゃないか」

 だよね。母ちゃんだって息子と話したいはずだよ。

「そんな勿体無い。私も顔さえ見れれば息子に用はないので、皆さんを取材させて下さいな」

 ポイッと放られたハーロルトが舌打ちする。

「はい?」

 どういうことさ?

「だから連絡しなかったんだ!この展開が読めてたから」

「息子なら協力しなさいよ!原稿料が入ったら少しは仕送り増やせるんだから」

 家族間トラブルが同時に二つ。


 私達は荷解きする間もなく、問題を二つ解決せねばならなかった。一つはうちだ。

 そうなると騎士の二人も警護として立ち会わない訳にはいかない。ヴァルターさんは窓側に、コルネリウスさんは扉前に立った。グリットは「叔父様も座って」と声を掛けたけど、あっさり首を振られる。

 そして改めて皆が紹介された。

 皇女マルガレーテ愛称グリットと護衛騎士の二人にグートルーン。ロットシルト家のガブリエラとメイドのパッシェンさん、私と姉ちゃんゴットリープ・フー師、スヴェンとハーロルト、ハーロルトの母オロール・ローゼンハイム。

 紹介される間もハーロルト母は好奇心が疼くらしい様子で、直ぐに質問攻めするかと思ったら、案に違えて推移を目を見開いて観察してる。

「母さんそれはダメだ。自分の紹介が疎かだろ。職業と用件を先に言うんだ」

 息子に断として命じられてしまう。

「ええ~、後でいいのにぃ」

「言わずにネタを拾ってたら信用問題になるだろ」

「というと…」

 記者(ジョルナリスト)に好い記憶がないから身構えちゃった。

「そんな言い方しないでよ。以前から取材は申込んでたんだから。私はリンダ・ディースターヴェークという筆名で小説を書いておりますのよ」

 ホホホと笑う。急に作家ぶった振舞いになる。

「リンダ・ディースターヴェークぅ⁉」

 ハモって立ち上がったのは私とグリットとガブリエラに姉ちゃんの女達一同だ。

 それはずっとファンで、『獅子人ネーナの献身』って私のことを勝手に小説にしてる作家のことじゃない!そりゃ立ち上がっちゃいますって!

「ほ…本物…?でもハーロルトは近所のおばさんに記事を読ませてもらったって…」

「新聞を買う金はないし、母の作品なんてそうでもなけりゃ読まない」

 息子の素っ気ない反応に母は「酷い」と口を尖らせる。

「これは出版社が取材の為に用意してくれた名刺です」

 ヴァルターさんが受取って何やら魔法で調べ、グリットに頷いた。

 姉ちゃんはさり気なくを装って身嗜みを整えてる。

「それで十分でしょう?私の要件の前に、そちらの方を片付けて下さいな」

「そう…言われ、ましても…」

 改められても姉ちゃんも腰が引けちゃってる。だよね~。小説に仕立てられること考えたら迂闊に話せないって。

「ネーナがガブリエラ嬢と旅行することは了承していたが、スヴェン殿やマルガレーテ殿下とご一緒とまでは告げられてなかったのだ。故に要らぬ心配をする大人達が騒いで、エルヴィラと私が赴く羽目になった」

 深みのある落ち着いた声が簡単に説明してくれた。希望通りの薄い珈琲の香りを楽しむフー師だ。檸檬タルトの次はサクランボのパイですか。

「ではお目付け役としてお姉様とフー師が同行することに?」

 とグリットが訊く。

「いや、私だけだ。エルヴィラは一言叱る為だけに来た」

「ごめんなさい」

 ここは話をさっさと終わらせる為にも素直に謝るべきだろう。

「ネーナ、貴様は我慢強い娘であったのに、最近は(たが)が外れている。一般人ならば許されることでも、貴様では大事(おおごと)になることを自覚して反省する様に」

 ですね。フー師のお叱りに更に頭が下がっちゃう。

 自分の扱いに戸惑ってしまうのはこの頃よくあるんだよね。獅子人の力を覚醒させてからこっち、確かに我慢が効かなくなってるんだ私。お目付け役かぁ。やっちゃったなぁ。

「ネーナはお目付け役がいる様なお嬢さんなのですか?」

 ディースターヴェーク女史が訊いた。獣人で野蛮だって思われたらやだな。

「若い者が羽目を外したがるのは自然なことではある。しかしネーナは獅子人なのだ。憐れには思うが必要と言うしかあるまい。ただし政治家達は他のことを危惧しているがな」

 それ言っちゃって大丈夫ですか?

「ネーナは今回僕の護衛騎士も兼ねてるんです。ギムナジウムの初等部からの親友だから、信じて身を預けられます」

 庇ってくれてありがとう~スヴェン。得難い友よ。

「素敵!そこから恋に発展すれば更に素敵」

 胸の前で両手を合わせて女史は興奮してる。

 は?そりゃないよ。スヴェンはガブリエラのものだもの。ほら、スヴェンも苦笑しちゃってるよ。ハーロルトにも怒られちゃってる。

「とと、取敢えず皇女殿下や次代大公とご一緒するなら、ちゃんと弁えて行動しなさい」

 精々重々しく姉ちゃんが発言する。ハイハイ肝に銘じておきますよ。

「お姉様も素敵な方ではないですか。想像していた通りだわ。お帰りになる前に是非取材させて下さいな」

 慣れなくて顔は僅かに引き攣ってるけど、姉ちゃんは悪くないって反応する。

「私は思ってたんですよ。お話は素晴らしいけれど生の私共の声が少ないって」

「そうでしょう!お姉様から見たネーナだとか、ネーナに関する逸話だとか、ご家族のことも訊きたいわ。ネーナに言えないご家族の苦労もおありだったでしょう?」

 一気に捲し立てる女史に、けど姉ちゃんは私を気にしてる。

「それは、まあ、ですけどどこの家庭にもありますことで、家族だけの秘密ですから」

 いいんだよ。私が先祖返りで苦労したこと隠さなくったって。

「書きません!お約束します。でも書かれないそういうことこそ、物語の背骨として必要なんです。ただの英雄譚ですとか、少女の活躍する物語なだけにはしたくないんです。亜人と人間の両方の血を引くご家庭は他にもありますし、世間の無理解にも苦しんでおられます。獣人だと恐れの反発の貶めの感覚は捨てて、理性の時代として共存の道を探っても行きたいと考えてるんです。勿論物語の上でしかないのですけれども。それが今回執筆を引受けた大きな理由でもあるのです」

「まあ…」

 熱く語る女史に姉ちゃん感化され始めてます。

 嫌だぁ!私が覚えてない恥ずかしいことばらすのだけは許さないんだから。食べ過ぎてお腹痛くなったこと以外何かあったっけ?

 女史は立派なこと仰ってるんですけど、それは賛同する部分も大いにあるんですけど、だからってちょっと待ってよ、って。私を主人公に物語を書くこと自体、私は許してないんだから、勝手に書いといてそう言われましてもね。姉ちゃんすっかりその事忘れちゃってるんだから。

「書かれてなくても、ちゃんと背骨があれば読者は読み取ってくれるものなんです。それはこれまでの作家人生で得たものです。お話を執筆する上で欠かせませんから、もう何度もご家族にも取材を申し込ませて頂いたんですけれど、色々ありましたし、ご心労が深いとのことで断られてばかりで…、そこをどうかお願い出来ませんかしら」

「断わったって誰が?」

「執筆を依頼して下さった『獅子人の為の委員会』の方々です。私へはそう紹介されましたけど、末尾に署名がありますよね」

「「ネーナ・ヴィンクラーの自由を守る会」と「獅子人の権利を守る会」と「北方種獅子人保存会」ですか?」

 当人を余所に色々頑張ってる迷惑な連中だ。何だかまた変な名前の委員会を立ち上げてくれちゃってさ。

「そうです。ネーナの為に個々の主義主張を排して、獅子人の評価を高める為の努力を惜しまない委員会だそうで、執筆を依頼されて光栄でした。他の人に絶好の機会を渡したくなくて、二つ返事で引き受けたんですけど、資料はほぼ新聞と委員会が調べて来た情報だけで、正直アマーリエ講堂の火災の前でペンが止まってしまってるんです」

「あの場には何百人って人がいたんだから、そちらを取材すれば…」

 私は呼吸を整えた。

「ハッキリ言います。他の誰が取材に応じようと私は受けません!元々私を題材に小説が書かれるなんて寝耳に水だったし、家族だって迷惑してたんです。好評だからまだ救われるけど、だからって私が許したなんて思われたくない」

「その点は謝ります。ついつい筆が乗っちゃって。勢いで書いた原稿が載せられてしまって、私も驚きました。でもお願い、想像で書くのは限界なの。あなたへの取材なしにはこの先は書けないの!」

 拳を握って迫られて私はじりじりと下がった。

「このままでは作家の創造の翼を広げたとしても、実在の人物をモデルにしている以上、その方の迷惑になる様な、モデルの実像をご都合主義で逸脱した様な、そんな物語は作家として書きたくないんです」

 つっても主人公の私自身が繊細な美少女になってるからには、もうご都合主義で逸脱してるじゃない!でなくたってのっけの最初から迷惑なんだよ!女史がどう考えていようが、私は全く許してないんだから。そりゃ大ファンの女史が書いてくれてるってことで、ほんの少しだけ誇らしくはある。でもそれだって数万倍の迷惑に勝ててません!

 更に反論を展開しようと声を整える間に、妹の気も知らず姉ちゃんは身を乗り出してた。

「そんなことはありません!あなたは充分我が家を理解して下さっています!読んでいて私も兄も心を読まれたかと恐ろしくなる時がありました。そんな風に思って下さる方だからこそ、書けたのですね。理解しました。兄もきっと喜びます」

 はい姉ちゃん転んだ。ヒシッと、しっかと女史の手を握ちゃってるよ。ああ、もう⁉

「全面的に協力させて頂きます」

 何だかなぁ、うちの兄弟はもっと思慮深くてドライだと思ってなのになぁ。思い込みと実像ってかぁ?やだぁ、そういう現実は徹底的に見たくなかったぁ!つーか私と感覚違わ過ぎない?もしかして私は橋の下で拾われた口なのかな~。でもうちの近くって橋あったっけ?

「ありがとうございます。そういって頂けると執筆に力が入ります」

 こほん、と忘れられてた人々のうちグリットが、注意を引く為の咳払いをした。

「私も読ませてもらっていました。素晴らしい作品ですね。だからネーナに女史から取材の依頼があれば、受けた方がいいと忠告させて頂いていたのです」

 余計なお世話だよ。友達甲斐がないんだから。

「まあ、皇女殿下ありがとうございます」

「わたくしも、もっと早くに取材があれば、真実の友人関係が描けたものと、残念に思っておりましたのよ」

 だよな。君達は私が小説になって、著者がリンダ・ディースターヴェーク女史だったからウハウハだったものな。罅どころか友情に亀裂が入る音がするよ。でっかい亀裂だよ、轟音が聞こえてませんか?お二人さん。

 私だって小説はそっちに置いといて、ディースターヴェーク女史に会えるかも、って期待はしてたよ、確かに。だけどさ、私を中心にして私生活が丸裸にされるって、快い物じゃないんだよ。

「妹の伝記作家として、あなたの力量に期待しています」

 だからどうして本人の了承が無視される!そして伝記作家って、ええーーーって話よ姉ちゃん。

「齢十六で(今年十七だけど)伝記作家がつくって、どう考えてもおかしいでしょ姉ちゃん。アマーリエ講堂のことで終わりだよ。本にする様な劇的なことはそこだけだし、みんな助かって良かった良かったで終わるんだから」

「いいえ、あなたは絶滅した獅子人の血を受継ぎ力を発揮出来る、という時点で一生が伝記になる条件が揃ってるんですよ」

 や~め~て~。悪いことだけじゃなくて、恋のアバンチュールも出来なくなっちゃうよう~。衆人環視の恋愛なんて嫌だぁ。

「勿論ネーナの人格やプライベートは充分に尊重させてもらいます。四六時中べったりなんてしません。何でも相談出来るお姉さんの位置付けで結構なんですよ。出版だとか本にする前には確認してもらいますし」

「それは絶対させるから安心してくれ」

 地獄の使者みたいに陰気な雰囲気でハーロルトが断言した。ありがとう。でもね私にとって根本的な問題が、みんなに丸ッと無視されちゃっててね。苦苦苦苦苦苦苦苦。

「年頃の魅力的なお嬢さんだから、ご家族も心配でしょうが」

「はい、ネーナはとても魅力的な自慢の妹なんです。それが広まればいけない男達が狙うのではないかと、兄も私も気が気ではありません」

 そんな心配は毛頭もないわぁ。妹バカも大概にしろう⁉瞳で一発で亜人だって分かるっての。

「では時間の許す限り取材をお受けしますわ」

 ガブリエラ、勝手に何受けちゃってんの?亀裂の周囲に細かく罅がさ、細かくね、入っちゃってますよ~、お~い。

「ありがとうございます。旅行への同行もお許し願えますか?原稿の提出期限がありますし、物語が逸れない様に皆さんのこともよく知っておきたいのです」

「結構でしてよ、部屋も用意させますわ」

「母さん⁉」

 ハーロルトが牙を剥いた。

「妹や弟達の面倒は誰がみるんだ!父さんにだって相談しないといかんだろう!」

 女史ははんっ、ってヤサグレ顔になる。

「これだから家のことを顧みない息子って嫌よね。下の子達だって優秀なんだから、奨学金貰ってギムナジウムでお勉強に決まってるでしょ。夏休み一杯講座を受けまくるから、費用を送れって連絡だけが来たわ。誰も彼も母さんのこと放ったらかしで金だけ送れって、グレそうよ」

「父さんは?」

「私達の間には冬の嵐が吹き荒れてるの。学費稼ぎに恋愛小説に手を出したら、それには賛成出来ない、ですって。じゃあ自分で学費工面しろよ、って話でしょ?」

「父さんが?母さんのすることに賛成しかしない人だったのに?何かあったのか?」

「男同士の恋愛ってとこに理解がついてかないらしいわ」

「同感だ。普通のか、せめて女同士にしてくれ」

 そこまでなら許せるって話か?それとも君の性的嗜好なのか?いや、知りたくないからいい。

「あんたの意見は聞いてない。あれはノリノリで描けるし原稿料がいいの」

 需要あるもんね。読書部を掛け持ちしてるんだけど、とある女子三人組に熱く語られたことがある。

「わたくしの下の姉も大変なファンですの。個人の蔵書を勝手に読んでも構わないと申しますので読んでみたのですけれど、その…「鬼畜系」というそうなのですが。途中でそっと閉じてしまいましたわ」

 そこはいきなり初心者が踏み込んじゃいけないとこだよ。もっと手前からじゃないと。私は渋い中年同士が好きだったりするよ。

「ガブリエラ!あなたの様な方が目にする物ではありません。それが正解です」

 なんだと、この世の本は読まれる為に存在するんだよ!そりゃ相手を選ぶけどさ。そういう言い方は好きじゃないぞハーロルト。

「ですけれど、あんな目に某閣下が遭うのだとしたら……」

 言葉は途切れたけど、細められ怪しい光を宿した瞳が続きを雄弁に語ってた。


 どうしてこうなるかなぁ。姉ちゃんは仕事があるからすぐに帰らないといけなくて、用意してもらった部屋で取材を受けてる。同席させてもらえなかったから監視出来ない苦苦苦。お願いだから要らん事ペラペラ喋んないでよ!

 二人の入った部屋の前で悶々としてもしょうがない。私は無理矢理荷解きに移った。

 それにしても迂闊だった。このガストハオスに合う様な服持ってない。

 大体学生旅行だから昨夜の宿やそれに準じたのを考えてたのに、グリットだって皇女の身分を隠して世を忍んでるから荷物も少ない。でもガブリエラはそんな気さらさらないんだ。薬草採集とかで泊まり掛けの時はテント(ツェルト)持参だったもんなぁ。何だったら上級生が魔法でちょちょいと建ててくれたし、同じ乗りで考えてた。

 うん、まあ、お金持ちのお嬢様に旅費を全部出してもらってる貧乏なお友達でいいんだけどさ、ホントのことだし。でもガブリエラが恥ずかしくなる様な格好もしたくないんですよ、私だって。

 しかしよくよく考えたら最終目的地はブライトクロイツ公爵家なんだよね。迂闊だよ。我が国有数のお貴族様のおうちに、庶民の普段着よりちょい良いだけの服で訪ね様としてたんだから。

 寝室には室内に向かって窓がある。グートルーンが見えたから、気は進まなかったけど訊いた。

「ねえねえ、グートルーン」

 呼ばれて驚いてそして嬉しそうにすっ飛んで来る。

「何々?何でしょう?私でお役に立てるなら」

 そう期待されても大したことねぇよ。

「どんな服持って来た?学生同士の旅行だってことにばっかり気を取られて、グリットのお祖父様が大貴族だってことコロッと忘れてた」

「私は殿下の召使いだから、お仕着せでも貰えるんだろうって気にしてないの。そういえば皇女殿下も、格式ばった衣装は持参されてないわ」

「だったよね。飛び抜けてるのはガブリエラだけだよね」

「良かったら服、用意させてもらうわよ⁉」

「要らない」

 我ながら冷たく告げた。

「他の方々も荷物は多くないし服装も似たり寄ったりでしょう?」

 しゅんとしながらも言った。

「だよね~。ガブリエラの感覚を理解してなかったよ。出発前に確認すべきだったんだろうけど、そこまで違うと思わなくって…」

「グリット姫も驚いてた。ネーナとグリット姫は同じ感覚でいたんだよね」

「いつまで滞在するんだろう?宿代が恐ろしい」

 いや、払う気なんてサラサラないよ。ガブリエラの好みに合わせてるんだもん。

「ブーヘの《忌み地》へはこの街から往復するんだって、もっと近い村があるけど、そっちだと宿が貧相だからってパッシェンが」

「じゃあ昨夜は?」

「道中でそこが一番ましだったから、らしいよ」

 雑魚寝だけど藁にシーツのじゃなかったのは、幸運だったんじゃなくてちゃんと下調べしたんだ…。

「私、旅費出してもらうからって任せっぱなしだったからなぁ。大まかな旅程しか聞いてないし」

「この街は小さいけど温泉施設が有名でね」

「温泉?」

「湯量は然程じゃないんだけど、薬効が高いらしいのね。だから貴族とか金持ち専用の温泉になってるのよ。明日はそこで一日ゆっくりするって話だった。取敢えずスヴェンやハーロルトを休めるのにはいいよね」

 それは私も嬉しいかも…父ちゃん母ちゃん、私だけ良い思いしてごめんなさい。

 そしてグートルーンは間違いなく善い子なんだよね。



 夜、夢を視た。グートルーンと初めて会った夜と同じ夢だ。獅子人が毛皮を剥がれる夢、とんでもない悪夢。あの夜は人間の恋人に騙されて、絶望の内に殺されて毛皮を剥がれてた。それから、弟妹達の食料の為に我が身を売る兄ちゃんを、妹の視点での夢もあった。

 今夜私は獅子人の小さな女の子だ。

 弟を隠した後、父ちゃんの言いつけ通り別の隠れ場所に隠れ様としてたら、エビングハウス一族に見付かっちゃったんだ。大人であっても人間の力なんて大したことない、はずなのに、長年の経験から培った技で、連中に軽々と罠に追い込まれて首輪を嵌められたんだ。そしたら力が出せなくなった。

 自分を人質に父ちゃんが狩り出されるのが悔しくて、頭も腹も煮えくり返ってた。逃げて、って叫んだのに父ちゃんは現れちゃった。親だったらそうだよね。首輪が嵌められて、連中が偉そうに父ちゃんに命じた。

「獣に変われ!本当の姿に戻るんだ」

 どっちが本当の姿かなんて自分達にだって分からない。

 ――え、そうなの?

 人間と獅子との交配で、どちらの属性も持って生まれたんだ。連中が罵る様には生肉だって食べない。人間は恐ろしいから危害なんて加えない、だから逃げて家族だけで隠れて暮らしてたんじゃないか。

 ――そりゃそうか。

 なのに、平穏に生きたいだけなのに、友達も隣近所もなくて寂しい暮らしを我慢してるのに、こうやって狩り出されるんだ。

「娘は必ず解放してくれ、約束だ」

「ああ、分った分かった。さっさと獣になれよ、この化け物が」

 何てこと言うんだ。思いっ切りエビングハウス一族を罵倒しても、連中はバカにして、見下して笑うばかりだった。

 ――止めて見たくないよ。お願い目を覚ましてネーナ。

 私の目の前で豪華な、冬毛の美しい父ちゃんの喉が裂かれた。

「父さーん⁉」

 喉から絶叫が迸る。無惨な光景なのに私は目を閉じなかった。父ちゃんの最期をしっかとこの瞳に焼き付けた、憎悪と共に。

 憎い憎い憎い。

 エビングハウス一族には情けがない。父を殺す場面も皮を剥がす場面も見せつけるんだ。ならば見てやる。憎悪を忘れない。心に刻み付けておく。

 目の前で毛皮が剥がされていく。早い、瞬く間に毛皮は剥がされる。熟練しする程に獅子人を狩って来たんだこいつらは。

 憎い憎い憎い。

 首輪さえなければこいつらを一人残らず殺してやれるのに⁉

「ほら、腹が減ったろ、喰え」

 ニヤニヤ嗤いながら、父の前足を切って私の前に放る。

 ――何て奴らだろう。何でそんな非情が出来る!こいつら全員を引き裂いてやりたい。夢なのに現実で、私はここに居るのに彼女同様手も足も出ない。

 憎い、憎い、憎い!人間なんて大嫌いだ。

 ――幼いのにこんな憎悪を抱かされて!恐ろしい。でもこの憎悪には覚えがある。

「呪ってやるから!いつかお前らエビングハウスを全員呪い殺してやるんだから⁉」

 横っ面に衝撃が走った。容赦のない力で殴られて死ぬかと思った。

「止めとけ止めとけ」

 親玉らしい男が二発目を制した。手が血塗れだ。父ちゃんの血だ。

「なあお嬢ちゃん。大きくなったら毛皮の美しい雄を産むんだぞ。分かったか?お前らの価値なんてそれ位だからな」

 平手打ちを喰らって目の前に火花が散った。

 そして毛皮を失った父ちゃんの遺骸をそのままに、連中は去った。


 陽が落ちてから弟を隠れ場所から出してやった。弟は男の子だから、見つかったら殺されない代わりに毛皮牧場に連れてかれて、いい頃合いになると毛皮を剥かれるんだ、と父ちゃんは言ってた。

 賢いマルセルは心細かったろうに、私が現れるまで泣くのを我慢してた。お互いにきつく抱き合って泣いた。


 父ちゃんの遺骸の上に雪が降り積もった。雪を掻き分けて土に穴を掘るなんて、首輪をされたままじゃ出来ない。遺骸が隠れるまで私は外に出なかった。弟も出さなかった。


 家の中にまで雪が入り込む様になった。大人がいなくなった家で、幼い姉弟だけでは補修もままならない。

 もう直ぐ冬が終わる。本能的にそれは分かってたけど食料が尽きてしまってた。首輪をされたままだから狩りにも出られないし、出ても少女では獲物を見付けられなかったろう。

 ――何でこうなるの。見せないで!お願いだから!この先なんて分かってる。だから、もういいから許して。

 抱きしめた弟の身体が冷たい。絶望を感じた。

 ――ああ、嫌だ。

 お腹が空いてもう動けなかった。

 寒さが痛みとなって身体に沁み込む。

 自分達の上に冷たい雪が積もってくのをただ見守った。父ちゃんの上に積もった様に。

 ――誰か助けて上げて!この家族が何をして、こんな目に遭わなきゃならないのさ。何も出来ないんだから、早く夢が覚まさせて、お願い。

 飢えと絶望だけがあって、楽しい夢も視ることなく眠りについた。


 ――もう嫌だ!どうして?どうしようもないのにどうして私にこんな夢を見せるの?誰が見せてるの?

 ――苦しくてしょうがないよ。胸が痛い。

 ――何の為に私はこんな悪夢を見せられ続けるの?人間を憎む為?けどだからって何が出来る?私に。


 ――ただ、一つだけ気付いたことがある。エビングハウス一族の呪いは殺された男達のものじゃないんじゃないか、ってこと。

 ――エビングハウス一族を恨み、生涯呪い続けたのは、大切な者を奪われ殺された、残された女達じゃないだろうか。


 ――夢は続いてた。

 温かい部屋で私は気が付いた。自分の家だ。雪が入り込まない様に補修されてる。

 何より弟が生きてる!ここは天国なんだと信じかけた。

 ――だよね、だよね。起きてたらボロボロに泣いてたよ。生きてて良かったぁ。

「起きたか?酷い目に遭ったな」

 父ちゃん程にごつくて逞しい男が、弟に食事を食べさせてくれてた。

「姉たん、起っき」

「ああ、姉さんが起きたな。食べられるか?」

 木の椀を差出される。

「二日間も眠ってた。正直死なせちまうかと冷や冷やしたぞ」

 凄く嬉しくてホッとした。お腹は空いてたけど、久しく食べ物を受け入れてなかった胃が、自分の役割を思い出すまで痛かった。

「おじさん誰?」

 種類は特定出来ないけど亜人だ。

「おじさんは犬系の亜人だ。嗅覚が良いんだ。だから雪が積もってても匂いを追えた」

 犬系の亜人は人間の味方だ。警戒心と敵意が湧いた。

「私達を人間に売るつもり!」

 弟に手を伸ばそうとしたが、死に掛けた身体はいうことを利いてくれない。けど首輪は外されてるのが分った。

 男は悲しそうな顔をした。

「そんなことはしない。おじさんは人間と縁を切ったんだ。妖精郷の入口を教えられてな。人間なんていない安心して暮らせる世界に行くんだ」

 妖精郷のことは父ちゃんが何度も語ってくれた、家族の夢の場所だ。美しい妖精がいて、そこには人間界から逃げ出した亜人達が、平等に平和に暮らしてるんだって。人間に怯えて暮らさなくていいんだ。

 ――うん、私も本で読んだよ。大昔の妖精との大戦の頃から、たくさんの亜人が妖精郷に逃げたって。

 両親は探しながら旅して、その間に私と弟が生まれた。母ちゃんは夢半ばで逝ったけど、いつか三人で必ず探し出そう、って話してたんだ。

 ――そうだったんだ。

「嘘じゃない。一緒に行こう」

「ホントに?そう言って弟をエビングハウスに売ったりしない?」

 だって犬系の亜人は人間の味方のはずだ。巧いこと言って騙してるのかも。

「誓約しよう。絶対騙したりしない」

 男は自分の腕と少女の腕を少しづつ傷付け、血を流す傷口を互いに押し当てた。両方の腕を囲んで光の輪が現出する。

「天が落ち大地が裂け海が割れることあらぬ限り、我はこの誓いを違わん。我、アルベリク・サントンジュワは汝ら……」

 察して私は叫んでた。

「ウラと、弟はマルセルよ」

「ウラとマルセルの姉弟を、我が身に変えても妖精郷に送り届けることを誓う。違約したる時は、この身、六つに、十二に、二十四に裂かるるとも異存あることなし」

 一瞬、二瞬、光は大きく瞬いて消えた。男の首に、少女の傷の上に誓約の印が現れてた。ちょっと痛い。

「これで誓約は為った」

 私はアルベリクに抱きついて大声で泣いた。父ちゃんみたいな大きな手で背中を撫でられて凄く安心した。そうしてる内に心配したマルセルも、アルベリクを真似て私の背を撫でるのに加わった。


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